魔人レステ 6話-1.「魔族の戦い」
次の日はどうしてか、朝からサナミリアさんが来ています。なんでも私の護衛らしいのですが、私を狙ったりする人とは思えなくて……。訊いてみました、理由を――。
するとサナミリアさんは、シェルセザ様の話をしてくれました。あまり知られていない少し変わった話でした。
――世の中には魔導器というものが有るそうで、シェルセザ様は昔、魔導器の不思議な力で眠りに付き、未来の世界を夢の中で見たことがあるそうです。目を覚ましたシェルセザ様はその後、夢で見た世界を現実にすることに使命感を感じているらしく、時折些細なことに執着しては周りを困らせているみたいでした。
聖火カディアを灯したのも夢の光景が由来しているんだとか。
サナミリアさんは笑っていました。「これじゃあシェルセザが本当に運命を見てきたのか、それとも魔導器に操られているだけなのか分からねぇ」って。
実はサナミリアさんはシェルセザ様の見た予知夢の中で現れた人物らしく、本人が何を望んでいる訳でもないのに、シェルセザ様はサナミリアさんを大切にされているそうです。
「要はニューエも断片的ではあるが夢に現れた、ただそれだけの理由だ」
私は「はあ」と全く理解できていない返事を返せただけでした。
「シェルセザは俺やお前が未来に意味を残す存在だと信じている。迷惑な話だ。勝手に期待して、結果もし何事も無く普通に死んでも『運命』で片付けるんだろうよ。ま、つまりは王様にとって俺とお前、ついでにその息子レステの命は重大なんだ」
――だから、それを狙う人もいる。
昨日のホック君の言っていた話を思い出していた。
レステの身にも危険が迫っているんだろう。その日はそのことを考えるだけの一日だった気もする。
太陽が何事もなく過ぎ、雲一つ無い空に満月が顔を出した頃。青い髪のお客さんは何かを感じ取った様子で獣染みた瞳をギラつかせた。
屋根に何かが降りたようだった。トントンと音を立て、屋根を移動している。あまり実感が湧かず、レステの事ばかり心配していた私も漸く身の危険を感じ始めた。
「どうやら、来たみたいだな」
サナミリアの声に応えるように調理場の墨が唐突に炎を昇げた。それは黒い炎。明らかに自然のそれではなかった。
炎はある程度勢いを保つと今度は鳥の形になってトントンと跳ね歩く。羽、クチバシ、瞳、その全てが黒い。
「久しいねぇ黒煙、無作法にも無言で人の家に入る癖が付いてるらしいな」
サナミリアさんにくるりとクチバシを向ける鳥。続けて私の方へと向き直すと独り言のように吐いた。
「全く面倒にも程がある……。あのガキが『死界の種』を持ち出さなければあの夜に全て終わっていたというのに」
「……ああ、あれは笑えた。あのガキ木の実だと思って食ったらしいな。お陰で持ち出されること無く今やシェルセザの硬い守りの中だ」
サナミリアさんは愉快そうに笑っている。
「だから面倒にもその女を捕まえんといかん。最近昼間はセロが空を見張っとって気持ちよく飛ぶこともできんかったし……。くそつまらんわ」
「そういえばセロ来ねえな……あいつ援護とか言って安全な位置から動かないつもりだな。まあ、いい。それより、レステの居場所を知りたいんだが。死ぬ前に言っておいてくれないか?」
黒い鳥はもう何も言わず、トントンとこちらへ近付いて来る。怖くなって退いた私と黒鳥との間にサナミリアさんが割り込んだ。
「面倒はお互い様だなぁ!」
目の前の背中が人の形を変えていく。怪物の姿となった魔人の青年は倍に近い巨体となって私の視界を埋め尽くした。異形だけれど安心できる光景だった。
