魔人レステ -5.「永い夜」
創緑の月のには「王様」なんて愛称があったりする。それが昇る前後数日に渡り「近衛兵」のようにして満月が続くのがその由来だ。今回は大そう立派な王様だったらしく、今日は雲で覆われてはいるものの、天には満月が昇り続けている。あの日雨が振らなければその立派な姿を見られただろうに。
そして満月の嫌いな魔導士はいない。満月の光の下では身体も魔法も快調、何をするにも満月の下でやるのが一番と生まれる前から知っている。決闘も、愛を伝えるのも、罪を犯す時ですら満月の下が多い。
そんな空の下俺は何をする?
スロンファン先生は傷を癒している、そう時間は掛からないらしい。パシェードは消えた。ハーン先生もまた犯人のグループでレステを人質に捕った、レステ自身の価値というよりもシェルセザ様に効果があるという理由で……。
さて、俺はどうしようか?
分からない、分からない。もしかしたら無いのかも知れない。出来る事も、やりたい事も……。
ふと、街道の脇に白い影が入っていくのを見た気がした。幻か亡霊か、瞳の奥に残る白い少女の姿にも似ていた。
罠だろうか? そんな警戒心が頭の片隅に沸いていたものの、体は人形のようにただ、引っ張られていく。通りは暗く、白い影は今にも消えそうだ。既に自分の中に思考は無く、何所をどう通ったのかも分からない。
白い影の手を掴んだところで我に返る。
パシェードの黒い右腕は人肌とは思えない程荒れていて、掴んだ瞬間灰が落ちるように何かが少し剥がれた。
息が、上がっている。俺は走っていたのか? それすらも良く覚えていない。今目の前にパシェードが居る、確かなのはそれだけだった。
「痛いから離して」
慌てて手を離した。パシェードは瞬きを一つ、「付いてきて」と一言口にしてまた歩き出した。
「どこに行くんだ?」
パシェードは直ぐには応えてくれなくて、無視されたかなと感じる頃になってようやく返事が返ってきた。
「ある人に出会ったの、なんて言うか……いい人。だからハーンがレステを人質にしたことを知った時は辛かった。でも私はずるいから……だから、ホックにその人と会って欲しい」
「……何言ってんだよパシェード?」
「私はもう、進むしかないから。お願いする権利なんて無いから」
パシェードは立ち止まった。
特に他と変わりない街道、他より質素な小屋の前だった。
「ここか?」と聞くとパシェードは頷いた。
「レステは私の家とは反対の街外れ、酒樽の看板を立てた店の中にいるから――」
「待てよ、ここまで連れて来て……俺にこれからどうしろって言うんだ?」
「それは中の人に訊いて、きっとホックに答えをくれる」
パシェードは白霧となって消えるように居なくなった。
ホックがため息を付いて、小屋を見ると窓から髪ボサボサで起きているのか寝ているのか分からない目をしたニューエさんが顔を出していた。
「話し声が聞こえたと思ったらどうしたの? こんな夜中に」
ニューエさんはそう言いながら目はほとんど閉じている、口にはヨダレの痕。
「もう少し待ってね〜。お茶を入れるから」
ニューエさんはまだ少し眠そうな声で言いながら、赤い実を一つ湯に落とす。どこかで似た感じの実を見たことがある気がした。ああ、魔導器の倉庫か……。
「……それで、こんなところでどうしたの?」
「知り合いと夜の散歩してたんだけど、急に帰られたんですよ」
なかなか苦しい嘘だ。
「女の子を怒らせちゃったのね?」
ニューエさんはくすりと笑った。
「別にそういうのじゃないです……。話しは変わりますけど、ニューエさんは自分の力ではどうにもならない事にぶつかったらどうします?」
「そうね、誰かに助けてもらうかな。だってそうでしょう? 自分だけじゃどうにもならないって分かってるんだから」
「でも、俺が居たって邪魔になる。意味が――」
「あ、待って。私の目を見て」
「え?」
顔を上げるとニューエさんの視線は真直ぐに俺の瞳を捕らえた。レステと同じ、やはり親子なんだと思う。……でも俺はその視線があまり好きじゃなかった。
「いいよ。続けて」
「続けて」って言われても……。
「私はね『泣き言』って誰かの目を真剣に見つめると言えなくなると思うの。相手の瞳に映る自分を見たくないからじゃないかなって思ってる。反対にね、目を見ることで自分のやるべき事が素直に見えてくる事だってあるの」
ニューエさんの言っていることはなんとなく分かる。相手の表情から感じ取れる自分の情けない姿は見たくない。それは彼女だって同じなのかもしれない。ただ、その瞳はくっきりと大きくて、視線は陽だまりのような温かさを帯びている。間違いなく俺はあんな目はできない。
確かに今、口を開けば自分がどうするべきか分かる気がする。いや、そんなこと最初から分かってた。瞳に向かって口にする決意が無かっただけだ。
奴らが狙ってる魔導器の正体なんて結局はどうでもいいことだ。ハーン先生も正直あんまり興味無いな。もうこれ以上何も悪い方向に転がって欲しくない。
「俺はレステを……パシェードだって助けたい」
もう『――でも』なんて続けない。
ニューエさんは俺の発言がよほど意外だったのか瞬きを繰り返している。
「レステを……助ける?」
あ、やばかった?
「じ、じゃあ俺そろそろ帰らないと」
そそくさと席を立とうとした俺の手にニューエさんの手が添えられた。静かなプレッシャーを感じる。
「レステ? どうしたの?」
「いや、何でもないですよ。ぜんぜん、ホント、マジで」
大して誤魔化せもしないまま逃げ出した。




