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ガラクタのうた  作者: 花葉
PLANT編
12/19

 <Act.09>パレット上に芽吹く彩



 それから間も無くして、オズの住まう小屋に到着をした。最初こそまったく動けなかったルオであったが、持ち前の治癒力のおかげか一人で何とか歩くことは出来るようになっていた。


「あんなに腫れてたっつーのに、アンタ何者なんすかぁ?」

「大げさだな」


 ベッドに腰を掛けているルオの容体をノイズが診る。未だに腫れてはいるようには見えるが、幾分痛みは引いたようだ。だがそれをノイズは信じられないと言った風に指摘する。ルオは既に慣れた様子であった。


「まだ完治したわけじゃないよ。ノイズが背負ってくれたおかげで動かさずに済んだわけだし、感謝しとく。ありがと」

「貸しひとつで、いでっ!」


 ルオが素直に礼を述べ、ノイズが口を開いた瞬間。彼の脳天に鉄拳が落ちた。オズだ。


「そういう狡賢いことはしちゃダメ」

「痛、空気のくせに生意気ですねぇー。ルオ先輩、やっぱコイツ殺しときましょうって」

「こーら」


 呆れた様子でルオがノイズを止める。彼も本気で怒っているわけではないらしく、すぐに引き下がった。ブー、と唇を尖らせて「拗ねていますよ」アピールをしている。

 そんな中、開口したのはオズであった。


「それより、おまえらびしょ濡れじゃないか。浴室開けたから、シャワーを浴びて来なよ」

「え、いいの?」

「いいもなにも、そんな泥だらけの状態で僕の家に居座る方が問題」

「う」


 思わずルオとノイズが互いの姿を見やる。足元には泥が跳ね、服はぐっしょりと濡れていた。今更だが、ルオの腰掛けているベッドの白いシーツも薄汚れてしまっている。

 「床もね」というオズの言葉に促されて、板張りに目を向けた。見事に汚れている。

 ……言葉に甘えた方が利口のようだ。と、二人は無言で察した。


「どっちが先に行く?」

「ルオ先輩が足痛くてつらいようでしたらぁ、オレが一緒に入ってやってもいいですよぉー?」

「時間の無駄だった。俺が先に一人で行く」

「……先輩ってばノリ悪い」


 キャッと媚びるようにノイズが言ったが、見事にルオは相手にしない。既に扱いは慣れているようだ。

 ブーとノイズは頬を膨らませ唇を尖らせているが、やはり相手にはしていない。

 右足を庇うようにヒョコヒョコと歩き出して、バスルームに入って行った。バタンと扉が閉められ、まるでその音によって我に返ったかのようにオズとノイズはハッとした。

 仲介役がいなくなった、と。

 残ったのはオズとノイズ。二人は本日初対面であり、まともに言葉を交わしているわけではない。当然流れたのは沈黙。


(ど、どうしよう)


 先ほどまでノイズの粗相に対して文句を零していたオズは、流石にルオがいない空間で同じ態度がとれるはずもなく。今更ではあるが、自己主張の激しいタイプのノイズには接しにくいと感じた。

 無言の空間が重たい。何か話題を出すべきであろうが、話しかけたくはない。怖い。彼は口に出さないまま、胸中で葛藤を繰り広げる。

 そんな彼に助け船を出したのは、他でもないノイズだった。


「そういやアンタさぁ」

「へ! な、何!」


 ビクゥ! かなり大げさな動きをして、オズが反応する。思わずノイズも同じようにビクリと体を跳ねさせた。


「何そんな驚いてるんですぅ……? 別に取って食おうだとか考えてないですからぁ」

「ご、ごめん」


 頭を垂らして縮こまる。勝手に体がビクビクと震えてしまい、彼にはどうすることも出来ない。ノイズもオズが震えていることには気が付いたらしく、何かを考えるように小さく唸った。


