花開くは誰のため
今日も奥方様に簡素なドレスを着せ、髪を整えると、片付けをしながら困ったように侍女は問いかけた。
「さて、奥様。今日はなにをなさいますか?」
「あの⋯⋯今日も1日刺繍をしてるから、みんなは好きなことしてていいのよ」
毎日同じ返事。
たまにあるのが「刺繍用の糸が欲しい」だ。
またか⋯⋯と、溜め息を吐き出すと申し訳なさそうに俯く彼女は、一応この公爵家の奥方様だ。
豪華な金色の髪と、冬の澄み切ったような空色の瞳、ぽってりした口元の左下には色気のある黒子。
普通よりも魅惑的な大きな胸と、女性ならば誰もが憧れる細い腰、陽に当たっていない白い肌、裕福な貴族の娘らしい手入れの行き届いた指先。
それなのに彼女はいつもおどおどと、自信なさげにしている。
「ご、ごめんなさいねシェリー⋯⋯」
男を誘うような容姿をしているクセにこの言動。
彼女がこの公爵家へ嫁いで来た理由を考えれば仕方ないのかもしれない。
元々彼女はこの国の王太子殿下の婚約者だった。
それをこの容姿のせいで男遊びをしていると蔑まれ、罵られて婚約破棄されたのだ。
ショックを受けた彼女に追い打ちをかけたのが当家の旦那様。
男遊びしてる女ならば、女遊びにうるさくないだろうという目論見で求婚したのだ。
王太子殿下に婚約破棄され、傷もの扱いされた彼女は、旦那様のことを助けてくれた恩人のように思っていたみたいだが、本邸にも寄り付かず、結婚前から付き合いのある下級貴族の娘を別宅に囲い、結婚した日から放置されれば嫌でも気付く。
純真で初心だった乙女は、短い期間で2度も男に裏切られたのだ。
次第に彼女からは笑顔も消え、諦めと空虚さを纏うようになった。
まだ若くこんなに美しいというのに、いつも俯いて存在を消そうとしている。
最初は毒婦が来ると身構えていた屋敷の者達は、旦那様の彼女への扱いを見て、全面的に彼女を護ることにシフトした。
この方をあのクソ旦那様に汚されてなるものか!と、一致団結したのもいい思い出だ。
本邸の使用人達の目標は、奥様を幸せにしてくれる殿方を見つけることだ。
どクズな男はさっさと棄てて、奥様が笑えるようになることが1番なのだ。
このままでは花咲かない内に枯れてしまう。
咲けば何より可憐で美しいのにーー。
今日は屋敷内が少し慌ただしい。
そんな中で奥様は顔を青くして震えていた。
「奥様⋯⋯」
「きゅ⋯⋯急病とか駄目かしら?」
「⋯⋯」
大きな瞳に涙を溜めて乞うけれど、こればっかりは使用人にはどうしようもないのだ。
「あ、挨拶だけしてすぐ帰ってもいいと思わない?」
「⋯⋯多分、そのくらいなら」
「だ、旦那様も来るのかしらね?顔も余り覚えていないのだけれど⋯⋯」
「⋯⋯」
そりゃあ2度くらいしか見てませんから、覚えてるかどうかも怪しいですよね。
というか、普通夫婦でパーティーに呼ばれたら、夫は妻をエスコートするのが当然なんですけど。
王城で開かれるパーティーなのに、1週間前に知らせて来るとか頭悪いのかな?
碌にドレスの用意だって出来やしない。
ーー案外それを狙っているのだろうけど、やり方が姑息すぎて子供かよ!と、思ってしまう。
奥様が持参したドレスをなんとかリメイクし、ようやく着せたのだ。
使用人一同が選んだのは旦那様に掠りもしない配色のドレス。
それに合わせた装飾品は、もちろん奥様の持参品だ。
グローブやストールには、奥様が手ずから施した刺繍が彩りを添えている。
今日も可憐で可愛らしい奥様。
プライドの高い高貴な猫のような容姿なのに、控え目で優しい完璧な淑女。
我々の自慢の素晴らしい奥様。
「奥様。例えパーティーで嫌な目に合っても、帰って来たら私共がおります」
この屋敷内では全員が奥様の味方だ。
「奥様の好きなお茶やお菓子を用意して、みんなで楽しくお話いたしましょう」
冷えた手を取ってそう言うと、奥様は微かに笑って下さった。
「あ、ありがとう⋯⋯あのね、帰ったらいっぱい泣いてしまうかもしれないわ」
「私共がたくさん慰めます」
「もしかしたら、八つ当たりしてしまうかも⋯⋯」
「大丈夫です。ちゃんと受け止めます」
「ーーうん。頑張って来るわ」
泣きそうな顔で微笑む奥様を見送り、みんなで胸を痛めていた頃、静かにその転機はやって来ていた。
奥様の帰りが遅い。
挨拶だけして帰ると言っていたのに、まだ帰って来ていないのだ。
屋敷の中が俄に焦りが出た頃、馬車の音が遠くから聞こえて来た。
使用人一同は顔を見合わせると一斉に玄関ホールへと急いだ。
「奥様!」
けれど公爵家の馬車から降り立ったのは奥様ではなくーー。
「え?」
先に降りたのは見たこともない男性。
その男性が馬車の中に手を差し出すと、現れたのは紛うことなく我らの奥様。
「ーー奥様⋯⋯」
ホッと息を吐くと、奥様は未だかつてないほど柔らかに微笑んだ。
その表情に戸惑っていると、奥様の隣に立つ男性がニコリと笑った。
「実は彼女の離縁が決まった」
「ーーえっ!?」
「彼女は私と共に我が国に来てくれることになったのだ」
我が国?
「あ、あの⋯⋯この方は隣国の王弟殿下でいらしてね、私の境遇も噂も知った上で欲しいと仰っていただけたの」
「私は兄上の臣下になるため、父上から公爵の地位をいただいています。大丈夫、彼女は必ず幸せにすると約束しましょう」
使用人一同で顔を見合わせる。
「彼女の能力を腐らせることなど決してないよ。それに私は筆頭の外交官だ、どこへなりとも彼女を連れて行ける」
ーーそれは。
私は一歩前へ出て頭を下げる。
「王弟殿下、奥様は我々自慢の素晴らしい方です。必ず、必ず幸せにして下さいませ」
自然と溢れる涙に、この気持ちを何と呼べばいいのか。
本当ならば彼女に付いて行きたい。
側で彼女の幸せを見守りたい。
しかし、自分達は公爵家の使用人なのだ。
「お願いいたします」
全員が頭を下げると、王弟殿下は優しく微笑み、奥様は涙を流して微笑んでくれた。
「ありがとうシェリー、ありがとうみんな⋯⋯」
優しく大切な奥様がこれで幸せになれる。
それならば、この屋敷の一同は笑顔で彼女を送り出そう。
それが彼女のためになると願ってーー。
半年後に隣国で行われた結婚式は、それは華やかながらも幸せに溢れたものだった。
遠くから見た奥様は光り輝いていて、まさに幸せを一身に浴びていた。
一瞬だけ目が合うと、それは極上の笑顔を向けてくれて、思わず涙が溢れた。
良かった。
本当に良かった。
この国で彼女は幸せになれる。
いつも俯いていた顔を上げ、笑顔を振りまいて過ごして行ける。
涙で滲む視界の中で、私は彼女に精一杯大きく手を振った。
ーーそれから半年後。
彼女に請われて隣国へ渡ることになるのは、また別のお話。
いかに名前を出さない作品に仕上げるか!が課題でした。
名前考えるの面倒くさい⋯⋯




