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魔人レステ 1話‐1.「月の夜」

 カディア紀で数えて198年。


 夜の荒野を、まだ若い母親が子供を背負い進んでいる。


 その日は創緑の月が昇り、大地を昼間とそう変わらない明るい光で照らし出していた。お蔭でこの荒れた平野を一度もつまずくことなく進めるので在り難い事この上ない。前日の夜、既に火種を失っていた彼女にとってはなお嬉しい。小高い丘の上まで登ったところで、ようやく魔人の統べる国リジェールがその姿を現した。


 絶壁を背にした王都は満月の光で銀色に輝いて見える。


 他の国では目にすることも珍しい魔人の国。強大な力を有するリジェールだが領土は数百年の昔より王都を囲う塀の内部のみで、決して領土を広げようと他を侵略する事も無い。まるで鎮座するようにただそこに在る不思議な国だった。


 とは言っても月明かりが照らし出すのはその王都だけでは無い。リジェール周辺にも街は広がっている。リジェールが『国土を広げない』という方針を取っている事が原因で、溢れた人が国外にまで町を広げているのだ。国を持たない街、クランと呼ばれている場所だ。


 ニューエはその背中に5歳になる息子レステを背負い、凍えるような荒野を再び歩き始めた。

 防寒にもならない布地の服はボロボロで、身体の方は更に酷い。引きずる様な足取りでリジェールを目指した。


「もうすぐだね」


 ニューエの言葉にレステは首を少し傾けただけだった。


「た…た……」


 レステはリジェールよりも満月に夢中だった。言葉を使うことは出来なくても、何となしにその気持ちは共感できた。


「うん、綺麗ね…」


 レステは無邪気に笑ったかと思うと、首をゆっくりと動かし始める。いつもはキョロキョロと忙しなく動かし、興味ある物全てを捉えようと必死な視線だったけれど……。今夜は特別な意思が感じられ、何も無い空間の筈なのに何かを追いかけている様子だった。


「どうしたの?」


「おあ……う……」


 よくは分からなかったけれど、レステが楽しそうな顔をしていたからニューエ自身も自然と笑みがこぼれた。


 少し体が軽くなったような気さえした。


 そうね、あと少しで着くんだもの。


 ニューエは気力さえ抜けてしまいそうな足にもう一度力を込めなおし、夜の荒野を急いだ。




「あ〜〜もうだめ!」


 深夜にも関わらず大袈裟に尻餅をつくニューエ。背中で眠っていたレステはコロンと転がった。コロコロと転がってなおも寝る。


 場所を言えばリジェール唯一の城、ガーランド城の門の前。門番の隣だ。


「何か御用で?」


 流石に門番も無視するわけにはいかなかったようだ。


「用は有るけど少し休ませて」


「…大分お疲れの様ですね」


 他の国の門番なら、深夜に現れた不審者を追い払うところだろうが……彼は警戒する様子も無く、日常会話でもする様な口調だ。それはニューエが弱そうで何も出来ない様に見えていたからではなく、彼は誰に対してもそうなのだ。ここの門番は城内に不審者が入ろうと気にはしない。そもそも城門自体が開け放たれていて「どうぞお入りください」といった感じだ。


