<Act.03>レーベル「異常」
ルオは待合室として使われている空き部屋に足を踏み入れ、大きな姿見に自分の姿を映す。
昼間とは違った風に結われた金髪と、交差させられた黒いヘアピン。格好こそ違うが、その顔立ちは〝シータ〟そのものだった。しかし、その眼光と雰囲気だけがまるで別人のように、冷たい。
一度目を閉じて息を吐くと、彼は今しがた入って来た扉とはまた別の扉を押し開けた。薄暗い通路が10メートルほどあり、向こう側には明りが見える。
――其処が、彼の戦場だ。
ジッと進行方向を睨みつけ、彼が歩き出そうとした――その時。
「ストーップ」
「!」
目の前に小ぶりの手のひらが突き出された。驚いたルオ――シータは反射的に一歩身を引く。
威嚇するかのように手の主を睨みつけたが、すぐにその視線は別のものへと変貌した。そこに立っていたのは、先ほど別れたばかりのノイズであったからだ。
尚も右手を伸ばした体制のままの彼は「忘れ物」と言って、何かをシータにヒョイと投げる。それを彼が左手で掴み取るのと同時に、ノイズは言葉を続けた。
「それ、必要ですよねぇ?」
「……あ」
「まったく。とんだドジッ子がいたもんですよぉ。世話をするこっちの身にもなってくれないですかねー、シータ先輩」
シータの左手に収まっているのは、先ほどノイズが彼から取った首輪。タイミングを逃し、ノイズがずっと持っていたらしい。シータはすっかり忘れていたようで、キョトンと首輪を見つめていた。
自然と口をついて出ようとした「ありがとう」という言葉は、すぐに飲み込む。
(そもそも、こいつがあんな変なことをするから忘れてしまっただけであって)
本来なら自分で首輪を取り外し、しっかりと持っていたはずだ。つまりこれは結局、目の前のピンク髪の所為なのではないか。そんな考えが頭の中を渦巻いた。
結局何も言わないままそれを受け取ることに決めたシータは、ノイズからフイと顔を背ける。それを見たノイズは言った。
「誘導人であるオレのこと振り切って行こうとか、そうはいかないですからね」
「……はぁ」
どうやらシータはそのまま歩き去ってしまおうと考えていたようだ。彼の言葉を聞くと足を止めて、あからさまに溜息を吐いた。気怠そうに振り返れば、視界を若干塞ぐ前髪を右手で梳いてノイズを見る。
「ほら、早く俺をD_ANDROIDの元へ引率してよ。小さな誘導人さん」
「お安い御用でぇーっす!」
彼の言葉を聞くや否や、ノイズは意気揚々とシータの前を歩き出した。それを呆れたように眺めて、シータはそれに続くように遅れてついて行く。
通路が終わり、目の前に広がったのは豁然とした場所に出た。
今までのPLANT内とは違い、薄灰色と白色で包まれた空間。見上げれば天井はかなり高く、二階の通路からココを眺望出来るように、ガラス窓がズラリと壁面に並んでいた。勿論、自分たちを取り囲む壁にも同じようなガラス窓がビッシリと備え付けられており、幾人ものPLANTのスタッフたちが、無表情でこれから始まる破壊行為を見物しようとしている。
それらを一瞥したシータが、ゆっくりと目の前にあるものへと視線を向けた。視界の端に入るのは粗大ごみ。それらに憚られるように、奥の方でひっそりと立つ人影が在った。
今回消去するアンドロイド――〝対象〟だ。
それを確認すると、シータの瞳孔がすっと細められた。彼が纏う雰囲気が一層冷たくなる。既に昼間のシータとは比べ物にならないほど、彼の周りの温度は絶対零度まで下がったように感ぜられた。
普段とは違う光景に、ノイズが思わず首を傾げる。
「あっるぇー……。おかしいですねぇ、いつもならフィールドが切り換えられているのに。今日はいつも通り」
タンタン、と右足で床を叩く。タイルの音が冷たく響いた。
どうやらこの部屋の床は自由自在に変化させられるようで、普段は傷がつかないように。そして尚且つ動きやすいように、土が敷かれているのだ。
だが、今日はそれがない。
ノイズは「どうしてでしょうねぇー」とシータに声を掛けようとするが、言葉を飲み込んだ。彼はただただ、一点を睨みつけている。それを見て、ノイズは〝世間話〟を控えた。彼の表情の意味を理解している彼だからこそ中断したのである。
彼の一連の動作など知る由もないシータは、対象を睨みつけたままノイズに問う。
「あのアンドロイド、一体どこが不良品だと」
「……あれは、足りないアンドロイドです」
「足りない?」
何かが引っかかったのか、単に興味を引いただけなのか。シータは訝しげな表情でノイズを見た。
先ほどとはまるで逆で、シータの視線を受けるノイズは対象に目線を投げたままである。シータを見ることなく、彼は問い掛けに答えた。
「よぉーく見て下さぁい? 右手の指、数えたら何本あります?」
「……あれ?」
ノイズに言われるがまま、シータは対象の右手を見る。暫く無言で指先を数えて、彼は違和感に気付いた。
「一つはそれッスねー」
緩く弧を描いた口元を携えて、ノイズはシータを見る。そして彼の反応を楽しむかのように、嗜むように、ノイズは続けた。
「そしてもう一つ、耳が片方アイツないんですよぉー」
「ふぅん……で?」
「以上」
「は?」
突然切り上げられたことにより、思わずシータは素っ頓狂な声を上げる。
てっきり他にも理由があるのだと踏んでいたのだ。
「以上ですぅー。待っていても他に理由なんかないですよー」
