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星坂蓮夜短編集  作者: 星坂 蓮夜
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君の想像以上に、世界はきっと優しいから

ショートショートや短編などを集めたものです。


『君の想像以上に、世界はきっと優しいから』虐待を受けて育った少年のその後を描いた物語。


『リスタート』自死を選んだ女性の再スタート。


『奈落に咲く花』悪魔ベリアルは“人形遊び”を繰り返す。


『ツギハギノオモイ』クトゥルフ神話TRPGシティ系シナリオ。



「秘密基地に行こうぜ!」



ワイワイと無邪気にはしゃぐクラスメイトたちを、冷めた目で見ていた。



秘密基地とは、“秘密ではない基地”があって初めて成立するものだ。

“秘密ではない基地”、つまり温かい家庭が。



僕にはそれが存在しなかった。

家庭は戦場であり、いつ拳が飛んでくるか、いつ攻撃されるか、いつ命を落とすか、わからない場所だった。



家庭に戻らない……という選択肢もまた、死だった。

門限までに帰宅しなければ、意識を失うまで殴られ蹴られ続けるだろう。



僕には安全な場所がない。

僕には守ってくれる人が存在しない。



ねぇ、お母さん。

何で僕を産んだの?

僕よりその男が大事なら、産まなきゃ良かったじゃん。



僕、疲れたよ。

お母さんにタオルや靴下を口に突っ込まれてその男に蹴られ続けるのも、そうならないように気を使い続けるのも、疲れた。









……あぁ、そうか。

作ればいいんだ、“秘密基地”を。



絶対に安全で、誰にも気を使わなくて良くて、時間や門限を気にしなくていい“秘密基地”を、この手で作ればいい。









僕は一人で図書館へと赴いた。

この時間なら、門限には間に合うだろう。



一人で作る“秘密基地”。

その手段と方法を綿密に練らなければならない。









真っ正面から立ち向かっても、あの男には敵わない。

母親にすら太刀打ちできないかもしれない。

所詮は小学1年生だ。

単純な力量では劣る。



とはいえ、今の僕は毒薬を作成する知識や技術も持たない。

一応薬物に関する本にも目を通してみたが、何がどうしてこうなるのか、さっぱりわからない。

僕は理数系が苦手なのかもしれない。



不意討ちならどうだろうか。



奴等が眠っている時に包丁を持って襲い掛かる。



…………ダメだ。



アイツらは一緒に寝ている。

一方を殺害できても、もう一方が起きてパニックになる。

優先すべきはあの男だが、あの男を殺せば、パニックになった母親は僕を殺すかもしれない。



母親にとって、僕は子供でもなければ、人間ですらない。

自分を評価する通信簿だ。

僕が人を殺せば、自分は犯罪者を産んだダメな母親という評価になる。

そんな評価をあの母親は認められない。

僕を殺して、通信簿自体を抹消する道に走るだろう。









あぁ、そうか。

一応はあったのか。



母親が僕を産んだ理由。

僕の存在価値。



“母親を評価する通信簿”。



母親にとって僕は人間でも生き物でもないけれど、一応存在価値はあった。



でも……何だろう。

何だかとっても、悲しいな。









「ねぇ、君。どうしたの?」

「何で泣いてるの?」

「というか君、痣だらけじゃないか!」

「何があったのか、話せる?」









施設の裏山の秘密基地で、今日も僕はゆっくり読書。



一人で図書館に来て泣いてしまった僕を不審に思った図書館の職員さんたちが話しかけてくれて。

僕の身体が痣だらけなことに気づいて、児童相談所に通告してくれたのだ。



僕は施設で保護されることになった。









図書館の職員さんたちも、児童相談所の人たちも、僕を抱き締めて褒めてくれた。



「よく頑張ったね」

と、褒めてくれた。



僕は涙が止まらなかった。

嬉しくても涙が出るんだね……僕、知らなかったよ。



この裏山の秘密基地は僕ひとりのものだけど。

僕ひとりで作ったものではない。

たくさんの大人たちが、一緒に作ってくれたものだ。



家庭という名の戦場しか知らなかった僕は、世界もまた戦場であると思っていた。



この世界には僕を攻撃する敵しか存在しなくて、僕には敵から逃げ回るか、従属して敵の機嫌を取って生き長らえるか、殺されるかの選択肢しかないと思っていた。



でも、そうじゃなかった。

僕が想像していたより、世界はもっと優しかった。













女性は涙を滲ませ、唇を噛み締めながら俯いていた。

書類に書かれている年齢より、少し上に見える。

若白髪を茶色に染めているのだろう髪が、彼女の抱えている苦痛を何よりも雄弁に物語っていた。



「晴臣くんは当施設で預かりますが、それはあなたから晴臣くんを取り上げるという意味ではありません」



僕の言葉に、女性はゆっくりと顔を上げる。

顔色は悪く、肌も荒れていて、それを必死に安物の化粧品で隠しているように思えた。



「まずはあなた自身のケアを最優先で行ってください。一人では辛いと思います。苦しいと思います。でも、そんな時はこちらに相談してください。適切な支援機関にお繋ぎいたします。男性に依存しようとは考えないでください。大丈夫です。あなたがあなた自身を立て直すことができれば、晴臣くんともまた一緒に暮らせますし、恋愛もできます」



