幸田露伴「艶魔伝」現代語勝手訳 八
第十八は『身を奪う』であります。
これは、男に我が身を任せた頃、我を捨てる代わりに、しっかりと男の身を自分の方に奪い取っておくことであります。我を捨てただけでは、こちらの損に思えますが、つまりは我を捨てることによって、男の身を自分のものにするテクニック。すなわち、縦横に男を動かし、自在に思いのままに操るとは、身を奪うことであります。例えば、
「そんな大きなものでお飲みになってはいけませんよ。身体に毒ですよ」
「マアいいから、酌ぎな」
「毒ですよ、もうお止めなさい」と言えば、
「毒でもいいからまあ一杯酌ぎな」
「何、いいことがあるもんですか、貴郎ひとりの身体じゃアあるまいし」と、こう言えば、酔っ払いの臓腑にも『あなた一人のからだじゃあるまいし』の一言がキリキリと染み渡って、無性に嬉しく、有り難く、自分の身体を奪われているとは気づかず、
「そんならこれでお終いにしようか」と嬉しそうな細い眼をすること請け合いでございます。
男の阿呆は底知れぬもの。
「お風邪を召しますな」と<猪牙舟>に乗って吉原に遊びに出かけようとする男に女房が背面から羽織を着せたりすると、浮気男も閉口したと言いますが、これはその言葉の裏に、男の身を奪うだけの愛情があるのでございます。また、遊女が一夜と共にした男が寒い朝早くに駕籠で帰る時、
「汚れていてお厭かも知れませんが、これをお召しになって、土手に吹く風にお身体を労られますように」と、自分が着ていた衣を男に着させて帰すことなども、やはり男の身を奪うテクニックであります。最早こうなれば、男の身は男自身の持ち物ではなく、女の掌の中の丸薬同然で、自由自在に捻り廻される馬鹿であります。
第十九は『火を入れる』、すなわち、焼き餅を焼く手であります。
これは、少し古くなった酒を温めるの時、火を加えるように、男が少し遠退いた時に仕掛ける業であります。昔はこの手口を『初紅葉』と言って、『あきぐちに濃うなる色仕掛け』と洒落たとのこと。
男というものは、元々浮気者で、一月か二月足繁く通った後は、必ずまた、他に気を移して、しばらくは足が遠ざかるものであります。さて、たまたまその男がやって来た時、こちらが平常通りに接すると、必ず何となく物足らない気がして、男には刺激がないものでありますから、その時は思い切って火を入れ、したたかに男を燃やしてやるのがいいのであります。
ただし、これは焼具合が難しく、まずは片手に火を持ち、もう片手には水を持つくらいの覚悟で臨みます。例えば、男がやってくるのを見て、髪容姿の整っていないのもお構いなく、突然浅ましい顔つきでもって、男の胸ぐらを引っつかみ、
「お前は、お前は、この性悪男め、どこの馬の骨に引っかかっていた」と、喚き立てて、撞き廻すようでは、両手に火を持って、頭から容赦なく焼き尽くす素人と同じ。そんなことをされては、真っ黒に焦がされて、男は堪らず、這いつくばるようにして逃げ出したまま、二度とは寄りつかないのであります。
『初紅葉』とは、こんな雑なやり方ではございません。男がやって来るのを見ると、何となく顔つきを莞爾つかせ、立ち居振る舞いもいそいそと悦ばしげに、手早く髪を整え、万事気持ちよくもてなし、男の尻を座布団に据えさせた後で、
「待っている夜がどんなに長いか、貴郎の冷たい時計では分からないんだわ」などと口説いて、
「一昨日は折角髪を結って待っていたのに……』と、恨みごとを言いながらも、数々の心尽くしを行って、
「私ね、馬鹿だと思われてもいいから、待ち人が来るっていう<米櫃の底に手鏡を伏せる>咒術もやってみたの」と、笑いながら話したり、あるいは真面目に、あるいはまた、元気づいたように話をし、機嫌よく酒を勧め、夜も更けて二人きりになった時、タイミングを見計らいながら、ジリジリと焼き出すのがよいのでございます。