シータは「信じられない」とでも言いたそうに目を丸くしてノイズを見る。今度はノイズも彼の方へ顔を向けて、にんまりとした笑顔を返した。
ココロデータの発芽があるわけでも、何か異常行動を起こしたわけでもなく。ただ、体の一部が欠如していた。ただそれだけで〝不良品〟と判別された。ただ、それだけ。
それだけしか理由がないのにも拘らず、アンドロイドは消される。これから消される。
殺される。
「……修理とかいう手立てはないわけ」
「へい?」
変な声を発してノイズがシータを凝視した。ぱちくりと何度も瞬きを繰り返したのち、あははは! と突然笑い出す。
「もしかしてソレ、ボケてるんですかぁ? オレってばツッコミ役には向きませんねぇー! スルーしちゃいそうでしたよ」
「……質問に答えろ」
「は、質問と言うよりもソレって愚問ですし」
ノイズが鼻でせせら笑った。「知ってるくせに」という言葉を添えて。
「ココ、PLANTは完璧を求めている。完璧でなければ意味がない。不良品やら、修繕品? そんなもの在ってはならない隠滅、隠滅! そういう世界です。……先輩だって、この世界に生まれて、活動して、育ってきたんでしょ?」
そして不良品と名付けられた。
シータは無言で視線を落とし、そっと自分の胸元辺りを指でなぞる。そこは丁度、己の製造番号が刻まれた部分。
彼が思わず感傷に浸りそうになったところで、「でも」と引き上げたのは浸らせるきっかけを与えた張本人。ここには二人しかいないのだから、当然である。
「確かにたったあれだけの失敗で、消去っての珍しいですよねー。結晶が勿体無い」
「最近失敗作も少なかったし、スタッフの連中がレベルを下げただけだろ。娯楽のために」
「キャッハハ、言えてるー! 結晶も作ればなんとかなるって開き直ったとするなら、大概そんなところでしょうねぇ」
シータが厭味っぽく言葉を吐き捨てた。
結晶――。それはアンドロイドの動力源である。人間で言う所の心臓のようなものだ。まるでマイクロチップのように有りと有らゆるデーターが組み込まれており、その結晶開発こそPLANTの大成と言っても過言ではない。
しかもそれは、総てのアンドロイドにまったく同じものを組み込まれているわけではなく、一つ一つ違う。人間の個性と同じようなものだ。
出来ることなら労力・経費削減の為に、その結晶だけを回収したい。回収した結晶を他のアンドロイドに移植してしまえばいい。それがPLANT側の希望ではあるが、叶わない。
何故なら結晶はそう簡単に移植出来る代物ではないからだ。人の臓器のように、適合者でなければ体に害を成す。基本的には、最初に埋め込まれたアンドロイドとしか共生出来ないようになっている。
それも総て、アンドロイドをより人間に近いものにするためなのだ。
しかし、近づきすぎてはいけない。ココロを芽生えさせた結晶は不良品。データーを組み替えることも儘ならないため、結晶は破壊する他ない。
その行為を遂行するのが、アンドロイドクラッシャーであるシータの役目である。
――ブツッ。キイィィン……。
彼らの会話を一度遮断するかのように、スピーカーからマイクのスイッチが入る音が響いた。
思考を一旦停止させて、シータは無意識に最寄りのスピーカーへと目をやる。
『これより、D_ANDROIDの処分を開始する。アンドロイドクラッシャー、前へ』
「……」
アナウンスに促され、彼は静かに一度深呼吸をした。そして真っ直ぐと眼前を見据えると、足を踏み出す。
「シータ先輩」
そんな彼の背へ声を掛けるのはノイズ。
振り返ることこそしないものの、シータの体はピクリと一瞬だけ、彼の声に反応した。
「いってらっしゃい。死なないでね。有り得ないだろうけど」
「……余計なお世話」
ノイズの言葉に対し、ヒラリと右手を軽く上げて反す。
そうして彼は、これから始まる仕事の〝舞台〟中心部へと、敢然と進んでいったのだった。
彼の進行方向には大きな産業廃棄物などはなく、常に〝対象〟と対峙する形となる。
中性的とも取れる顔立ちではあるが、対象の性別はどうやら女に分類されるようだ。肩につかない程度に切りそろえられているセミショートの髪型と、短く切られた前髪。
そして特徴的なアホ毛が、彼女の頭からピョコリと自己主張をしていた。嫌でもそれに自然と目を向けてしまうシータは、無理に目線を逸らす。
(風もないのに何であのアホ毛動いてんだろう。静電気でも発生してんのかな)
と、どうでもいいことに気が散ってしまう始末である。
これではいけないと首を左右に振って、彼はまた真っ直ぐと進行方向を見据えた。視界に再び、これから壊すアンドロイドの姿が入り込む。
そのアンドロイドは、あまり容姿には気を配っていないような雰囲気ではあったが、それでも、その顔立ちは秀麗であった。PLANTで製造されたアンドロイドの基本的共通点である。
対象と、ある程度の距離を取った場所でシータは立ち止まると、左手に持っていた首輪を軽く持ち直した。
「……」
彼女の眼が、自然と彼の左手に向けられる。生気のない表情で、興味無さそうに動かされた視線が首輪を見つめた。
その視線に気付いているシータは、特に気にした素振りは見せない。
「刃よ、主の声に応えよ」
「!」
ドクン。
シータがボソリと呟くと、それに反応したかのように、首輪が己の存在感を誇張し出した。それが動き出したわけではなく、輝きだしたわけでもない。
しかしそれでも、その首輪に何かあると察することは安易だった。
