<Act.02>雑音パラドックス
カツンカツンカツンと早いテンポで、足音が夜のPLANTに響いていた。それはとある引き戸の前で止まると、何の躊躇いもなく取手をガシリと掴む。そして勢い良く横へ引いた。
ガアアアアッ!
「んー? あっれえ、いつもより早いお着きじゃないですかー。やる気満々って感じですー?」
「うるさい」
「キャハハハハ! 相変わらずルオ先輩は辛辣ですねえ、もっと絡んで下さいよー」
部屋の造りはまるで応接間。真ん中に大理石製のテーブルが置かれていて、それを挟むように置かれているのは茶色い革製のソファである。
その中の一つに悠々と寝転んで、何か雑誌のようなものを眺めていた少年が、突然の来訪者に友好的に喋りかけた。ルオは心底煩わしそうな顔で対応する。
ピンクの髪をした少年の長い前髪は彼の右目を隠し、水色をした左目は爛々と輝いていた。棒付きキャンディーを右手に持って、上半身を起こす。
そんな彼を無視して部屋の奥まで歩みを続けると、並んで置かれているロッカーを無造作に開け放った。後ろで少年が話しかけているが、すべてスルーしている。
「今日は着替えて来なかったんですかー? あっ、そういえばルオ先輩の部屋に新しくアンドロイドが入って来たんでしたっけー。それが原因ですねえー?」
「うるさいって言ったのが聞こえなかった? ノイズ」
「ハハハ! そうカリカリしないで下さいよおー」
眉間に深い皺を刻んで、ルオが振り向く。ピンク髪の少年をノイズと呼び、叱咤を浴びせた。しかしノイズが反省した様子はまったくない。
むしろルオがやっと自分に反応したと、愉快そうだ。それを見て呆れたらしいルオはまたロッカーに向き直る。中から衣服を取り出して近くのソファに掛けると、自分が纏う衣服を脱ぎだした。
ノイズはソファの上で胡坐を組んで座り、じっとルオの脱衣を見つめている。その口には相変わらず棒付きキャンディーが咥えられていた。長い前髪によって隠れている右目と、長い下睫が印象的な水色の目が興味津々そうにルオを視界から外さない。
「……ねえ」
「何」
着替えが終わったらしいルオは、ロッカーの中に今まで着ていた洋服を詰める。そして扉をめいっぱい開くと、内側に取り付けられた鏡の前に立った。自分の髪を結っていたリボンをスルリと解いて、数回首を横に振る。
ノイズの声に反応を示したものの、顔を向ける気はないようだ。その態度に気を悪くすることもなく、ノイズは発話する。
「どうしてそんなにアンタはつまらなそうなんです? オレなら楽しくて待ち遠しくて、会場で踊りだしそうなほどなのに」
「いっそのこと、あんたは赤い靴でも履いて踊っていればいいんじゃねーの」
彼を見ないまま毒を吐く。しかしノイズは楽しそうにケタケタ笑うだけだった。
(楽しい、ね)
金髪を後頭部の下の方で結い直し、前髪に付けていた二本の黒いヘアピンをクロスに交差させた。最後にルオは鏡に映った自分を確認して、ロッカーをしっかりと閉じる。
そして振り返ると、やっとノイズを見た。じっとその姿を見つめた後、開口する。
「この仕事、そんなに楽しそう?」
「当たり前!」
その台詞に彼は飛び上がるように反応した。ソファから勢いよく飛び降り、ルオの前に立つ。水色の目がキラキラと輝いた。
「アンドロイドを壊すなんて、マジ楽しそう! それも意識があるまんま! それを自分の好きなように甚振って、壊すんだぜ? 考えるだけで興奮しちゃってヤバイもん、オレ!」
くぅうー! と、ノイズは両手を握りしめて地団駄を踏む。本当に彼は楽しそうだ。
しかしそれを見るルオの目は酷く冷めている。彼の言葉には一つも同意することなく、台詞の一部を引用して会話を繋いだ。
「何で意識があるままなんだろうね。アンドロイドなら、シャットダウン機能とかないわけ?」
「えぇ? 意識ないとかマジつまんないじゃないですかあー! それに、そんな機能アンドロイドにはないですしい。休止モードとして人間で言う睡眠みたいなのはありますけどねえー」
ルオの意見は意外だったのか、ノイズはキョトンとした顔で彼の疑問に応答する。右手の人差し指を自分の下唇に添えると、んー、と考える素振りをしていた。しかしルオはノイズと言葉のキャッチボールを仲良くするつもりはないらしい。
再び彼の台詞の中から興味を惹いた部分だけを引用して、言葉を投げ返す。
「上の人もよくそんな面倒くさいというか、よく分からない設定にしてくれたもんだね。まったく、後始末をするこっちの身にもなって欲しい」
「だってえ、シャットダウン機能なんてものがあったら色々と困ることもあるじゃないですかあー」
「例えば?」
「アンドロイドの主人……マスターの家に泥棒や殺人鬼が現れた場合、アンドロイドが撃退しないとおー」
シャットダウンされていたから主人は殺されました! じゃ、済みませんからねえー。とノイズは相変わらず間延びのした口調で言った。緊張感は皆無である。まるで他人事のようだ。
ルオは深くツッコミをすることなく済まそうとしていたが「まぁ」とノイズが続ける。
「シャットダウンされてくれてる方が、オレとしては仕事が捗るんですけどねえ」
「……」
ゆっくりとルオが彼に目線を向けた。ノイズはニコッと人当たりのいい笑顔を返す。それに対してルオは若干目を細めた。
怪訝そうな表情をしている彼の心情を知ってか知らずか、ノイズは呑気に「あ、ルオ先輩もアメいりますー?」と自分の加えていた棒付きキャンディーを差し出す。即答で「いらない」と言い放って、ルオはロッカーへと向き直った。
(――コイツは殺し屋か、何かだろうか)
そんなことを心の隅で思い、自分の首輪に手を伸ばした。その最中、彼に被さってきた一つの人影。
「外してあげますね」
「え?」
いつの間にか真後ろのソファに移動していたらしいノイズが、それに膝立ちしながらルオの肩に両手を置いた。気配に気付いていなかったらしいルオは、素っ頓狂な声を上げる。
彼の許可が下りていないにも関わらず、ノイズは彼の後ろ髪を左手で退けた。右手で首輪をグルリと回転させて金具を目の前まで持ってくると、それを器用に外す。
思わずルオは警戒をしてしまっていたものの、彼はただ本当に外しているだけなのだと思い、大人しく前を向いた。瞬間、ニヤリと口角を引きずりあげて笑んだのはノイズ。
――ガリッ!
