こんな世界で
朝、すこしひんやりとした頬に触れる。まだ、夏じゃないと文字通り実感する。窓から漏れる光がどうも憎たらしい。
テレビの声がうるさい。綺麗事、当たり障りのないことを述べて金を貰うような人生でそんな笑い方をするな。
コンクリートを踏みしめて、惰性で歩く道。日差しがまたうざったい。同じ揺れ方の鉄の箱に収納され、大きな木の箱に行く私は何とも滑稽だ。
カフェラテ片手に話す学生を横目に、足早にまた箱を移動する。そんな金銭的余裕はない。初任給の平均的な手取りが20万を切るこの世界で希望を持て、という方が間違っている。
やりたいことも目標もとっくに忘れてしまった。持つことを諦め、抱くことも諦め、覚えることを諦めたのだ。線のない小さな文明から流れる音に対しても惰性でしか向き合えない今日この頃。自分の価値など考えるだけで虚しい。自分の周りの文明の方が自分よりよっぽど価値がある、なんて理解したくない。
このまま、沈んでしまえれば。と、横になりながら考える。布団の温もりも空気清浄機の光も何もかもうざったい。
それらを払って、暗闇に1人取り残された私はよく分からない充足感を得ることが出来た。1人であるということ。視覚、聴覚、嗅覚のどれでも私を感じれない暗闇。私が居るのは私が居ると私が思っているからだ。
なるほど。
私は何かを掴むことが出来たかもしれない。
消えたかった私の時間が少しだけ伸びたのがわかった。