ただの首輪。その意識が〝普遍的でない首輪〟にすり替わる。すり替えられてしまう。
何をするつもりなのだろうかと、対象の眉間が寄せられた。ここにきてまったく表情の変化のなかった彼女が、初めて、顔色を変えた瞬間である。
「虚偽の器を放棄し、今、我の眼前に真誠なる姿を現せ」
「っ!」
ヒュッ、と、シータが左腕を掲げた。思わず対象は体をビクつかせるが、彼の手に握られている首輪は尚も沈黙をしている。
だがその沈黙は、長くは続かなかった。
対象が拍子抜けしてしまうよりも早く、シータはその首輪を下に向かって振り払う。再び、ヒュンという空を切り裂く音が小さく鳴いた。
まるで水分を十分に吸い上げた手ぬぐいから、水を振り落すかのような動作。刹那、手元から遠心力によって外側へ伸びた光は、水などではない。
「……!」
対象は思わず目を見張ってしまう。
なんとシータが手に持っていたはずの〝普遍的でない首輪〟は、湾曲した刃を鈍く輝かせる剣へと変貌を遂げていたのだ。
己の左手に握られた剣を、さほど驚いた様子も見せずにシータは一瞥をすると、それを次は自分の目の前へと持ち上げた。
矛先は、真っ直ぐと対象に向けられている。
その刃が、これから自分を切り裂くために襲い掛かってくる。――そう、彼女が察するのに時間は掛からなかった。
彼女の心境など気にする素振りも見せぬまま、シータは詠唱を続ける。
「斯くして、これより我の手腕となり、障碍を抹消せよ」
左手が掴む柄の部分に右手が添えられ、グッとそれを掴んだ。そして次の瞬間、彼は剣を裂くかのように両腕を左右へ勢いよく払う。
先ほどと同じように、一瞬剣が眩く発光したかと思うと、又彼の両手には刃が二本握りしめられていた。東洋の武器のように、上品な弧を描く刀身がそこに静かに存在している。
この短時間で、シータの手にしていた首輪はシャムシールのように湾曲した細身刀から、二本の双子のように感ぜられる刀剣へと姿を変貌させてしまった。
そして彼は右手に持っていた刀剣を、目の前の対象へと無造作に投げる。
彼女から大きく手前で地面に落下した刀剣は、勢いを殺されないまま床を滑り、対象の足先で止まった。
「それ、使いなよ。丸腰じゃ不安でしょ」
「……」
その言葉を聞くと、彼女は足元に向けていた顔をシータに向けて、もう一度下へ視線を投げる。
――ッカン!
「!」
くるくるくる。がつん。
しかし彼女が剣を拾うことはなく、なんと、そのままそれを真横へ蹴飛ばしてしまった。
流石のシータもそれには驚いたらしく、目を一瞬見開く。彼女に蹴られた武器は、数度回転しつつ床を再び滑って、近くの産業廃棄物の山にぶつかり静止した。
「ぅわお」
それを遠目から見ていたノイズも、驚いたような……しかしどこか、楽しそうな面持ちで声を漏らす。
「いらない」
「……あんた、正気?」
上げていた足をゆっくりと下ろして、対象はシータに向き直った。彼はその声にハッとすると、ゆるゆると彼女へ顔を向け、訝しげに問う。それに対し、彼女はコクリと頷いた。
「ふぅん」
拒絶された武器をすぐ回収しに行くつもりはないらしく、シータは徐々に腰を落とし、己の手に残っている刀剣を構える。
それが合図かのように、スピーカーがスタッフの言葉を拡声した。
『処分、開始!』
「……後悔しても、知らないから」
同時に、ボソリとシータが何かを呟く。しかしその声は、誰の耳にも届くことはなかった。
武器を両手でしっかりと握りしめて、シータは対象の動きを見る。隙を出さぬよう、これからの戦い方を胸中で模索していた。
行き成り彼女の懐へ飛び込むような、素人丸出しの戦い方はしない。いや。わざと、あえて隙だらけの攻撃をして相手を油断させようか。
しかし、もし。もしも、相手の方が自分よりも素早い動きの出来るアンドロイドだとしたら? 伊達に今まで、アンドロイドクラッシャーを生業としてきたわけではない。そのような経験だって幾度となくあった。珍しいパターンでもない。
アンドロイドは人間より特化された存在だ。あらゆる分野で人間の為に役立たなければ、無意味な玩具なのだ。
(ノイズに、対象はどんなアンドロイドなのか訊いておけばよかった)
だが、後悔先に立たず。仕方がない。これから小手調べ程度に動いて、相手の力量を図った方が良さそうだ。
そして何よりも。そして、そして、そして。
(どうすれば、一番苦しませずに破壊できるか)
伊達にアンドロイドクラッシャーとして生きてきたわけではない。嘘偽りのない事実であることは確かだ。が、その方法だけが未だに分からない。
苦しめたくなどないのに。出来ることならば、静かに息を引き取らせてやりたい。
己に課せられた使命を全うした、哀れな人形たちに安らかな眠りを手渡したいというのに。叶わない。
対象たちはきっと、事前にスタッフたちから言われているのだろう。アンドロイドクラッシャーに壊されることなく生き延びた暁には、処分を免除する、と。
(だから対象たちは逃げる。又は、俺に渡された剣で立ち向かってくる。足掻こうとして、結局最期は、)
絶命する。
作戦を練るつもりが、段々と思考が逸れている。それに気付いたのは、一瞬、過去壊してきたアンドロイドたちの死に顔を思い返してしまった時だった。
映像を何処かへ飛ばしてしまおうと、慌てて首を左右に振る。
(どうせ俺を倒したところで、処分は免除されても、生き地獄を味わうだけなのに)
