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魔人レステ    -5.「逃走回廊」

 激しい雨の所為で、このローブは湿っている……『5秒』位なら俺にだって出来るはずだ!


 ホックは近づく音のタイミングを慎重に測る。損ねれば命を失うから当然だ。心臓の音が邪魔だ、寧ろ止まってしまえとも思う。


「ホック……?」レステの祈るような声もホックの耳には届かない。


 そして、魔獣はホック達の真上に到達しそれまでと同じように自分の体を切り離して落とした。もう、ホックもその瞬間だけはレステ動揺祈るしかない。魔獣が体から切り離した球が落ちるまでの間に、何十回と祈ったことだろう。


 落下する球がホック達のローブに弾かれてカツンと音を立てる。


 ……まるで何も無かったかのように魔獣はホック達を通り過ぎて行く。


 遠ざかっていく音を確認すると、緊張に縛られていた体が漏れた息と共に緩み、同時に硬くなっていたローブも柔軟さを取り戻して垂れた。


「どうやったの?」


「あ?ああ…。 湿ってたから、魔法でローブをカッチカチに凍らせたんだ。予想外に2秒位しか出来なかったけどな」そう言ってなんとか笑えるのも、上手くいったからだ。失敗していたらどうなっていたか……。


 魔獣は全ての通路の上を通って部屋の隅に辿り着くと、重さを感じさせる着地音を響かせた。


 ホックはローブの隙間から辺りを見回した。


 魔獣の落とした球がそこら中に転がっていると思ったけれど、実際は一つも無く特に気を配る必要は無さそうだった。


 魔族の体を構成しているMPはもともと大気に雑じって存在しているらしいから、空気に溶けたのだろう。


 今注意を払うべきは床に下りた魔獣が次にどういう行動に移るかだ。


 ホックは暗闇の中、薄っすらと浮ぶ魔獣の輪郭を見つめた。


 直に次の行動に移る様子は無さそうだ、ただじっとしている。闇雲に探す様子は無く、次の方法を考えているのだろうか?


 ホック達はゆっくりと床を這い、入り口近くまで到達した。


 最大の問題はどうやってこの重い扉を開けて外に出るかという事だ。素直に開ければ確実にばれる。勿論出入り口はこの扉だけで他に扉は無いし、窓には全て格子が付いている上、ここが4階だという事も忘れてはいけない。


 その時、どうしようかとホックが頭を抱えているその前で問題となっている扉が開いた。


 あまりの事に口をぽっかり空けて見守るホック。誰が入って来たわけでも出て行ったわけでも無い。独りでに鈍い音を響かせて開いたのだ。


 ホックもレステも何が起こっているのか全く分かっていない。当然扉の近くに居なかった魔獣も理解はしていない。予想通り飛ぶようにやって来たものの、空いた扉の前で瞳を忙しなく動かしているだけだった。


 魔獣はピクリと部屋の外の何かに反応した。開いた扉から外の様子をじっと見ている。すると今度は部屋と外を交互に――。恐らく疑心暗鬼に陥っているのだろう。中に居た俺達が外に出たのかどうか? 判断に困っているみたいだった。


 もうこの際何故扉が開いたなんて事はどうでもいい。今の状況が最高の展開に転がってくれと、ひたすら祈った。


 どうか。どうか勘違いして下さい。俺達が既に部屋の外に逃げていると……。


 ホックの願いが通じたのか、それとも扉の向こうに確信的何かを見たのか? 魔獣は部屋を後にした。


 同時に息を付く二人。


 それまで心臓の奥で支えて、内側からノックを繰り返していた空気を吐きだした。鉄のように硬く重いそれを体から出した事で、全身が随分と軽くなる感じがした。


「レステ、大丈夫か?」


「うん」と小さな返事が聞こえる。


「後はローブを被ったまま階段を下りるだけだ。シェルセザ様のところへ行こう、あの魔獣はきっと倉庫を守っていたんだろうけど……悪いのは俺達だけど、正直にシェルセザ様に話せば許してくださるかもしれない。」


「うん」


 二人はゆっくりと部屋を出た。通路を進むものの、来る時の何倍もの時間が掛かる。階段までの道が途方も無く永かった。


 通路では雨音に雑じって絶えず魔獣の歩く爪音が響いている。近づいているのか、遠のいているのか……。忙しく動く時もあれば聞こえなくなる時もある。確かなのはこの階に居るという事だけだった。


 音に怯えながらも、今は進むしかない。


 ホック達が這いずり回り、階段まであと少しというところで魔獣は再びホック達の前に姿を現した。


 こちらに気がついている訳では無く、相変わらず見るからに獰猛な瞳を動かしている。しかしその瞳に二人が写る事は無い。部屋の中と同じように巨体を揺らしながら通り過ぎていくだけだ……『だけ』の筈だった。


 魔獣の尻尾がホックの体を掠り、あろう事かローブが引っ掛かって剥がれたのだ。世界の止まるような一瞬の後、二人は考えもせずに走り出した。ローブが無くなってしまっては考える時間も意味が無いからだ。


 ただ魔人のレステと違い、ホックの体には痺れが奔った。永いこと廊下を這って来たのだから生身の人間ならば当然だ。上手く伸びない膝が焦る気持ちと絡まって、ホックは無様に転んでしまった。


 全てが終わった気がした……。急激に温度を下げる血液を感じながらホックは魔獣の様子を見た。


 魔獣は掛かったローブを見ながら、ゆらゆらと尻尾を動かしている。そして徐にホックに視線を移すと裂けた口を端まで広げて、にたりといやらしく笑った。


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