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幸田露伴「艶魔伝」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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幸田露伴「艶魔伝」現代語勝手訳 一

幸田露伴作「艶魔伝えんまでん」を現代語訳してみました。

本来は、原文で読むべしですが、現代語訳を試みましたので、興味ある方は参考までにご一読くだされば幸いです。


自分の訳したいように現代語訳をしていますので、厳密な逐語訳とはなっていません。

超意訳と言うよりも、ある意味勝手な訳となっている部分もあります。

浅学、素人訳のため、大きく勘違いしている部分、言葉の大きな意味の取り違えがあるかもしれません。その時は、ご教示いただければ幸いです。


この「艶魔伝」は元々「新さぎ娘」と題され、それが「風流魔」と変更され、最終的に「艶魔伝」となったとのこと。

また、著者名も「風流魔」までは「蝸牛露伴」、「艶魔伝」でも「奈落 安」→「奈落 三次」と変遷しており、「艶魔伝」で「上篇」とありますが、「中篇」も「下篇」もない。少しばかりややこしい背景を持った作品です。


原文はいわゆる「候文そうろうぶん」ですが、現代語訳をする時には、それは気にせず、意味のつながりを重視して訳しました。


この「艶魔伝」は明治24年2月発行の「しがらみ草紙」に収められており、そこには本文と共に、思軒居士による『風流魔に引す』、学海老人による『風流魔を読みて』、並びに露伴自身の『風流魔記』の三つの文章が収められています。ただ、この現代語訳では、露伴の『風流魔記』だけ、現代語訳しています。


この現代語勝手訳を行うにあたっては、「新日本古典文学大系 明治編22」幸田露伴集を底本とし、実際の訳をするに当たっては、その脚注を参考にさせていただきました。


 風流魔記


 風流魔は私の旧作であります。私はかつてこの作品を出版し、世に出そうと春陽堂書店の主人に頼んだのでありました。主人は同業者の中でも男気のあることで有名な人物でありましたが、一見して「これはお引き受けできません」と断りを入れられました。曰く「内容は常識をかけ離れており、個人的にも差し障りがあって、これを公にするには堪えられない」と言うのであります。

 そのため私は再び、金港堂書店に依頼をしたのでありますが、金港堂もまたこれを出版することには難色を示したのでありました。

 たまたま最も深く私を愛してくれる婦人がこの原稿を読み、憂い悲しんだ様子で、しかし姿勢を正してこう言ったのです。「この作品を読んで感想を述べられた『学海老人』の言葉は本当にあなたを正しく理解されておられます。私もまた、あなたが知識層からそしりを受けることに心をいため、又、女性からねたみを買うことを悲しむものであります。あなたが幸いにも私を愛してくださるのであれば、私もこう言葉を加えます。やはり、これを公にすることはなりません」と。

 そのため、私は遂に意を決してこれを焼いたのでありました。しかしながら、原本の写しはまだ存在しているのであります。独りつらつら思えば、知識人たちから酷評されたとして、私に何があるというのか。女性が厭がる所があったとしても、私はそれで何かやまいを得ることになるのか。私は自分が興に乗って文を綴る時には、仏にも遠慮せず、夜叉をもおそれず、最初から寵辱ちょうじょく、即ち、名誉や恥辱という言葉は忘れているのであります。文に関して酷評され、嫌われるのは、この作品は初めからその程度のものであるからだと捉えております。私は唯、あくせくして寵辱ちょうじょくの何たるかを忘れてしまうことができないのを恐れ、自分が心底興に乗じて文を書いてはいないのではないかを恐れるのであり、そしられることも、厭がられるのを恐れはしません。私は常々思っているのでありますが、自分の書く文章が、一流とされる人たちから深い恨みを持たれるに至って、ようやく語るに足りるものとなり、そうやって一流の人たちと仲良くなるに至って、初めて少しだけ誇れることができるのであると。

 風流魔のようなものは、まだ深い恨みを持たれるまでにも至らず、内々にしてもそしりを受けたことも少なく、逆に厭がられることが少ないのを恥じているのであります。いや、どんな余裕があって、そこまでそしりを受けたり、厭がられることを気遣うのか。

 しかしながら、彼女とのよしみもあり、悪文を人目に触れないように深くかくして世間に出さなかったのでありますが、今回新たに風流魔と題し、別に一篇、文字を連ねようとするに至ったのであります。

 今、学海、思軒しけん先生の風流魔についていただいた格調高い文章が『柵草子しがらみぞうし』に載せられるに当たり、少しばかりこのことに関して書かせてもらった次第であります。

 なお、先に出した婦人の名は「弱子」。常に私の心の海の波打ち際をそぞろ歩く女仙にょせんであります。


  明治二十四年二月


                                  露 伴






 艶魔伝


                               奈落三次 著



 上 篇


 人々足元危うき落とし穴

 仕掛けの機関からくりはこんなものか


 お手紙拝見いたしました。

 ご自身の身の上、ご器量等、詳細は承知いたしました。また、伝授金は確かに受け取らせていただきました。


 さて、色道と一概に申しましても、表裏おもてうらがあり、表とは律儀一遍の色恋で、親に隠し立てをする必要もなく、誰に訊かれても別に辛くはない筋のこと。たとえば、夫を恋い、妻を恋うようなことなので、決まり切ったお話しで、別段ご伝授のいたしようもございません。

 しかし、お前様のご身分から推察いたしまして、無論、裏の方に興味を持たれていると考え、あらかたを次に記し述べることといたします。すべて、何によらず表は易しいもので、琴曲ことも裏組を引きこなすまでには、少しばかり面倒であるように、とりわけ、この道の表はともかく、裏の手の難しさはなかなか面倒でございます。つまり、表の方は目的と言えば一つでありますから、女の道を真っ直ぐに歩いて辿り着きさえすればいいのでありますけれども、裏の方は目的が二つ。千鳥足で色恋の道を縫って歩きながら、財宝たからを拾い取るような難しいわざであることをよくよく心得ていただかねばなりません。

 その代わり、ご伝授申し上げますこれからのことをよくお使いこなされれば、天下の男ども、どんな堅物、変人であろうとクルクルと手の中に丸め込むことなど造作もなく、玉の輿に乗ろうと、猟虎らっこの布団に寝ようと、お前様のご自由でございます。

 こののち、ご運めでたく、ご出世なされた時には、何卒私へ御福分おふくわけ下さることをお忘れなきようお願いいたします。


つづく

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