きっと処分を免れたアンドロイドは、アンドロイドクラッシャーとして生かされるのだろうと、そんなことをシータは安易に想像することが出来た。
(いや、俺と違ってココロを持たないから。この仕事も、そう、つらくは感じないのかな)
簡単に自分の中で結論を取り付けて、現在の〝仕事〟に目を向けた。
彼の一連の動作を見ていた今回の対象は、そっと自分の脇に積み重ねられた産業廃棄物に右手を添える。
産業廃棄物。其れは一般的な家電製品から、PLANT内からでたらしいパイプやら正体不明の鉄の箱やら。多種多様様々なものが無統制に山積みされたものだ。
その行動に気付いたシータであるが、特に焦った様子もなくそれを見ている。どうやら、先ほどの〝対象の動きを見て、力量を図る〟という案を採用したらしい。
彼女は産業廃棄物を両腕でしっかりと掴むと、力んだ。
「っ……!」
「なっ」
パラパラ、パラリ。と、無造作に乗っけられていたコードやらゴミやらが上から落ちてくる。
なんと対象は、推定数トンもあるだろう廃棄物たちを持ち上げたのだ。最初こそ表情を歪めた彼女であったが、一瞬だけだった。地上から数センチ、十センチ、メートルと浮かせた今では無表情に戻っている。
「まじかよ……」
思わず口から驚嘆の声が漏れた。彼女の見た目は、まるでスラム街にでも佇んでいそうなか子供のように、細い四肢を持っているというのに。怪力ときた。
(成る程。だから、武器を拒否したのか)
点と点が繋がった。納得した。
よって、これからの彼女の行動を彼が察するのにそう時間は要さない。
「食らえっ!」
対象は腕に抱えたカタマリを、力いっぱいシータの方へと放った。
いの一番を読んでいた彼は、その攻撃をヒョイと避けて魅せる。軽やかな動きで、左手へステップを踏むかのように移動した。
ドウゥン! と、大きな音を響かせて、先ほどまでシータが立っていた場所へと鉄のカタマリが小さな屑をまき散らしながら落下する。
床に傷がついた様子はない。どうやら特別な素材で出来ているらしい。などということについて、今更心配する人間はこの場に誰一人としていなかった。
元に、シータにはそのような時間を与えんとばかり、対象が次々と辺りの廃棄物を手当たり次第に投げてきたのだ。
「わっ、と」
そして先ほどと同じように彼は着実にそれらを避けていく。必要最小限の動きで、機敏に動く姿はまるで猫のように錯覚した。
出鱈目なように見える動きの中で、彼は対象の一瞬の隙を見つけると――。
「よっ」
素早くある場所に移動し、右手を床に突きつつその場でクルリ。今までの小さな動きから、大胆でアクロバティックな動きを披露した。
一件無駄にしか見えなかった彼のパフォーマンスだったが、まさか、本当に無駄な行動だったわけではない。
証拠として、彼の右手には先刻対象に撥ねつけられた刀剣がしっかりと握りしめられていた。
その場にしゃがみ込んでいる彼の背に、対象が放った鉄屑が襲い掛かる。
「――っ!」
シュンッ。
何かが空を切る音がした。瞬間、巨大な鉄の塊が真二つに両断された。
「!」
対象がその隙間から目にしたものは、二刀の剣を器用に構えているシータの姿。彼は振り向き、立ち上がる際に刀剣を振るったのだ。
(刃と、鉄の接触する音は聞こえなかった)
つまり、と対象は気付いた。今現在、自分が対峙しているのは人間でも、そこら辺の〝死に損ないのアンドロイド〟でもない。
――バケモノなのだと。
刀剣を折らぬように力の加減と、瞬時に障害物との角度を捉えて居合斬りを繰り出した。手馴れているようにしか、彼女の双眸には映らなかった。
構えと動きからして、眼前の彼が本調子なのだろうと対象は勘付いた。元々二刀流というわけだ。
それと同時に、まるで手に掴める位置にまで曝されたソレに頭の中で警鐘が鳴り響き始める。
(――壊される)
唐突に、今まで糸遊のように曖昧であったものが鮮明に感じ取れた。そして必死に頭を巡らせる。自分が生き延びる術、術、術。術を必死に探し出す。
「生憎だけど」
そんな彼女の思考回路に隔てられたのは、アンドロイドクラッシャーの発話。
彼は大きな鉄屑に両脇を囲まれ、双剣を構えた状態で対象に向かって声を投げる。
「俺も、死にたくはないからさ。別にあんたに恨みも怒りもないんだけど」
とゆうか、まず、初対面だしね。などと、若干呆れた様子で彼は繋いだ。
それを無言で睨みつけている対象の視線が、彼の台詞の続きを促している。
視線の意味を感じ取ったシータは、すっと左手を己の胸の位置までに上げた。真っ直ぐと伸びた腕と、刀剣。その矛先は、対象に揺らぐことなく向けられる。
「遠慮なく……殺させてもらうよ」
ごめんね? と、さほど罪悪感を受けている様子も、悪びれた様子もないままに。彼は小首を傾げつつそう言った。
「ッ……!」
刹那、歪んだのは対象の表情。
まるで苦虫を噛み潰したように、クシャリと顔色を変えたのだ。
その面持ちから汲み取ることの出来る彼女の心境は、焦り。
焦燥に駆られ、彼女は片端から辺りの産業廃棄物を再びシータに向かって投げだした。
そしてそれを、先ほどと同じように軽々と避け、時たま双剣で切り裂く。攻防戦にも似たような状況が、数分続いた。
「……ふあーぁ」
それを見物するノイズは退屈そうに欠伸をひとつ。
「勝負はあったようなもんですねぇー」
呆気ないと、ノイズは独り言ちた。
視線を詰まらなそうに足元へと落とそうとした、その時。平行線であった戦況が変わった。
「っく……!!」
ズザアアアッ!