「ま、怯えるのも無理ないっすよねぇー。オレは慣れてるんで別に気にしませんけどぉー、今はもーちょい我慢しててくださぁい」

「えっ、あっ、べ、別に僕は怯えてるわけじゃっ」

「自傷癖」

「!」


 まるでオズに突き刺すように、ノイズが単語を隔てた。途端にオズの動きが止まる。

 先刻彼の自傷癖に関する話題は上がった。しかし取り付く島もなく流れていった。今更ではあるが、それをノイズが唐突に持ち上げたのだ。

 ルオには散々自傷癖に関しての話をしてはきたが、ノイズという新参者にはどう対応していいのか分からないのだろう。オズは俯いて顔を逸らした。


「そーいうことする輩ってぇ、大概コミュ障ってヤツですよねぇー? 怖いんでしょ、オレが」


 ニタリ。ノイズがオズの顔色を伺いながら、だが決めつけるかのように。煽るように言う。


「ぼ、僕はそんなんじゃ」

「まっ。今のオレは生憎アンタみたいな空気をいびることを目的としてないんでぇ、またこういうイジメは暇なときにしてやりますよ」


 しかし本当に、言葉の通り彼はすぐに話を切り上げた。先に嗾けたのはノイズだというのに。

 オズも思ったのか「一体何なんだよ」と胸中で呟いて、いささか不機嫌そうに口を歪めた。


「それより洗濯機とかありません? 上着だけでも脱ぎたいんすけどぉー」

「あるよ。そっか洗濯……ルオの服もだよね」


 気が付かなかったと、オズが顔を上げる。彼の反応を見てノイズは自分の纏っていた看守服を脱ぎ始めた。


「うっぁー暑苦しかった、暑苦しかった! オレ、こういう服合ってないんだよねー!! あー軽い! 身軽っていい!」


 ポイッと乱雑に洋服を取っ払うと、彼はその場にゴロンと寝転がる。ベショ、と重たい音を小さく叫んで上着は床に落ちた。


「……じゃあ着なけりゃいいのに。服変えないのか」

「仕事柄着なきゃいけないんすよーぅ。元々こういう仕事、オレには合ってないですしぃー? 服も合わないに決まってるっていうかぁー」

「おまえは盗賊でもやってる方が納得できる」

「キャハハッ! 言いますねぇー、空気のくせに」


 よいしょ、とオズが立ち上がって、先ほどルオの入って行ったバスルームに向かう。その背中にノイズがポソリと呟いた。


「――あながち間違ってねぇーけど」


 けれども、その言葉は誰にも届かない。宛先が不明なのだから当然だ。


「ん、何か言った? あと空気って呼ぶのやめてくれないかな、ノイズさん」

「べっつにぃー? つか、ウワ。アンタこそその呼び方やめてくれません鳥肌立つ気色悪ッ」

「……とことん失礼だな、おまえ」


 段々とノイズの性格も把握してきたのだろう。特に食って掛かることもせず、オズはハァと溜息を零して扉をノックした。次いで、反応を伺わないまま開け放つ。


「ルオー。着替え洗っとくから入るよ」

「んー」


 数秒。ガサゴソと彼は脱衣所で何かを漁って、またすぐに出てきた。近くに置かれた洗濯籠へ汚れた衣類を投げ込んで、文句も零さずノイズの上着も同じように籠へ入れる。

 そして落ち着いたように先ほどまで座っていた定位置に戻って来ると、ノイズが待ってましたとばかりに一言。


「ルオ先輩のトップレスを見たら、何か『あ、男なんだな』って不思議な安心を得」

「あ」


 スコーン!!

 間髪を入れず、バスルームの扉が開いて何かが飛び出してきた。洗面器だ。

 それは見事にノイズの額にぶち当たると、役目を果たしたとでも言うように地面へ落っこちた。


「痛……! 何するんすかぁ!!」

「ふん」


 バタン!

