魔人レステ -2.「奥底」
早速ニューエはお茶を入れる準備を始める。
薪の燃える音と水に火熱の通る音の微かな空間。ニューエはアーシュナの実を取り出し、どうしようか迷った。よくよく考えてみればどう使用するものなのかをよく聞かなかったからだ。『溶かす』としか聞いていなかったのが問題だ。とりあえず潰してみたら、それを見たサナミリアが「おい」と乱暴につっ込んだ。
「何か、おかしかったかな?」振り返るニューエ。
「アーシュナの実は湯に入れれば自然に溶ける、そんな事をしてしまっては台無しだ」
「あら、残念な事をしたわね。恥ずかしがらずにちゃんと聞いておけばよかったわ……」
ニューエはしかたなく潰した実を湯に溶かしてお茶を注いでみると、それでもいつもより甘く優しい匂いがした。果実の甘味を含んだ香りが部屋を包みこむ。
「それで? 私に話す事って何かな?」
テーブルに落ち着いてから、ニューエは話の続きを始めた。
「レステの事だ」
「レステの?」
サナミリアの一言でニューエは胃の辺りに嫌な重さを感じた。石を詰め込まれた感じだ。今朝から身の周りで起きている小さな異変から、彼の今から話す内容が良いものとは思えなかったし、なによりも彼の瞳がそれを語っている。もしかして彼は「予め言っておくがこれは悪い報せだ」とでも言っただろうか? そんな錯覚すら覚える。
ニューエはお茶を口に含んだ。果汁のいつもよりも甘く、豊かな香りに逃げようとしたのかもしれない。けれども持つ手に冷えた汗が浮び、お茶を咽に流す事すら上手く出来なかった。とにかく恐ろしくて堪らない。今日だけはレステの名前を出して欲しくないと心から願った。
そんな中だからこそ、いきなりドアを開けてスロンファンが飛び込んで来た時は目を丸くして驚いた。
「ニューエ大変! 昨日からレステが――」
古びた木のドアを叩き割る勢いで突入したスロンファンは、室内のもう一人の存在を確認すると間髪入れずに叫び散らした。その声の大きさに家の窓はカタカタ音を立てて揺れ、注いだお茶は雫が上がる程に波打った。
彼女が次にとった行動はニューエを一人外に連れ出して説明しろと連呼。全ての行動が普段のスロンファン=ミジョウの2倍速で行われた。
「なんであいつがここに居んのよ〜さ〜〜」
「ちょっと落ち着きなさい。人の顔を見て叫ぶなんて失礼とは思わないの?」
スロンファンは髪が乱れるほどにブルブルと首を横に振る。
「ムリムリ〜〜心臓止まるかと思ったも〜。あなたあの魔人がサナミリアだって分かってるの〜〜?」
「分かってるわよ。さっき聞いたもの」
「ち〜が〜う〜の、絶対分かってないわ! あの魔人の非道さと残虐さと冗談の分からなさと言ったらぁ……」
とうとう手で顔を抑えてシクシクと泣き始める始末。それほどまでにあの青年は怖い魔人なのだろうか? ニューエにはそんな風に思えなかった。
「心配要らないわ、ちょっとお茶を飲んでいただけよ」なだめようとしたニューエは逆に顔を鷲掴みにされた。
「聞いて! あの魔人の頭の半分は既に魔獣化しているわ、食べる事しか考えてないの〜〜。あなたも狙われてたに決まってるの〜〜〜」
「ケモノ」と「食べられる」の単語からついつい如何わしい連想をしてしまい、耳まで熱くなっているのが自分でもよく分かった。いやいや、それどころじゃない。よくは分からないけれどもあのスロンファンがここまで怯えているのを見た事が無い。
「わ、分かったから聞いて。とりあえず中に入らない? サナミリアさんの機嫌を損ねても大変でしょう?」
「そ〜ねぇ、そ〜よね。ニューエは入りなさい! 生贄よ。私はお邪魔する〜わ」
何気に酷い捨て台詞を吐いて踵を返した彼女を待ち受けていたのはサナミリア当人だった。
「は〜〜〜〜〜〜〜!!」
今度は声にも成らなかったらしい。
へなへなと力が抜けて腰をつくスロンファンに反してサナミリアは表情一つさえも作らない。
「久しいなスロンファン=ミジョウ」
声を受けてスロンファンの体は震えた。
「あなたに名前で呼ばれると〜〜生きた気がしないです。『魔人S』とかで呼んで下さいな」
「……意味がよく分からんが」
「も〜いいですよぉ。今日はどうしてここに?」
「城でいろいろあったんだ。ちょうどいいスロンファンも一緒に聞け」
傍らでやり取りを聞く分には仲が良さそうにも聞こえる。が、彼女は名前を呼ばれる度、悪寒に体を震わせていた。
再びテーブルを囲んで後悔したのはニューエの方だった。
後から思えば昨日からずっと……。昨日はせっかくの創緑の月だというのにも関わらず激しい雨が降っていた。その時から悪い兆しは始まっていたんだと思う。悪い予感というものはナゼか当たる方が大半。今回サナミリアの話の内容もレステの悪い知らせだった。
昨晩起こった事の一部始終を聞いて私が言えたことは「そう」の一言だけだった。奥底は最初とても静かで、砂を転がすほどの風も吹いていなかった。しかし次の瞬間には凪が生まれ、摩擦を起すように熱を持って回り始める。
『それ』は厄介なデキモノのように痒みを起して神経を逆撫でる。ニューエはお茶を口に含んだ。甘い香りも届かぬ深い深い場所で不安なのか、怒りなのか……正体も掴めぬ『それ』はジワジワと熱を帯びて肥大する。
ニューエは意図的にシェルセザの瞳を思い出した。これまでもあの人の瞳は奥底にまで届く光を注いでくれた。
そして何度も言い聞かせた。
『私は恵まれている。住む場所も、仕事もある。』
しかし何度言い聞かせても、『―でも』と付け加える自分が居た。




