幸田露伴「艶魔伝」現代語勝手訳 二
まず、色道裏の手の第一は『顔を作ること』、即ち化粧をすることで、これが大事であるということは申すまでもございません。しかしながら、それは、白粉の付けようが濃い、薄いだの、口紅のさしようが江戸風とか京都風だのと論じ合って、薄墨を唇に擦り、玉虫色に光らせたりするということではありません。
ただ、顔形の汚い部分に気をつけ、それを取り去るように心がければ、俗に言う「垢抜け」した風になるのでございます。にきび、そばかすは、薬草の白附子を酒で練って寝る前に塗れば全治いたします。ひび、しもやけは、爪際に垢の溜まらないようにまで気を配り、普段から清潔にしていると心配はありません。
だいたいにおいて、顔の作り方は時々の流行によって変わりますが、眉を剃ったり、髪の生え際を抜いて揃えたりするのは、野暮の極みと言ってよく、やはり、素地をそのままにして、それを念入りに磨き立てて、自然と頬の産毛が無くなるくらい日々、糠か麬か小豆の粉などでざっと洗うのが良いのであります。安物の石鹸はよくありません。石鹸ならイギリス製の「ピアルス」をお使いになった方がよろしいでしょう。
夏になると、肥られた方は汗疹に困らされましょうが、胡瓜の切り口で擦ると良いのであります。
歯は怠りなく良い歯磨きで磨いていれば虫歯になる気遣いもありません。
風邪引き、頭痛、逆上の時は、必ず食後毎に口の中の掃除を怠りませんように。
髪の毛が薄赤く又は縮れたのを、染め粉とか怪しげな民間療法の薬に頼るのはよろしくありません。梧桐の葉の茎を五分くらいずつに切り、温湯に浸しておけば、しばらくするとぬらぬらとした汁が出て来ますので、これを髪を洗うたびに付ければ、色美しく黒く、柔らかに、素直になること請け合います。この方法を覚えたある女は、髪油などを使わず、いつも水髪で、髪自慢をしておりました。
糸瓜の水などは大騒ぎして作ることはありません。干瓢を少しずつ湯に浸して使えばいいのです。
半紙へ鶏卵の白身を引き、乾かしておき、一、二寸ずつくらいに切って、糠袋に入れ、それを使えば顔の色は照り輝くようになります。鶏卵一つで十回、十五回と使えます。
すべてお洒落は湯上がりに手足の爪を切るような、その場限りの気持ちでは役に立ちません。素人は一日で顔、身体を綺麗にしようと焦りますので、呉絽のようなごつごつした毛織物を垢擦りに使って鼻の頭を磨りむいたり、鶯の糞で額の艶を失ってしまったりして、大笑いの種になってしまうのであります。気を長く持って毎日のこととすれば風呂屋の三助に笑われるくらいの長湯をしなくても、一月も経てばめっきりと女振りが上がるものというもの。これらは言われなくても、よくご存じのことでありましょう。
第二には、『姿』でございます。
姿と言っても半分は衣物、履物、冠り物、帯、持ち物で、これは流行廃りがあって、これと言ってお教えするのが難しく、大概はご自分の工夫に依らなければなりません。
首付、足付、腰付、これらは姿の三要素でありますが、屈み過ぎたのは雁首、真っ直ぐ過ぎたのは掻頭首と言って、両方ともよくありません。女の首付は坐る時、雁になっても、掻頭になるな、歩く時には掻頭になっても雁になるな、と言うこの二つの言葉をよくよくお味わいいただき、真っ直ぐから屈むまでを十とするなら、七分から三分の間よいかと思われます。
腰付は浮くのもどっしり据るのも皆悪く、まずは尻を重たそうに見せずに腰を据えるのがよろしいのであります。
足付は姿の根本、もの凄く大事なことです。昔から足の指に力を入れて歩く者に美人なし、女を買う時は足の拇指を見るという女衒道の言い伝えもございます。塵埃を立てる擦り足、地ひびききする力足、これらはもちろん駄目な女であります。踏ん張り足、齷齪足、外輪、大股、蟹股、これらももちろん美人の足ではありません。