「今日はどうしておいでになったの。もう、いっそおいでなさらなければよかったのに」と、こんな風に切り出されては、男は黙っていられず、
「来なければ好かったなんて、それなら帰りましょうよ」と、内心は帰りたくなくてもツンとして立つが、その時、袖を慌てて捕らえ、涙を潤ませながら、
「アラそうじゃありませんよ。ナニよ、ナニよ帰りますなんて。マア、どうしましょう、私がうっかり饒舌ったのは、貴郎をお帰ししようとして言った訳じゃありませんよ。ヨウ、ヨウ、マア坐ってくださいよ」
「エエ、留めるな、帰る」
「どうしてもお帰りなさるの」
「当たり前だ」
「ハイハイ、そんならもう、お止めはいたしません。サア、お帰り遊ばせ。しかし、お忘れ物が……」
「何だ」
「見えませんか」
「冗談を言うな。何もない」
「エエじれったい。ホントに口惜しい。貴郎の眼にはそれが見えませんか」と、無闇矢鱈に泣いて掛かって、引き摺り倒せば男は脆くも座る。その膝にこちらの頭を載せて、鼻声に急しく、爲永春水風のいつもの口説き文句で、
「貴郎がこの前おいでになった切り、影も形もお見せにならないからどんなに気を揉んだか知れやしません。新聞を読んでも、草双紙を読んでも、少しも面白いこともなく、馬鹿らしいほど、ただ貴郎のことばかりが気になって、気になって、いっそ貴郎に最初からお目に掛からなかったらこんなこともなかったろうにと、もったいないけれどお恨み申す気も出て、どうせ頓馬な私たちにお構いなさらない方がよい。エー、もう愚痴は止めようと思っても、生憎眼に立つ貴郎のお姿。それに引かれてまた愚痴も湧き、どこの佳いお方がお留めになっているのか、と口惜しくもなり、至らぬ心は至らぬ心だけに苦労する内、不図今日のおいで。嬉しい中にも今日の嬉しさが明日から又毎日毎日物思いの種になるかと思えば、いっそおいでなさらない方が、とツイ口走ったのに、訳も聞かずお怒りに。それほど邪見にされるなら、夢にも現にも見てしまう貴郎の面俤を私の胸の中から、お忘れなく取り奪って、そうしてからお帰りなさいませ。執念深い私に見込まれたのが貴郎のご不運。それまでは、マアお帰しすることはできません。エエ口惜しい、人にこれほどの心配をさせておいて、優しい言葉一つも掛けてくれない男……」と、涙の水を片手に、嫉妬の火をもう片手に、火と水を一度に責め立てれば、男の根性が鉄のように固くなっていても、鍛冶の際にで出てくる金属の屑のように、ぼろぼろとなって、腹の中で、
「ウー、この女は馬鹿に己に惚れていやがる」と、増長させる鼻毛を確かに女の手で引っ張られて、その夜は夜更けの鐘が仲人となって仲直りし、翌日からは又々、いそいそと通うようになるのでございます。
第二十は『幻術』でありますが、これはしっかりと経験を積んだ女でなければ気づかない極秘の事柄であります。元来世の中には言えないこと、できないことがございます。道理というものがあり、人情というものもあって、随分七面倒くさいものでありますけれども、馬を鹿と言い、鷺を鴉とし、道理を破り、人情を乱し、自己の思うまま勝手に攪き回すことのできるのは幻術の中だけのことであります。この幻術を横から覗いて書いたヘボ小説などは腐るほどありますが、本当の幻術を見たものはおりません。
幻術とは夢であり、この夢の中のことは他人が知ることもできず、道理も糺すことができず、縦横無敵、勝手次第であります。であれば、夢の中では憎いと思う奴を殺すこともでき、千里も隔たった人に逢うこともでき、どんなことでも自由にできるので、この夢を嘘として作れば、孫悟空の魔法よりもっと自由に何でもでき、しかも夢の嘘と夢の実とは当人しか見分けることが難しいので、手練手管もこの幻術を使うに至ってはその極みにあって、それには深いちゃんとした道理があり、大自在の魔法が確かに行われる大秘密があるのでございます。それを一々あからさまには説明しませんが、次の実話をよくよく味わって、会得していただきたいと存じます。
