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魔人レステ 4話-1.「休日の朝」

 石畳を踏む感触には、昨晩の雨の名残がある。


「オルオット通り」は数多くの商店が並ぶリジェールでも一番賑わっている通りで、まだ日の昇らない早朝から営業の準備をする人の姿もある。


 そんな人達に挨拶をすれば誰もが気持ちのいい「お返し」をくれた。


 オルオット通りを横切ってもう少し歩くと先の大通りと同じ程の幅がある大きな水路が視界を埋める。それはガーランド城の滝から流れるとても美しい流水で、朝の光が水路の底まで難無く通るほど澄んでいる。


 水路の水を使って洗濯を済ませるとまた来た道を引き返した。


 当然同じようにオリオット通りを横切るのだけれど、来る時とは違って往来する沢山の人とその声に満たされている。


 この賑わう空気は故郷には無かったもので、見ているだけで心躍る素敵な光景だと思う。


「あら、ニューエさん今日は珍しくのんびりしているね」


 声を掛けてくれたのは食物を売っているお店の奥さんだ。


「うん、今日はお休みを貰ったから。」


 いつものように世間話をして、笑い合って、こんな生活が送れるなんてここに来る前は思っても見なかった。


「珍しくアーシュナの実が入ったんだけれどお一つどうかしら?」


「初めて聞く名前なんだけど、どんなの?」


 渡された実は小さくて赤い実だった。お茶に溶かすと美味しいと教えてくれた。ニューエは一つだけ買って帰る事にした。


 それは彼女が通りの脇の道に入ろうとした時、人ごみの中にいつか見た赤い髪の毛が揺れたのを見つけた。


 もしかして、と目を凝らし探してみるとやはりホックだった。


 彼女は洗濯物を持ったまま小走りに赤い髪を追いかけた。


「おはよう、ホック君」


 ニューエの挨拶にビクリと過剰に反応して、別人かと思うほどの暗い顔が現れた。その顔はニューエと確認するとさらに酷く驚いて伐が悪そうに俯く。


「どうしたの? 何かあった」


「いや〜。最近は特に何も……無いっすね」


 声は地面に吐き捨てられた。平静を保とうとしているようだけれども見るからに落ち込んでいて、賑やかな通りに浮き出たシミの様に一人ポツンと悲しんでいるようだった。


 心配そうに見つめるニューエに対して、この時ホックは昨晩の事を思い出していた――。




 玉座の間には雨の音が一段と強く響いていた。


「そう、ではあなた達二人は盗む行為までは至らなかったのですね?」


 シェルセザの質問に「はい」と答えるホック。


 聞くところではホックとレステがあの部屋から逃げ出した後、他の人物が魔道器をまんまと盗み出していたようだ。


 最初に見た血の人物や、自然に開いたように見えた扉、あの時の扉を開けた人物。間違いなくあの時ホックとレステの他に複数の存在があの場所に居た。


「サナミリアの言った通り、最初に見張りの兵を石化させ進入した数人は全て殺されていました。」


 ホックは部屋の脇の石像を思い出して、「ああね」と遠い昔の話を聞くような感覚だった。


「それでは計3つのグループの犯行……いえ、一晩それもほぼ同時刻なんて考えられませんね」


「はい、少なくとも子供二人以外は同じグループだったと考えるのが自然です。」


「では一先ずその者達を探して下さい。」

 

「はい」と返事を返すセロ。


 それまで二人の話をただ聞いていたホックだったが、レステの容態を聞かずにいられるはずも無かった。


「レステは、どうなんですか?」


 セロはホックとシェルセザを交互に見ると、口を開いた。


「MP濃度の高い部屋に寝かせてありますが、体を構成しているMPの融解が収まる様子はありません。彼自身の問題ですが、恐らくは時間の問題です」


「何で……あのサナミリアって魔獣はすぐに腕を治せたじゃないか」


「今のレステにも人間の治癒機能程度の回復なら可能です。だから城の外に出して社会勉強させていたのですが……。今回の傷は今の彼の能力では回復出来ないかもしれません」


「だったらなんとか助けてやってくれよ。セロさんならMPの扱い上手いんでしょう?」


 セロは溜息に似た一呼吸を置いて、説明し始めた。


「MPは粘土とは違いますよ。私が自分の体の部位を構築する事は出来ますが、他人の作った部位を自分の物にする事はできません。MPは人間の栄養採取と同じで、一度自分の体に溶け込ませてから形を成すのです。他者の体を作る技術を持つ専門家も居るという話ですが、200年以上生きた私でもこの目にした事はありません。」