サナミリアは鋭い爪を武器に黒煙を薙ぎ払った。それは巨体からは想像出来ない速度で、ニューエには攻撃の初動作と終了後しか認識できなかった。
黒煙の体は墨を砕いた様に散り、その一つ一つが黒い炎となって部屋に燃え移る。
私はその瞬間に「終わった」のかと思ったけれどそうじゃなかった。まだ宙に舞っていた黒鳥の破片の一つが激しく火の勢いを増し、また鳥を模って狭い小屋を飛び回る。
あまりにも不思議なその光景に気を取られている間に部屋の火の手は進行し、気が付いてみれば身動きが取れなくなっていた。
「ニューエさん、貴女は此方へ」
背後にはいつの間にかセロさんがいて、私を怖がらせないようにそっと肩を抱いてくれた。セロさんは私を抱きかかえると炎に包まれた小屋を飛び出し、夜の街を駆け抜けた。
事の進行の早さについていけない私は、逃げてきた場所から昇る黒い火柱を夢の中の出来事のように呆然と見ていた。
火柱から一羽の鳥が飛び出す。夜の闇よりも黒いその鳥の姿は確実にこっちに向かって来ていた。
「大丈夫です。私は雷の精霊の加護を得ていますから、速さで負けたことはありません。黒煙から一旦逃げた後貴女はクランに隠れていて下さい」
「だめよ。それじゃあクランの町に迷惑が掛かるから……。私をクランの外へ連れて行って下さい」
セロさんは一度後方の黒鳥の姿を確認すると速度を上げた。
「残念ですがニューエさんを守りながら黒煙と戦う自信が有りません」
「そんな事言って、もしクランの何所かにレステが捕まってたらどうしてくれるの? シェルセザ様に言いつけますよ」
セロは苦笑いを浮かべる。
「……そうですね。お二人の命は最優先との事でした」
「さすがセロさんね、ありがとう」
といった感じで私はセロさんに抱きかかえられたままクランの外までやってきた。ここは完全に荒野で誰にも迷惑はかからないはず……。
夜空を仰ぐと黒鳥が高い空をゆっくりと回っている。闇に紛れて見え辛いけれど、時折月と重なってそのシルエットがハッキリ浮かび上がる。
セロさんが弓を取り出した。取り出したというか……浮かび上がるようにして現れた。続いて光を放つ矢。魔族の人は本当にすごい。
セロさんは上空に矢の切っ先を向ける。構えてから放つまで無駄な動きが無く、とても静かで、綺麗だった。
一の矢は外れた。距離があり過ぎて、上空の鳥に届く頃には見当違いの場所を抜けて行く。
セロさんが再び弓を引いて構えると、またそこに矢が浮かび上がった。
今度は放たない。狙いを付けたまま黒鳥の動きを見ている。
相手は相変わらず空を悠々と旋回していて、時折体から小さな火の粉が舞い落ちているように見える。火を落としてくるのかと思ったけれど、どうも相手にとっても地上は攻撃範囲では無いらしい。
目の疲れる睨み合いが暫く続いて、ようやく黒鳥が動いた。
黒い影は旋回の軌道を保ったまま滑空を始める。途中から急に速度が上がり、私には闇に溶けたようにしか見えなかった。完全に見失ってもう何所にいるのか全然分からない。ただ隣のセロさんには見えているみたいで切っ先を常に動かし、標準を外さない。
私はセロさんとその狙う先を交互に見ながら大体の位置を確認するしかなかった。その為に注意力が欠けていた。
セロさんと黒鳥、2点の直線上に自分が重なろうとしていたのに気が付かなかった。――ゆっくりと回る標準が私に向けられそうになって初めて気がづいた。
「屈んで!」
私の対応が遅れ、セロさんは攻撃できなかったんだ。一瞬かもしれないけれど、セロさんの視界の邪魔になったんだと思う。
屈んだ私の隣に黒い炎に包まれた弓が転がり、月明かりが闇に溶かされる。
