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1.現世にさよなら


あぁ…なんて寂しい最期なのだろうか。身体の熱は奪われ、こうして生命は簡単に終わりを迎えるのか。静かに目を閉じ、男の一生は幕を閉じる。


───────



「ふぅ…今日もなんとか営業終わりだな」



のれんを外し、店の明かりを鎮めると顔や手に無数のシワが刻まれた男は一息ついてから店の椅子に腰掛ける。


稲川食堂を経営する稲川辰巳は、今年で65歳の歳を迎えるのだが、自分の味を求めるお客さんのためにも死ぬまで厨房に立ちたいと信念を燃やす。


しかしながら彼には身寄りがない。妻もおらず、弟子も居ない。このままひっそりと食堂は風化していくのだと毎晩思えば、少しばかり感傷にも浸ってしまう。



「さぁて…最後に発注するもの確認したら、俺も帰って休まなきゃな。明日には明日のお客さんが来る、唸るほどの味ではないが、笑顔のためにも老体には鞭を打たねぇと」



店の切り盛りは自分一人で。アルバイトは雇うことなく、場末にて鍋を振るい、その味で常連が自ら手伝うような魅力を体現してきた。


とは言えども…やはり歳には勝てない。今更だが1人くらいは雇っても良かったと後悔している。いつまで持つか分からない身体を立ち上がらせ、いつものように在庫のチェックへと向かった。



「おっと、醤油が切れそうだ。それにこっちも。いやはや…安請け合いしたばっかりに、毎日何かが足りなくなるなんて、資本主義ならヨダレを垂らす環境だけども、今の俺には荷が重すぎるか」



彼の営む稲川食堂は毎日ひっきりなしに客が来る。半年ほど前にテレビの取材が来てからのこと。今の時代はSNSで瞬く間に拡散され、意図していない盛況ぶりに一人で店を回す老体にはいささか無理がある。それも顔出し無し、店名の告知無しで頼んだのにも関わらずだ。テーブル席やカウンターの一部を減らしても、その連続する忙しさにはさすがに堪えるものがあった。



「まぁ、常連のジジババのお陰で卓まで勝手に持って行ってもらえるし、こいつは縁に助けられているってことだな。…よし、食材はあらかた確認したから、調理器具も最後の確認だ。そういえば長い間使っていたまな板もさすがに割れが酷くなったし…今のうちに新しいのを出しに行くか」



そう言って倉庫に行き、新しいまな板を倉庫から取り出そうとする。しかし、まな板ひとつとしても調理用となれば幅も大きく重いもので、頻繁に変えないからこそ奥の方で眠っているのだった。


棚の奥の方に包装されたそれを取り出そうと手前から器材を押し分けて引っ張りだそうとする。やはり重たいだけあり、今の自分では息が上がるほどに手強いながらも引っこ抜こうとした。


────それが彼の最期の光景。


連鎖的に棚が揺さぶられ、辰巳は調理器具や棚の波に押しつぶされてしまった。完全に埋もれる形となり、全身を圧迫され、肺が潰されることによる呼吸の絞りが彼の思考をにぶらせていく。



(こいつはマズった…息も…ロクにできねぇ…いてぇ…冷てぇ…)



単なる下敷きならば次の日に見つけて助けてくれる人も居たのかもしれない。しかし、打ちどころが悪かった。頭から血を流し、急速に冷えていく身体は老体には必然耐えられるものではなかったのだ。


不慮の事故、そう言えば聞こえのいいものかもしれないが、彼には愛したお店でこうなることは全く想像できてなかったがゆえに、無念を抱いて生命が削れていく。


享年64歳。稲川食堂の店主である彼の最期は、調理器具による圧迫とショック性失血死となったのだった。



(あぁ…俺が終わるのか…まだ…立ちたかったな…。もっと、喜ばしてやりたかった…な─────。)



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