魔人レステ ‐4.「壁」
ほんの少しの談笑の後、スロンファン先生は他の生徒の指導のために個室へと向かった。
「スロンファン先生だったらグランドでぶつかり合うのが一番いいのに」なんてロセアは言っているが、それが嫌だから個室にしたんだと思う。
「そろそろお昼だね。中庭でお弁当にしようか?」
「はい」
ロセアとパシェードがそんな話をしていたので、ならばご一緒にと申し出たが…パシェードの瞳に宿る獣に押さえつけられた。
結局パシェードの「またね」なんて涼しげな挨拶に、ピラピラと手を振って返す事しか出来なかった。
ふと気が付いてみればホックとレステの二人。ここに来る前と何も変わっていない。
「お前、どうする? 一応生徒らしいし、午後の授業でも受けるのか?」
レステはホックを見上げて返事の変わりに腹をぐうぅ〜と鳴らした。
「レステお前、魔人のくせに腹を鳴らすんだな……」
魔人は5日に一度しか食事をしないのが常識だが、コイツは毎日きっちり3回食っているらしい。もう、こいつを魔人と思うのは止めようかと思う。
「スロンファンさんがね、僕は人間の生活を忘れちゃイケナイって」パンを頬張りながらレステはそんな事を言った。
「どうして?」
「分からないけれど、スロンファンさんも眠ったり、食べたりしてる」
「でも本当はお腹すいたり、眠くはならないんだろ」
「うん、最初はそうだった。そしたらスロンファンさんは形だけでもって言うから、ずっとシーツの中で目をつぶってた。夢を見る努力をして目をつぶってたら、いつの間にか毎日そうするようになって、眠るようになってた」
レステは口に物を入れたまま器用に話した。
結局昼食後は二人で授業を受けに向かった。その日の授業はリジェールの歴史、5歳児には難しい話ばかりだったようで頭を捻ってばかりいた。それでも隣で終始寝ているホックよりはましだったろう。
授業が終わるとレステは気になったところをホックに聞いてきた。最初は答えていたホックだったが、レステがあまりに常識を知らないので面倒になって図書館に行くことを薦めた。結果的に自分が案内することになって後悔している分けだが……。
ホックがリジェールの歴史を綴った本をレステに渡すと、レステは嬉しそうに「借りて来る」と受付の方に走っていった。
まさか自分が授業終わってからこんな場所に来る羽目になるとは、しかし今後レステに付き合わされるくらいならここの活用法を教えておいた方がいくらかマシってもんだ。
何となしに目に入った魔道器の本を手に取っていた。なぜそんな本を手に取ったかというと、恥ずかしながら「ロセアが魔道器好きだから」というのがたぶん正しい。好きというよりマニアという言葉が似合う。以前彼女の気を引くために話を合わせていたら、魔道器の話で延々2時間語られたのはいい思い出。
「やあ、ホック君。図書館に顔を出すなんて勉強熱心だね、魔道器が好きなのかい?」
にこやかにホックに声をかけたのはハーン=F=ゼルマン。魔法学校の先生だ。いつも青いローブを身に纏っていて、顔を見る前にその色で誰だか分かる。逆に言えば面長ではあるがぱっとしない顔で、ローブ無しでは誰だか分からないかもしれない。
「今駆けて行った子は噂のレステ君かい? この目で見てみると本当に幼いね。当たり前か5歳という話だからね」
こつんと右手に持った杖で音を立てる。良くやる癖で、生徒もみんな気になっているハーン先生のもう一つのトレードマークだ。
「レステ君を図書館に連れてきたのはいいことだ。でも図書館では走ってはいけない事も教えてあげないと、何も知らない子だからね」
そうですねとホックは面倒そうに言って返す。ただホック自身としてもレステの事で知りたい事は幾つかあったので話を広げる事にした。
「レステは、どういう経緯でスロンファン先生の所に来たんでしょうね」
「それはたしかシェルセザ様から頼まれたとか……自慢げに話はしていたけれど本当かどうか」
一国の王が一国民に頼むような事ってあるのか? 相変わらずレステの内情はどれも現実味が無く、一々本当かどうかなんて考えるとこっちが疲れてしまう。
