魔人レステ -3.「終わる命」
ホールの現状をその目で確認する為、ハーンはホックの視界から消える。
……意外と迂闊だな、ハーン先生。
「まあ、拘束外せないからどうしようも無いんだけどね」
「ん? ホック何か言った?」
「いや、何も」
戦闘が起こっている様子は無い。暫くは不気味な程静かだった。そんな中、どこからか風が吹き込んできた。それは「感じた」というよりも、ハッキリと「見える」可視出来る風だった。流水のように目の前を流れる。
やがて風は集まり、形を成す。ほのかに光放つMPが人を模る。まるでその一つ一つに意思があるように。
目の前にスロンファン先生が浮かび上がる。何を考えているのか? 指一本どころか瞳すら動かない。呼びかけても、聞こえてないみたいだった。意識を何所かに忘れてきたみたいだ、何となくそう思っただけだけれど案外的を得ているかもしれない。
風で運べる程体を細かくして、本人の意思は何所に宿る? 小さなMPの粒? なら他のMPはどうやって?
5度目の呼びかけで、先生は初めて瞬きをした。そのあとまた動かなくなった。いや、実際にはゆっくりと口元が緩んでいた。
「どうしたんですか?」
俺の問いかけに先生は微かな声で「見た?」と質問を返した。
「……はい、突然目の前に」
「できた〜」
「はい?」
今度は突然はしゃぎ出す先生。自分でも出来ると思っていなかったらしく、状況を無視して自画自賛の嵐。
「先生、それは後にして」
「も〜ホック君空気読んでよ〜。今私、大躍進したのよ〜」
「凄いのは分かりましたから」
分かってはいたものの今はそんな下らないやり取りをやっている場合では無かった。
「ずいぶん賑やかですね」
ほれ見ろ、ハーン先生が戻ってきた。
ハーン先生がトンと杖を突くと、魔導石の光が薄暗い部屋を照らした。突然の強い光に目が眩み視界が真っ白に包まれた。
……気がつくとそこは闇の中。場所は変わっていないようだけれど、でも闇に包まれていて視界が全く利かない。
「大丈夫ぅ?」
「スロンファン先生? どこっすか?」
「ちゃんと居るよ〜。レステ君も」
「よかった。いったいどうなって……」
重く鈍い音が耳を襲う、音が反響して地鳴りのようだ。部屋が想像していたより実際は狭いのか?
でも床の造りや、ずっと背もたれにしていた壁がさっきの部屋と変わっていない。あくまで触れた感触でしか確認できないけれど、同じ筈なのに。
「石壁ね、私達を押しつぶす気かしら〜?」
先生の声もこの轟音で殆ど耳に届かないけれど、確かに聞こえた。押しつぶす? レステもいるのに?
「先生、何とかできないの?」
「ん〜風系統しか使えないからねぇ〜。やってみたいけれど、失敗したら自分達に被害が〜」
力足らず弾かれたら自滅ってことか。でも俺やレステが何とかできるはずもない、先生の力を信じるしか……いや、そんなこともないか。
「レステ!」
「ホック? 呼んだ!?」
もうお互い叫ばないと声も届かない。
「レステ壁見えてるか? 壁の弱い個所は無いか?」
……返事が無い。聞き取れなかったのか? もう一度声を張り上げようと息を吸った時になってレステは返事をよこした。
「うん、分かるよ。壁を作ってる魔法は入り混じってる感じで綺麗じゃない。弱い部分も在るよ」
この闇の中に光差す最高の答えだ。よくよく考えてみれば言われた事の確認でもしていたんだろう。焦ってるのかな俺? 駄目だ焦っちゃ。
「ホック君? レステ君? 何を言ってるの〜?」
「先生、レステには壁の脆い箇所が分かるんです」
「ん〜? ど〜ゆ〜こと〜?」
「とりあえず今は信じてください!」
「……分かったわ。じゃあレステ君お願いねぇ、嘘教えちゃ駄目よ〜」
レステの勢いのいい返事と共に密閉された空間の空気に流れが生じる。目では確認できないけれど、スロンファン先生が風を生み出しているんだ。
「先生ここです!」
レステの声が轟音をかき消す。
「うん。そこドコ?」
先生見えてね〜の? レステが分かるから同属のスロンファン先生も分かると勘違いしていた。そもそもそこはスロンファン先生が真っ先に気づくところだろ?