「助ける事は出来ないんですか?」


「最初にも言いましたが、彼自身の問題です。恐らく持ってあと5日でしょう。それまでにレステ君自身が成長するしかありません」


 ホックがどんなに叫ぼうとも決して変わらない現実だった。


「話しを戻しますがホック君、キミが盗んだ犯人と繋がっている可能性も私達は考えています」


「はい?」


「一人付けさせて貰います。身に覚えの無い事なら別に構わないでしょう? 寧ろ護衛になると思いますよ」


 はぁ、と頭まで届いていないような返事を返す。そのときの頭の中はレステの事で飽和状態だったから、仕方が無い。

 



 ――ニューエは俯いたホックの顔を、更に下から覗き見た。


「アーシュナの実って知ってる?」


 慌てて視線を戻して首を横に振るホック。


「私もよく知らない」


 笑顔でそんな意味の取り辛い事を言うニューエ。ホックは「なんですか、それ?」と少し無理に笑みを作って見せた。


「さっき買ったの。お茶が美味しくなるらしい実よ、一緒にどうかしら? 珍しい実らしいから一人じゃ勿体無いでしょう?」


 ニューエの目から見てもホックは明らかに抵抗を感じているようだった。


「今直にでもこの場から逃げ出したい」気持ちはっきりと顔に浮かび上がっている。それでもニューエはホックの胸の内を聞いてみたいと思った。決して好奇心なんかではなくて、ホックの瞳の淀みの原因に自分が関係している事を感じ取ったからだ。


 ホックが返答に困っている間に、通りがざわめき立った。


 オリオット通りに魔人の騎士団が現れたのだ。


 その身を鎧で固め、戦の装いではあるものの一人一人の表情にその重々しさは無かった。


 けれどもニューエがこの街で生活し始めて半年、騎士団の姿など見たことも無い。「これはただ事ではない」と好奇心を疼かせ、気が付けば行進に釘付けになっていた。


 どうやらお城で物騒な事件が起こったらしくて、魔道器とか大切な物が盗まれたみたいだった。滅多に姿を現さない騎士団は、その犯人を捜しにクランに向かっている最中といったところなんだろう。


「俺、やっぱり用事あるんで……お茶はまた今度頂きます」


 騎兵の行進に夢中になっていたニューエは、逃げるホックを引き止める隙を失っていた。振り向いていた時にはもうホックは細い通りの奥に消えた後だった。


 ホックの瞳を思い出しながら……人気の無い小道にふぅ、と小さく息を漏らした。


 大通りから外れ、並ぶ家の間に通る細い小道を少し歩けば、今住んでいる小さな小屋に辿り着く。元々人の住むような場所では無かったけれども、無償で与えられたにしては十分すぎる小屋だ。強風にギャアギャア悲鳴を上げる頼りない木の屋根も、側壁を埋める蔓も、寧ろ彼女の好むところでもある。


 ニューエが扉の取っ手に手を伸ばしたその時、彼女の隣に一人の魔人が居ることに気がついた。背丈はニューエと同じくらいで綺麗な青い髪が耳を覆う程度に伸びている。初めて会う人だがこの暑い時季に雪でも降っているかのように着込んでいる様から魔人だと受け取った。中性的に造られた綺麗な顔立ちも魔人じみている。


 首を傾げるニューエ。さっきからそこに立っていたのなら気づかない筈が無いからだ。


「こんにちは、あと『はじめまして』ね。この辺りに住んでいる人なのかな?」


「……そんなことはどうだっていい。お前とホックの関係は?」


 ニューエはその魔人の目を見ていた。それはこの国で彼女に身に付いた癖ともいえる。どんな魔人でも表情や仕草では人間のそれより本心を反映していなくて、相手を理解し辛い。ただ『瞳』だけは人間と同じで気持ちを受け取る事ができた。


 目の前の魔人も見た目は16〜18歳ほどの青年に見えるけれども、100年以上の年月を重ねた奥の深い瞳をしていた。ただ彼女には瞳の表面に薄い靄が掛かっているようにも感じた。それは彼自身が何かを見失っているからなのかもしれない。


「私はニューエ。ホック君は息子の友達よ」


「ニューエ? ああレステの母親か……」


 ニューエは笑って頷いた。


「そうよ、あなたは?」


「私はサナミリアだ」


「サナミリア……素敵ね、とても綺麗な響き。サナミリアさん、立ち話も疲れるし中でお茶なんでどうかな?」


 ニューエはそう言って木の扉を開けた。


「いや、俺はもう話す事は……いや、そういえば一つあったな」


 そう呟きながらサナミリアはニューエに導かれた。


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