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ガラクタのうた  作者: 花葉
PLANT編
14/19

 <Act.11>蟠りの空



 ……ぱち、と睫の長い目蓋が持ち上がる。

 ルオが目を覚まし、体を動かそうとすると鈍痛が体中の至る所に走った。顔を歪め、何とかその身を起こす。思わず止めてしまった呼吸をゆっくりと再開させながら、辺りを見回した。


「エリ……?」


 同室の青年の姿が見当たらない。どこか散歩にでも行ってしまったのだろうか。

 あまり深く考えることもなく、体に貼られた絆創膏やガーゼを引き剥しては屑籠へ入れていった。小さな掠り傷などは、既に治っている。

 その時、ピンポーンとインターホンが鳴った。返事をするより早く、音もなく扉がスライドして消える。顔を出したのはひよりだった。


「やあ少年。体の具合はどうだ」

「傷は治った。捻挫と打撲はまだ少し痛む」

「まあー、あれだ。安静にすることだな……とも言えねえがな」

「?」


 そこは安静でいいのではないか。と、ルオがコテンと首を傾げる。するとひよりは場都合が悪そうに後頭部を掻きながら吐いた。


「今晩、手前さんに仕事の依頼だと。ココのスタッフの野郎ども、おじさんに伝達を頼みやがって……まったく。それくらい自分でやれ。老体は労われ」

「わざわざどーも」


 ヅカヅカと部屋の中へ入って来ると、彼は「ほらよ」と茶封筒をルオに手渡した。彼はベッドに腰を掛けたままそれ受け取る。

 封を切ろうとしたところで、ひよりが先に「そう言えば」と口火を切った。


「エリ君はどうした。姿が見当たらないが」

「俺も今起きたとこで、知らない。散歩でもしてるんじゃない?」

「ほお」


 辺りをキョロリと見回す仕草。そう対して広い部屋でもないのだから、そのようなことをせずともエリがいないことは明白だ。

 別段深く話し込むわけでもなく、ルオの返事を聞くと彼はくるりと踵を返す。それほど興味はなかったのか、それとも別に用事があるのか。後者が有力であろう。


「どっか行くの?」

「おう、オズ君を迎えにな」

「え、オズを?」


 なんでまた。と、ルオが訝しげに眉を顰めた。

 オズは療養のためにPLANTの森林にいたのでは。それが解除されるということは、つまりどういうことなのか。オズに話を聞いていたルオはそれが不思議だった。

 彼の心境にひよりは勘付いたようで、すぐに理由を口にする。


「療養は終了。これから手前さんらと同じように、PLANT施設内にて管理をする……ってだけだ。深く考えるな」

「……」


 勘付いた、とは言え。どこか的を射ない解答。痒い部分に手が届かない、このもどかしさ。しかしそれ以上ひよりは何も言わなかった。

 じゃあなと手を振る彼の背に、ルオは「待って」と声を掛ける。


「俺も行く」

「おいおい、手前さんは怪我人だろ」

「エリがいなくてヒマだし。別に邪魔はしないから」

「暇、ねぇ」


 彼の台詞に、どこか面白そうにひよりが嘲笑を浮かべた。意味深にニヤニヤと笑っている彼に対して、ルオがムッとする。何が可笑しいんだと。

 トン、と扉の桟に背中を預けてひよりは言った。


「手前さんが暇っていうものを感じるとは、変わるもんだなあと思っただけだ。前のルオ君は口を開けば面倒くさいしか言わなかっただろう」

「うん、まぁ」


 指摘されて気が付き、ルオは居心地が悪そうに目を逸らした。横髪を左手で耳に掛ける。照れているのだろうか。


「最近色々あったから。ヒマなんかなくて当然でしょ」

「……そりゃあよかった」


 控えめにルオが呟くと、ひよりは笑みを浮かべた。どこか悲しみが滲んだ表情だった。

 何がよかっただよ、と言い返そうとルオが口を開いたが、彼の顔を見ると思わず口を噤む。何故そのような顔をしているのか分からなかったのだ。


「行くなら早く準備して来い。中庭にいる」

「え、あ、うん」


 短く言い放って、彼は部屋を出る。後を追うためにルオは簡単に身支度を済ませて、同じように部屋を出た。当然もう、部屋には誰もいなくなった。

 髪の毛を慣れた手つきで結いながら、パタパタと足音を立てて中庭へ赴く。約束通りひよりと合流すると、最近では見慣れた扉から外へ出た。

 視界に広がる見慣れた景色。右も左も緑だらけで、一人で入れば安易に迷ってしまいそうであろう森。スタスタと前を進んでいくひよりから逸れないよう、ルオも早足で歩き出した。


