魔人レステ ‐2.「ガーランド城内にて」
最初に視界に映ったのは、変わらぬ我が子の姿だった。
どのくらい眠っていたのかな?
そこは二人が眠っているベッド以外は窓すら無い、小さな部屋だった。造りからどうもガーランド城の中のようだ。
……耳に痛くない程度の地鳴りに似た音が聞こえる。
ニューエはまだ痛む体をゆっくりと起した。大量の藁に布を被せただけの簡素なベッドだったが、普段は人の住んでいないはずの魔族の城。魔族は眠らないと聞くから、あの門番が二人の為に態々用意してくれたのかもしれない。そもそもニューエはベッドなんて初めてだったから、感謝の気持ちは一際膨れ上がった。
迷うことなんて無い。私はただ疲れていただけなんだわ。あの魔人の人はこんなにも優しい心を持っているじゃない。
「迷うことなんて無かったのよ」レステを優しく撫でながら、ニューエは繰り返し呟いた。
城の中には絶えず地鳴りの様な音が響いている。聞いたことの無い不信な音だがニューエは不思議と警戒しなかった。眠っている間もその音は聞こえていて、慣れてしまったからなのかもしれない。
ニューエはレステを背負い部屋の外に出た。そこはガーランド城一階に位置する部屋だった分けだが、そんなことよりも――
直後に目に飛び込んできた光景に、息を呑んだ。
それは天から降り注ぐ川。彼女が生まれてから見る初めての滝だった。ガーランド城は外から見る分にはただの絶壁を背にした城だが、この滝を囲むようにして造られた城だったのだ。
光とともに降り注ぐ滝の水は城内をしっとりとした空気で満たし、滝に面した通路には苔が生まれ、柱には蔓が伸びている。
ニューエは誘われるように滝を受ける中庭に足を踏み入れた。緑が茂り、鳥が歌う。城の中とは思えない場所だ。
「素敵だね」
「ほ〜〜〜〜」
レステも滝に夢中だ。
暫く見とれていたニューエだったが、滝の音に雑じって何か聞こえたような気がして振り返った。
「もう大丈夫ですか?」
振り返ると、あの夜の門番がそこに立っていた。
「迷惑かけちゃったみたいだね。いろいろ有難う、本当に…」
ニューエは丁寧に頭を下げた。下げた頭の後から背中のレステの顔が現れて門番と視線を交わす。
「の!」
レステの声に驚いてニューエは慌てて顔を上げた。お互い目を丸くして気恥ずかしそうに笑うしかなかった。
「寝床まで用意して貰っちゃったみたいで…」
彼は首を小さく傾けた。
「…ああ、寝床に関してのお礼の言葉はシェルセザ様にどうぞ」
「シェルセザ様って…ココの女王様?」
「はい、私がただ床に寝かせようとしていた時に…シェルセザ様が用意するように指摘して下さいました。あのお方も人間の感覚を失って永い筈なのに」
「女王様が私なんかの為に…」
ニューエは胸の奥からじんわりと広がる熱を感じた。その熱を感じつつも、門番の言葉に恐れも感じた。
「今、人間の感覚を失うって? あなたも女王様も優しい心を持ってるのに…何か違うの?」
「そう…ですね。魔人は寒さ、暑さ、痛さ等の感触も失ったまま百年以上生きていますから、人形だと言う人も多いですね。私達は失った側だから言い返す言葉もありませんが」
ニューエの胸の奥がまた渦を巻き始めた。
「えっっと? じゃあここに差し込む陽の暖さだとか、この湿った空気も分からないの?」
ニューエは少し必死になって訊いた。
門番は少し困ったように仰いで、諦めたように答えた。
「…分かりませんね。非常に残念ですが」
その時の笑みが、ニューエにはとても哀しそうに見えた。
「……。はぁ〜もう。 せっかく決心が付きかけてたのに、どうして迷わせるかなぁ〜。」
ニューエは相変わらず自分勝手に喚いている。
「で、でも女王様と話せば決心が付くかもしれないわね、ここまで来たんだもの……お礼も言わなきゃいけないし」
ニューエは背中でズリ落ちそうになったレステを背負い直した。
ニューエの態度に戸惑いながらもその門番は丁寧に案内してくれた。上の階に昇る階段の前で門番は振り返り「背負ったままでは辛いでしょう。代わりましょうか?」と声を掛けてくれたが、ニューエは感謝の気持ちを表しながら首を振った。
「この子の温もりを感じる事が出来るのも、コレで最後かもしれないし……」
自分で言いながら、咽の奥が詰る想いだった。口にした後になって恐ろしくなり唇が震える始末だ。
自分は熱を失ったレステを今までと同じ様に抱きしめることが出来るのだろうか?
そんな疑問が浮んで来るので、振り払おうと何度も首を振った。
ろくに前を見ずに歩いていたニューエは足を止めた門番に気が付かずぶつかった。
「シェルセザ様はこの階にいらっしゃいます」
そこはカンテラの明かりだけで、窓も無い細い通路が続いていた。更に言えばずっと緩やかに曲がっている。どうやら中央の空間に沿って回り込むように造られた通路のようだ。薄暗い通路を歩きながら、ニューエは漸く緊張し始めた。
「ち、ちょっと!」
前を歩いていた門番が足を止めて振り返る。
「わ、私…貴方みたいにちゃんとした話方やった事ないし…。出来ないって言うか、どう考えても失礼だよね?」
真剣なニューエとは裏腹に門番は軽く答えた。
「御心配要りません。貴女と同じような方も沢山シェルセザ様にお会いになられますが、あの御方はそんな人達に礼儀を強要したりはしませんから」
「そ、そう?」
それでもニューエはビクビクしながら扉の前までやってきた。
位置関係からしてさっきからずっと回り込んでいた中央の円状の空間の入り口。なぜこんな面倒な造りにしたのかはさておき、ニューエの緊張は昇る所まで昇っている。
「…大丈夫ですか?」
「だっ…大丈夫よ。怖がる必要なんて無いんでしょう?」
門番はクスクスと笑いながら「もちろんです」と返した。
開かれた門の先には、ニューエの想像もしなかった空間が広がっていた。




