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幸田露伴「艶魔伝」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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幸田露伴「艶魔伝」現代語勝手訳 九

 第二十一は『八陣はちじん』とでもいうべき手で、これは随分と罪深いことではありますが、男を没落させる一番手っ取り早い方法でございます。男がこちらに惚れたのはよいが、父母をはじめ、親類一家の反対意見などを食らい、浮き世の義理、金銭かねの都合、その他色々なことによって自然と足が遠ざかる時分、あくまでも恋と恨みと愚痴を強調し、逆に欲や見栄は弱まり、我が身自身までも衰弱してきていると、その有り様を男の耳に入れるのであります。

 例えば、男が用いていた枕を独り寝の床で抱いて眠り(恋)、手箱の中から男の写真を何度か取り出しては溜息をつきながらつくづくと眺めては、それを急に仕舞い、しばらくしてから又、ひそかに取り出しては見(恨)、今日はこの前あの方がおいでなさった日から何日経つのかと、一日に三度も人に尋ね(愚痴)、劇場しばいのことなど口にのせず(欲弱)、()間着(まき)のまま髪も乱れ放題で、昼頃まで起きるのもものうく(見栄弱)、食事も進まず(我身弱)などの様子を、第十でお話ししました例のおもりを使って、ソッと男に知らせるのです。すると、男はもう堪らなくなって、

「可愛い奴、どうしてそのままにしておかれようか」と、この世からあの世へ入る奇問遁(きもんとん)(こう)で言う『死門しもん』に向かう覚悟で身を挺し、有るだけの金を掴み、できる限りの才覚を巡らして勇み立ってやって来るのであります。

 元より、男も一概には馬鹿とも言えず、最初は<事が上手く運ぶ>奇問遁甲で言う所の『生門せいもん』を信じて、今夜は通っても差し支えないなと思う時だけ女の(もと)に行くのですが、これが段々と深みに()まって、上に書いたような状態になれば、自ら『死門』に駆け込むようなことになるのでございます。

 そうなれば、この男はもう、生きて家に帰る道などなくなってしまい、五日いつかなり六日むいかなり、あるいは半月、一月ひとつきなり、こちらの手の中で、思いのままに扱える状態となるのであります。

 そして、金をすべて使い切ってしまい、後にも先にも行くことができない状態となれば、その時は、急いで男から取るだけのものを取って、そのまま捨てるのであります。世間の息子たちが女に迷い、身を滅ぼすのは、大抵この『死門』に突入するからで、そこに入ってしまえば、もう帰れなくなるのを知りながら入るのでありますから、敵の陣中に陥って出所(でどころ)なく往生してしまうという訳でございます。

 情死というのは、二人連れ立って悪魔王の作った『死門』に入るというものでありますので、恋から直ぐに情死とはなりません。

 恋が生じると盲目になります。盲目から『生門』と『死門』の区別がつかずに進み、いつも最後には帰り道が無い道を歩いて八方ふさがりの地獄に至り、その地獄の中の深い井戸の中に飛び込んで人生を終えてしまうのでございます。

 よく新聞などに出る遊女の情死の理由を尋ねると、男に入れあげて、無理を重ね、たとえば衣物きもののことに関して言えば、着更きかえの衣装のありったけを男のために質入れするのが最初で、この段階ではまだ帰る道があります。次は座敷着…晴れ着…まで質入れする段階、これも苦しみもがきながらも、まだ帰るべき道はあります。その次は、質入れした衣物きもの一寸ちょっと借り出してきて、当座の用事を済まして、それを又他所(よそ)へ質入れする段階で、こうなれば最早利息は二重に払わなければならず、やりくりはいよいよ難しくなって、畢竟つまり『死門』に着物を入れたことになり、帰る道を無くしたこととなります。衣物きもののみならず、夜着よぎ、蒲団、口や手を洗うための耳盥みみだらい嗽茶碗うがいじゃわん、櫛、こうがいは言うに及ばず、一切の物を皆『死門』に打ち込み、果ては遊女として自分が勤めなければならない期間までも延長して前借りするという『死門』への打ち込み方、そして、世間の義理までも『死門』に打ち込んでしまい、その義理を生かして立てられなくなり、とどのつまり、自分の生命いのちを失うということになるのであります。

 浮き世の義理と恋に責められて情死するのだと人は思い、当人もそう思うのですが、傍目わきめでよく分析してみれば、恋でまず盲目となり、帰れなくなる道、すなわち『死門』に駆け込むことにより、情死というものが生じるのであります。情死した者を弔う比翼塚ひよくづかとか鴛鴦塚おしどりづかなどと大げさにいうのは馬鹿げたことであって、実際は羽抜鳥塚はぬけどりづか盲目鳥塚もうもくどりづかと言うべきでありましょう。


 第二十二は『つづみの糸』と、ある人が洒落で名付けた手でございます。

 鼓の糸はそんなに強く締めるものではありません。ただ、最後の糸によって、多くの縦の糸を操る時だけ、その霊機コツ如何(いかん)で、良い音にも、悪い音にもなるのであります。

 男を取り扱うにも、頭から尻毛まで強く締め付けるのは難しく、唯々(ただただ)、一夜を明かした翌朝の別れの時に、上手く締め付けて置くのがいいのであります。古くからの恋歌こいうたを見ても、男をとろかし、その後ろ髪を引っ張るほどの力を持っているのは、明らかにこの後朝きぬぎぬの歌に多く見られるのであります。浄瑠璃にあります次の文句、