早足の女は必ず男に捨てられるもの。遅足の女はきっと友人からは馬鹿にされるもの。すべて座敷を歩く時は、軽くしとやかに。足袋半分より多くは裾の内から出さないよう。道を歩く時は、下駄の鼻緒に頼らずに、ゆたかに軽く音をさせて歩くことでございます。
第三は『嗜み』であります。
色艶をよくするためには、鳥、獣の肉を嫌わず、湯茶を多く飲まず、唾を乱りに吐かず、塵を拾って弄んだり、頻繁に鬢をさわる癖を戒め、無暗に着物を直すような仕草はせず、起居動作に骨や関節を鳴らさず、何かにつけて気を緩めることなく、例えば寝込みに踏み込まれても、醜態をさらすことなく、仮に内々で葱や韮を食べても、その後に直ぐ熱湯に酢を入れたもので嗽をし、人には判らないようにする賢い人でなければなりません。
一度手に入れた男を取り逃がしても、それは器量、容姿が衰えたのではなく、こういった嗜みが緩んでしまったことに原因があるのでございます。
みっともなく枕から頭を外して、差櫛を跳ね飛ばし、脇の下の白なまずの皮膚をを見せ、しかも鼻から提灯を出して、夢の中で落とした白銅貨を捜しているような譫言を言う所を旦那に見られては、三年の恋いも醒めようというものでございます。
下女を叱る時などには、特に色気をなくさないよう、又、嗜みを忘れないようにしなければなりません。女は情を持って人を使うべきであり、義理でもって小うるさく人を責めるのは本当に聞き苦しいものでございます。
第四は『芸』でございます。これは、それほどまでには大切なものではございませんが、三味線の調子を心得、仮名書きの走り書きには文字の角が取れて丸く、花の投げ込みをするにも自然の形を大事にして、無理に技巧に走ってはいけないくらいのことは知っておかねばなりません。
『喉は開かずとも耳は開け、手は利かずとも眼は利け』とはよく言われることでありますが、声を出して歌う一節が良いものなら言うことはありませんが、歌うことは苦手でも、せめて聞き分けるくらいの耳は持ちたいもの。声が良ければ、暗闇では美人に見えましょうし、それは一層誇らしいことでありましょう。それには塩酸カリ水で時々嗽をすることを怠らず、『龍眼肉』を常用するなどして、せいぜい喉を大切にすることでございます。
第五は『癖』であります。
これは銘々(めいめい)持って生まれたものなので、どうしようもないものではありますが、美人にあるべき癖と、美人にあるまじき癖とがございます。癖のない女には利口な男は決して惚れ込まないものであります。
物を欲しがる癖、大酒を飲む癖、泣き言を繰り返す癖、おしゃべりの癖、居眠りの癖、腹を立てやすい癖、吝惜の癖、大笑いする癖、下ネタを話題にする癖、上からものを言う癖、太っ腹らしく言う癖などは、美人にはあるまじき癖であります。
寛容過ぎる癖、ものを言わない癖、夜通し寝られない癖、自分を抑えて人を立てる忍耐の癖、考え込んでしまう癖、泣かずに恨む癖、恨まずに愁う癖、子どもを可愛がる癖、小説を好む癖、神仏を信心する癖、又は猫、蝶、螢、小鳥などのやさしい生き物を愛する癖、金銭を空費しない癖、人形を愛する癖、男に逢うのを嫌う癖、侠気ある男よりも少し出過ぎる癖など、こういう癖は、皆それぞれに深い訳があって、男を蕩けさせる癖の類いであり、美人なら支障はなく、せいぜい、悪い癖を退けて、良い癖だけを残せばいいのでございます。
以上の五つは色道裏の手の基礎で、これから先はいよいよ男をたらして、藁で括った海鼠のようにグニャグニャにし、塩を掛けられた蛞蝓の如く、トロトロ蕩けさせる手管の魂胆、手加減、眼加減、秘密の大事な所をお話しいたしますので、よくよくお読みいただき、ご理解いただきますように。
つづく