殺しの味は禁断の果実
――東京
それは、日本列島での中心とされている大都市である。
近年、日本列島では人口の爆発的な増加が見られる。それらは何故もたらされるのか、何故人は増え続けるのか、何故こんなにも爆発的に増えるのか。それらは未だ解明されていたない。しかし、人口の爆発的増加に伴う「弊害」は確実に日本を蝕んでいた。
日本の食糧自給率の問題点などは以前より指摘されているものであったが、この爆発的人口増加により、本格的な食糧不足に陥り始めていた。この為、食料をめぐっての争いや商店等からの窃盗や強奪が急増、食料を求めて各地で暴動や大規模な略奪行為まで行われる事態にまで発展した。以前のような平和大国日本は崩れつつあった。
そこで、政府は革新的な制度を実施することを決定。これは「政府公認殺人許可の権利」を特定の人間に与えるというものである。無論、国会では大反対されていた。
しかし推進派による情報改竄や食料問題解決の為とプロパカンダ放送等により国民より絶大な指示を得ることに成功し、正式に承認されることとなった。そして、その政策は五年前より実行に移され、新たに人口を管理するという名目の「人口管理庁」が作られる事となった。この人口管理庁によって訓練・指導された一部の人間にのみ政府公認殺人許可という権利が与えられるということになる。そして彼らにより「食料問題解決のための公的手段」という名の殺人が行われるようになり人口は少しずつ減少していった。
一度承認されたため、勢いづいた人口管理庁は自らを「調整官」と呼称することとし、政府公認殺人を「調整」と呼称した。
人口管理庁の力は増す一方であった。
無論、これらに異議を唱える者もいた。しかし調整者に対して、たて突くというのは国家反逆と同等の重罪とされこれもまた調整対象と判別され、その者は調整される運命を辿る。
では、何故このような事がまかり通るのであろうか? それは情報の操作によるものである。
政府公認殺人許可によって殺されたこれらで殺された者達は社会的に見て重犯罪を犯した人間という設定にし国民へは重犯罪者を事前に排除することに成功したと伝達することにより、より多くの支持を得る助けとなっていたのである。
そして、また。
この「調整」に苦しむ者がいた――。
――裏路地
「くそっ! くそっ! ちくしょうっ!」
薄暗い裏路地に男が一人。力強く抑えられた左脚からは赤黒い血液が流れ出していた。
もう、いつ倒れてしまっても不思議ではないのが一目で分かるほど血が溢れていた。しかし、彼は倒れることなく少しでも歩みを進めようと前へと進んでいる。その理由は恐らく後方より聞こえる複数の足音だろう。立ち止まれば楽になるかもしれない、しかし待っているのは「確実な終わり」なのだ。
「たかが、リンゴ一個で命まで狙われるのかよっ! どうなってんだよ! 」
男の後方からは、乾いたアスファルトの上を走る革靴の音が不気味なほど良く響く。男は更に焦るように歩く速度を速める。負傷した男にとっては歩くのでさえ精一杯なのであろう。しかし、男は必死に痛みを堪えながら一歩、また一歩と進んでいく。
しかし、男の目の前には受け入れがたい現実が待っていた。
……行き止まり。彼の目の前には三メートルはありそうなフェンスが逃げ場をふさぐように存在していた。
「ちくしょう! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!」
彼を支えていた何かがこの瞬間に崩れ落ちた。地面に倒れこむ男。脚の傷口を押さえる手からは血が流れ出ていた。倒れこんだ場所には血の池がゆっくりと広がっていく。
――そして、後方からは揃った革靴の歩みの音が響く。
黒いスーツに身を包み、レザーグローブをはめた数人がゆっくりと近づいてくる。
やがて倒れこんだ男の周りを囲むように数人が立った。その中の一人がポケットから一枚の紙を取り出し男へ提示した。
「アオイ カズオさんですね? 初めまして。私は調整官の小春と申します」
黒髪の長髪をなびかせながら、その調整官は小春と名乗った。黒いスーツに黒いレザーグローブという格好だが、その格好よりも腰に帯剣されているナイフがより恐怖を煽った。彼女は男を反応を待たずに言葉を続ける。
「今回、貴方が政府管理品の林檎を窃盗したという報告書を頂きました。これに間違いはありませんか?」
小春はニッコリと笑顔を見せながら問う。その魅力的な笑顔は他の場所で見る事ができたのであれば、多くの男が心を奪われる程美しいものなのであろう。しかし、現状では決してそのような気持ちを持つことはできないであろう。地面に倒れこんだ男も心なしか動揺している。
「うるせぇよ、調整官のくそ女が・・・・・・そんなことどうでもいいじゃねぇか」
この空気を打破するためなのか、精一杯の悪態を小春という調整官に向かってつく男だが、声に覇気が無い。脚からの出血が大分酷いのだろうか。顔色も悪く、少し震えているのが見て取れた。
小春は表情一つ変えず、腰に帯剣していたナイフを取り出して男の元へと歩む。
男は死の恐怖に襲われ、抵抗しようとするが小春はあくまでも冷静にナイフを男の傷口にゆっくりと刺し込んだ。脚には先ほどの傷口に加え新たにナイフによって傷口が作られていく、そして鮮血が流れ出して行く。