「…………」


 その様子を上から傍観する眼。禍々しい殺気のようなものも含まれていない、ただの視線。普遍的な視線に気付けるほど、二人は神経質ではなかった。

 歩き慣れた道を突き進む。PLANT施設より裏側に回って、真っ直ぐ。暫く歩くとオズのいる小屋が見えてきた。


「ルオ君」


 突然ひよりが足を止めた。振り返ると白衣の内側を開ける。既視感。


「ニャー」

「あ、カルビ」


 ピョンと飛び出て来たのは白い猫だった。相変わらず一体何処に隠しているのか謎である。カルビもよく大人しくしているものだ。と、ルオは胸中の片隅で思った。

 抱っこ、抱っことせがむように彼の足元をウロチョロすりすり。猫嫌いは緩和したようで、ルオは何の躊躇いもなくカルビを持ち上げた。


「ちょっとカルビを頼む。先に小屋へ入っててくれ」

「分かった。どうかした?」


 カルビを抱いて、キョトンと首を傾げる。ひよりは「小屋の電力供給源を絶ってくる」と答えて、小屋の裏側の方へ行ってしまった。

 先日はあんなに一人で行動するなと言ったくせにいいのか……。などと思ったが、口には出さない。腕に抱いたカルビを見つめて、話しかけた。


「もしかしてカルビが監視役ってこととか?」

「ニャー」

「……な、わけないか」


 我ながらばかばかしい。そう呟くと、ルオは小屋のノブに手を掛ける。

 ガチャリ。


「オズー、お邪魔し」

「ウワァァァァァァァアアアアアアアアア!!」

「!?」


 瞬間、小屋を劈くような叫び声が響き渡った。ルオの肩に乗っかっていたカルビは毛を逆立たせ、ルオは体をビクリと揺らして目を見開く。

 視界に入ったオズの姿は普段通り。ではあるが、ルオが入って来た瞬間に物凄い素早さで何かをベッドの下に隠した。本当に素早い動きであった。

 近くにあったキャンバスを立掛ける三脚がガタガタと揺れている。


「オズ……?」

「ゼェ、ハァ……る、ルオ……おまえ、入って来るならそう、言え……よ……」

「え、あ、ごめん」


 目を見張ったまま謝罪を口にして、オズを見つめたまま右手の扉をコンコンと内側から叩く。とても無意味なノックであった。しかし律義に、至って真面目にルオはやっている。だが本当に意味はない。強いて言うなら彼の自己満足だ。


「これでいい?」

「いいわけないだろ、と言いたいところだけど。別にもういいよ」


 ハァ。と、オズが肩の力を抜く。彼の承諾を得たことで、ルオは部屋の中へと入って来た。真っ直ぐと躊躇うことなく足を進め、ベッドの前でしゃがむ。そして左手を下に突っ込もうとした、ところで素早くオズが制した。