ルオの耳元で何かが噛み砕かれる音がした。何だろうと振り返ろうとするが、トンと背中を押されたことで彼は後ろに目をやる前に、目の前のロッカーに手をつく。ボトボトと足元のカーペットに何かが落ちた。
自然と視線が足元に向けられて、音の正体を確認する。それは砕けた棒付きキャンディーだった。先ほどまでノイズが口に含んでいたものだと気付くのにさほど時間は掛からなかった。しかし、何故それが今砕けて落ちたのか察するのには時間を要した。
首輪が外され、ノイズの手が彼の後ろから伸びる。そのままルオの手首を掴んだ。
そしてペトリとルオのうなじに舌を這わせる。
「ひっ!?」
刹那、彼は背を弓なりに仰け反らせた。当然の反応である。状況が分かっていないのか、彼の口からは意味を持たない母音が溢れた。
「なっ! ちょ、な、何してっ」
「だって、ルオ先輩が構ってくれないから」
だから構ってもらうために、ちょっかいを出してるんですよー。と悪びれた様子もなく返答するノイズは、相変わらずルオの首元から顔を引かない。ルオは彼を振り払おうとするも、腕をすでに拘束されていたため逃げられない。先手を打たれてしまった。
わざと出しているのか、ピチャリピチャリとやけに水音が近くで聞こえる。襟擦れ擦れの部分からゆっくりと舌をなぞりあげ、時たま別の個所を舌先で突つついて遊ぶ。
ぞくりとした。まさかの事態に、頭の中が真っ白になりそうだ。と、ルオは必死に口を開けてノイズを侮辱した。我を保つための策だった。
「っや、めっ! てめーみたいなクソガキに、構ってやってるほど、俺はヒマじゃ……っ!!」
「キャハハッ! ルオ先輩ってば面白い反応してくれちゃってえー。セックスアンドロイドにでもなったらどうですかあー? オレね、大好きなんですよ。反応のあるヒトに構ってもらうことが」
ここのスタッフさんたちもアンドロイドも反応は期待できないから。そう言ってノイズは微笑む。
しかし彼の言葉を最後まで聞いてなどいないルオの頭の中は、この状況からの打開策を練ることでいっぱいだった。強引にでも、とノイズを振り払おうとするが、何故か、ノイズはビクともしなかった。
幾ら容姿が女っぽいルオであっても、その背丈は頭一個分ほどノイズに勝っている。現に、ノイズもルオのことを「先輩」と慕っている。だというのに、ルオは彼を振りほどけなかったのだ。
「……」
完全にテンパってしまっているルオを傍観するノイズは、首に這わせていた舌を一旦引いた。しかしこの〝ちょっかい〟という行為をやめることはなく、次いで彼の耳をぱくりと口に含む。
「ふぁあっ!?」
ビクリと肩を跳ねさせてルオは反応した。それを見たノイズは愉快そうに目で笑う。ただ彼が飽きるのを待つしかないルオは、声を咽喉で押し殺してビクリビクリと体を震わせるだけだ。
「んっ、ぅ……ふっ、……ぁっ」
「我慢されたらつまらないじゃないですかー。もっと凄いことして、声、出させちゃいますよ?」
「はっ、じょ、冗談じゃない。誰が、クソガキなんかに! 後で、覚えてろ……」
「こんな状況でも口だけは達者ですねえ。流石先輩ですよ、最後まで気が強いところとか」
動きを抑制されているままではあるが、ノイズの〝ちょっかい〟が中断されたことでルオはやっとのことで言葉を紡ぎだした。はぁはぁと荒い呼吸を肩でする。それに対してノイズは涼しい顔をしていた。
彼は右手だけでルオの手首をまとめ上げて拘束し、空いた左手を彼の腰に這わせだす。くすぐったかったのか、ルオが身を捩ってそれから逃げようとした。
(やばい。これはやばい)
自分の行動に気付いて、今この置かれている状況が危険だと彼は察知する。
そして頭にパッと浮かんだ、現状打破の策を何の躊躇いもなく決行した。
「いい加減に、しろっ!!」
「!」
ガツッ! と、鈍い音が小さく鳴った。
ルオがノイズに対して頭突きを繰り出したのだ。彼の後頭部からの打撃をモロに額へくらったノイズはふらつく――。
「~ってぇ……」
「……バカですねー。そんな攻撃が利くと思ったんですかぁ」
ふらつくことなく、呆れたような視線をルオの後頭部に送っていた。一方、ルオは頭をジンジンと刺激する痛みに呻く。
どうやら効果は皆無のようだ。
「アンタみたいに〝人間と近縁性のあるアンドロイド〟と違って、オレは普通のアンドロイドってこと知らないわけじゃないでしょー」
そんな頭突き程度じゃ眩暈すらしませんねー。と、ルオの神経を逆なでするような明るい声色でノイズは言った。
「この、石頭……」
「生憎、石では出来てないですよー。もっと人工的な素材で出来てますぅー」
確かに冷静に考えてみれば、このようなその場凌ぎの攻撃が機械人形相手に有効なわけない。だが、そんなことさえ気付けないほど頭は完全にテンパってしまっていた。
人工知能というものは、危機的状況では正常に機能してくれないということを、ルオはその身を持って知った。
「ああもう、ルオ先輩ってば楽しい。一体次は何をするんですかぁ? もっと、もーっと遊んでみたいなあー」
「っ……!」
ノイズの左手が彼の腰を触るだけでは飽き足らず、とうとう服の中に手を差し込んでくる。冷たい手のひらが腹部に触れたことで、一瞬ルオが身をビクつかせた。
彼は必死に沈思黙考し続ける。頭を使っていなければ、理性を引っ掴んでいなければ、自分が保てなくなる気がしてならなかったのだ。それはとても恐ろしいことだと、ルオは分かっていた。
(でも一体どうすればいい。武器も持てないこの状況じゃ、先刻みたいに意表をついて攻撃するしかない。でもどうせ足を踏んでもこいつはビクともしない。他には? 他に方法は、大声を出して助けを求めること? そんなカッコ悪いマネが出来るわけない。いや、こんな状況でカッコ悪い云々贅沢は言えないのか。嗚呼分からない、分からない、分からない)
頭をフル回転させても良案を引きずり出すことはできなかった。が、その時ノイズは相変わらずの調子で口を開く。
「でも、そろそろ時間みたいですねえー」
ざーんねん! と軽快な口調と動きでノイズはルオから離れた。瞬間、ルオはその場に膝から崩れ落ちる。
両手を床につき、深く呼吸を繰り返している最中に、彼は自分の手首を見た。薄らと赤い跡が付いている。
(どうして振りほどけなかったんだ。どうしてこいつには、こんな力があるんだ)
悶々とする脳みそ。何度胸中で問い掛けても、誰も答えたりはしない。砕けた飴玉に触れた指先が、ベタベタした嫌な感触を脳に訴えた。ゾワゾワと立った鳥肌は、これだけが理由ではない。先刻から治まらない。
恐る恐る左手で己の耳に触れると、そこにはベットリと唾液が付着していた。思わず、嫌悪に顔を歪めた。
(どうしてくれんだよ、これ。これから仕事だっていうのに)
手を目の前に持っていき、指にも付着したそれをぼうっと眺めながらノイズに毒吐く。すると「はい」と視界に首輪が乱入してきた。差し出された方を目線で辿れば、そこにはノイズがニコニコとしながらソファに座っている。背もたれに左腕を置き、座り込んでいるルオを見下ろす形になっていた。
その笑顔にイラッとしたのか、ルオは八重歯を剥き出しにして彼に吠えかかる。
「よく笑顔で俺に話し掛けられたな! 一体、何のつもりでこんな……!」
ガララッ!