咄嗟に双剣を眼前に交差させるように構えたシータが、床を滑るように後退する。……いや、させられた。
先刻からの戦いにより、辺りに散らばった鉄屑たちが、シータの動きに合わせて音を奏でる。
何が起きたのかと、ノイズは再び顔を上げた。そして状況を理解したのか、「あちゃあ」と声を漏らす。
「そう来ますかぁー……中々賢い」
呟いた彼の口元には、薄く笑みが浮かんでいた。
まるで馬鹿の一つ覚えのように、同じ攻撃を行っていた対象であった。が、投げた廃棄物によってシータの死角に入った刹那に、彼女は一気にシータとの間合いを詰めたのだ。
そうして彼に繰り出されたのは力強い一蹴り。彼女からの奇襲に、シータは受け身を取る他なかった。
彼女の力は相当である。咄嗟に刀剣で防いだものの、大きく後ろへ弾かれてしまう。それがノイズの見たシーンだった。
(馬鹿力……)
ビリビリと痺れて、若干感覚の無い両手に違和感を覚えつつ、シータは胸中で毒吐く。
しかしこのままでは自分が不利だということには気付いていた。
「間合いに入ってしまえば、剣、振れないよね」
「……ふぅん」
シータに向かって対象はそう言いながら、悠々としたその態度で上げていた足をゆっくりと下ろす。それを見た彼は額に汗を浮かべ、小さく微笑んだ。無理矢理に作られた表情だった。
(さて――どうする)
素早さならば勝っている。技術面でも、経験値でも。しかし力までは及ばない。少なくとも、自分はそこまで怪物染みてはいない。
例え出鱈目な攻撃であっても間合いを詰められてしまえば防戦一方。受け身ばかり取っていては、いつか体力の限界がきてしまう。それに対し、対象は疲れ知らず。
無理に剣を振るって脅かすことが出来るのならば、それはそれで良いのかもしれない。が、現状で推測出来る未来は、彼女に腕を掴まれてボキリと折られてしまうというものである。
(それに出来るだけ、最期の一撃を見舞うまで……あまり、対象を傷つけたくはない)
相手を苦しめたくないという意識が捨てきれずにいた。という理由だけだと言うと、嘘になる。
彼には、対象を傷つけたくない別の理由があった。視線を一瞬だけ、己の手が握りしめる刀剣へと流す。
そうしてシータが頭を巡らせていると、再び対象が一気に間合いを詰めてきた。
「!」
彼女から繰り出された拳を、間一髪のところで避ける。彼女は素早く体制を立て直すと、また突っ込んできた。
その一連の動作を見て、シータは勘付く。
(コイツ、俊敏性は低いのか)
体制を立て直す際、隙が出来ていた。それを彼は見逃すことなく、冷静に彼女の弱点を見抜く。
何度か同じ要領で、シータは彼女からの攻撃を避け続けた。そして、背中にトンッと軽く触れて来たのは、壁。背中越しに伝わる温度は、とても冷やかである。
「もう逃げられないよ」
「……」
ゆっくりと彼女は拳を構える。どうやらシータを殴り、意識を奪うか朦朧とさせた後に仕留める魂胆のようだ。
しかし、逃げ場を失ったにも拘らず、シータが取り乱す様子はない。むしろ、酷く落ち着いた様子だった。
「終わらせてあげる!」
「っ――」
「!?」
がっ!
刹那、鈍く響いた打撃音。それはシータの頭に直撃したものではなく、壁に打ち付けられた彼女の拳の音だった。
「ッ痛……」
彼女は痛みに顔を歪める。
シータはと言うと、彼女の攻撃を寸でのところで避けていた。膝をガクリと折り、その場にしゃがみ込んでいる。
彼は、これを狙っていたのだ。
「終わりって、どっちのことかな!」
「キャッ」
左手を軸にして、シータが彼女に足払いを掛ける。動けなくなっていた対象は、安易にその場ですっ転んだ。
反射的に目を瞑り、尻餅をついて、目を開けた時――視界に入り込んだのは、己の首元に添えられた刃の輝き。
王手だった。勝負は着いた。誰しもがそう思うが、シータは偏に彼女を弔わない。
彼女も、シータも、じっと互いを見据えたままだ。
「……あんたの名前、教えてもらえる?」
「どうして」
沈黙を割ったのはシータだったが、この場にそぐわない問い掛けをする。当然、対象は呑気に答えることはなかった。
再び流れる沈黙の最中に、ふっと、シータの瞳に優しさが滲む。
「最期くらいは、名前を、呼んでほしいものでしょう?」
「……」
今まで自分が相手にしてきた男とは思えないような、優しい声だった。豹変ぶりに驚いている対象は、目を丸くしたまま。彼の問いに対し、答える様子はない。というよりも、答えられる様子ではない。
数秒後には我を取り戻し、彼女は、ゆっくりと口を動かした。
「……アセビ」
「花の名前か。確か、花言葉は……〝清純な心〟」
「知っているの」
「まぁね」
「……」
対象――アセビは、目を伏せる。そして何かを思惟するかのように、ポツリと呟いた。
「でも、花言葉は、それだけじゃない」
「……あぁ」
刀剣を構えたまま、彼女の傍にシータは歩み寄る。そしてその場で片膝を突くと、剣を構えなおした。
先刻まで彼女の咽喉に添えられていた刃が、スッと、人間で言う心臓の真上に移動する。
アセビが逃げ出そうとする様子はない。
「そろそろ、時間だ」
「うん」
「さよなら、アセビ。――お疲れさま」
ズッ――。
PLANTの刀剣が、音もなくアセビの体内へ減り込む。その刀剣も、結晶と同じくPLANTの大成であったのだ。