『深ふなるほど朝迎ひまたせておいての一言ひとことが勤め離れた女房にようぼの気』…馴染みの客が朝に帰る時、迎えに来た者を待たせ、もう少しゆっくりしていって、と勤めではなく女房気取りで…という一節を考えて策略を立てるべしと、大眼子だいがんしという人が『花街(さと)風流(ふり)()』という本にこの教えをのこしているのは、本質をよく突いておられると言うべきで、この心得を理解しないと、男は逃げていくものでございます。


 第二十三は『倶利伽羅くりから落とし』。


 第二十四は『栓抜き』。


 第二十五は『鳥粘黐とりもち』。


 第二十六は『白玉しらたま杓子しゃくし』。


 第二十七は『水飴みずあめひげがらみ』。


 第二十八は『人中針にんちゅうばり』。


 第二十九は『くも掛糸かけいと』。


 第三十は『腹やぐら』。


 これらの手は大極秘の秘の秘の秘で、ここに書くことはいたしません。これら八カ条を伝授ご希望ならば、なお、それなりの伝授金にて、口頭でお教えいたしますので、よくお考えいただければと存じます。


 第三十一は『縄張り』であります。

 これは、男が落ち目になった時、それに巻き込まれないよう用心することであります。この用心が無い女は、折角調整(こしらえ)た着物を剥がされ、かんざしを取られ、男と共に苦しむような事態になります。

 総じて、手管には二種類あります。一つは掛ける手管。もう一つは捨てる手管で、丁度将棋を指す時、下手(へた)な者は駒を取ることばかりに熱中して、捨てる駒のことを考えないため、思わぬことに出合って負けてしまうのですが、上手(じょうず)な人は捨てる駒に心を向けることによって、自然と敵手あいては働きが悪くなって、こちらの勝ちとなるのですが、色道もそれと同じでございます。下手な女は仕掛けの手管だけはうまくやれるけれども、捨てる手管が(つたな)いため、恨みや復讐心を持たれ、無理情死むりしんじゅう又は殺害というものに遭う訳であります。上手な女は男を振り捨てる時の手管を用いるのが巧いので、このような心配はありません。

 これより以下は、馬鹿な男を振り捨てる手管を書きますので、よくよく味わっていただきたく存じます。大体、男から金銀を巻き上げた後は、

「もう用はない阿呆。一昨日(おととい)おいで」と言うように突き放すことが普通でありますが、こんな風にするのはまったくの初心者の女であり、昔時むかしから少しでも名を残す程の女になれば、こんなことは絶対にありません。

 遊女にしてさえも、馴染みとなった後は、金持ちが落ちぶれても、『人目に付かない手練茶屋でネ……』と言う常套句があることは古い洒落本にもちらほらと見られます。こうすれば、男が落ちぶれ果てて、縁が切れてしまった後も良い女だと思わせる手管の上手となるのでございます。

 つまり、一切の手管を手管であると思わせず、実情まことの気持ちであると思わせるのと、逆に手管を手管であると気づかせてしまうのと、この大きな違いは、ただ僅か、別れ退く時のちょっとした所にあるのでありまして、見事手管を使って、家蔵身代いえくらしんだいまで搾り取ったとしても、

彼奴きゃつめ、手管に掛けて俺を騙したな。憎い衒妻あまめ」と、憎まれるようでは下手なのであります。

「可愛い(やつ)だったけれど、縁がなくてこの始末、アゝどうしようもない」と、諦めさせるのが上手というものでございます。

 この違いには雲泥の差がありますが、玄人も田舎出いなかでの女郎も、あるいは茶屋の女将(おかみ)に顎で使われる薄っぺらの芸妓げいしゃなどは気がつかない所。

 哀れにもそれ相応の無法男(むほうおとこ)に執念深く恨まれて、掛けた手管のお返しに出刃包丁一枚を持ち出されたり、モルヒネ三匁さんもんめを盛られたりして、

「ざまあ見ろ」と、因果の報いを受けた話が多いのでありまして、ですから男を振り捨て退く時の手管はよくよく呑み込んでおかなければ、お前様も行く末が危うく、新聞の三面に死亡記事として載らないとも限らず、そんなことで浮き名を止めることのないよう、くれぐれもご注意いただきたいと存じます。

 こんなことを考えると、淫婦・毒婦などとして世の人の口に残るのは、捨てる手管がまったく下手な者であって、まだ色道、男誑たらしとしては、青い青い初心者の女でございます。それよりも、かえって悪い噂さえも残さない者に手管の大上手、大淫婦、大毒婦が居るはずなのに、これに気がつかない男どもが淫婦、毒婦と見え透いた浅はかな女ばかりを責めるのは、映るものだけしか見ない硝子眼がらすまなこ。これを人間の眼とは言わず、人形の眼のお客さまと言うのであります。

 閑話休題。『縄張り』とは我が身に男が食い込まないように防ぐことを言うのであります。たとえば、男の懐中(ふところ)が寒く、又は商売がうまく行かなかったり、職を失ったりして、なんとかする方法はないだろうかと、こちらに食い込んでくる前に、こちらから同じようなことを言い出すことによって、すなわち、男が『困っている』と口に出す前に、こちらから『困っています』と言い出しておけば、それが予防線となって、男の方から三十円ばかり工面してくれないかとも言い出すことができなくなるのであります。この縄張りを引いていない時に、男から金の無心を言い出されると、こちらは受太刀うけたちとなってしまい、いくら言い訳をしても、不実・薄情と受け取られるので、縄張りは大事な一手。 

 第十の『機転』を参照されて、男に金が無くなると思われる時分は、そろそろと縄を張って置くべきであります。まあ、これらは誰でも知っていることではございましょうけれども。


次回、最終となります。

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