しかし、ルオの猛抗議を遮るようにして扉の開く音が部屋に響いた。そこにはPLANTのスタッフが立っている。
「時間だぞ。何を呑気に戯れているのだ、急げ」
「はあい。折角アンドロイドクラッシャーさんとコミュニケーションしてたのにい。ねえー、ルオせんぱ……おっと」
笑顔でスタッフに対応するノイズ。打って変わり、ルオは納得のいかないような顔をしていた。当然である。
次いで彼が「ルオ先輩」と呼ぼうとすると、ルオはギロリと遠慮なく睨み付けた。それによりノイズは言葉を飲み込む。
「――すみません。その、アンドロイドクラッシャーの姿をしているときは、別の名で呼ぶべきでしたねえ」
ニヤリとノイズが笑みを浮かべた。それと同時に、ルオが重たそうに腰を上げて、若干乱れてしまった衣服を簡単に整える。その恰好は、昼間とはまた違った雰囲気を魅せていた。〝ルオ〟ではなかった。
はぁ、と一つ大きく息を吐き出す。開いた目は冷やかさを湛え、感情など皆無に等しく感ぜられる。
「行くぞ」
「はい」
スタッフに促され、彼はスタスタと歩き出した。開かれた扉を潜り、隣に目をやるが、そこには何故かスタッフの姿はない。不思議に思って足を止めて振り返ると、スタッフは尚も部屋の中にいた。
「ねぇ、行かないの?」
てっきり一緒に行くのだと思っていたルオが問う。その質問に対してスタッフは、キッパリと答えた。
「本日からお前を引率するのは自分ではない。こいつだ」
「よろしくでえーす」
「は」
スタッフが顎で視線を促した場所に立つのはノイズ。ルオがそれを確認するよりも早く、彼は右手を上げて笑顔を振りまいていた。
ルオはぽかんと口を開けて呆けてしまっている。一方、ノイズはテーブルの上に置いてあった看守帽を掴んで被り、ずんずんと躊躇なくルオの元まで歩み寄って行くと、やはり躊躇のない行動を起こした。彼の開きっぱなしの口に、指を突っ込んだのだ。
「ふぁっ!?」
「ホラホラ、そんな素っ頓狂な顔してないで行きっまっすよーう! 現実さっさと受け止めて下さぁい」
ルオの口に右手の人差し指を入れたまま言い、彼が我に返ったのを確認すると指を引き抜く。
しかしまた別の理由で、ルオは頭が真っ白になってしまっていた。自分の口を左手で覆い隠し、目を白黒とさせながらノイズを凝視。その視線にノイズはニコリと笑顔を返すと、ルオの右手をガシリと掴んだ。
「じゃ、行ってきまぁす!」
「ぅ、わ!」
腕を引いて歩き出し、振り向くとスタッフに笑顔で手を振った。勿論それにスタッフが手を振り返すことはない。何事もなかったかのように扉を閉めてしまった。
鼻歌交じりに先を歩くノイズの後頭部を見つめながら、ルオは無言でついて行く。
(今日はコイツに翻弄されてばっかりだな)
彼に出会ったのは初めてではなく、あの部屋でいつも顔を合わせていた。しかし普段は着替えも済ませた状態で赴くので、あんな長時間一緒にいたのは初めてである。それに加えていつもならばスタッフが〝仕事場〟まで引率するというのに、今夜からはノイズが引率すると言う。
(一体今日はどれだけのイベントをクリアすればいいんだか)
特に考えることもないので今日一日を脳内で振り返ってみる。まずは午前、普通だった。何もない普段通りの時間を過ごし、午後になってからエリと出会った。
彼の印象を一言で言うと〝変なアンドロイド〟である。あんな優しい笑顔を作れるアンドロイドは初めて見た。そしてその後、自分の〝異常〟について諭された。
異常を。
「……ノイズ」
「はいはぁい?」
「俺は、勿体無いことをしていると思う?」
ピタリ。ノイズが足を止めた。振り返って、ルオの顔をキョトンとした面持ちで見つめる。その表情は年齢相応の幼さがあった。
「勿体無いって、何が?」
「……何でもない」
自分はバカなのか。唐突にそんなことを問うても、彼が答えられるはずないと言うのに。
だからと言って答えを欲していたわけでもないのだ。「何が」と問い返されているのにも拘らず、詳しく説明をしようとは思わない。
きっと疲れているんだと自分の中でまとめ、ルオは止めていた足を再び動かした。しかしそれは途中で制止されてしまう。