スタッフたちは、結晶の破壊はどうしようもないと諦め、代わりに器を傷つけない方法を見出した。結晶のみを破壊してしまう刀――それがPLANTの剣である。
「――ッ!!」
刹那、シータが目を見開く。
既に結晶は貫いてしまったのか、アセビが動くことはない。だがしかし、シータは苦しみもがくかのように、その場で背を丸めてしまった。
彼の頭に流れ込んでくるのは、彼女の記憶。
『マスター、この木材は何処に運んだらいいかな』
『アセビは良く働くなあ』
『だって、これがわたしの仕事だから』
工事現場のような場所で、大柄な男とアセビが会話をしている。
この男はどうやら、彼女の主人のようだ。大柄な体には不釣り合いなほど、優しい表情でアセビと並んでいる。
そして次に流れこんできた場面には、アセビに向かって倒れ込んでくるクレーン。彼女はすぐに逃げ出すことが出来ずに、それを驚愕の表情で見上げていた。
『危ない!』
『え――?』
横から、彼女の主人が駆け寄る。そして、ドンと彼女の小柄な体を突き飛ばした。
濛々と辺りに立ち込める土煙。呆然とその場に座り込むアセビ。そこに、ゆっくりと流れてくるのは黒い油――ではない。
まだ生暖かい、血だった。
『いっ……』
その血が意味するもの。目の前で起こった現実。総てを彼女の機械仕掛けの脳みそが受理するのには、数秒掛かった。
『イヤアアアアアアア!!』
――そこで、映像は途切れた。
呼吸を荒々しく何度か繰り返すシータは、ふらふらと立ち上がる。
PLANTの刀剣を通して流れ込んできたアセビのキオクデーターが、彼の精神を大きく削ってしまったようだ。ココロを持つ彼にとって、それは拷問のようにキツイものである。
「そういや、もう一つの、花言葉だったっけ」
肩で息をする彼は、アセビの〝スクラップ〟に向かって言った。
「アセビの花の、花言葉――純真な心と、そして……〝犠牲〟」
シータは数秒間だけ彼女に黙祷を捧げると、踵を返す。それとほぼ同時に、再びスピーカーからスタッフの声が流れた。
『以上で、D_ANDROIDの処分を終了する』
スタッフ数人に持ち出されるスクラップに目を向けることもなく、颯爽とその場を去ろうとするシータに駆け寄るのは小さな影。ノイズだ。
「お疲れさまでーす!」
「……」
「今回のお相手さん、元は土木工事でもやっていたんでしょうかねー。自分の能力をよく理解して戦ってた。途中、ちょーっとだけヒヤヒヤしましたよぉ?」
無言で歩き続ける彼に、一方的に喋り続けるノイズはとても楽しそうだ。どうやら、彼の反応がなくとも満足らしい。
身振り手振りで口を動かし続けているノイズに対して、ここへ来たとき同様、大した反応を見せないシータ。彼は無表情のまま、ただ、進行方向を見つめていた。
ふと、彼が視線を落とす。そこには未だに刃を剥き出しにしたPLANTの刀剣があった。壁に転々と備え付けられた電灯の光を、キラリと反射している。
(あれは、一体)
脳裏を横切ったのは、先ほど、対象に刀剣を突き刺した瞬間の映像。
彼女は足りないアンドロイド。その為に処分対象となってしまった、哀れな人形のひとつ。だが、それならば、あの映像は一体何だったのか。
(足りないアンドロイド……力の及ばなかった、アンドロイド?)
確かに対象に、機敏性はなかった。かく言う自分も、その弱点を突いた。
そうしてシータは、思考を巡らせる。アセビから流れてきたものが本物だとするのならば、それはただ足りないから消去されたわけではないのでは、と。
右耳が彼女にはなかった。倒れてくるクレーンは、彼女の右手に位置していた。音に気付くことが出来なかった原因は、そこにあるのか。
――先月辺りからだった気がする。この刀剣で切り裂いたアンドロイドの、キオクデーターらしきものが自分の頭の中へ、鮮明に流れ込んでくる。
結晶を貫いた時ほどではないが、その体に傷を入れただけでも、一瞬ではあるが頭に入り込んでくるんだ。
と、思い返した後に、シータは左手で己のこめかみ辺りを押さえる。その動作に気付いたノイズは、口をやっと閉じた。
じぃっとその横顔を見つめ、彼の左手首を掴む。
「!?」
「その刀剣」
考え込んでいたシータは、隣を歩くノイズの行動にビクリと大きな反応をした。それに対して、ノイズは平然と話を切り出している。
前髪で隠れた右目の隣に居座る水色の眼は、PLANTの刀剣を真っ直ぐと見つめていた。
「何かあったんです? 最近、妙に気にしてますよねぇ?」
「別に」
そう言って彼の手と、話を振り払おうとするシータだが、ノイズの手は離れなかった。
そしてシータは知っている。こうなったノイズは、とてもしつこいことを。先ほど、ココロデーター云々の件になった時もそうだった。
「……はあ」
盛大なため息を一つ吐き出して、彼は観念したように口を割る。
このパターン、既視感を感じずにはいられないのが本心。
「ここ最近、この刀剣で消去した対象の、キオクデーターがコイツを通して俺の頭の中に流れ込んでくるようになった」
「キオクデーターが?」
確認するように問うてくるノイズに、コクリとシータは頷く。
キオクデーターとは、アンドロイドが体験したことなどを保存しているデーターの名称である。その名の通り、人間で言うところの〝記憶〟と同等だ。