 パシィッ! と、乾いた音が鳴る。


「ちょおおおおおっとぉ!! な、ななっ、何をしてるんだよ!?」

「え、何って……何を隠したのかなって」

「いやいや、普通一言言うだろ、せめてコッソリ僕に見つからないように見ようとするだろ! 何の気遣いもなしかおまえ!」


 ルオの左手を両手で掴んで、必死に彼を止めている。それほど見られたくない何かがあるのか。オズの態度からして一目瞭然だった。


「えぇ……コソコソするのとか面倒くせーじゃん。気疲れするし。いいじゃん別に、減るもんじゃなし」

「だぁぁぁめぇぇぇえ!! やめろおおおお!!」

「おーい、少年たち。一体なにをギャーギャー騒いでるんだ」


 オズの静止の声も虚しく、ルオがもう一度腕をベッドの下へ潜り込ませようとする。その度にオズは叫んだ。必死に叫んだ。すると開きっぱなしの扉を潜ってひよりが顔を出す。

 オズには彼が救世主のようにも見えた。ルオを止められるのはこの人しかいない、と。


「ひよりさん! こいつ、コイツどうにかして止めてくれよ!」

「何だ、どうした。また手前さんオズ君をいじめてるのか」

「ちげーよ」


 カラカラと笑いながらひよりは彼らの元へ歩み寄る。そして状況を彼なりに把握した。

 ベッドの下に手を突っ込んでいるルオと、それを止めようとしているオズ。聞こえていた叫び声。説明されなくとも、なんとなく予想はつく。


「……ルオ君」

「何」


 彼は落ち着いた声音でルオの名を呼び、隣にしゃがみ込んだ。ポン、とカルビの乗っていない方の肩を叩いて、一言。


「健全男児のベッドの下は、トップシークレットだ」

「は?」

「ひよりぃぃぃいい! 変な誤解を生むような言い方するなよぉぉおお!!」


 グッ。と、親指を立て、彼なりにカッコよくキメたつもりだったらしい。が、オズにとっては火に油な台詞だった。


「へ、違うのか?」

「違う! 全ッ然違う!! 僕はそんな卑猥なものは隠してない!」

「卑猥!?」


 瞬間、ルオの手がサッとベッドの下から出てきた。オズはベッドの下を死守するという目的を遂げたわけだが、犠牲は大きい。

 ベッドから距離を取るように身を引いたルオは、コソコソと近くにしゃがんでいるひよりに耳打ちした。


「何、最近のガキってこんな早くから盛ってるもんなの」

「時の流れというものだなあ。それにしても、人は見かけに寄らん」

「おまえら好き勝手なこと言うなあああ!」


 完璧に誤解されている。この汚れた印象を拭うためにはベッドの下の物を見せて証明するしかない。しかしそれが出来れば、オズは苦労していない。

 つまり言いたい放題である。

 彼の叫び声を聞こえなかったとばかりに、二人は会話を続けた。ひよりの声が再び真面目なものになる。


「因みに手前さんはどれくらいの胸の女が好みだ」

「えー、別にこだわりない。そもそも異性に興味ない」

「ほう。同性に興味があ」


 スパーン! ルオがひよりの後頭部を引っ叩いた。

 涙目になりながら「冗談だ、冗談」と笑いながらひよりは言って、話を戻す。戻すも何も、既に話の軸は歪み切ってしまっているのだが。


「男なら巨乳だろう、浪漫だろう! こう、ボン!」

「……見てて邪魔そうだなって思わね? 動きづらそう」

「夢が無い、むしろ冷めすぎだなあ。手前さんもそういう年頃なんだから、オズ君を見習ってもっとこうムラムラと」

「僕を無視するなああ!! っていうか、僕を見習ってってどういうことだよ!? 勝手な解釈で話を進めるの止めてくれないかなあ!」


 今度こそオズが二人の間に割って入った。しゃがんでいる二人の肩を力強く内側から押せば、いとも簡単に二人は尻餅をついて板張りに座り込む。

 流石にこればかりは無視して話し続けるわけにもいかず、ひよりは肩で息をしているオズを下から見上げ、言った。


「違うのか」

「だから違うってば!」

「なーんだ、つまんね」

「つまんなくて悪かったな!!」

「ニャア」

「な、つまんねーよな」

「コラそこぉ! 勝手な意思疎通するな!!」


 ルオはその場で胡坐を組んで頬杖を突くと、心底つまらなさそうにぼやいた。ひよりもひよりで同じような顔をしている。

 叫び通しのオズは疲弊したようで、近くのテーブルに両手を突くとガックリと肩を落とした。

 流石の二人もやりすぎたか、と顔を見合す。

 ドッコラショと老人臭い声を出してひよりは立ち上がると、項垂れているオズとカルビと戯れるルオに言った。これからの行動に関する命令のようなものだった。


「本題に戻るぞ。オズ君はPLANT施設に持って行くものをルオ君に持たせろ」

「は? ちょっと、怪我人は労わるんじゃねーの」


 彼の言葉に「聞いてない」とばかりにルオが食って掛かった。が、ひよりは相手にしない。


「ついて来ると言ったのは手前さんだろぉが。来たなら働け」

「……ちぇ」

「舌打ちしない」


 ぷくり、と頬を膨らませてルオはひよりを睨む。しかし相手にはされなかった。未だに肩を落としているオズを再起させて、彼は小屋の中を漁り始めている。


「ニャー」

「はいはい、やればいいんだろ。……ててて」


 頭がジクリと痛んで、立ち上がろうとすれば足首が痛む。思わず声を上げたが、上げるまでも無かったかと、平然と彼もまた動き始めた。

 ……と言っても、オズがPLANT施設に持って行くものはほぼないと言っても構わない量である。本来ならひよりとオズだけだったのだから、それも当然かもしれない。

 結局ルオが持たされたのは三脚くらいだった。絵具や画板などはひよりが持っている。

 二人は小屋の外でオズが出てくるのを待って、彼は張キャンバスの入った箱を持って出てきた。大荷物のように見える。

 思わずルオが持ち物を交換しようかと名乗り出たが、オズは大丈夫と言って箱を大事そうに抱き締めた。

 長く世話になった小屋に別れを告げて、彼らはPLANTへの帰路につく。ひよりが先導し、後ろをルオとオズがついて歩くかたちとなった。

 クリーム色をした小道を進む。最中、オズが「なぁ」とルオに声を掛けた。


「何? やっぱ重たくなった?」

「そ、そうじゃなくて」


 モゴモゴ。口の中で気持ちをまとめている様子。前を歩くひよりが、チラリと彼らを見たが、話しには入って来ず聞こえないふりをしていた。ルオの肩に乗っかっているカルビは、キョトンとオズを見つめている。

 ジャリ、ジャリと小石と砂を踏む音が、静かな森に響く。


「も、もしもさ……明日、世界が滅亡するとしたら。おまえ、どうする?」

「は?」


 ルオは足を止めて振り向いた。表情からして、「何言ってんだコイツ」と言いたげだ。

 しかしオズはめげない。何も言い返すこともなく、ただただ従順に彼の返答を待った。


「どうするって、俺に世界でも救えって言いたいわけ?」

「そ、そういうことじゃなくて」


 アワアワ。オズが汗を飛ばすようなオプションが見える。

 ルオはちゃんと意味が分かっている上で言っただけだ。つまり、いつもの捻くれである。


「……んー」


 再び前を向いて歩き出した。その後をオズが慌ててついて行く。しかし既に、ひよりとの距離は少し開いてしまっていた。それでも叱られないのは、まだ足音の聞こえる位置にいるからだろう。