 洗面器の当たった額を右手で押さえながら、ノイズが叫ぶ。しかし既に扉は無言の壁となっていた。ルオの謎の行動力である。

 一部始終を唖然と眺めていたオズは、小声でボソボソと会話を続行した。それに気付いて、ノイズも扉に威嚇するのを止める。


「確かにルオは男らしいっていう容姿じゃないよね」

「ルオ先輩って女顔ですもんねぇー、華奢だし」

「実は男装してましたっていうオチとか疑わない?」

「あぁー、分かる分かる。ラブコメ王道」


 ……シーン。二人はほぼ同時にバスルームへの扉を見やる。そうして再び顔を見合わせ合うと、小さく笑った。


「ないな」

「ですねぇ」


 どうやら互いに話題の人物の今までの行動を思い返したのだろう。思い出し笑いでもしているのか、声が震えている。


「さてぇ、待ってる間に何しましょーかぁー。空気、何か面白いのある?」

「空気じゃない、オズ! 何度言わせるんだよ」


 ノイズは楽しそうだ。ケタケタ笑っている。

 そして暇なのはお互い様だったのか、オズは文句を零しつつも何かを探し始めた。ダンボールの中身をガサゴソと漁り始めて、取り出してきたのはスケッチブック。


「おまえ、絵描ける?」


 両腕にA3サイズのスケッチブックと色鉛筆を上手に抱えて、ノイズの元へ。すると彼はあからさまに嫌そうな顔をした。


「絵ぇ? んなつまんないのオレやですよーぅ」


 ゴローン。顔を背けるように、ノイズは床に寝転がった。それを見たオズは、挑発的な笑みを口元に浮かべる。


「おまえ、描けないのか。そっか、じゃあ僕が教えてもいいよ?」

「……誰が描けないって言いました」


 単純。正にその言葉がノイズに当てはまった瞬間だった。

 まんまとオズの術中に乗っかったノイズはムクリと起き上がって、広げられたスケッチブックと睨めっこをする。右手で適当な色鉛筆を握りしめて、苦悶の表情。

 恐らく彼は、絵を描いたことがないのだろう。何をどこからどう描けば良いのか分かっていない。


「……大丈夫?」


 思わず心配になったのか、オズも同じように色鉛筆を手に取ったままノイズに労いの言葉を掛けた。


「ヘーキです、問題ない。ちょぉっと武者震いを起こしてるだけでしてぇー……ぐ」

「絵で武者震いって……」


 一体どれだけ強いられてんだコイツは。とでも言いたげに開かれた口。しかし何も言わないまま、オズは閉口した。


「取りあえず、輪郭から描いていったら?」

「言われなくてもそうしようと思ってたところですしぃ。フン」

「ああ、そう」


 やれやれと、彼はそれ以上何も言わなかった。ノイズは眉間にしわを寄せたまま、何かを必死にスケッチブックへと描いている。まだ何を描いているのかは分からない。


「……」


 オズは特に何を描こうともしていなかったようで、色鉛筆を動かさないまま俯いていた。時計の秒針がカチコチと移動する音と、絵を描く音が響くだけ。耳を澄ませば、水の音も聞こえる。そんな中、ふと思い立ったようにオズが口を開いた。


「ねぇ、ノイズ」

「なんすか」


 うーん、うーんと唸りながらノイズは尚もスケッチブックに色鉛筆を走らせている。まだ何を描いているのか分からない。


「どうしておまえ」


 ガリガリ、ガリガリ。

 水色の隻眼が、一心に白を黒に染め上げている。何を描いているのかはまったく分からない。類似する画像を検索すれば、ブラックホールが出てきそうだ。

 動き続ける彩度の低い色鉛筆が、ピタリと動きを止める。原因は、オズの一言だった。


「そんなに右目を、執拗に庇ってるの?」

「!!」


 目が見開かれる。動揺でもしているのか。彼にとっての、永遠にも似た沈黙が流れた。

 そろそろと視線が上がり、オズを覗き見る。彼は何気ない質問だったようで、抱えたスケチブックに顔を向けていた。


「庇ってるというか、何だろう。凄く意識してるよ、何かあるの?」

「……」


 ゆっくりとノイズが色鉛筆を床に置く。カラン、と乾いた音がした。そうして後ろ手に持ったのは――ソードブレイカー。


「……アンタ、包帯巻いてるくせに何洞察力自慢しちゃってんの? 本当は見えてるとかぁ?」

「見えてないよ」


 サラリ。ノイズに顔を向けないまま、オズは答えた。

 両目の視力はない。だというのに、何故ノイズの右目についてピンポイントで質問をしたのか。見えていないのに。見えていないのに。

 それがノイズにとっては不思議でたまらなかったようだ。


「冗談に付き合ってるんじゃないんですけど、こっちは。見えてるからそういう質問が出来たとしか思えねえし」

「取りあえず、そのあからさまな殺意やめてよ。せめてもっと隠して。出来るだろ、おまえ。……頭痛がするんだ」

「!」


 思わず、パッとノイズが得物から手を離す。左目には困惑の色が伺えた。

 何故バレた。何故知っている。何故。


(コイツただのメンヘラじゃないっつーことですか、冗談)