「コレで分かる?」
闇の中に小さな火が灯る。レステの魔法、手の平の上でしか保てない弱々しい火。
「そこね!」
その瞬間、恐らく3人全員が事の結果を理解していた。でも恐らく躊躇したのは俺だけだっただろう。
スロンファン先生がその目印に向かって暴風の槍を放つ。水平に走る細く圧縮された竜巻は目印の火を台座の腕ごと貫き、石壁を砕いた。
そして槍の一撃は偶然にもハーン先生をも捕らえた。
壁が崩れ落ち、蘇る視界が最初に捉えたのは、標的に直撃してもまだ収まらない暴風がハーン先生の左半身を細切れにする光景だった。
魔族の場合とは明らかに違う。花火のように血を噴きながら叩きつけられる左腕。風に舞い部屋中に張り付く血糊。
ハーン先生は最後に弾き飛ばされ床に落ちた。
咄嗟に目を閉じてもその事実は臭覚に粘り着き、嘔吐感が胃の奥から込み上がる。対して魔人の二人は平気そうだった。もちろん無関心なんてことは無かったけれど、生物が感じ取る死の感覚には遠いものだ。
「ホックどうしたの? 大丈夫?」
両手を失ったレステが俺を心配している。きっとレステには一生分からない感覚なんだろう。魔人にとって死は遥か遠い存在なんだ。じゃなきゃ俺みたいに胃液を撒き散らして拒絶する筈だ。両腕をあんな簡単に犠牲に出来ない筈なんだ。
「大丈夫だよ」
俺は早くその場を離れたかった。正直に見たく無かった。空気も吸いたくなかった。立ち上がって足早に外へ出たかった。
外の冷えた空気を取り込んで、自分を落ち着かせる。レステが心配そうに後から出てきた。そうだ、何はともあれ俺はレステを助けたんだ。
レステは変わらない瞳を俺に向ける。
あの惨状を目の当たりにして尚、レステの目は綺麗だった。レステは死の危機もハーン先生の死も理解できていないのかもしれない。
「パシェードは?」
未だ血の臭いが覆う俺の頭の中。霞がかっていた名前をレステが思い出させてくれた。彼女もあんな死に方をしないといけないのか? まさか反対にシェルセザ様を亡き者になんてないよな?
「いこうよ。ホック」
レステに引っ張られ俺は走った。辛うじて脚は動いていたけれど、間違いなく自分の意思じゃなかった。まるで別の生き物みたいだ。
何故そんなどうでもいいことに気が向いていたのかと訊かれても。答えられない。転ばないように動く下半身が単に不思議で堪らなかったんだ。
敢えて答えを出すなら、やっぱり俺は、怖かったんだ。今度は自分が死ぬかもしれないと。本気で理解し始めたんだ。
だからレステに、こんな子供に行き先を委ねて、意味の無い事を必死に気にしているんだ。
ホックとレステは玉座の間の扉に辿り着く。
城内は特にいつもと変わらず、静かだった。そして扉を開けたのは、レステだった。
聖火カディアが浮かび上げる三人の姿。
一人はスロンファン先生、ホック達よりも早く辿り着いたんだろう。
他二人のシルエットは重なっている。背後から抱きつくような形でパシェードの肩に喰らい付いたシェルセザ様の姿だった。ホック達の姿を確認しながら肉を食い千切るシェルセザ様は獣を連想させた。時に美の象徴とまで言われる女王の口が血で染まる。
パシェードは何とか体制を保ちながら、ふらふらとホックに向かって歩いてくる。右腕から広がる黒い痣は更に侵食の手を伸ばし顔の半分をも呑み込んでいる。加えてコントラストのように白い半身の肩口からは鮮血が弱々しく流れ落ちている。
もう助かる助からないといった話じゃない、人の形をした別の何かを見ているみたいだ。それなのに、まだ諦めていないように歩みは止まらない。
パシェードの瞳はたぶん光を捉えていない。それでも確かな意思が映し出されている。死を受け入れたとしても先に何かを見ているんだ。
俺はその目を見続けた。数秒後には唯の眼球になるその瞳に宿る命を見届けるため。少しでも受け取るため。
――手の平に収まる程度のソレは俺が持つには重い物だったけれど。資格はある気がした。物だけじゃない。情報だけでもない。彼女の最後の瞳を見たのは俺なんだから。
結局は下らない思い込みなのかも知れない。
間違っていたなら、いつか誰かが正解をくれるかもしれない。




