開店前のひととき
トイレ掃除を終え、次の外掃除も意気込んで終わらせた。
これで最低限の業務は終わった訳だが、時計をみると
いつもより15分近く早い時間だった。
多少はスピードを上げたが、手など一切抜いてはいないから、
いつもよりいい感じに集中できていたのだろう。
店長の言う通り、遅刻した代わりに最近たまっていた疲れが抜けたのが、
案外良かったのかもしれない。
「外掃除終わりました。バックの整理行ってきます。」
店のバックヤードは従業員のロッカー、控え室の他に、
備品や食材の置き場所になっている。
残った時間はそこの整理でもしようかとバックへ向かおうと
すると、店長に呼び止められた。
「こっちも終わったから、ちょっと休憩しようか。」
サンドイッチの乗ったお皿を掲げながら店長は微笑んだ。
「でもそれ、店長と星奈さんが食べる
まかないじゃないですか?
俺勤務終わったら、すぐ夕食なんでいいですよ。」
星奈さんとはこの店のホールスタッフである女子大生だ。
恐らく開店20分前くらいに店に駆け込んでくるだろう。
大学の授業を終え、直接店にやってくる彼女と自分が
軽く胃袋を満たすために、店長は毎回簡単なまかないを
作っている。
時々は俺もご相伴にあずかるのだが、今回は遅刻してきた手前、
遠慮しておこうかと思った。
•••サンドイッチは星奈さんの大好物であるため、
先に食べたりすると何を言われるか分からないというのもあったが。
「おなか減ってるでしょ。たくさんあるし、味見も兼ねているから
お願いできないかな。」
そう言われると断りづらい。それに実はおなかの音が鳴りだしそうな
くらい空腹だった。目の前においしそうな店長特製サンドイッチ。
ごめん、星奈さん、俺もう耐えられません。
「じゃあ、一つだけ。」
手を洗い、一切れもらって口に入れた瞬間、
口内で食材の絶妙なハーモニーが奏でられ、
天にも昇る気持ちだった。
友人に貸してもらった料理漫画における
あの過剰なまでの感想ポエムが
必ずしも誇張でないことを実感できた。
「ああ、おいしいです、ホントに。」
その後気づいたら3切れほど一気に食べてしまっていた。
「それはよかったよ。身体の疲れは食べないととれないから、
おなかが減ったら遠慮なく言ってね。じゃあ、僕もいただこうかな。」
コーヒーの入ったマグカップをこちらに手渡しながら、
店長はそう言った。
恐らくこちらの体調も見越して声をかけてくれたのだろう。
ありがたいとしか言いようがなかった。
「でも少し元気になったみたいで良かったよ。
最近なんだか、追いつめられているような感じだったから。
しんどい時には休んで本当に大丈夫だからね。」
優しく諭すように、言い含めるように
店長はそう言ってくれた。
店はかなり繁盛しており、手が足りないなら
いくらでも求人できただろうに、
中学生の無茶なお願いを聞き入れてくれたばかりか、
OBのよしみで、わざわざ江田校の先生にも
話をつけてくれたのである。
たかだか2時間しか勤務しない若造にここまで
心を配ってくれるこの人を
俺はこの上なく尊敬していた。
だからこそいい所を見せたいというのもあり、
時々無理をしてしまうこともあるのだが、
それすらも笑って受け入れてしまう度量の深さが
この人にはあった。
「ご心配をおかけしました。
無理な時はきちんと言うようにします。
本当にありがとうございます。」
俺はこの少し年の離れた兄のような人に
将来なれるのだろうか。
江田校OBであり、件の最難関大学に現役で合格し、
大手外資系コンサル会社で活躍していた彼は、
若くしてこの小さなレストランの店長兼オーナーとなった。
そこには同じく江田校OGである奥さんとの色々な逸話が
関係していると星奈さんから聞いたことがある。
ただ今の俺では仮にその事情を聞いたとしても、
その真意を十分に汲み取ることができないだろう。
いつかこの人とそんな深い話ができる人間になりたい。
熱いコーヒーを啜りながら、そんな思いを新たにしていると、
鐘の音と共にドアが開けられ、
疾風のような勢いで、
この店の看板娘が飛び込んで来た。
「店長、ゆうちん、おつかれさまーー。
•••あーーー、二人だけでサンドイッチ食べてるーーー。
ずーるーいーーー。」
穏やかな空気は一気に消え去り、
彼女の甲高い声と共に明るい雰囲気が店内にもたらされた。
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あーにーきーと叫びたい、って感じですかね。
9話目にしてようやく女性を登場させることができました。
ここからは結構女性キャラも出てくる予定です。
できれば今日中にもう一話港亭話をアップしたいと思います。