 キッと鋭い眼差しでオズを射抜くが、彼は特に何の反応も示さない。相変わらずスケッチブックを眺めていた。何も変わらない。

 ただ先刻から動揺させられ続けているのは、ノイズだけだ。


「僕もね、特殊な力があった。だからこうして、目玉を棄てることにした。もしかしたらおまえも、と思って訊いてみただけなんだ。怒らせたならゴメンね、もう訊くのは止しておくから」

「…………」


 沈黙。思わずノイズが、自分の右目に手を当てる。

 これは共通の話題というものなのか。共通の悩みというものなのか。どうなのかは不明だが、初めての状況にどう対応すれば良いのかが分からない。


「ただ、知りたかっただけ。おまえの目は、一体何を映しているんだろうって」

「オレの……」


 しらばっくれさえすれば、まだ間に合ったのだろう。だが、ノイズはそれをしなかった。抱え込んだ自らの〝異常〟を、吐き出そうかと気持ちが揺らいだのだ。

 そうしてとうとう悩んだ末、ノイズが口を開く。


「オレの目、は――」


 それと同時に開かれたのはバスルームの扉だった。彼の声に重なるようにして、蝶番の音が乱入する。

 当然のごとく彼は閉口した。


「お待たせ。次はノイズ――って、あれ」

「……」


 ヒョコリ、ヒョコリと右足を引きずりながらルオが上がってくる。髪などはすでに乾かしたようで、普段通りしっかりと結われていた。そうしてただならぬ空気を感じたのか、思わず口を閉じる。


