我儘人魚姫の魔法の声《おねだり》
「脚が欲しいの」
幼馴染のアリーは、けろりとした顔でそう言った。
その言葉だけで彼女の用件には予想がついたけれど、面倒ごとに巻き込まれたくはない。キースは素知らぬ顔でまぜっ返した。
「豚足を食べたいのか。陸の生き物は捕まえるのが大変だ」
「違うわ、バカ! 人間の脚! 言うまでもないけど、食べるんじゃないわよ。生やすの、わたしに!」
詳しく聞いて、キースは深々と溜息を吐いた。
やっぱりか。注文の内容はどこまでも予想通りだ。
だけど――。
「綺麗な王子様を見つけたの。会いに行きたいから、わたしのこの尾鰭を、すらっとした綺麗な形の、二本の脚に変えて!」
だけど、彼女が人間に恋をしているなんて初耳だ。
幼い頃からずっと一緒にいるキースだって、彼女の恋の話を聞いたことはなかった。
「ねえ、あなたならできるでしょう? キースは天才だもの」
ああ、なんて酷い女だろう。
他の男に会いに行くための脚を、よりにもよってキースに用意させようだなんて。おまけに『キースならできるでしょう』という無邪気な信頼付きだ。
まるで意識されていない我が身が悔しくて、鈍感な彼女が憎らしくて、キースは奥歯を噛み締めた。――この無邪気で残酷な幼馴染に、キースはずっと恋をしている。
海の王の末娘であるアリーと、王家に仕える魔法使いの家柄のキースは、何も無くたっていずれは出会っただろうけれど、幼馴染と言えるほど親しくなったのは、あの出来事がきっかけだった。
「ぐすんっ、お姉様たちはみんなお綺麗なのに、わたしだけ、つぶつぶがあるの……それが、変だって言われたぁ……!」
親に王宮へ連れられてきた待ち時間に、海藻の庭でぐすんぐすんと泣いている赤毛の少女に話しかけた時、人懐っこい彼女は初対面のキースに、遠慮なく悩みをさらけ出してきた。
言うなれば、当たり屋のようなものである。
「つぶつぶ? なんだ、そばかすか」
「そばかす?」
「アリーは肌が白いから、日に当たったところの色が変わったんだろう」
代々宮廷魔法使いを務めるキースの家は『陰湿』『ジメジメした奴ら』と忌み嫌われている。
友人もいないキースにとっては、穴倉のような実家の図書室の書籍が唯一の友だったのだ。本で知った知識を、アリーにそのまま伝えた。
「大人になれば消えることも多いらしいよ。気にしなくても」
「やだ! 気にするもん! 待てないよ、今、そばかすがあるのが嫌なんだもん!」
「なっ!?」
なんという我儘娘だ。下手に『いつかは消える』という解決策を示されたせいでもどかしく感じたのか、より一層激しく泣き出したアリーに困り果てたキースは、彼女を母の元へ連れていった。海の王の妃たちの相談にも乗る母は、美容にも詳しいからだ。
「すごいわ、キース! あなたって天才ね!」
母が持参した化粧品を使って、そばかすを隠してやると、彼女は目を輝かせて喜んだ。――それが『始まり』だ。
「ねえ、脚が欲しいのよ。できない?」
「……できるよ。僕は天才なんだから」
でも、キースは幼馴染を甘やかしすぎたのかもしれない。
際限なく彼女を増長させたせいで、完全に彼女の恋を叶えるための『パシリその一』にされてしまっている。
いっそわざと失敗して変な薬を渡してやろうか、と思わなくもないけれど――。
(そうしたら、アリーは二度と僕には頼らなくなるだろうな)
そう思うと、頼みを断ることも、彼女の信頼を裏切ることもできない。
痛む心には見ないふりをして、キースは薬の調合を始めた。
「はい。これが『尾鰭を脚に変える薬』だ」
「ありがとう!」
「ただ、重大な副作用が一つある。……アリーにとっては、大したことじゃないだろうけど」
「何かしら?」
完成品が出来上がった納品の日。
目の下に濃い隈を作ったキースは、ヤケクソのように笑って言った。
「その薬は、人魚を人間に変える薬なんだ。だからこそ脚が生えるわけだけど、肺の作りも人間と同じになる。水中で息はできなくなって、もう二度と海へは帰れなくなる」
出来ることなら『きちんと効きはするが時間制限がある薬』にしたかった。それなら、アリーは陸に上がってからも定期的にキースに会いに来ねばならないだろうから。
だが、そんな邪心に神は応えてくれなかったらしい。
「僕の薬は強力だもの、『脚が切り刻まれるように痛む』とか『声が出なくなる』とか『服用して数日経ったら死に至る』なんて不具合は無いよ。ちゃんと効くさ。ずっと、永遠に効く。陸の世界に行くなら、うってつけだよ」
効きすぎるほど効くはずだ。
アリーには全く不都合も不具合も不利益も無くて、キースが失うばかりの完璧な薬。それを差し出して、キースはアリーの白い手が瓶を取るのを待った。
「ふうん。じゃあ、要らなーい」
アリーがつまらなそうに言い放つのを聞くまでは。
「は?」
「別に、脚が生えたらどんな感じかなって思っただけだもん。ずっと足を生やしてたいとは思わないし」
「えっ!? 王子様はどうした!?」
「えっ? わたしが脚まで生やして訪ねて、彼との恋が上手くいったら、彼も尾鰭くらい生やしてくれなきゃ、おかしいわ。そうしたら、一緒に海で暮らせるでしょう?」
「相手に求めるハードルが高すぎる!」
「そう?」
アリーは小首を傾げて不思議そうな顔で言う。
これもキースがアリーを甘やかした代償だろうか、明らかに過剰要求すぎる。
「そんなことないと思うけど。まあ、陸にはキースほどの魔法使いがいなくて、尾鰭を生やせなかった、っていうなら仕方はないけれど。それでも、わたしが人魚であると受け入れることくらいは、わたしを愛していれば、できることでしょう?」
幼馴染はけろりと言った。――『だって、キースに好きな人ができたら、それくらいしてくれるでしょう?』と。
「そばかすが無くて、綺麗な脚のわたしじゃなければ愛せないなら、それって『わたし』を愛してないのよ」
「そうかな……」
「わたしはそう思うわ。王子と話してみて、そういう人だったら、帰ってくるつもりだったの。だから、二度と海に戻れないのは困るわ。やっぱり陸に行くのは止める」
あまりにもあっさり言い放つから、なんだか泣きたいような気持ちになった。
無邪気で我儘でどうしようもない幼馴染。キースが好きになった彼女は、昔から変わらない。
「それにしても、キースにもできないことはあるのね」
「……アリーの目的を最初から知っていれば、他のアプローチも試せたのに」
「はぁ!? わたしの注文の仕方が悪いって言うの!?」
「悪いだろ」
二人の言い争いがひと段落つくと、アリーはなぜかもじもじしながら言った。
「それよりも、ねえ、キース。わたしね、ずっと欲しい薬があるんだけど。……『惚れ薬』って作れる?」