セロさんの左腕が燃えていた……攻撃を受けたんだ。セロさんが迷い無く左腕を切り落とすと、地面に落ちた腕は燃え尽きて後には黒い砂だけが残った。
嘲笑うように目と鼻の先を掠めていく黒鳥。
「サナミリアの一撃で少しは消耗している筈なのに……」
初めて見るセロさんの悔しそうな表情。「ごめんなさい」と、情けない声を出す事しか出来なかった。
黒鳥は少し先で翻ると今度は正面から向かってくる。どうしよう? どうするの? セロさんを見ると意外にも彼は正面の敵とは別の方を見ていて、構える様子もない。
『その存在』に黒鳥も気づいたが、既に遅かった。
次の瞬間、鳥は横から飛び出したサナミリアの口に収まっていた。
そんなことして口の中は大丈夫なの? と私が思うや否や今度は吐き出した。あ、やっぱり駄目だったんだ。
地面に転がり羽根を散らして悶える黒煙。
「ああ、ああ! わしの羽に粗悪な粉が混じっておるわ! くそ痒い!」
「なんだ? 失礼だな、俺のMPはそこらの魔族が練ったものより遥かに質がいい筈だ」
サナミリアは悶える黒煙に歩み寄り、無造作に蹴り転がした。
「蹴るなくそ阿呆が。心の火に当てられた似非魔族の分際で……ああ、痒い」
「そっちこそ食おうと思ったら口の中で火に変わりやがって、噛み千切る事も出来なかった」
「当然、貴様なんぞに食われてたまるか」
さっきの緊迫した空気が少し弛緩している……あの二人は実は仲が良いんじゃないかと思ってしまうくらい。セロさんはといえばいつの間にか腕を再生していてわきわきと指の運動確認をしていた。
「ああ、調子が出んのう。もういいわ、失敗じゃ失敗。アレはいつか手に入ればいい」
漸く落ち着いた黒煙は、羽ばたき始めた。
「人間共は見捨てる気か?」
「元より知らん。ものが手に入れば奪い取るつもりだったしな。仮に全滅したとて、当初の作戦が失敗した時に一度帰ればいいものを、アレ無くして帰れんなどとごねた結果だ。シェルセザの手元に在るものがそう簡単に取れる訳がなかろうに」
「教えてやれよ。お前が」
「出来ることならお前にも聞かせたいもんだ人間共の愚かさを……。もう面倒も見きれん」
黒鳥は羽音を残して闇に消えていきました。
「なんだ黒煙のやつ本当に帰ったぞ? 調子悪いってのは本当か?」
サナミリアさんは拍子抜けした様子で黒鳥を見送った。
「一人ではやられていた自信すらあるのですが。それでも本調子でないとすると流石に凹みますね……。言葉通りに『命を賭ける場面じゃなかった』と捕らえておきましょう」
セロさんの肩の力が抜けているのが見て取れる。
「ああ、そういえばセロ。町に上がった火の手なんだが面倒だったんでそのままだ。どうする?」
「どうする? 消火しないといけないでしょう」
「いっそ、そのままにしておいた方がいい具合に数も減るんじゃないか?」
私はサナミリアさんの言い草が少し腹立たしく感じて、気が付けば口を挟んでいた。
「困った時は助け合うもんですよ!」
彼はギラギラとした目と細くしかめて、私を睨んだ。途端に全身から嫌な汗が噴出す。
「そうは言うが、俺が人間に助けられる時があるとは思えんな」
「そういうことを言っているんじゃありません」
巨獣の鼻先が私の頬に触れそうな位置まで近づく。口を広げれば頭なんて簡単に飲まれるだろう。
「なら、その時が来たらお前に手を貸してもらおうか」
「……の、望むところですよ」
サナミリアさんはにやりと笑うと町の中へ消えていった。
「さあ、戻りましょうか。といっても家が燃えてしまいましたね。まあ今日は私と一緒に居てもらいましょうか。まだ安全かどうかも分かりませんしね」
セロさんの言葉を聞いて肩の力が抜けるのを感じた。今まで無意識に力が入っていたらしい。