「え、な、何この空気」

「……流石と言いますかぁ、うん。やっぱアンタって面白い人ですよねぇ」

「はぁ?」


 呆れ半分、関心半分といった心境で、妙に納得したようにノイズが言葉を漏らす。状況を知らないルオは怪訝な表情だ。無理もない。

 彼はノイズとオズの元まで歩み寄ると、床に広げられたスケッチブックを覗き込んだ。途端、眉間による皺。


「なに、これ」

「見て分かりませんー?」

「分からないから訊いてんだけど」


 何故か得意気なノイズ。ドヤ、と胸を張っているが相変わらず分からない。スケッチブックには黒い塊が描かれている。

 それでもルオは何が描かれているのか真剣に悩んだらしく、やっと口に出したのは彼なりの答えだった。


「え、えと。焼死体の山?」

「何でそんな恐ろしい答えが出てきたんだよおまえ」

「惜しい!」

「惜しいの!?」


 オズの首が忙しい。冷静にルオの答えに物申したかと思うと、思わぬ反応を口にしたノイズに素早く振り返る。ツッコミは追いついていた。

 だが、ノイズが表情を変えて話を続ける。


「って、んなわけありますかぁ! 流石のオレでも描きませんよ、クジラですぅ! ク・ジ・ラ!」

「焼けたクジラ?」

「だからなんでアンタすぐに焼くんすかあ!!」

「じゃあ焦げたクジラ」

「さっきと何も変わってなくね!?」


 ドンバンとスケッチブックを叩きながら力説をするも、ルオには伝わらなかった。ゼェハァと肩で息をするノイズを余所に、未だに納得のいかない様子のルオは唸る。


「うーん。だってさぁ……ほら、オズも見てみろよって見えないか」


 オズの方にスケッチブックを向けて、すぐに引く。誰かと共有したいようだ。うずうずとしている。


「見えないけど、取りあえずノイズの画才が壊滅的だってことは伝わったから大丈夫」

「それならいいけど」

「イヤイヤイヤ、よくねえよ! なんすかぁ、オレ納得いかないんすけどぉ」

「分かったから、さっさとシャワー浴びて来いって」

「しかも鬱陶しがられてるっつう!」


 ルオが心底面倒くさそうに、左手でシッシッと虫でも追い払うかのような仕草をする。ノイズはとても納得がいかない様子だった。無理もないだろう。

 ぶつくさと文句を口にしながら渋々立ち上がると、彼もルオと同じようにバスルームの方へ向かって行った。

 バタン、と扉が閉められたところで、ルオは今一度スケッチブックを見る。黒い。


「一生懸命描いてたよ」

「だろうな。一面真っ黒だし、これ」


 クスクスと咽喉で笑うルオは、どこか楽しそうだ。どうやら本当にノイズのことは嫌っていない様子。

 スケッチブックを元の場所に戻すと、「オズ」と名を呼ぶ。声のした方に名の持ち主が顔を向けると、笑みを浮かべたルオがいた。


「あんたら、仲良くなったみたいじゃん。安心した」


 あんたら、とはノイズとオズのことだろう。彼なりに、行き成り二人だけを部屋に残してしまったことを気にしていたらしい。


「うぅん……でもノイズは失礼だ、未だに僕の名前呼ばないし」

「あはは。悪いやつではないんだろうけど」


 どこか困ったような笑みを零して、ルオはベッドの上に腰掛けた。近くに置かれていた救急箱を手繰り寄せ、湿布などを漁りだす。

 すると「あ」と思い出したようにオズが開口した。


「そう言えば、今日エリさんたちはいないんだな。てっきり一緒に来るかと思ってた」

「あー、そうそう。起きたらもう姿が見えなくって」


 片手間に答える。湿布を右の足首にペタリと貼りつけて、次は真新しい包帯を巻き付けていった。包帯だけは大量にある。


「あいつもそろそろPLANTでの生活には慣れてきた頃合いだろうし、別にいつも一緒に行動させるのも悪いしね」

「そっか……」


 会話が途切れた。しかし沈黙を苦痛には感じない。無理に話題も探すことはないと、互いに口を開こうとはしなかった。

 けれども、ルオは暇そうだ。自分の右足に処置を施し終わった今、特にやることもない。オズに至っては、絵を描くことは諦めたようで色鉛筆を片付け始めていた。

 沈黙を苦痛に感じないことと、手持無沙汰を苦痛に感じることとではまた別問題である。


「なぁ、ルオ」

「ん、何?」


 今日のオズはよく喋る。そのようなことを密かに思ったが、あえて口にはしない。するほどでもない。呼びかけに応えるようにルオが顔を向けた。


「ノイズの右目って、どうなってるの?」

「ノイズの右目?」


 彼の質疑に対して真っ先に浮かんだ感想は「またどうしてそんなことを訊くんだ」といったもの。

 そして思い出す。右目とはどっちのことだったか……あぁ前髪で隠れてる方か。などと一人で自問自答を繰り返し、導き出した最終的答えをオズに提供した。


「前髪で隠れてるよ。こう、髪の毛を右側に流してるから普段は左目しか見えない」


 普段は、と口にしたところで気付く。そう言えば、彼の右目を見たことがあっただろうか。


(いや、ないな。そう言えば)


 思わず考え込みそうになったところで、オズが「そっか」と満足したような反応をした。


「じゃあ、僕はこれから彼のことを鬼太郎って呼んでやろっかな」

「何それ、仕返しのつもり?」

「当然。変なあだ名をつけられるこっちの身にもなれっていう」


 スケッチブックなどを抱えて立ち上がる。ダンボールの方へ持って行くと、丁寧にそれらを仕舞い込み始めた。絵描き道具の類は、全て箱の中へと入れているようだ。


「足は大丈夫? 帰れそう?」


 曲げていた背中を伸ばして振り返る。彼の問い掛けに、ルオは右足を軽く床にくっ付けた。トントン、と足の調子を伺う。少しだけ痛んだ。


「うーん。ありがと、多分大丈夫だと思う。汚れた服とかはどうしたらいい?」

「今から急いで洗ってみる。もしも乾かなかったら、ひよりさんに預けることも出来るし」

「分かった」


 頷いて、気付く。ひよりに預けると言うことは、彼はここによく足を運ぶということか。

 そう言えば最初、オズの元へルオたちを招いたのもひよりである。彼とオズは、一体どういった間柄なのか。今更ながらに、ふと疑問に思った。


「ひよりって、頻繁にココに来んの?」


 何気ない質問として、躊躇うこともなくオズに投げる。すると彼は「うーん」と考えるように唸ってから答えた。


「頻繁に、というか。定期的に来るよ。元々、この小屋を提供してくれたのはひよりさんだし」

「え……」


 まさかそこまで介入しているとは思っていなかったのだろう。思わぬ言葉に、ルオが目を丸くした。この小屋をオズに提供したということは、所有権などはひよりが持っていたということだ。