 ルオは答えを考えながら前を歩く。時たま踏みしめる若草が、サクサクと音を立てた。


「別にやり残したことがあるわけでもないし、俺はあんたらの傍にいるよ」

「え……」


 ピタリ。彼の言葉を聞き、今度はオズが足を止める。釣られてルオも足を止めた。振り返ると、あまり長引かせないように理由を述べる。


「だってあんたも、それにエリも。そんな大層な日に一人にしたら不安で騒ぎ出しそうだし。だから、俺が傍にいてあげる」


 そう言うと彼は、ふ、と微かに笑んだ。そして何事もなかったかのように歩みを再開させる。

 未だに足を止めたままのオズは、深く俯いた。やっとのことで口にした台詞は、今にも泣きだしそうな声色で紡がれる。


「おまえは、ルオは……本当に凄いな」

「何が?」


 前に進みながら後ろを向けば、遠くでオズが立ち止まっているのが見えた。あまりの距離に驚いて、ルオはすぐに足を止める。そして心配そうにひよりの方を見た。これ以上足を止めれば、彼に叱られてしまうのではという一抹の不安が過ったのだ。

 だからと言って、今、オズを置いて行くのも気が引ける。取りあえず、彼の足を動かさなければ。


「オズ、話なら歩きながら聞くか」

「カルビの時だって、おまえは身を顧みず濁流の中に飛び込んだ。実際、あの時の川は泳げようが泳げまいが、飛び込むなんて自殺行為だったんだろ」

「……」


 彼は一体何が言いたいのか。自分が今考えていたことすら忘れ、彼の話に耳を貸す。すると、先の方にいたひよりが叫んだ。


「おおい、少年たち! 少し休憩にするぞお」

「え。あ、はーい」


 変なタイミングでの休憩。もしかすると彼なりに気を遣ったのかもしれない。

 しかし空気を乱してまで、オズがこうして話をするなんてもしかすると初めてかもしれない。今までの彼は、全てその場の流れや空気に便乗して吐き出していた気もする。


「オズ?」


 一旦返事の為にひよりへ向けた顔を、もう一度オズに向ける。表情を覗き込もうにも、彼の顔は大半が包帯で覆われており、覗き込んだところでよく分からない。

 ただ、キュッと唇が噛みしめられていた。


「僕には、それが出来なかった――」


 声が震えている。もしかすると、彼は何も出来なかった自分の無力さを悔いているのかもしれない。

 普段以上に深刻な雰囲気に、何と声を掛ければ良いのかルオは迷う。が、結局普段通り言葉を掛けることにした。取り繕った言葉を掛けたところで意味はないと感じたのだ。


「言っておくけど、あれはオズの言う通り自殺行為。正直言ってバカがやるような」

「ルオは自分がどうなってもいいとか思った? そんなわけないだろ、普段のおまえならそう言ったかもしれない。けど、あの時はそんなこと考える暇もなかったはずだろうし」


 オズがルオから顔を背ける。ルオが何を言おうとするのか分かっているような立ち振る舞い。彼の言葉や心遣いなど欲してはいない。

 ルオにはただ、ただ彼は自分を責めたいだけのように見えた。


「僕はあの状況で考えてたんだよ……自分のことだけ。僕にだって出来ることはあった。術はあった。だのにやらなかった。結果的に、ルオは怪我を負ってカルビは」

「……ニャーア」


 ルオの肩でカルビが平然と鳴く。それを聞いて、オズは口を噤んだ。

 二人を沈黙が包む。最中、突然ルオが抱えていた三脚を芝の上に丁寧に置いた。腕でも疲れたのかと思い、オズはそうたいして気にしない。

 自分も腕が疲れた気がする、箱を足元に一旦置こうか。などと考えた時、ルオはオズの目の前に立った。

 間近に他人の気配を感じ、彼は顔を上げる。


「オズ、ちょっと歯食いしばれ」

「な――ッ!?」


 ゴヅッ!!

 瞬間。ルオが左腕を振りかぶり、オズの頬を殴った。衝撃によってオズはその場で倒れ、持っていた箱は地面にドスンと落っこちる。近くの木々で羽を休めていた鳥たちが、一体何の騒ぎだと一気に羽ばたいていった。


「な、な、ななななな、きッ、急に何するんだよ!?」

「あー、めんどくさ」


 彼を殴った左の拳を右手で撫でながらルオが呟く。そしてまるで他人事のように、足元に置いた三脚を再び腕に抱えた。

 オズのことは無視している。遠くから一部始終を一服しながら眺めていたひよりは、(ルオ君が殴るとは珍しいなあ)と場違いな感想を抱く。確かにルオは足蹴りばかりで、手を上げるのは珍しいことだったのかもしれない。