尚もルオの右腕を掴んでいるノイズが足を止めたままなのだ。
「もういいから。ほら、行くぞ」
「子どもの好奇心は底知れないんです。責任取ってくれませんかねえ」
「はぁ」
言うんじゃなかったと、ルオは眉間に皺を寄せた。尚もジッと水色の目玉が彼を真っ直ぐと見つめている。どうやら言わなければ先に進めないらしい。
観念して、彼は口を割る。
「俺がココロを持っているのは、あんたも知ってるな」
「はい、これみよがしに!」
笑顔でノイズが答えた。その問答に違和感を覚えたルオは、若干首を傾げる。
「何かそれ、使い方間違ってない?」
「そうですかぁ? まあいいじゃないですか! 早く続きお願いしまぁす」
彼本人はさほど気にしていないらしく、話が進むのであれば何でもいいようだ。適当である。
ルオも別段厳しく言及するつもりはないようで、あっさりと引いた。そして足元に視線を落とし、続ける。
「感情の起伏を俺はこれでも抑えているつもり。それが勿体無いって、言われた」
「へえ」
興味があるような、ないような曖昧な反応をノイズは返した。かと思うと、ニヤリと口元に笑みを浮かべる。
ルオの腕を再びグッと握りしめると、歩みを再開させ始めた。
彼の突然の行動に「わっ」と小さな喚声を上げ、ノイズの後に続いて歩く。
「ちょ、ノイズ」
「オレはその、同室の誰かさんと同じ意見ですねえー」
「っ……」
ノイズはやけに〝同室の誰かさん〟という部分を強調して言った。それはつまり、エリのことを指し示す言葉。
エリに言われたとは一言も口にしなかったはずなのにと、ルオは怪訝そうにノイズの後姿を睨んだ。
その視線に気付いているのかいないのか、ノイズは楽しそうな声音で喋り出す。
「だぁってココに収容されてるアンドロイドはみーんなつまんなそうだし、スタッフは蝋人形並みに面白み皆無だし! 一番楽しめそうな相手って」
パッとノイズがルオの腕を離した。左足を軸に振り向いて、彼の顔を覗きこむかのようににんまりと笑う。
「今んとこ、アンタだけなんですよね。シータ先輩?」
「……」
ルオの眉間の皺がさらに深くなった。嫌悪の念が込められた視線を向けられても尚、ノイズは相変わらず愉快そうである。
「ねねっ。〝シータ〟って名前、やっぱりアンタの製造番号から取ってるんでしょお? どうしてルオって呼ばせないんですう?」
ニヤニヤニヤニヤ。気持ち悪い笑みを携えて、ズイズイとルオに近づいた。あと数センチ近寄れば、二人の顔が触れ合いそうな距離だ。
「……コードネームみたいなもんだよ。深い意味はない」
「本当にぃ?」
「うっさいな」
どん。
ルオがノイズの肩を両手で突き放した。おっと、と口から小さく声を漏らして、彼は一歩身を引く。けれども彼は機嫌を損ねるどころか、一層楽しそうにニンマリとした笑顔を浮かべた。
眼前の、金髪の少年の反応が楽しくて仕方ないらしい。
視線を完全に逸らしているルオをジッと見つめたまま、また性懲りもなく会話を掘り下げていった。
「そこまでして、アンドロイドクラッシャーから縁を切りたいんですかあ? 無理に決まってんのに」
「うるさい!」
「キャハハッ! やっぱ、アンタの反応って楽しい」
アンドロイドクラッシャー。其れは名の通り、アンドロイドを壊す役割を担った者が背負う名。
その名を授かったルオは、何故か自分の名前を仕事の際には偽る。それがシータであった。F班で彼が生活している理由は、この仕事にある。
そして彼らがこれから向かう〝仕事場〟とは、シータがアンドロイドを壊すために選ばれた部屋のことだ。
ただ壊すだけではなく、何故かそれはPLANTでの見世物として扱われる。表情をまったく崩さないスタッフたちの視線を受けながら、シータが不良品のアンドロイドを壊す。ただそれだけの見世物だ。
「何でそんな嫌厭するかなあ」
ボソリとノイズが呟いた。その声音から察する感情は、〝楽〟だ。
「アンドロイドを壊すエンターティメントの主役! 壊されることに対し畏怖するアンドロイドを容赦なく壊すアンドロイドクラッシャー! カッコいいだけじゃなくて、スッゲー楽しそうじゃないですかぁ!!」