だからハーン先生は信じていない様子だったが、ホックは素直に受け止めた。「レステはとにかく特別で国からも大切にされている。」思考の働かなくなったホックは、その一文にまとめて後は放棄した。
本を両手で大切に抱えて戻ってくるレステ。相変わらずホックに疑いの無い眼差しを向ける。その時どうしてか自分とレステの組み合わせが滑稽に思えて、ホックは一人鼻で笑った。
その日レステを家まで送って行った後、帰宅途中にホックは国境を跨ぐ。そして振り返りリジェールの高く聳える『国境』を見上げた。国を囲む、防壁も兼ねた国境だ。広げられる事も無く、崩される事も無い高い壁だ。きっと「レステも」何も感じていないのだろう、この中に住む人たちはみんなそうだ。クランに住む人間が感じるこの言葉にし辛い感覚を――。
「こんばんは、ホック」
ロセアとパシェードだった。学校からの帰りだろう。
「どうしたの、ホックの家もこの辺り?」
「いや、レステを家まで送ってきた。アイツ気抜いたら知らない人間について行きそうだしさ」
そうなんだ、と笑うロセア。ロセアは女の子にしては元気があって、ハキハキしてて、でも笑い方はとても小さくて可愛い。
「あ、あれ。パシェードのお迎えじゃない?」
ロセアは空を指差してぴょんと跳ねた。朱色の空の高いところに一羽の黒い鳥が舞っている。ゆっくりと滑空しているようだ。
「本当。少し遅くなったから待ちきれなかったのかしら?」
パシェードの口から、彼女とは思えないような優しい声が漏れた。
「でも、パシェード? メガネは?」
「そうね、メガネ」
パシェードはポケットから眼鏡を取り出すとなぜか得意げに掛けた。
「おお〜」そしてなぜか感嘆の声と共に拍手を送るロセア。
「パシェードさん。目良い方ですよね?」
今までに彼女が眼鏡を掛けているのを見た事が無い。基がいいからよく似合っているのは確かだが…。
黒い鳥は騒がしい羽音と共にパシェードの肩に降りた。近くでよくよく見ると意外と大きな鳥でパシェードの顔ほどもありそうだ。羽根だけでなくクチバシや目までも黒く、見た事の無い珍しい鳥だった。
「すごくなついてるでしょ。クロって言うのよ」
「いや、ロセアそれは分かったんだけど、眼鏡はどうして…?」
「これ掛けてないと眼やられるから」ホックの質問にはパシェードが答えた。
「やられるって………?」
尚も意味が分かっていないホックに実演するように、鳥はその黒いクチバシでパシェードの眼鏡をかつんと突いた。いや、本来突こうとしたのは眼鏡ではなく彼女の瞳だ。かつん、かつんと間違いなく狙っている。
「ねっ、すごくなついてるでしょ」
いや、ロセア? これは本当に懐いているのかい?
「にしても奇妙な鳥だな。『黒死鳥』とか呪われた名前ついてそうですね」
「黒死鳥? なかなかいいセンスね。好きよそういうの」何故か気に入った様子で彼女らしい妖しげな笑みを浮かべた。
「いやいやパシェードさん? あなた笑ってますけど、今も眼を狙われてますから」
ホックが不安に感じるほどクロはつつくのを止めない。
「ホック! パシェードちゃんに笑顔作らせるなんてなかなか出来ないよ。凄い!」
なんだかロセアに褒められているようだけれども、そもそもパシェードの笑うツボが気持ち悪い訳なんだが……。
そんなどうでもいい話で時間は過ぎ、気が付いてみれば先まで赤一色だった空も蒼く変化している。
「また明日、学校でね」なんて言い残して国境を跨ぐロセア、彼女も『中の人間』だ。きっとその敷居を気にした事なんて無いんだろう。
隣に居るパシェードの表情は山際から射す夕日の光を背にしていて読み取れなかったけれど、きっと俺と同じ顔をしていたんだと思う。
ここまで読んでくださって有難うございます。驚くほど日常を淡々と書いてますが……(゜_゜
こんな感じがもう少し続きますよ? 大丈夫ですか?
戦闘は3話までお預けになりそうです(。。)嗚呼、それまで見てくれる人が残って居るだろうか……