「へぇえ、奇妙なこともあるもんですねぇー。ま、PLANTで生活してたら大概のことには驚きませんけど」
そう言って、彼は掴んでいるシータの片腕を軽く持ち上げる。ノイズに見えやすいよう、PLANTの刀剣が彼の眼前に曝された。
廊下の造りが変わり、元のコンクリートで固められた通路に出る。点々と設置されている蛍光灯の明るさが、弱々しく刀剣に反射していた。
「もしもーし、PLANTの刀剣さぁーん。アンタ喋ったりとかしないんですかぁー?」
「何やってんの……」
「いやほら。もしもってことがあるじゃあないですかぁ」
「馬鹿らし」
ノイズは刀剣に興味津々であるが、当の所持者――持ち主であるシータは、あまり乗り気ではない。というよりも、萎えていると言った様子である。
淡々と歩き続ける最中に、ノイズは彼に対して様々な質問を投げかけていた。「きっかけはなかったのか」「事前に心当たりはあるか」「キオクデーターが流れ込んでくるとはどういう意味なのか」など。口を休めることはない。
素っ気なくも、すべての質問に逐一答えていくシータは面倒見の良い性格なのか。はたまた暇なだけなのか。
一本調子の会話が永遠と続き、終わりもよく分からないまま部屋に到着した。シータとノイズが合流したあの部屋だ。
「ノイズ。嵩張るから、そろそろ刀剣を首輪に戻すよ」
「えー! 好奇心旺盛な子どもの執着心を」
「あー、はいはい。分かった、分かった。でも、一振りには戻させてもらうからな」
「はぁい」
若干不服そうではあるが、彼はシータの意見を呑む。
ごく自然な動作で双剣を両手でしっかりと持つと、何事もなかったかのようにそれらを両手で重ね合わせた。双剣は関光を迸らせるわけでもなく、大人しく一本の刀剣へ。
これにより片手が空いたシータは、左手で目の前の扉を開けた。
「ねー。シータせんぱぁい」
「今度は何」
首元を緩めつつ、彼はノイズの呼びかけに返事をする。
「その現象って、結晶を貫いたら起こるってことなんですぅ?」
ピタリ、とシータの動きが止まった。
今までどれだけノイズが話しかけようとも、行動を中断することはなかった彼が、考え込む素振りをみせる。
普遍的素朴な疑問のつもりであったノイズは、思わず首を傾げた。
そして数秒の間を挟んだ後に、シータは答える。
「……いいや。それは多分、違う」
「どうして?」
「だって」
ノイズの方に振り返り、バツが悪そうに視線を逸らす。しかし口を噤む様子はない。
ただ、思い出すことがつらいような……そのような仕草であった。
「最初こそ、結晶を貫かない限りデーターがこちらに流れてくることはなかったさ。流れてきても、一瞬だけとか。でも最近じゃ、少し体に触れただけで……片々的ではあるけれど、頭の中に映像が、直接」
刹那、彼の脳裏に過ったのは――先ほど消去した、アセビの記憶。ココロを元々所持している彼にとって、苦しいことこの上ないものである。
信頼していた人を、自分が原因で、失ってしまう光景。唯一の救いは、当事者の〝感情〟が流れてこないことである。
シータはココロデーターと付き合っていく上で、それを抑えて生活する方法を身に着けた。しかし、所詮気休め程度。完全にココロを失うことは出来てなどいない。
「っ……」
無意識に、彼はギュッと拳を握りしめた。つらそうなシータを呆然と見つめているノイズが、彼を気遣って慰めの言葉を掛けることはない。
「……へぇ」
むしろ、ニヤリと。不敵な笑みを浮かべた。
とん、とん、とんと軽い足取りでシータの元まで歩み寄ると、彼を下から見上げつつ、そっとその手に自分の手を重ねる。シータがPLANTの刀剣を持つ、左手の上だった。
「つまりこの刀剣も、異常ってことですよねぇ」
「――も?」
引っかかる物言いだと、シータは自然と彼に問い質すかのような声を発する。それに対して、ノイズがアクションを起こすことはなかった。
彼の右手は、触れるか触れないかの距離で、優しくPLANTの刀剣の刀身を撫でている。
ノイズの伏せられた長い睫を見下げていると、また、ゆるく彼の口元が笑みを浮かべた。
「その〝異常〟、魅せてもらっちゃいましょうか」
「え、なっ――!」
刹那、ノイズは両手で刀身を握り込む。躊躇なく力を加えられたために、PLANTの刀剣はズルリと彼の手に沈み込んでいった。
ドクン。
まるで頭に心臓があるかのように、何かの波動が、頭の中を揺らめかす。脳みそを劈くのは、ノイズのキオクデーターなのか。
『――キャハハハハ! 他愛もない。脆い、脆すぎる。つまんないよぉ、そんなんじゃあ! 殺し甲斐がない!!』
その映像は真っ暗であった。
『ほらぁ、ほらほらほらほらほらぁ! 嬉しいでしょぉ、温かいでしょぉ? 看取ってもらえる喜びでも噛みしめて惨い醜態曝して死ねよぉ!!』
総てが黒い。
『嫌でも記憶に残るオレの笑顔を眼球に焼き付けてさぁ! ほらぁ、もっと近くで見させてやんよぉ!』
黒い。黒い、黒い、黒い、黒い、黒い。
眼前に倒れ込んだ人間に手を伸ばし、ブチブチと何かを顔から引っこ抜く。何かが糸を引いていたように見える。しかし黒い。にたりと微笑むノイズの表情も。辺りの景色も。床に広がる液体も。彼の体さえも。黒に蝕まれていた。
(こんな光景が、有り得る、のか)