オレ、何気に先輩のファンなんですよぉ? とノイズは言う。それに対し、ルオは顔を顰める。どう見ても嬉しそうな表情ではなかった。
ここ、PLANTと呼ばれる場所はアンドロイドを製造と同時に販売や研究などを兼ねている。A班やB班など支部はそれぞれ違う場所に存在し、ルオたちの過ごすF班はとある海域の孤島に存在していた。
F班の承っている責務は、製造したアンドロイドの中でも〝不良品〟と呼ばれる類の処分だ。鉄格子に入れられていた鮮やかな色合いをした人々は、皆、Danger ANDROID(D_ANDROID)と呼ばれる〝不良品〟のアンドロイドである。
しかしF班にいるのはD_ANDROIDだけではない。ノイズのように役有りのアンドロイドも存在する。エリやルオもまた別の理由で、F班で呼吸をしている。
「そんな憧れのシータ先輩に、訊きたいことがあるんですよねぇ」
パシッ! と、肌と肌が当たる乾いた音が小さく鳴った。ノイズがルオの手首を掴んで、早足に歩き出す。軽やかな足取りのまま、進行方向を見つめて話を続けた。
「オレ、今月に入ってからのシータ先輩の戦いは全部見てきたつもりなんですけどおー」
ペタペタペタペタ。足裏の面積をすべて地面に触れるようにわざと歩いて、よく分からない暇つぶしをしている。そして徐に自分のポケットに手を突っ込むと、そこからまた棒付きキャンディーを取り出した。
「ひとつ、先輩の口から教えてほしいことがあって」
器用に片手で飴を包む紙を取り払うと、パクリと口にそれを放る。もごもごと飴玉を唾液で咥内と馴染ませて、溶かし、甘味を味わう。後、棒を人差し指と親指で掴んで口から引っ張り出すと、ルオに向かってニヤリを微笑した。
「どうしてアンドロイドと剣を交える際、アンタは、相手に見せかけだけの〝希望〟を手渡すんです?」
「……!」
〝見せかけだけの希望〟という言葉の意味をすぐに察したらしいルオが、目を見張った。瞬間、彼は慌てたように顔を逸らす。
勿論下げた視線の先に、当たり障りのない答えなど落ちてはいない。しかし何かを探すかのように、彼の瞳孔はウロウロとしていた。
そんな彼を余所に、答えを聞かないでノイズは自分の意見を語る。
「それがいつも気になってたんですよぉ。武器を持たない丸腰の敵と、剣を携えた先輩。誰が見たって先輩の圧勝で、3分もあればあっという間に決着は着くっしょお? それが何で、また先輩がわざわざ相手に剣を分け与えてるのか」
ペロペロと手に持っている棒付きキャンディーを舌先で舐めながら、ノイズはルオへ振り返る。しかし、まだルオの口は閉ざされたままだ。
歩みを留めることなく進めていたノイズは、不意に減速した。ルオの隣を、飴を舐めながら歩く。
「剣を与えられたことで、D_ANDROIDの勝率は当然ぐんと上がるでしょうねぇ。3%くらい」
ピッと、ノイズは左手をルオの目の前に突き出した。その指は数字の3を表している。それに驚いたらしいルオが、ビクリと肩を震わせつつ顔を上げた。
彼がやっと自分を見たことを確認すると、ノイズは手を引いて再び前を向く。あの部屋を出て、もう大分歩いたように感じる。目的地はもうすぐだろう。
「どうせ先輩に勝てるはずないのに、どうしてわざわざ相手に期待なんかさせるんですかぁ? オレなら」
そこでノイズは、一度間を置いた。カツンカツン、ペタンペタンと二人分の足音が細長い廊下に響く。角を曲がったところで、奥に大きな扉が見えた。きっとそこが目的地だ。
ノイズは、今しがた口に含んでいた棒付きキャンディーを口から取り出して、彼は隣を歩くルオの顔を見上げた。その表情を見た刹那、ルオの背骨を駆け抜けたのは悪寒。
ニィッと引きずりあげられた口角と、まるで獲物を視界に捉えた肉食獣のように細くなった水色の瞳孔が、ルオを睨みつけていたのだ。
その口から吐き出される言の葉も、どこか、狂気を含んでいた。
「オレなら希望なんて1ミリ足りとも、弱者なんかにはあげないけどねえぇー!!」
キャハハハハハハハハハハ!