(あの人、一体何者なんだか)


 今更すぎる疑問が浮かぶ。思えば、自分という不良品を生かしてくれたのも一応彼であり。まるで抜け殻のようになっていたルオの元へひよりが訪れなければ、自分は恐らく壊れてしまっていた可能性だってある。

 もしかすると、それなりに地位の高い人間なのかもしれない。今まで気にしたこともなかった。

 ルオが黙り込んでいる間に、汚れた衣服を洗濯機へ放り込んで来たらしいオズが戻って来る。近くの椅子に彼が腰かけたのを見て、ルオは問うてみた。


「オズ。ひよりって一体何者なんだろ」

「え、さぁ……」


 当然といえば当然の反応だった。オズはルオの問いに首を傾げて黙り込む。

 考え込んでいても、本人がいない以上答えは出ないのだろう。諦めて、次の疑問を口にすることにした。


「そう言えば、どうしてあんたはこんな場所に一人で過ごしてんの? どうせなら、俺たちと同じPLANT施設にいればいいのに」


 それは今思いついたものではなく、オズの存在を知らされた当時から抱いていたもの。何だかんだと訊きそびれていたため、今になって口にしたのだ。

 本人に訊けば分かると思ってはいたが、オズからは曖昧な解答しか出てはこない。


「ん……ごめん、僕にも実際の理由は分からない。でも、ルオは知ってる? リラクセーションというか。森林セラピーっていうやつ」

「森林セラピー?」


 ルオは思わずキョトン顔。オズの言葉を反芻して、言葉の意味を汲み取る。初めて聞いたものではあったが、セラピーという意味さえ分かれば予測することは出来る。


「森林浴みたいなもの?」

「そう。ひよりさんにも聞いてるかもしれないけど、僕って……ほら。病んでたから」

「あぁ……」


 我ながら、というものだろうか。オズは首を傾げながら、場都合が悪そうに言った。口元には、無理矢理にも似た笑みが浮かんでいる。

 思わず口を閉ざしたルオに気が付いたのか、オズが早々と話を続けた。


「判断が付きにくかったんだろうな、僕の異常。だから、ひよりさんは回復の目処がある今のうちに僕をココへ閉じ込めた」


 閉じ込めた。その言い方に引っかかったようで、ルオは話の腰を折って「閉じ込めた?」と彼の言葉を繰り返す。するとオズは「覚えてない?」と首を傾けた。


「最初、まだ僕は自傷癖が酷くて。鎖で繋がれて、この場所に留置されてたんだ」


 言われて思い出す。確かに最初、ここへやって来たときに見たのは無残に取り残された枷であった。つまり、それまでオズは繋がれていたということである。

 しかしどうしてか、今は自由に動き回っているようだ。自傷をしていないのだから、もしかしたら当然なのかもしれない。


「最初こそ怖かったさ。自分がこれからどうなるのか、とか。不安で仕方無かったけど、暫く暴れてそれが無意味だって気付いて。暴れることもやめてボーッと過ごすことを覚えた」

「……」


 ふと、既視感のようなものを覚える。彼の口にした心境は、まるで。


(昔の、俺みたいだ)


 焼印を入れられたばかりの頃。ひよりに迎えられる以前の話。喋ることすら億劫になり、いっそのこと呼吸すら止めてしまいたいと思っていた当時。

 元々オズには自分と重ねる部分があったが、まさかここまでとは。と、ルオは目を伏せた。

 オズは気付いていないのか、特に気にした様子もなく続ける。


「そしたら、段々と余裕みたいなものでも生まれたのかな。小窓から見える景色や、聞こえてくる音とかに耳を傾けて。それなりに気分が落ち着いてきた。きっとそれは、ここの自然が豊かだったおかげだと思う」