 それは単純に余裕の表れであり、大軍でもなければ王を刺す事は出来ないという確信があるのだろう。


「ほんとよ、も〜限界だわ…。あなたも疲れるでしょう?こんな夜中まで門番なんて」


「いえ、私は魔族ですから。疲れはしません。……今日で3日目になりますかねぇ、交代は…明後日だったかな?」


 それを聞いたニューエは大きく息を吐いた。羨ましく思ったと同時に、少し不安にも感じた。


「何それ? 信じられないな、魔人って……」


「貴方の方こそ、そのお子さんを抱えたまま一体何処から?」


「ホルディックよ」


 今度はそれを聞いた門番の口が大きく空いた。


「ホルディック? 普段でも3・4日掛かる道程をその子を背負ってですか…。人のやる事とは思えませんね」


「な〜に。ただのお隣よ」


 疲労困憊の顔に無理やり笑みを浮かべるニューエ、その身は既に限界に近くさっきのレステの様にゴロンと転がる…立ち上がろうとした結果だった。


 門番は地面に転がる二人を気にする様子も無く、ただ頭を掻いた。


「月…綺麗ね。」


 仰向けになったニューエは真直ぐに月を見ていた。少し眩しいけれど、太陽のように瞳を焼くことの無い優しい光だ。


「今日は創緑の月ですね。」


「あの月のこと? 特別明るかったけれどそんな名前あったのね」


 ニューエは寝転んだまま子供の様な表情で門番を見上げた。


「神話の中での名前です。太陽が生まれる前は、あの月が大地の緑を育んでいたとされていました」


「あら、じゃあ太陽に役割を取られちゃった訳ね」


「そうなりますね…なにしろ、太陽の方が光が強いですから」


 門番は小さく笑った。


 ニューエはそんな門番の顔を見て、返事をするようにニッコリと笑みを浮かべた。


「良かった。魔人も笑えるのね」


 門番はニューエの言っている意味が分からず首を傾げたが…ニューエは勝手に納得したように何度も頷いた。


「あのさ? 魔人になって辛いことって無いの?」


 ニューエはまた前置きも無く意図の読めない質問を吹っかけた。門番からしてみれば面倒な子供に捕まった感じだが、今だけはただ立っているよりは暇がつぶせてよかった。


「そう……ですね。失礼に当たるかもしれませんが貴方の様に疲れている人を見ると魔人で良かったかな、なんて思いますけど。あれ? 質問は辛いことでしたね…えっと……」


 答えが出ないのか門番は首を右へ左へ捻っている。


「そう…」


 ニューエは低く返事をした。その言葉が…自分から吐き出されたその溜息のような返事が、心を暗闇の奥底まで引っ張って行きそうな気がして、ニューエは腹が一杯になるまで息を吸った。

……いけない! ここまで来て迷ってなんかいられない。


「女王様に会いたいんだけれど…。 いつなら会ってくれるかしら?」


「何時でもかまいませんよ。 ご希望ならば今からでも」


 意外な回答をさらりと返す門番にニューエは少し止まった。


「魔人の女王様は暇なのかな…?」


 今からでも良いと言うならば、そうしたい気持ちが強いが、体が動かなくてどうしようもない自分もいる。


 そんなニューエの心情を悟ったのか、門番が手を伸ばした。


「よろしかったら女王様の下へお連れいたしましょうか? もしくはお疲れでしたら…城内でお休みになりますか?」


 優しい言葉にニューエは目を見開いた。そして受け取るように手を伸ばす。けれども…


「ありが…」


 お礼の言葉を『冷たさ』が塞き止めた。その魔人の手は文字通り冷たく、石に手を握られるような強烈な悪寒が腕を這い上がり、ニューエの背筋にまで届いた。


 その悪寒はニューエの不安の根源となる言葉を思い出させた――




「魔人なんて生き物ですらないわ!」


 息子レステを魔人にしてもらう為リジェールに連れて行きたいと、母に相談した返答だった。


「まあ、でも…。ようやくその出来損ないを手放す気になったのならいいんじゃない? ただ、

子供を捨てる為にわざわざ隣の国まで行く必要は無いんじゃないかしら?」


 レステの存在を嫌っていた母のことだから粗方予想はしていたが、そのあまりにも酷い言葉をニューエが我慢など出来るはずがなかった。


「捨てに行くなんて誰が言ったのよ! この子が一人で生きていけるように魔人にしてもらいに行くんだから!」


 母は呆れた様に首を振った。


「魔人なんて魂を抜かれた人形よ。リジェールの兵隊として永遠に働かされることになるに決まってるわ。あんたがその子を大切にしていることは知ってるから言うけどね、殺してあげたほうがいくらかマシってもんだわ。神様に見捨てられたどころか、魔族の兵隊として永遠にこの世に縛られるなんて…」


 半分はニューエのことを想っての言葉だったが。彼女には全くの逆効果で、ニューエは気も落ち着かぬまま、ろくに準備も調えずレステを背負って旅路に出たのだった。


 そうして勢いに任せて家を出たニューエだったが、母の言葉は道中頭にこだまし続けた。当然ながら冷たい風の渦巻く荒野を一人、息子を背負って歩く辛さは尋常ではなく……まるで家から伸びる縄が足首に繋がっているようにも感じた。


 「自分のやることは我が子を不幸にする行動なのかもしれない」


 いつも考えよりも気持ちが先に立つニューエだったが、今回は長い道程がマイナスの思考に加担した。


 それでも歩みを止めることなく歩き続け、ようやく終わろうとする旅の最後だったが――




 ニューエが門番の体に触れた時、どれだけ奥に押し込んでも消えなかった恐怖や不安は涙となり嗚咽となり、溢れ返した。


 創緑の月の柔らかな光の中で、

 ニューエは叫ぶように泣いて、深い眠りに落ちた。


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