異世界転生・転移ものを書く上で困りがちな設定4選!
こんにちはこんばんは。
最近どうしても高校の屋上に行きたい海月野ななりです。なぜ最近の学校は屋上を開放してないんでしょうか。青春をさせろよ青春を! ……まあ危ないから駄目なんでしょうけど。
そんな話はさておき。
今回は独りごとシリーズ第三弾ということで、近頃思ってたことを書き連ねてみようかと思います。個人的な見解や考察も入っているので、長くはなってしまいますが、あくまで冗談半分で読んでください。
ଳଳଳ
さて、今回語るテーマはというと、大方タイトル通りです。
僕は普段、異世界ものの小説を連載してるんですが、そんな中で「あれ? これってどうすればええんや?」って思うことが多々あったわけです。現実と違う世界を書くのって、簡単なようで難しいと僕は思います。まあ小説書くってそういうことの連続だし、仕方ないとは思ってるんですが。
でもこの際、はっきりさせようじゃないかと。
死ぬほど細かい話ですが、四つほど紹介していきます。
1.言語どうするか問題
まず、異世界ものを書く上で最初にぶち当たるのがこれです。
現実とは違う異世界を描くとなると、使われている言語も日本語そのままってわけにもいかないわけです。よくある中世ヨーロッパ風の世界なら尚更です。世界観が壊れかねないので。
かといって言及しなかったら、主人公は異国語だらけの世界にいきなり放り込まれてしまうことになります。普通に考えたら、現地の言語に対応できないと物語は進まなくなりますからね。その土地の言語を習得するまでの過程なんかを描くのはすこぶる面倒ですし。
転移・転生する主人公を20カ国言語くらい話せる天才にしてみるのもありですが……。
ちなみに僕の書いてる作品だと、「神様から転移前にそういう『翻訳系のスキル』を付与された」というご都合主義極まりない設定にしています。現地の人の言葉は日本語に、主人公の言葉は現地の言語に翻訳され、書いてある文字も自動で日本語に変換される。なんて便利なスキルなんでしょう。発明王もびっくりです。
まあ早い話、言語云々は神様になんとかしてもらうのがいいかと。
神様ならなんでもありですから(投げやり)。
2.メートル法は通用しない?
次に、地味に困る単位の問題。
これはなんかよく論争になってる気がします。
魔物の大きさや武器の長さ、距離等を描写するとき、私たち現代人の作家は何メートルや何センチ、何キロと表記してしまいそうになります。
……が。
異世界にメートル法を持ち込むのって、実際どうなんでしょう?
だいぶグレーゾーンな気がしませんか?
そもそもメートルという言葉自体、古代ギリシア語『メトロン』をもとにした造語です。現在の定義は「1秒の299792458分の1の時間に光が真空中を伝わる長さ」(すべてウィキペディアからの引用)。
これらのデータをもとにしても、現実世界とは違う世界線で、まるっきりメートルと同じ単位が生まれることはまずないでしょう。現実世界を生きた主人公がメートル法を使うならまだしも、現地民のキャラたちがさも当然のように使っていたらそれはおかしな話です。
でも、使うなと言われたら困りますよね。
僕の知る作品では、その世界独自の計量単位を登場させて解決していました(cm=C、m=Mといった具合で)。これくらいの改変なら読者にも伝わりやすいし、世界観を損なうこともない。少々面倒ですが、これが一番理に適った回答なのではないでしょうか。
ちなみに僕の場合、長さだったら『〇〇何個分くらい』、距離だったら『歩いて大体何分くらい』と言い換えた表現を用いることにしています。メートル法を使うのは主人公の独白だけ。
正直、単位はなくても物語は成り立つ気がします。
3.太陽暦の概念はアリ? ナシ?
またしてもこれは、単位系の問題ですね。
あまり深く考えたくない問題ですが……。
太陽暦――つまり一日は24時間、一年は365日という日本でも使われている暦法。これは地球が太陽の周りを回る周期がもとになっています。
結論から言うと……
この暦法を異世界に持ち込むのは、やはりグレーゾーンです。
じゃあ異世界というのが地球とは別の惑星なのか、という問題にははっきりとは答えられませんが(異世界という概念自体が曖昧なため)、太陽暦の数え方は地球を基準にしたある意味限定的なものではあります。ですから、異世界でまるっきり同じ暦法が生まれることは考えにくいのです。
これは逆を言えば、異世界では一日が25時間だったり、一年が380日だったりする可能性があるわけです。8月32日だって、実際にあり得るかもしれない。それはそれで異世界っぽいですが、いかんせんややこしい。
じゃあどうするのかという話ですが、これも濁す他に選択肢はないでしょう。
明確な日付や時刻を描写するのは極力避け、『〇〇から一週間後』とか、『お昼過ぎ頃』といった具合でこれもまた言い換えてみる。他にも、『あの事件から六年後』とかだったらまだ暦法は絡んできません。
面倒な概念系問題からは逃げましょう。
逃げるが勝ちです。
4.日本っぽい文化は許される?
最後に、これは僕が最近ぶち当たった問題です。
異世界において、日本っぽい文化――つまり、漢字の人名や寿司などの日本食は登場させてOKなのかという話ですね。
日本っぽい文化、とあえて婉曲表現にしているのは「日本」という国を出すのは世界観がぶっ壊れるので完全にNGだからなんですが、それでもそういう文化はアクセントとして盛り込みたくなるわけです。いわば、日本人同士でのみ通じる身内ネタみたいな感じですね。
これについてはもう、暗黙の了解になってる気がします。
極東、と一つ単語を出せば「ああ、日本風の国のことなんだな」って勘のいい人ならわかるでしょうし。寿司をいきなり登場させたとしても、「極東から伝わってきた料理」ということで黙認されると思います。
漢字の人名も異世界では浮くことには浮きますが、エルフやドワーフといったファンタジーな種族がいる中で、日本風のルーツを持ったキャラがいることなんて些細な問題ではないでしょうか。異世界特有の『多様性』の前では、そういった問題は埋もれてしまいがちなのです。
日本風の文化は頭に入りやすいし、共感も得やすい。
寿司を出そうが、刀持った和装少女を出そうが、それは自由なのです。
ଳଳଳ
さて、ここまで気になった設定を紹介してきたわけですが。
そもそもの話、ファンタジー要素の強い異世界ものにおいて、こうしたマイナーなツッコミが横行するのは不思議な話ではあります。異世界転生とか転移とか、言ってしまえば非現実的なことを題材としている作品において、ツッコむべきはそこじゃないと思うんですよね。
とある界隈ではこれは「全裸ネクタイのバイアス」または「全裸ネクタイ効果」なんて呼ばれたりしているようですが、気になる方は調べてみてはいかがでしょうか。
と、最後の最後で話の腰を折ってしまった感はありますが。
創作物において、最低限の整合性を保つことは大切です。
こういった細々とした問題とうまく付き合いながら、作品と向き合ってみるのもいかがでしょうか。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
気になる点、ご意見等あれば感想欄にお寄せください。