「お、おいこら! 無視するなあ!!」

「あ?」


 ギロリ。鋭い目つきでルオが振り向く。彼が放つ雰囲気は、まるでオズが初めて出会った際のルオであった。

 しかしそれを懐かしんでいる雰囲気ではない。命の危機を感じるような雰囲気だ。前と同じだ。デジャヴュである。


「あのさぁ、あんたが一人で自分の無力さを悔いるのはいいよ、ご自由に。そりゃ誰だって落ち込むこともあるし」


 呆れたように彼は話し始める。「でも」と切り出した途端、先ほどの表情から一変し、キッとオズを睨みつける視線。途端に低くなる声音。


「俺に託けて、巻き込んで卑下してんじゃねーよ。うっぜぇんだけど」

「う、うぜっ……!?」


 口角を引き攣らせて、殴られた部分を手で押さえながらオズが言い返そうと口を開く。が、実際は言葉を失っている。

 ルオはヅカヅカと彼の元まで近付いて、腰を屈めると相変わらず乱暴に言い放った。


「オズは、自分のことばかりを考えていたって言ったな。上等。それが普通。あの時あんたがウジウジしてたからって、俺が今更責めたりするような男だとでも思った?」


 彼が薄く、は、と嘲笑を浮かべた。

 ――確かにそうだ。自分の知っているルオならば、わざわざそのようなことに時間を割かない。真っ先に口を突いて出るのは「どうでもいい」だの「面倒くさい」だの。そんな言葉ばかりだろう。

 よくよく考えてみれば何となく分かっていたはずだというのに、オズにはそこまで冷静な思考が残っていなかった。

 分かっていた。知っていたはずだと、胸中を廻る言の葉が複数枚。


「あんたはあんたなりに考えたんだろ。あんたのことを一番理解しているあんた自身が考えた結果が傍観だっただけだろ? そんなオズの決めたことに口を出す権利は俺たちにないし、そもそも出すようなやつはいない。まず誰もオズのことを恨んだりしてねーのに、勝手に一人で落ち込むのはお門違い。というか周りに迷惑、特に俺。うざい」

「また、うざい、って……」

「何度でも言ってやるよ、それであんたが分かるならな」


 ジッ。ルオの碧眼がオズを睨みつけた。射抜くような視線に耐えきれなくなり、オズは顔を背ける。そうして流れたのは沈黙。

 ザワザワザワ、と辺りの木々たちが葉を寄せ合って井戸端会議を始めた。まるで彼らのやり取りを、一種のエンターテイメントとして観戦しているかのように。

 風が吹けば一層楽しげに笑いだす森。最中に紛れ、ルオが唇を動かした。


「そんな訊き方、悲しいだけじゃん。俺があんたの意見に賛同して、オズを責めるとでも思った?」


 彼は目を逸らす。愁いを帯びた碧眼が揺れていた。


「ふざけんな。そんな軽薄な気持ちで、俺はあんたと友達になった覚えはない」

「!!」


 オズが息を飲んでハッとする。そして彼は、背けていた顔をおずおずとルオへ向けた。


(――なんで、ルオが泣きそうになってるんだよ)


 頭に浮かんだのは、驚きにも似た疑問だった。


「抱え込むなと確かに言った。相談してもらうことに関しても、それが相談なら俺は構わない。でも、今のは相談なんかじゃない。募る罪悪感から逃れたいがために、俺に侮辱されたかっただけだ。侮辱されることで、あんたは安心したかった。あんたは言葉の選びを間違えた」

「…………」


 オズは言葉を失ったまま。

 目は口ほどに物を言うとは言うが、彼の場合は肝心の目が見えない。ルオがオズの心情を察するのに、聊か難解。

 ルオはゆっくりとオズへ近付き、眼前にしゃがみ込んだ。そして台詞を続ける。


「こういう時こそ、オズの口癖だろ。そんなに根に持つなら、あんたからいつものアレを言えよ。……ほら」


 いつものアレ。口癖。ふたつのキーワードで脳内を検索してみれば、安易にその台詞は浮かんだ。が、これをどのように口にすればとオズは迷う。

 しかしそれも一瞬。すぐに気が付いた。


(やっぱり、ルオは凄いな)


 ――だからこそ彼なのだと、妙に納得する。

 分かっていた。どうして助けなかったんだと本当に彼が思っていたとするなら、彼は隠さず態度に出すだろう。軽蔑の目で見下げ、言葉を交わすことすら拒絶するだろう。

 分かっていた、分かっていた。分かっていたはず、なのに。


(僕はなんてことを言ったんだろう)


 自分で自分を責めることが嫌で、他人にそれを押し付けようとした。自分の不甲斐無さを認めることにも億劫で、独りよがりも恐ろしく。けれども自分を許すことは出来なくて、その役目を、ルオに。

 彼を傷つけた。恨みという感情を求めるカタチで問うてしまったことで、彼を〝その程度の間柄〟だと思わせてしまった。そんなこと、微塵も思っていなかったのに。ただ、自分のために。

