魔人レステ -4.「闇と獣」
その時、ホックの目にある物が写った――。
『それ』を手にしてホックは心を決める。緊張の中姿勢を小さく構え、手に収まる程度の火球を作った。そしてヤツが向かって行った方向の逆方向、レステが居るであろう場所とは逆方向に火球を放った。
壁に当たり、弾けて音を立てる火球。
その直後に響いたのは、化け物が火球を当てた壁に張り付く着地音だった。ヤツは一瞬にして反応し、向こうの壁まで跳んだのだ。
火の粉が弾けて消える刹那、化け物の大きく裂けた口から覗く牙が赤く浮び上がる。
巨体の化け物の見せた神速の跳躍、それによって生まれた風は数秒遅れてホックの顔を撫でた。緩やかで生暖かい……あの化け物の吐息のような不気味さがあった。
しかし、ホックの心はもう決まっている。存在を態々バラしたのだ一瞬でも気の迷いがあればそこで終わってしまう。
弾かれたように走るホック。
レステは予想していた場所に蹲っていた。ホックは勢いを殺さず飛び込むようにレステに突進した――。
ホックがレステに飛びついたのとほぼ同時に激しい着地音がした。ヤツはホック達の耳元に着地し、その時の振動まで伝わってきた。ホックはレステを抱いて地に伏せるように蹲っている。
そのすぐ隣には化け物の足があり、鋭い爪がギギギ…と床を鳴らす
。
ヤツは大きな赤い眼をぎょろりと巡らせ、ホック達を探している。しかしどうやら見つけられないようで、トカゲのような首をぐるんと回して辺りを見回したかと思うと、今度は天井に張り付いた。
ホックは心臓をも止める思いで、ただ蹲っている。
ゆっくりと、化け物は天井を徘徊し始めた。
「やった」心の中で叫ぶホック。ロセアさまさまっすよホント、マジで! ホックがさっき棚で見つけた物はミラージュローブ。以前ロセアが話していた魔道器で、そのローブは纏えば自分の姿を消す事が出来る代物だ。サイズが大人用らしく子供二人でもなんとか入る事ができた。
ホックはヤツの様子を窺った。
そちらに重力が働いてでもいるかのように天井を歩き回っている。
その姿の形状は竜ともトカゲとも取れる。上級の魔族、『魔獣』に間違いない。魔人よりも高い身体能力を備えているが、人の思考を忘れている。
ゆっくりと、体を動かさなければいけない。なるべく音を立てないように、静かに。二人は細心の注意を払いながら虫の進むような速度で移動した。お互い無理な体勢でありながら、緊張の糸を緩めることなく、慎重に、慎重に……。
魔獣は上からの視点で二人を探している。今度は棚の影に隠れる事も出来ないだろうから決して気づかれる訳にはいかない。
ホックもそして恐らく天井の魔獣も、聴覚に全ての意識を集中させている事だろう。
痛みを感じる程の静寂を和らげたのは、微かな雨の音だった。次第に強くなっていく様子も窺える。
ホック達にしてみればなんという幸運。雨音が強くなればそれだけ移動する際に出してしまう音を消してくれる。ほんの僅かにも表情に余裕が生まれた。
しかしここでヘマをしてしまってはイケナイ。ホックはレステと視線を交わし、気を引き締め直した。
雨はどんどん強くなり、城の壁を激しく打つ。ホックにはその雨音が声援のようにも聞こえた。もう既に魔族の爪音はホックの耳まで届かない。昆虫のように進むホック達が立てる音など相手に聞こえる訳が無い。
いいぞ! もっと降れ! ホックは心中叫んだ。ホックの煽りに乗っかるように雨音は強さを増す。
いいぞ、いいぞ! もっと、もっとだ!
どんどん音は強くなる。
「ねえ……さっきから何の音かな?」レステが声を潜めて言った。
「何のって雨の音だろ」
「違う……別の音がしてる、大きくなってきてる」
一体なんの事を言っているんだろうと思ったが、ホックもすぐに気が付いた。確かに雨音に雑じって別の音が鳴っている……。次第に大きくなっているのは寧ろその音だ! 不審な音に緊張感を取り戻し、耳に意識を集める。石のような何かが床に落ちる音が近づいてきているようだ。
ホックは天井を覗き見た。
魔獣が体の一部を小さな粒に変えて、床に落としながら天井を移動している。最初はその行動の真意がつかめなかったが、雨よりもはっきりと聞こえるその粒の音を聞いて、気が付いた。
魔獣は床で跳ね返る粒の音を聞き比べているのだ。このままホックの体の上に粒が落ちれば、他とは違う鈍い音を立てるに違いない。
ホック達がローブで姿を隠していると検討づけていないとこんな事はしない。相手は思っていた以上に頭が良いようだ。なんて感心している場合でもない。
何とかしなければ、必ず気づかれてしまう。
「あいつが落として行った後の通路に移動しよう」レステは慌てて動こうとしたが、ホックは止めた。
「だめだ間に合わない、下手に焦るとそれこそ見つかる」
魔獣はすぐそこまで来ていて、今から気が付かれ無いように移動する時間は無かった。
「このままでだって見つかるよ?」
ホックはギリッと奥歯を鳴らした。
「もう駄目だよ、思い切って走った方がいいかも……」レステの声は既に泣いてしまいそうなほどに怯えている。確かに雨音のせいで気が付くのが遅すぎた。気を引き締めなければいけないと分かっていたのに、浮かれてしまっていた結果だ。
「もう隠れきれない、早く逃げよう」
「駄目だレステ。絶対に逃げ切れない、見つかったら最後なんだ。大丈夫俺達は運が良い、雨が強く降ってくれて本当に助かった…。」