 だって僕は、こういう場所を求めていたってのもあるから。と、オズは切なげに言葉を零した。


「オズ……」


 自然と彼の名前をルオの唇が紡ぐ。しかし言葉は続かない。何か声を掛けなければと思ったものの、何も出てはこなかった。

 世界がキレイゴトばかりでないことは、事実なのだから。


「でも、もういいんだ。もう、いいんだよ」

「……?」


 彼の台詞に違和感を覚える。一体オズは、何が「もういい」のか。会話から推測することが出来ない。

 ゆるり、ゆるりと首を左右に振る仕草は、諦めたようにしか見えない。それとどこか穏やかな表情にも見えた。まるでやっと、安息を得られるとでも言いたそうな。

 ――何故? 何を?


「おい、オズ。あんた……」

「あ」


 ピー。ピー、ピー。

 部屋の奥の方から電子音が響いてくる。どうやら洋服の洗浄が終了したらしい。

 オズは「ちょっと待って」と言い残し、音の方へと姿を消した。それと立ち替わるように、バスルームの扉が開かれる。


「あぁーさっぱりしたぁー。あれ、空気はどうしたんですぅ?」

「洗濯終ったみたいだから、取りに行った」

「へー」


 自分から訊いておいて、薄い反応。そのようなことは今更気にも留めず、ルオはオズの消えた方向を見つめていた。先ほどの、彼の様子が気にかかるのだろう。

 そんな中で、ノイズがルオの隣にドッカリと腰掛けながら言う。そしてどこからか取り出していた飴玉を口の中でコロコロ。


「あと雲行きが怪しいです。夕方かそこらで振りそうですしぃ、早くずらかることを提案しますねぇ」

「え」


 湿地帯でもないのに。という感想が真っ先に浮かぶが、そもそも雨と言うものは湿地帯でなくとも振る。

 彼にもそれなりに迷惑を掛けてしまったことだし、と。ここは素直に従うことにした。


「じゃ、服を貰ったら帰るか」

「さっすがルオせんぱぁーい! さーんせぇーい!」

「帰る?」


 そこへ洋服を抱えたオズが戻ってくる。すでに乾いている衣服を、ルオとノイズにそれぞれに手渡した。恐らくPLANTの技術でも使用され、既に乾いているのだろう。アイロンも掛けられているように見えた。


「ありがと」

「何も持て成せなくてごめん」


 二人は服を受け取り、速やかに着替え始める。オズは申し訳なさそうに頭を垂らしていた。


「いやいいよ、こんなの連れてきて悪かったと思うし」

「ちょっとぉー。こんなのとは何ですかぁー?」

「おっと」


 隣で話を聞いていたノイズが思わず声を上げる。ルオはすぐに自分の口を左手で覆い隠したが遅い。というよりも、わざとらしかった。


「口が滑ったっていうレベルじゃないでしょ。失礼しちゃいますねぇー、ブー」


 唇を尖らせ頬を膨らませる。対してルオは「ごめんって」と微苦笑を浮かべて受け流した。

 そのようなやり取りをしながら彼らは着替えを終えると、予定通り小屋を後にする。扉をくぐると、薄く濁った空が目に入った。本当に雨が降りそうだ。


「じゃ、また来るよ」

「うん。ノイズもまたね」

「んー。オレがアンタのこと覚えててぇ、尚且つ気が向いたらぁー、来てやってもいいっすよ。じゃ」


 オズの言葉に、ノイズは素っ気なく言葉を返す。言い終るや否や踵を返すと、さっさと小道を歩き出してしまった。

 彼の背中を見送りながら「相変わらず失礼なやつ」と、オズが小言を零す。呆れ顔だった。それを見て、隣にいたルオが「オズ」と彼の名前を呼ぶ。

 ピョコン。オズのアホ毛が揺れた。


「ルオ、どうした?」

「えっと」


 どこか落ち着かない様子。声を掛けたくせに、目線を空中で泳がせる。そして言いにくそうに、どこか恥ずかしそうに。噤んでいた唇を割った。


「一人で悶々と考え込んだりするなよ。俺や、エリにひよりもいるから。だから、何かあったらいつでも話して」

「!」


 吃驚したのか、オズが言葉を飲みこむ。呆然。呆気。続けざまにルオが「ノイズもそれなりに話せる奴かもしれないし」と付け加えた。とても頼りにはなりそうもないものだった。