僕の言葉に、女性は驚いたように涙で化粧が崩れた目を見開いた。



「渡邉さん……でしたか?」

「はい、渡邉 文博と申します」

「責めないんですか?だって、私は……」



僕は女性に笑顔を向ける。



「保護者の支援も僕たちの仕事ですから。あなたはまず、ご自身を立て直すことから始めましょう。僕たちも微力ながら協力します。大丈夫です。あなたも晴臣くんも生きています。あなた次第で、まだ充分やり直すことができます」



女性は声を上げて泣き崩れた。

その姿に、かつての母親の姿が重なり、僕はゆっくり瞼を閉ざし、吐息を吐いた。













「文博先生はこの施設出身なんですよね?」



母親の立ち去った面談室で、まだ若い女性職員が僕を振り返った。



「何であんな風に笑えるんですか?晴臣くん、あんなにガリガリに痩せていて、痣だらけだったんですよ」



彼女の憤りも最もだ。

彼女の息子、晴臣くんはろくに食事も食べさせてもらっておらず、明らかに栄養失調状態。

その上、かつての僕のように痣や傷、煙草の火を押しつけられた火傷の跡だらけだった。



けれど…………。



「彼女に怒りを向ける権利があるのは、晴臣くんだけだよ」



当事者ではない僕たちに、彼女に怒りを向ける権利はない。











成人した僕が母親と喫茶店で対面した時、記憶にあるより随分年老いた母親は涙でハンカチを濡らしていた。



彼女の父親は「長男だから」という理由で大学に進学できなかった事を恨んでおり、自分より学歴の低い中卒の女性と結婚して、事あるごとに妻を馬鹿にした。

僕の母方の祖父母だ。



妻は言い返したくても、理屈っぽくて弁が達者な夫には敵わなかった。

離婚したくても、中卒でろくな職歴もない自分が、一人で娘を育てられるとは思えなかった。

まして、“シングルマザー”という言葉が無かった時代だ。

離婚して周囲から白い目で見られるのも怖かった。



その不満や苛立ちは、娘である母親へと向かった。

母親は祖母から八つ当たりじみた暴力を受け続けた。



母親に祖母から愛されているという実感はなく、だからこそ誰かに愛されたいと願った。



異性との出会いと別れを繰り返し、やがて僕が産まれた。

しかし、僕の父親ともすぐに別れて、再婚したのがあの男だった。



当時はあの男に愛されたいと必死で、自分が僕に祖母と同じ仕打ちをしていた事に気づいたのはつい最近だと語った。

僕が児童相談所に保護された時は、“大したことない躾”を大事にして、自分の顔に虐待親という泥を塗った僕を恨んだそうだ。



あまりにも見事な虐待の連鎖。

僕は苦笑すると、席を立つ。



「あなたの事は許せません。だから今後もあなたと共に暮らすことはありません。僕を頼ろうとは思わないでください。……でも、当時のあなたの置かれていた状況を理解することはできました。今日こうして僕と対面して、あなたの思いを僕に打ち明けてくれたことに関しては、深く感謝します」



そう告げると、僕は彼女に背を向けた。

2人分のコーヒー代を支払っている僕の背に、泣き崩れた母親の嗚咽が響いていた。

僕はそんな母親を置き去りに、彼女と決別するように店のドアを閉め、立ち去った。



あの日以来、僕は彼女と会っていない。











「ふみひろせんせー!何かお話聞かせてー!」



僕を見つけた子供たちが駆けてくる。

その向こうに、怯えたように身体を縮こまらせながらこちらを窺う晴臣くんの姿もある。

僕は彼らに微笑んだ。



「わかった。じゃあ今日は、先生が初めて秘密基地を作った時の話をするね」



大丈夫。

君もいつか、安全な秘密基地を見つけることができるから。











今日もまた、何処かで泣き叫ぶ子供がいる。

涙を押し殺して、苦痛に耐える子供がいる。

加害者である親もまた、かつて苦痛に呻いた子供たちだ。

僕はその全てを救うことはできない。



でもせめて、手の届く範囲の子供たちは救えるように尽力しようと誓う。



あの日僕を家庭という名の戦場から救い出してくれた、一緒に安全な秘密基地を作ってくれた、あの大人たちのように。



世界は君たちが想像しているよりも優しいんだよと、伝えるために。





End.



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