 オズは俯いた。そして、本当に言いたかった言葉を紡ぐ。


「――ごめん。あの時、何もできなくて、ごめん」


 すると驚いたように、ルオが目を少しだけ見張った。キョトンと。自分が言えと催促したくせに、おかしな反応である。

 次第に彼の表情が和らいで、最後は小さな笑みを口元に携えた。


「別に、気にしてないよ」


 微笑。やっと言ったかとでも言いた気な、呆れた微笑み。一言だけ答えると彼は立ち上がる。

 なーんだ、つまらない。と、森が黙り込んだ。飛び立っていた鳥たちが戻ってくる。


「俺は一応、あんたの性格は理解してきたつもりではあるし、今すぐその姿勢直せって叱咤する気はないけどさ」


 その姿勢とは、オズの自傷癖やネガティブ思考のことである。口に出されずとも、オズには伝わった。

 性格はそう簡単に変えることが出来ない。そもそも変わってしまえば、それは自分自身ではなくなるのではという疑問さえも抱く。だからと言って、これが自分なのだと開き直るのも頭を捻る。

 でも、と切り出したルオに向かって、オズが顔を上げた。差し出されたのは、ルオの右手。


「また、あんたが道を間違えたそのときは……何度でも殴って、俺が引き戻してやるから。ね」


 だから大丈夫だ。安心しろ。オズのことを嫌ったりしない。見捨てるマネはしないから。と、口には出さずとも、ルオの台詞には全ての意味合いが含められていた。


「ほら、右手を出して」

「え、あ……わっ」


 言われるがまま、オズが右腕を浮かせた。砂利が手のひらに付着している。ルオはその手をしっかりと握ると、彼を引っ張り起こした。


「はい、この話は仕舞い。PLANTに行こう。それにしてもオズがPLANT施設に移動するなんて、急にどうしたんだろうね」

「ルオ……」


 オズは何か言いたげであったが、言葉を飲みこむ。そして口しか見えない顔の口で、微かに笑みを浮かべた。

 先の方で腰を下ろしていたひよりが徐に立ち上がり、「出発するぞおー」と声を上げる。先刻と同じように、ルオが声を張って返事をした。オズは慌てて地面に落としていた段ボール箱を拾い上げる。

 彼が荷物を抱えたのを確認すると、ルオはオズを急かしながら早足でひよりの後ろを追った。


「施設に来たら、今までより会いやすくなるだろうし。そうだ。俺さ、ヴァイオリンを弾くのが趣味なんだけど、今度オズにも聴かせてあげる」

「えっ? あ、ヴァイオリン……ルオが弾くの?」

「うん、一応」


 オズは少々、心ここに非ず。ボーッとしていたのか、素っ頓狂な声を上げて反応していた。何とかルオの話に相槌を打ったように見える。

 どうやら彼は、やはり何か言いたいようだった。それにルオも気が付いたのか、眉を顰めて遠慮がちに促す。


「オズ、どうした?」

「…………僕、ね。描きたいものを見つけたんだ」

「え、マジ?」


 彼の言葉にルオが目を丸くした。どこか表情に暗い影を落としていたオズだったが、次第に柔らかさが戻る。彼は被写体を思い返しているのだ。

 ジャリ、ジャリと平坦な道を歩く。PLANTはもう目前。


「ルオの言う通りだった。すぐ近くに、綺麗なものはあったんだなって」

「……じゃ、その絵が完成したら絶対に見せてよね」


 にこりと愛想のいい笑顔を浮かべて、ルオは喜びを示した。無理につくった笑みではなく、淀みのないものだった。

 その笑顔を見て、オズもまた屈託のない笑顔を浮かべる。――それが、OZ_NO,D-04処分日三日前のことだった。




***




 ひよりとオズはやることがあると言うことで、PLANTに入るとルオは彼らと別れた。三脚しか持ってはいなかったが、荷を下ろすと体が軽く感じる。三脚だけでもそれなりに重たかったようだ。


「はぁー」


 息を吐き出して、自室に戻る。慣れた作業で幾つかの扉を開閉し、部屋の扉も同じように開けた。相変わらず誰もいなかった。

 エリはまだ帰っていないのか、とルオは思う。どうせやることもないのだから探しに行こうと思考を切り替えるのに、そう時間は掛からなかった。

 娯楽室や食堂、中庭に書庫。目に入る施設全てに足を延ばしてみるものの、エリの姿はない。このまま施設内をグルグルと歩き回っていれば、何れひよりたちとも再会しそうだ。


(誰かに訊いてみるべきか)


 今までなら思いつくはずなどなかった考え。そもそも、人を探すということ自体がなかったのだから当たり前かもしれない。いや、そうじゃない。

 PLANTの誰かに自分から声を掛けるという行為に及ぼうとしている。それが、昔の自分ならあり得なかった。それが今、やろうとしている。

 どうせ冷たくあしらわれるだけかもしれないし、無視をされることも考えられる。安易に。それでも、訊いてみようと彼は思った。

 動かし続けたことで痛んできた足を止めて、辺りを見回す。すると目の前に面していた曲がり角から足音が響いてきた。姿を現したのは、見慣れた白衣を着たスタッフではなく青年。青髪の青年。


