桜骸記
彼女は桜だった。
桜……バラ科サクラ属の落葉高木の総称。日本の代表的な花として、古来、広く親しまれている。ヤマザクラ・サトザクラ・オオシマザクラなど種類は多く、園芸品種も多い。現在多く植えられているのはソメイヨシノ。
そう、彼女はそのサクラだった。
彼女と出会うまでの私は死んでいた。
これは比喩などではなく事実である。私は死人であった。
死人というよりも骸骨と言った方が正確であろう。
ことしの四月、私は彼女と桜の下で出会った。名前はわからない、私は心の中で彼女のことを『サクラ』と呼ぶことにした。桜の下で出会ったから『サクラ』。実にベタである。
なぜ、骸骨になったのかなど覚えていない。骸骨になってから何十年も何百年も生きていた。死ねないのだ。それと同時に間違いなく死んでいた。なぜか、私が骸骨だからである。私は死んでいると同時に生きていた。世界というものは骨組みだけのように思えた。何もかもが透けて骨だけが見えた。自分は骨だが、世界も骨組みだけなのだと。私は名前の通り骨以外は何もない骸骨である。それでも、もう少し生きようと思った。
自分のことを語るには、あまりにも物事が多すぎる。ゆっくりと私の半生を語ればそれだけであなたの半生が終るだろう。冗談だと思うだろうが、これは大真面目なのだ。
私が生まれたのは、元治一年。わかりやすい言葉で言えば江戸時代である。調べてもらえばわかるが千八百六十四年、明治になる十年前である。江戸・明治・大正・昭和と五つの時代を私は跨いだのだ。明治維新のころは十にもみたない子供であったし、第二次世界大戦も経験した。途方もなく私は生きてきたのである。
そんな私の話を少しだけしよう。
祖父や父たちは私よりはやくに死んだ。それは別に自然の摂理であるからいいのだ。悲しかったかと聞かれれば、たぶん悲しかったと思う。思うというのは何年も、何百年も前の感情だからもう忘れたのだ。私が死んだのは父が死んでから二十年後だった、と思う。いつ死んだかなどいいのだ。その後に私は骸骨になりよみがえったからだ。
先ほども話したが私は死に、そしてよみがえった。ついていた肉や内臓などはなくなり骨だけになった。骨だけでなぜ意識があるのかと言えば私にもわからない。
医師に見せてもわからないと鼻で笑われた。
私は骸骨になってから見世物小屋で働かされた。働きたくない日でも働かされた。喋り動く骸骨人間、そんな三流の名前だったと思う。見世物小屋のほとんどが偽物だった。空を飛ぶ男、刀を飲み込む男。そんな奴らはほとんど偽物で、俺だけが本物だった。奴らは、骨だけの俺を忌み嫌った。話すのは見世物小屋の出番の打ち合わせだけだった。あいつらは動物園の動物のようにうるさかった。でもそんな見世物小屋が嫌だったわけじゃない。逆にうれしいぐらいだった。衣食住を保証され遊ぶぐらいの給料はもらえたからだ。一人は楽しい。楽しかった。
俺は見世物小屋とともに生きてきた。最初の団長から最後の団長までずっと一緒にいた。見世物小屋が亡くなったのは戦争が始まる時であった。見世物小屋の団員たちは戦争につれてかれた。私は腹話術の人形だと思われて連れていかれなかった。私はごみ置き場につれてかれた。衣食住も満足にできないようになっていた。見世物小屋のころはひどかったが、それより酷いと感じた。
私は戦争中、一人ごみ置き場にいた。ごみ置き場には死体が山ほどあり、私はその中にまじって生活していた。生活していると死体は白骨死体となっていく。そしてどこかで人が死に、死体も誰かが待っていき、また白骨死体となる。その繰り返しであった。人と会うのは誰かが遺体を持ってきた時だけだった。会話はしなかった。
見世物小屋で過ごしたうるさかった日々が恋しくなった。自分の周りがうるさくて鬱陶しかった、あの日が恋しくなるなんて思いもしなかった。あいつらに会いたい、なぜだか俺はそう思った。そして気づけば、ごみ置き場を出て歩き始めていた。その日は雨が降っていた。
雨の中、私は歩いていた。歩いている時に私は考えた、なぜ私は骸骨なのだろと……今更かも知れないが、ずっと考えることから逃げていた。見世物小屋の団員には会えないのかも知れない。でも、会いに行くことが目的なのだ。歩く、歩く、雨の中、暗闇の中、私は歩く。なぜ生きているのか、なぜ骸骨なのか……、でも私は間違いなく生きている。直接につく骨を感じながら私は歩いていた。歩くのが疲れると言うことはなかった。
気が付くと日が明けていた。ふと空を見上げると、大きな桜が咲いていた。
桜の横にはきれいな女性がいた。桜のように綺麗で、サクラのような女性だった。桜とサクラは綺麗で大きかった。桜と彼女を見ているとなぜだか、涙が出た。
「どうして、泣いているんです? 」
彼女はそう言いながらほほ笑んだ。
私は彼女につられて笑ってしまった。
なぜだか、私の奇妙な人生の話を彼女にしたくなった。
彼女は桜だった。桜のように綺麗な女性だった。