ノイズの甲高く、楽しげな笑い声がコンクリートにぶち当たり、廊下に反響した。
最初こそ驚いたように目を丸くしていたルオだったが、その笑い声に包まれている最中に我に返る。
目の前にいるのは正常なアンドロイドだ。しかし、自分が今まで見て、破壊してきたどのD_ANDROIDよりも、狂っていた。
それは狂った光景だった。信じられないと、感情の起伏を最小限に抑えられているココロでさえも、ざわつくほどの笑い声。狂気に中てられ、ビリビリと胸の中が痺れる感覚がする。
尚も鋭く目を光らせているノイズは「ねえ!」と、またルオに問うた。ギラギラとしている眼光は、子ども独特の好奇心からのものではない。
「だから早く教えて下さいよお! ココロデータを所有する〝人間のように造られた〟アンドロイドであるアンタは、一体何を思って毎度希望を与えるの!? 希望を渡したくせに、どういう心境で相手を壊すの!? ねぇ教えてよ、ほら、早く、ねぇ、早く!」
「っ……」
勢いに任せ、彼がルオの右上腕部をガッシリと掴んだ。ギリギリギリと筋肉を締め付けて離さない。それはまるで彼の視線と同じようだった。
一瞬だけ痛みに表情を引き攣らせたルオだが、必死に平常心を保つ。ノイズが元々手にしていた飴玉がベットリと衣服に付着して、それを気にする余裕も出てきた頃、ルオは口を開いた。
「……高いところから」
「え?」
落ち着いた声音で彼は呟く。ノイズの問いとは噛み合わない台詞だったため、ノイズはキョトンとした反応を返した。
自分の右腕を鷲掴む手を優しい手つきで解いて、その際に棒付きキャンディーを彼から左手で抜き取る。物腰は柔らかだ。
「低い位置から落とした飴玉は、破損することなく地に落ちるだろう。でも、これが高い位置に持ち上げられた後、力強く落とされたとしたら?」
「それは勿論、割れ――」
にいっ。
ノイズの答えを聞き終る前に、ルオは左手で高々と掲げていた棒付きキャンディーを足元に叩き付けた。
ガチン! と、飴玉の大きさ相応の音を響かせ、その飴は粉々に砕ける。一体どれだけの力を込め、叩き付けられたのかは分からない。だがしかし、ルオの表情は相変わらず冷静を湛えていた。
先ほど、一瞬だけ狂気に駆られたような笑みを浮かべた口元は、もう笑っていない。
まさかの彼の行動に目を見開いたノイズは、飴玉を凝視している。まるで先ほどとは逆だ。相変わらずルオが一体何を考えているのか読めていないノイズが呆けていると、その意識を現実に引き戻すかのようにルオが声を発する。
「こうして、より高揚させた希望を一気に地へと突き落す。その方が、相手の反応だってもぉっと滑稽で、愉快で、諧謔なものになるかもね」
覚えておくといいんじゃない?