「あの!」

「!!」


 青年は心底吃驚したらしく、目を見開いてルオを見た。が、すぐに冷静になったのか「どうしたの?」と、落ち着いた声音で問い返してくる。どうやら話を聞く気のようだ。

 最初の反応が妙に気に掛かったが、別段気にする理由もない。と、ルオは率直に本来の目的を口にした。


「これくらいの背丈の、えっと。エリっていうアンドロイド、見ませんでしたか」

「…………」


 身振り手振りで探し人の情報を伝えると、フイ、と青年の目が逸らされる。知らないのか、何か都合でも悪いのか、現段階では判別し難い。

 元々眼前の青年は白衣ではなくスーツ姿。もしかしたらPLANTの人物ではなく外来なのかもしれない。

 それに、青い頭髪。あのような明るい髪色で、翡翠色の目は……アンドロイドである可能性も捨てきれない。むしろ、その可能性が一番高い。


「あ、知らなかったらいいんです。呼び止めてごめんなさい」


 別を当たろう。ルオが軽くお辞儀をして踵を返そうとした時、青年が口を開いた。


「屋上」

「え」


 青年の言葉が聞こえなかった彼は、振り返り問い返す。すると、今度は目を真っ直ぐと向けて青年は言った。


「あなたが好きな場所。屋上に彼はいるはずだよ」


 好きな場所。確かに間違いではないが、何故彼が知っている。自分たちは初見のはずだ。同じアンドロイドというだけではないのか。胸中を錯誤する思惟たちから意識を振り払って、ルオは「屋上……」と反芻した。

 階段で暫く登らなければならない。普段ならそこまで苦痛でない道のりであるけれども、今は聊か苦痛だ。体が痛むのだ。


(今日は仕事だってひよりにも伝えられたし)


 もしも、ということもある。万全を期した方が利口であろう。

 ――どうするか。


「エレベーターを使えばいい」

「!」


 ルオの胸中を察したのか、青年が良策を口にした。ルオが目を向けると、彼はまた目線を逸らしている。

 確かに彼の言う通りエレベーターは当然存在していた。だが、それを自分が使用したことはない。スタッフに見られれば何を言われるか分からないからだ。罰則などがあるわけではないが、対応が煩わしい。


「でも俺は」

「いいから。あなたは気にしなくて大丈夫、誰とも乗り合わせることなんてないから」

「…………」


 彼の言葉には、自信ではなく――事実を述べているかのような確信があった。ルオの感覚の問題であるが、ひしひしと伝わってくる。

 腑に落ちない面持ちで彼は足を引いて、青年を一瞥した。彼は表情を変えない。


「あり、がと」


 控えめに礼を述べて、階段の方へ足を向ける。数歩ほど歩き進めたところで、ふと振り返ってみた。するとそこには、もう誰もいなかった。


(一体何なんだ、あの人)


 よくわからない人だった。別段嫌な印象を持ったわけでなく、だからといって良い印象でもなく。

 考えても仕方がない。要はエリが見つかれば良いのだから、と彼は踏ん切りを付けて、階段横に設置されているエレベーターのボタンを押した。

 ――とある機械の、とある操作機材前で青髪の青年、ケイは呟く。失念したな――と。

 音もなく下降してきたエレベーターの扉が開き、ルオは乗り込む。すると何も指示をしていないと言うのに扉は閉まり、動き出した。驚いて電光板に目を遣れば、最上階のランプが点滅している。


(エレベーターって、こういう仕組みだっけ)


 それとも単に、PLANTのものはこのようなものなのか。よく分からない憶測を暇つぶしにたてていると、それは中断させられた。あっという間に最上階だった。青年の言う通り、途中で止められることはなかった。

 階段だとあんなに長いというのに。と、口に出さない皮肉を胸にエレベーターから降りる。屋上に行くには、自らの足であと一つだけ階段を登らなければならない。だがいつもに比べれば、幾倍も楽だ。