頭が拒絶している。受け入れまいと、受け入れられないと。しかし見えてしまった。見てしまった。殺戮とした、目を疑うような光景を。
「う……」
「っは、はぁ……」
気分を害したのか、シータがその場でよろけた。近くのソファーに手を突いて、ヘナヘナとその場に膝を突く。
ノイズはというと、軽く呼吸を乱していた。その両手は小刻みに震えている。
「ってぇー……幾ら器を傷つけないからといって、痛みが伴わないってわけじゃないんですねぇ。身を持って知りました。ヒリヒリしますよ、うわぁー」
「……」
シータは何も反応を示さない。示すことが出来ない。彼にはノイズの声が届いていないようだった。
あからさまに肩で息をしているわけではないが、シータは口元を左手で覆って、何度もゆっくりと……震えながら、どこかぐったりとして深呼吸を行っていた。
そして彼はゆるゆると顔を上げて、ノイズを睨む。
「ノイズ、てめーは、一体……」
「……そう言えば、ちゃんとした自己紹介ってしたことなかったですねぇ」
シータの倦怠感漂う様子を、一瞬だけ冷たい目で見下ろして、彼は目を閉じた。続けて口から出て来たのは、シータの問い掛けとは噛み合わない台詞である。
使い物にならない状態の両手をヒラヒラと何度か無意味に振り、ノイズは今の今まで被っていた看守帽を取った。軽く乱れたらしい髪を整えるために、数回頭を左右に振ってから、帽子を入り口付近のポールスタンドに向かって投げる。それは上手くポールスタンドに引っかかった。
外れていた視線が、シータの元に戻ってくる。下睫の長い、彼の水色の眼が静かにそこにあった。
「では、改めまして。オレの名前は、NOISE_NO.I-16」
ノイズが腰を屈めて、未だに痙攣している右手をシータに伸ばす。それは彼の頬に触れ、ぐっと無理に顎を持ち上げた。
今の彼からは殺気のようなものは感じないため、シータは特に暴れる様子もなく……ノイズを睨み続けるだけ。
一呼吸おいて、彼が語ったのは――己の〝異常性〟を浮き彫りとするものの名。
「――暗殺執行人形です。ルオ先輩?」
「!」
それを聞き、シータは目を見開いた。クスッと小さく笑みを零すと、ノイズは彼から手を離す。
そして何事もなかったかのように、その部屋に放置していたらしい上着や飴玉などを回収しだした。
「本日の仕事はおしまいです。また仕事の際は、手紙を部屋に入れておきますとのことです」
「……よく、あんたは、あんなことが出来るな」
「……」
ノイズは何も答えない。右腕に洋服を掛けて、ポケットにゴミ屑など突っ込むと出入り口に足を向けた。
しかし、彼をシータが引き留めることはない。ただただ、その背を黙って睨み続けていた。
最後に、先ほど投げ掛けたばかりの帽子を、ノイズは背伸びをしながら左手で取る。頭に被ることはなく、右手でそれを持ったまま、顔だけで振り返った。
「あと、異常アンドロイドである先輩に……ひとつ、教えてあげましょうかぁ」
「?」
相変わらずの笑顔を顔面に張り付けたまま、彼は言う。
「この世で最も残酷な生き物は、人間だ。オレなんかじゃあない――オレは従うだけなんだから」
――バタン。
その言葉を最後に、ノイズはシータの目の前から去った。
一人取り残されたシータの頭の中では、彼の最後の言葉が繰り返し再生される。
『この世で最も残酷な生き物は人間だ』
その言葉は、シータの胸中を察した答えだった。どうしてあんたは、こんな残酷なことが出来るのかという、シータの眼から滲み出ていた畏怖や嫌悪の感情に対する問答。
そして、消え入りそうな言葉も。
『オレなんかじゃあない。……いつだって殺したいと叫喚し、嘯くのは人間さまであり。オレは従うだけなんだから』
消え入りそうになった、笑みでさえも。嘘を吐いているようには思えなかった。
彼は希望を抱くことも出来ずに、闇の世界に身を沈めたということなのだろう。
(だから、他人の反応をあんなに純粋に楽しんでいたのか。それくらいしか、楽しむことがないのか。楽しまないと、彼はやっていけないのか)
――いけない。
考えを振り払うように、頭を振った。ぎゅっと左手でPLANTの刀剣を握りしめると、矛先に手を添える。
「ッ――」
そして、刃を掌に押し込むかのように両手を引き合わせた。刀剣が彼の手を貫くことはなく、シータの両手の間に皮切れとなって居座っている。元の首輪に戻ったのだ。
「お疲れさま、シータ」
その名をPLANTの刀剣に向けて囁くと、彼は手早く着替えを始める。ノイズにちょっかいを出されなかったためか、先ほどよりも幾分早い着替えであった。
『この刀剣も、異常ってことですよねぇ』
ノイズの言葉が思い返される。
あの時は、単に自分のことを指しているのかとも思ったが、今思うと
(あれは、ノイズ自身のことを暗に示していたのか)
けれど、こんなことを考えるのは止した方がいい。同情にも似たようなこの感情を芽生えさせただけ無駄なのだ。
(しかも、ノイズ相手に)
可哀そうなんかではない。異常のように見えて、異常ではない。彼は、あれが本職なのだ。本職に最適なセイカクをしているだけなのだ。
着替えを済ませて踵を返すと、シータ――ルオは、一度も振り返ることなくその部屋を後にする。
そこにいるのは、再びココロを閉ざした少年であった――。