柔らかな笑みの仮面を顔面に張り付けながらそう言うと、ルオはノイズの頭に乗った看守帽をヒョイと持ち上げて、ピンク色をした髪を撫でた。その姿は年上と年下そのもの。
「引率ご苦労様。じゃーね、ノイズ」
ポンと彼の帽子を元の位置に座らせて、ルオは一人で淡々と歩き出した。後ろには動けなくなっているノイズが、ポカンと彼の後姿を眺めている。
「あ、そうそう」
足を止めてルオが振り向く。そして余裕そうな笑みを携えたままノイズに指摘した。
「あんたその恰好、堅苦しすぎて正直似合ってないよ。衣装考え直すことオススメしてあげる」
くすっ。と含んだような笑みを落とし、彼は再び歩き出した。敢然と歩き進めるルオであったが、その心情は正反対とも言える。
(――違う)
ザワリ、ザワリ、ザワリ。と、胸のあたりに巨大な渦が出来たかのように、何かが掻き立てられる。好奇心などといったものではない。そんなプラスなものではない。
(違う、違う、違う。嘘だ)
一歩一歩足を踏み出すにつれて、その感情は比例して膨大化していく。脳内でリプレイされるのは、先刻自らが発した言葉だ。
『高揚させた希望を一気に地へと突き落す』
その方が戯画的? 違う。本心はもっと別のことを叫んでいた。いつも、いつも暗闇の片隅で震えている感情が、真の感情だ。
(耐えられるわけない)
何の武器も持たない無力なアンドロイド。恐れ戦く表情を目の前にして、誰が、一方的に〝破壊活動〟を行えると? 殺人にも似た行為を平然と行えるとでも。
ぐっと無意識に奥歯を強く噛みしめた。握る拳にも力が入る。それでも強く、歩き続けた。
罪悪感に勝つことの出来なかった弱々しいココロは、相手に〝フェア〟を持ちかけたことで保ってきた。それを止めようと思ったことはないし、実際、それに救われている。
それにあっさりと壊してしまっては、後々スタッフから苦情が来るのだ。「データが十分に採取できなかった」と。そんなものは採る必要などないだろうに。ただ、他のアンドロイドに対する見せしめと、暇を持て余したスタッフたちの娯楽を提供するためだけのイベントなのだから。
(こういう仕事は、ノイズの方が向いているんだろうな)
だがしかし、この役目を負わされたのは紛れもない自分。その現実を見続けて、早十数年。
ココロを所持する自分は、どうやら他のアンドロイドよりも幾倍も〝死〟に対する恐怖が大きいらしい。
ご覧の通り、お陰様でPLANTのいい玩具である。それが分かっていてもなお、逃れることは出来ない。
逃れた先に見える結末は、闇のみだ。
はぁ、と二酸化炭素を吐き出す。そして目の前の扉をキッと強い眼差しで睨みつけると、扉を開いて部屋へと入って行った。
本来ならばそこまで案内するはずだったノイズだが、ルオの思わぬ反撃の所為で今更入って行くことなど不可能に等しい。
ノイズはむっとしたように眉根にしわを寄せて、憮然そうに頬を膨らませる。看守帽のツバをグッと指先で掴み、目深にかぶると呟いた。
「チクショウ」
そんなの自分でも、分かっているし。と、ルオの捨て台詞に対して独り言で言い返す。
けれども実際、心の中は別のことでいっぱいだった。
負けた。最後の最後に負けた。今まで優勢だったというのに、最後の最後に。不覚だ。不服だ。
ノイズは腑に落ちない様子で、独り言は止まらない。
ああー! と声を上げたと思うと、ポツリと先ほどとはまた違った感情を漏らした。
「ルオ先輩の悲鳴! とか、聞きたい! 泣かせたい、哭かせたい、啼かせたい!」
どんな声で助けを請うのか。一体どのような目で見つめるのか。ノイズの脳内に描かれている映像は架空のものであるが、そこにいるルオは恐れ戦いた驚愕の表情で座り込み、目を見開いて自分を見ていた。傷だらけの体と切れた唇で紡がれる言の葉は「助けて」。
「だけど! まだ、食べごろじゃないんだよなあー」
ポケットから取り出した飴玉を口元に持ってきて、強く袋ごと押し出す。ポン、と乾いた音を出して飴玉が袋から飛び出すと、彼の咥内へ収まった。舌の上で暫し躍らせ、ほお袋に飴玉を留める。静かな扉を眺める水色の眼は、一体何を考えているのか分からない。
「先輩はまだ弱いから。強くなる素質はあるのに、何故かそれを磨こうとしない」
実は少しだけ期待していたのだ。D_ANDROIDに武器を渡すのは、自分に対する修行の一環なのでは、と。だがしかし、それは見事に外れた。予想の遥か斜め上をぶっ飛んで行った返答に、思わず呆けた。
(まさかただのサディストだとは)
足元で砕けている飴にチラリと目を向ける。本当に一体どれくらいの力を加えたらここまで粉砕されるのだろう。ここまで本気で投げることもないだろうに。
その場でしゃがみ込んで、呆れたような白い目をして飴を見つめた。ルオにその視線を向けようにも、彼はもう扉の向こう側だ。
「――何をしている」
仕方ないので、ノイズはまるで子供がアリの行列を観察するように、暫し足元を凝視する。
すると、頭上から男の声が降ってきた。ノイズは声の主が分かったのか、顔を上げないまま答える。
「観察です」
「何をバカなことを言っているんだか。仕事はどうした?」
「煩いですねえ。ちょぉっと休憩してるだけですってばー」
「潰れた飴を観察する休憩なんて聞いたことないよ」
はぁ、とノイズと会話をしている男――青年は大きく息を吐いた。どうやらスタッフではないらしい。