 スロープに手を掛けることもなく階段を上って屋上へ。錆びた蝶番の音をギィと鳴らせながら押し開くと、視界には空が広がった。少し紫がかった空だった。

 そして探していた人物の背中を、彼の碧眼が捉えるのにそう時間は掛からない。


「エリ!」


 名を呼んで、その背に駆け寄る。彼は屋上の端に置かれたベンチに座り込んでいた。その背はまだ振り返らない。


「あんた朝からずっとここに居たわけ? ……エリ?」

「え、あ……ルオ、さん?」

「そうだよ、ルオだよ。どうかした?」


 中々反応を示さないエリに対して不思議に思い、ルオは彼の顔を覗き込む。すると、やっと彼は声を出した。人違いではなく、ちゃんとエリで間違いなかった。

 しかしどうも様子がおかしいような気がすると、ルオは訝し気。彼の心境でも察したらしく、エリは慌てて両手をブンブンと横に振った。


「すみません、ちょっとボーッとしてただけなんですよ! ははは、驚きました。ルオさん……はい、ルオさんですよね」

「他に何に見えんの?」

「……空から舞い降りた可愛らしい美少女天使、とか」

「てめ」


 ヒクリ。ルオの表情が引き摺った。すると、また慌ててエリが「冗談ですってば」と笑った。普段のエリだ。普段のエリに、見えるだけ。どこかおかしいという疑心は拭えない。


「何だかんだで、エリはまだPLANT生活が浅いしね……もしかしたら疲れてるんじゃない?」


 普遍的なアンドロイドに、日々の精神的疲れというものが存在するかどうかは危ういが。今はそれしか理由が見当たらない。


「今日はもう、部屋で休んだ方がいいと思う。戻ろ」


 ルオはエリの手を握る。そしてベンチから立ち上がらせると、その手を引いて歩き出した。

 エリは逆らうことも、反論することもなく大人しく彼について行く。コツンコツンコツンと、冷たいコンクリートを歩く二人分の足音が、簡素な屋上に響いた。

 最中、エリが何気なく口火を切る。


「ですがあながち、冗談でもないんです」

「何の話?」


 歩みを中断することなく足を動かし続け、別段興味もなさ気にルオは反応を返した。エリも特に気にした様子はない。


「貴方はまるで、居場所を間違えてしまった天使だと思いました」

「……はぁ?」


 ピタ。ルオは思わずバカげた言葉に足を止めた。振り返ると、眉を寄せてエリを睨む。相変わらずエリは穏やかな顔だった。

 細められた目は優しいはちみつ色をしており、目に映る少年を咎めることはない。


「と、いうよりも……そうですね」


 一旦彼は目を閉じて、物思いにふける。再び目蓋が持ち上げられた時、彼らの視線は真っ直ぐと向き合った。凛とした視線に、ルオは密かに驚いた。


「それこそ、鳥かごに捕えられた――」

「――!」


 バサッ!!

 屋上のアンテナにでも止まっていた野鳥たちが羽ばたく。慌ただしく彼らの上空を通り過ぎて、森の方へと姿を消した。

 ルオの碧眼は真ん丸く見開かれて、優しい笑みを浮かべるエリを凝視している。微かに瞳孔が震えていた。

 読唇術か、それともルオにはしっかりとエリの言葉が聞こえていたのか。あからさまにうかがえる動揺。彼の足元には、フワリフワリと抜け落ちた羽根がいくつか落ちてくる。

 それは、黒い羽根。


「だってそうじゃないですか」


 ニコリとエリが微笑う。何もおかしいことは言っていないと、当然のように微笑う。


「ルオさんはこの場に相応しくない。継ぎ接ぎの狂った被写体の一部とでも言うように違和感。貴方は優しくて、ココロがあって。そして美しく、温かみのあるひとで」


 彼らが繋ぐ手に力が込められた。正確には、エリの手に力がこもった。金髪の少年の、掌からぬくもりを確かめるように。


「天使というよりも、境遇から考え……まるで」


 そうして彼はもう一度、同じ言葉を紡いだ。今度は何物にも邪魔されることなく。エリの瞳はなおも凛としていた。真っ直ぐとルオを見つめていた。


「堕天使のようだと」

「だ、てん」


 ゾワゾワ。エリの言葉を聞いた瞬間、彼の背筋を這うなにか。

 堕天使。何故かその言葉に、ゾワリとした。記憶のない言葉だというのに――悍ましい。何故か体が、ココロが拒絶する言葉だった。これ以上考えてはいけないと、本能が拒絶する。フルフルと顔を左右に振ると、あからさまにルオは顔を逸らした。そして歩みを再開する。

 エリはそれ以上話を掘り下げることも、尾を引くこともなく、また性懲りもなく新たな話題を話題として提供した。


「ルオさん」

「まだ何かあんの」


 コツン、コツン。跫然が響く。冷たく。


「どうして空って青いんでしょう」

「……空気中には幾つもの分子があって、それに太陽光が」

「僕は、こう思うんです」

「?」


 知識を絞りながら答える金髪の少年の言葉を遮って、エリが呟いた。前の彼が振りかえれば、ハーフアップに結われたプラチナブロンドの髪がサラサラと揺れる。大きな目はキョトンと、何度も瞬かれた。

 エメラルドグリーンの目線を受けて、エリは言う。まるで独り言のように。


「空が青く澄んで見えるのは、――何も知らないから」

「え……?」

「何も知らないから。だから、空は青く見えるんです」


 ルオが足を止める。伴って、エリも止まった。

 どういうことだと、ルオは訝しげな視線を彼に向けるが、意味深に……綺麗な笑顔を、彼は浮かべるだけだった。

 その表情からは、何も見えなかった。ただ、綺麗な笑顔にしか見えなかった。

 何も、知らないのだから。

 ――エレベーターに乗って階下へ乗降したが、昇り同様、途中で止められることはなかった。





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