 それには彼自身も気付いたらしく、また慌てて何か言葉を探すように「あ~」と口を開く。

 しかし声を発したのはルオではなくオズだった。


「な、なぁ。ルオ、ひとつ訊いてもいい?」

「えっ。何?」

「……」


 ルオが小首を傾げる。キョトンとオズを見つめるのは綺麗な碧眼。双眸の視線を受け止める少年は、覚悟を決めて口を開いた。が。


「僕、おまえの友達になっても……いい?」

「え?」


 ポカン。まさにその反応が正しい。

 思っても見なかった発言に、まるで先ほどのオズのような表情を浮かべた。呆然と、目を丸くしてオズを見つめる。

 一瞬バカにしてやろうかとも彼なりに思ったが、オズがあまりにも真剣な面持ちだっために取りやめた。

 真面目というより、真剣そのものだったのだ。今、ここで笑い飛ばしてしまってはいけないと、誰でも気付ける。流石に人付き合いが不慣れなルオでも、それには勘付いた。


「……それはこっちの台詞。いいわけ? 初対面で行き成り刃向けたやつだけど、俺」

「ぜ、全然平気!」


 彼の言葉に、オズはバッと勢いよく顔を上げた。思わずルオが驚いて後退するほどの勢いだった。


「る、ルオは捻くれてるし、面倒くさがり屋だし可愛げないし嗜好おかしいし、変な友達引き連れてくるしたまに口悪いやつだけど、それでも僕は平気!!」

「あは……。あれ、俺が平気じゃなくなってきた」

「え!」


 胸中で「ていうか、何でそんな饒舌なんだ」とルオが呟く。事実なだけに反論はしないが、反応に困ったように彼は薄い笑いを零した。思わぬ反応に、オズは挙動不審である。

 彼は本当に真剣だったのだ。一体何が悪かったのだろうと慌てている。それを見て、ルオは何故か笑いがこみあげてきた。


「冗談。よく分かってんじゃん、それで平気なら俺が忠告することはないよ。オズ」

「え、え、え? そ、それってじゃあ、えっと」

「ちょっとぉー、早くしてくれませんかぁー!」

「あ、今行くー。じゃ、また明日」


 姿が小さいノイズが遠方から叫ぶ。同じように声を張り上げて返事をすると、ルオは駆け出した。その場に一人取り残されたオズは未だに呆然。そんな彼に向かって、ルオが振り向き様に一声上げた。


「絵、頑張れよ!」

「!」


 ――バタン。

 扉が閉まる。同時に、ヘナリとその場にオズはしゃがみ込んでしまった。そしてルオの返答の意味を、彼なりに分かりやすく必死に噛み砕く。

 つまり、それは。と。


「――!」


 彼の口元に、笑みが生まれた。思わず手を動かすと、コツンと右手の指先が何かに触れる。

 そこには、段ボール箱が無造作に置かれていた。絵描き道具であった。

 ルオに向かって、彼の絵を描くと約束をした。しかし結局、道具たちは長い眠りについたまま。何故か、手を伸ばすことが出来ないでいた。


(正直、まだ、怖い)


 一度離れてしまったからだろうか。絵を描くことに対して、億劫になっている自分もいる。

 けれども、またここで逃げてしまっていては今までと同じだ。そんなこと分かっている。やらなくても、分かっている未来だ。

 だが、もしも、また。恐ろしくなって逃げたときは、その時は。などと、胸の中が同じような言葉を何度も呟く。


(ルオたちが、いる、から)


 友達。初めての、友達がいる。だから。

 そろりと、脇に置かれた小さな段ボールに手を伸ばした。中を開ければ、キャンバスや布きれ、筆などがざっくばらんに入れられている。

 ――もしも自分がまた逃げだしたら。その時は、どうか叱って下さい。道を正してやってください。

 一人で歩けるようになった時には、必ず、


(もう一度、〝自分の眼で〟世界と向き合う勇気を)


 小さく、大きな決意を胸に秘めて。オズは、ゆっくりと筆に手を伸ばした。

 人付き合いが不慣れな彼らの、不細工な友情の約束が交わされたその日の晩。PLANTの森には大雨が降った。





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