ある男がおりました。若い時から自己中心的なふしだらで、女に対して憐れんだり、優しくすることなどまったくなく、ただ金があるに任せて自分勝手な振る舞いをしておりましたが、ある時、吉原の遊びも格式が高いだけで、代わり映えせず面白くないと、某の宿場を素見していたところ、某小店で、二十三、四の美しい女が居るのを見つけました。
こんなところに置いておくなんてもったいないと、一夜だけ買うつもりで遊んだのですが、その待遇はあっさりとしていて、不甘所も甘い所もなく、ただその女は情夫と口喧嘩でもした後なのか、どこか憂いを帯びた様子で、何となく奥ゆかしい所があり、次の夜も、又その次の夜も通ったけれど、別段変わった面白いこともなく、少しずつは打ち解けてくるだけで、なかなか如才なく、世馴れた客あしらいに下手な所はなく、この道十年も勤めているのかと思うほどに抜け目がありません。と言って、男を別段手厚く扱うということもなく、言うに言われぬこのあしらいの巧さに、このふしだらな男も優しくなって、又通っていたのですが、ある夜の暁方、女が呻されて苦しげなのを男が気づき、起こしてみれば、ホッと息を吐き、胸をさすりながら、
「アア、苦しかった」と言う。
「怖い夢でも見たのか」と訊くと、
「凄まじいほどに泡だって漲り落ちている渓川の向こう岸に、知らない男が立っていて、私を招くので、怖々ながら心細い丸太橋を渡っていたのですが、中程に至った時、背面にも男が来て、その丸太橋を頻りに動かそうとするのです。足が縮んで、声も出せず、落ちないかと怖がっている内、終に真っ逆さまに揺り落とされ、そこで夢から醒めたのです」と言う。男は笑って、
「他の男との痴話喧嘩が心に引っかかっているからだ」と、慰めて帰ったのだが、又その女の所へ通った時、暁方に再び、女が呻されて苦しんでいるのを起こして訊けば、女は不思議な顔をして男を見ながら、又同じ夢を見たと言うので、男も少し気味が悪くなり、一日間を置いて、又通った。そして、
「昨夜はどうだった」と訊くと、
「昨夜はそういう夢は見なかった」と答える。
さて、その日も様々に遊び戯れて、共寝してのその暁方、又もや女が唸されるのに、流石の男もいよいよ気味が悪くなり、女も眼を醒まして気味悪そうに男の顔を眺めながら、深く考え込んでいたが、やがて、
「お前様と私は前世で良くない縁でもあったのか、お前様と添い寝したこの三夜、同じ苦しい夢を見ることが不思議。これは何とも理解ができないけれど、余りにも不思議なので、これからも来ていただきたいのは山々ですが、もうお通いにならないでくださいませ」と、涙ぐみながら頼まれて、男は何とも言葉が出ず、返答に困って帰って行った。
しかし、このことが気になって、昼夜忘れがたく、不思議不思議を思っていると自分の夢にも同じようなことが出て来て、いよいよこの不思議に堪えかね、親しい友人に話して、少しずつその女の様子を聞いたところ、その頃、足繁く通ってくる田舎客がいて、この女に惚れ込み、身請けして遠くへ連れていこうと相談中であった由。女は身請けされるのは嬉しいけれど、土臭い田舎者と一緒に行くのを厭がって、まだはっきり返事をしていないと言う。
この話を聞いて、男は急に女の心の底を知ったつもりになり、鳥肌が立つくらい、怪しいまでに可愛くなって、早速、田舎客よりも先に、横から攫うように身請けして、吉原の近く、箕輪辺りに囲っていたが、その後、女は逃げてしまい、行方知れずとなったということでございます。
この話はなかなか分かりにくい話で、お前様も多分お分かりにならないとは思いますが、もしも本意を悟られて、脚色を少し変えて用いることができるなら、もうこれ以上伝授すべきことはございません。
つづく