「うぎゃぁあぁぁ!! ぐぁ……あっぁ……いてぇよぉぉ!」
小春はほんの少し微笑み、ナイフを時計回りに動かしながら傷口を広げ、えぐった。男の悲鳴が路地に響き渡る。しかし、小春は動揺するどころか、ニコリと笑みを見せながらナイフを回して鮮血を絞り出す。まるでその行為に何かしらの昂奮でも覚えているのかと錯覚するほど小春は笑みを浮かべていた。
「小春お姉さま。自己紹介にしては随分と積極的すぎるのでは……?」
男の傷口を広げる小春を静止するが如く、後ろで待機していた調整官の一人が声をかける。一見するとまだ幼い少女のように見える彼女。長く黒い髪を可愛らしい赤のリボンで結んでいる。しかし黒いスーツという姿は変わらない、彼女も調整官であることが一目でわかる。
「はっ、すいません。カズオさん大丈夫ですか?」
突き刺していたナイフを引き抜きつつ小春は問いかける。男は這いずり回りながら新たな傷口から血を垂れ流している。先ほどまでの悪態をつく元気も残っていないようだ。
「小春お姉さまが失礼致しました。私はさやかと言います。貴方は先ほどの報告通り、政府管理品である林檎を盗み、またそれを食した罪が課せられます。加え、貴方は逃亡および調整官侮辱の罪も加えられるため、私たち調整官により調整の対象となることをここにお伝えさせていただきたく思います」
さやかという調整官、見た目は中学生か高校生に見える彼女であるがとても落ち着いた声で冷静に男へと告げる。その様子からは幼さは一切感じられなかった。そのギャップが余計に恐怖を煽った。
「カズオさん、先ほどはすいませんでした。今回カズオさんの調整を担当します小春、今具体的な説明を行ったのが調整官長のさやかさん、そしてあそこにいる十字架のネックレスをしているのが調整官のシスターを勤める大神さんです」
ナイフの血を拭いながら男へと説明を行う小春。呼ばれたさやかは頷き、そして大神と呼ばれた女性は十字架を握りながら男へと呟く。
「調整官の方針とし、調整前に懺悔したい事があれば私が聞かせて頂きます。また調整に際し貴方様の魂の救済のため祈らせて頂くのも私の役目となります」
十字架のネックレスを光らせ、女神のような微笑を見せる彼女、大神。彼女のように調整官にはシスターや神父と呼ばれる立場の者達も多くいた。これは調整官側の配慮として多くの場合、調整を実行する調整官などと共に行動し、調整対象者の話を聞いたり、その魂の救済を祈る。
「ハハハ!! 祈りだって? 笑わせるなよ。俺のために祈ってくれるぐらいなら調整をしないでくれって神様に祈ってくれるかい」
男は覇気の無い声で言う。威勢の良い言葉を吐いてはいるが顔に生気はない。もう助かる見込みがないと悟ったような表情だ。強がってはいるが、心の底では恐怖を感じているのか先ほどより体の震えは大きくなっていた。
「フフフ、残念ながらそれはできません。きちんと調整が終わる事を祈らせて頂きますね」
大神は、はにかんで笑いながらそう告げる。その笑顔には何の迷いやためらいもないようだ。調整官として彼女の心はそれほどまで鍛え上げられているのだろうか。それとも、この調整こそが本当に穢れた魂の救済に繋がると考えているのだろうか――。
「それではカズオさん。調整指令書にあるように調整を執行させていただきます」
「……最後に言い残すことはありますか?」
小春は、先ほどのナイフとは比べ物にならないような日本刀を取り出す。調整官には調整執行のために銃器から鈍器、鋭器の中より好きな物が支給される。多くの調整官は正確性や確実性を考慮し銃器を選択する。しかし小春は鋭器である日本刀を選択していたのである。一般的には人を殺した感覚が伝わりやすいため鈍器や鋭器は使われることが少ないのだが、あえてこれを使うということは少なからず殺人……いや、「調整」について何か思うことがあるのかもしれない。
「ハハハ……、お前らのりんご、まずかったぜ」
男の遺言はその言葉になった。その言葉を言い終わると同時に小春の持っていた日本刀は振り上げられ、そして男へと振り下ろされた。右肩の上部から左脚に抜けるように斜めに日本刀で斬り付ける。そして確実にとどめをさすためにナイフで首を切り裂いた。
「また此処に迷える魂が生まれました。この魂が安らかな死を受け入れられますよう」
大神は十字架を握り締め、そして呟くように祈りの言葉を紡いだ。
「小春さんお疲れ様です。大神さんもお祈りありがとうございました」
「それでは調整完了ということで本部へ戻りましょう。調整命令がまた来ていますよ」
さやかは事切れた男の亡骸を見ながら二人にねぎらいの言葉をかけた。そして懐から携帯電話を取り出し本部へ迎えの車と死体処理班を要請した。
このように、冷静かつ確実に調整を実行する。彼女らは調整官と呼ばれる者達である。
公的に与えられた殺人の権利。以前では死刑にすらなった殺人という行為。
調整と名を変えた殺人は誰にも咎められる事の無い、誰からも禁じられることのない権利。
それはまるで禁断の果実のように。甘く深く、そして中毒性のある味なのかもしれない――。