青い頭髪に右手を絡めて後ろに流した後、またノイズを見た。掻きあげられた髪の毛は呆気なく、サラリと重力に従って元の位置に戻ってくる。
「で、担当は誰?」
「……」
青年の問いかけにノイズは無言を返し、立ち上がった。そして振り返ると、ハッキリとその名を口にする。
「RUO_NO,K-57θです」
「!」
それを聞いた刹那、青年は驚いたように薄緑色の目を見開いた。が、すぐに表情を元に戻す。その表情の変化を、ノイズはジッと見ていた。
「あの人か……まったく、本当に、世話の焼ける人だね」
青年はポツポツと若干細切れに言葉を紡ぐと、ノイズが先ほどまで見つめていた砕けた飴を見る。その犯人がルオだということに気付いたようだ。
彼は、ルオというアンドロイドを知っている。誰がどう見ても、そう察することが安易なほど、その表情は包み隠されることなく変化していた。
「ねぇ、ケイ先輩」
「ん?」
青髪の青年はどうやらケイというらしい。ノイズは相変わらず彼を見つめたまま、平然と口を開いた。
「別に今すぐってわけじゃないですけどぉ……オレ、ルオ先輩のことを殺してみたいです」
「!?」
ノイズはケイに向き直った。ケイは怪訝な顔つきで彼を睨んでいる。
柔らかだった空気は一変し、どこか重々しい雰囲気が彼らを包み込んだ。それでも、ノイズは変わらず続ける。
「あの人ならもっと強くなれる。そんな人と戦ったら、一体どれくらい楽しいと」
「寝言は寝て言うものだよ、ノイズくん」
酷く、冷たい声がノイズに押し付けられた。ケイの薄緑色をした双眸が、彼を睨みつけている。
口調はどこか優しいが、声音にはまったく優しさなどなかった。
ノイズは思わず押し黙ってしまうが、怯んだ様子はない。
「強くなるとか、戦うとか、僕たちの住む世界の話じゃない。自分の仕事を全うする。それが僕たちの世界の話だ」
「そんなの、つまらないです。ただ己の魂に刻まれた任務だけを遂行するなんて。娯楽くらい求めさせてくれたっていーじゃん」
「それはそうだろうけど、ノイズくんの娯楽は充たすことは出来ない」
「どうして? あの人は不良品なのに、どうして壊しちゃダメなんです?」
「……」
彼の問いにケイは無言を返した。
返事を待つ間、手持無沙汰なのか、ノイズはポケットに右手を突っ込んでゴソリゴソリと中身を漁りだす。そして、彼は本日何個目かの棒の刺さった飴玉を取り出した。
手早くそれを開封して口に含む。もごもごと口を動かしながらノイズはケイを見つめたが、中々彼の口から答えは返っては来なかった。
しびれを切らし、急かすように再びノイズが口を開く。
「そういうのってぇ、贔屓って言うんじゃないんですぅ? よくないですよー? そういうの」
相変わらずケイは何も言わない。しかし、一つだけ動きがあった。
――バチッ。
「!?」
ノイズの、隠れた右目の隣に佇む水色の眼が、小さく眩い関光を捉える。瞬間、素早く後ろに飛び退いた。
バチバチバチッ!!
少量の硝煙が空中を旋回して、ほどなくして薄れて消えた。先ほどまでノイズが立っていた場所の背に面した壁は、何故か黒く焦げてしまっている。
そこに右の手のひらを翳したまま立っているのは、他でもないケイだ。
「ちょ、行き成り何ですかぁ!? 怒ったなら謝りますよ、冗談はこれくらいにしますぅ! 能力を使うなんて反則ですってぇ!!」
「彼の、冒瀆は、僕が許さない」
「へ……?」
尚も、彼の右手には、数本の雷光が見え隠れしている。どうやら彼は、ノイズに向かって大きな電気の塊をぶつけようとしたらしい。しかしそれは目標を外れて、後方の頑丈なコンクリート壁を僅かに焦がしただけだった。
流石のノイズも、彼の攻撃は予想外の出来事だったらしく、慌てて謝罪の意を口にする。だがケイには聞こえていないようで。ただ、ボソリと何かを呟いた。
ノイズには「今、何て言ったんですか」などと問えるはずもなく。彼の、次の言葉を大人しく待つしかない。
ケイはゆっくりと右手を下ろすと、下げていた視線をしっかりとノイズに向けた。最初と同じ、凛とした目をしていた。
「これに懲りたら、もう、変な企ては止すこと。仕事に戻れ」
「……は、はぁーい」
たじたじとしたノイズの返事を聞いて、ケイはくるりと踵を返す。そして、ノイズに背を向け、彼は颯爽とその場を去った。
またしても、ポツンとその場に取り残されてしまったノイズは、居心地が悪そうに視線をウロウロ。次いで帽子を脱ぎ、頭をガシガシと乱雑に掻きながら「あぁ~」と無意味な母音を口から垂れ流しつつ、帽子を元の定位置に戻した。
「そんな、あからさまになあー」
短い帽子のツバをグッと強く抓んで目深に被ると、ニィと妖しい笑みを浮かべる。
「隠されちゃあ、探究心っていうものが騒ぐんですよねぇ」
つまらない目の前の日常と、PLANTの何ら変わりない景色が、途端に鮮やかなものに見えてきた。ノイズの目玉にはキラキラとした何かが映されている。純粋な好奇心だ。
彼の独り言は止まらない。
「ケイ先輩が憤慨するなんて珍しいものも見れたし、オレは色々と嗅ぎ回らせてもらおっかなあ~!」
確かにルオを殺してみたいという気持ちもある。それに加えて、彼を殺した時にケイが一体どのようなことを言いだすかというのも気になった。もしかすると、自分を殺しにかかるかもしれない。――楽しみだ。
それなら、色々と策を練らなければ。と、ノイズは一人頷く。
そして元気よく足を踏み出すと、先ほどルオが消えた扉に向かって悠然と歩き出したのだった。