神の住まう場所
今日も今日とて、憩いの街フルシエは通常営業。
狩人は湿原で貴重な獲物を仕留め、宿屋はいつも満員寸前。旅の行商人と売値の駆け引きをする住人に、大工は家の修繕や新築に忙しい。
今日この日、カインは余りの出来事に仕事を休んだ。彼はカインの家にまだいる。
『取り敢えず、君も万全の調子ではないのだろう。今日は休むといい』
そうリアがすすめると、意外なことに彼はその案を受け入れた。
「目的が支離滅裂なだけで、彼自身の考え方はきっちりしているようだな」
てっきりただの殺人ならぬ、殺神人形が送られてきたと思ったカインは、疲労困憊という様子で夕日を眺めていた。
「どうするのさ……。神を殺すなんて」
「そう簡単に殺せるものならとっくの昔に誰かがやっているさ」
ふふ、とリアは笑う。
「そうだけど……。神を殺さないと彼も死んじゃうわけで。でも、彼は過去を垣間見る上で貴重な逸材だよ?どうすればいいって言うんだよ」
信仰というのは、中々に大きな人の支えになるものである。信じるか信じないかは別だが。リアは騎士神ザルバを信仰しているがカインは無宗教。カインのみならず、魔術者というのは基本的に神でさえ研究対象である。
神にも、よく人に知られる神と、全く知られない神が存在する。前者はともかく、後者などは全く知らない神から天啓が下るという形で人に伝わることがおおい。
そもそも神は誰かに信仰されようなどと思ってはおらず、ただ自分の主義思想に近いものに声をかけているのではないかと思われている。
信仰の一部分に『神聖魔法』というものがあるが、これまた信仰心が深いから許可されるものではなく。打算的な信者は少なくないが、天啓を受けた者はやはり神の教えというより自分の主義思想を貫き、深く信じているものが多い。天啓とは、信仰で得られるものではないのだ。
「私は騎士神が彼に殺されるだろうとは思ってもいないからどうとも思わないが、快く思わないものが大半だろうな」
「だよねぇ」
リアとカインは今日の夕飯のメニューを買いに街を回っている。あと少しくらいなら、リアも手持ちで暮らせる。
「そもそも、本当にどの神を殺せって言われてるのか、どうやって殺すのかとか教えられてないっぽいし。とんだ命令だよ」
「過去の文明でさえ、どこに神がいるかというのはわからなかったということだろう。しかし、それでいて神を恨む人間がいるということなのだから……」
「過去の文明崩壊には、神が介入してきていた、ってことかな……」
「そうなのだろうな。事実は解らないが、可能性は大いにある」
「これも大発見かもしれないんだけど、どうにも喜べないなぁ」
過去の文明が、神によって滅ぼされたのだとしたら、十中八九問題があるのは人間なのだろう。カインは少なくともそう思っている。
そんな不安をよそに、二人はてきぱきと買い物を済ませる。畑で取れる野菜はそこそこに高価だが、日持ちのしない生肉や生魚は安価で手に入る。加工された保存食がやや高めなのは仕方のないことである。この街は魔獣対策が不十分なので、一番高価なものは魔獣も好む、香り高い果物だったりする。
「で、これからどうするのさ」
カインが適当に食材を選ぶ。リアは荷物持ちだ。作るのはカインの母親だが、筋力はカインよりリアの方が圧倒的にある。
「どうするって?」
「放っては置かないんでしょ?」
カインの言葉に、リアは笑う。
「流石に幼馴染なだけはあるか」
「ああいうの、嫌いだもんね。命を無駄にするとかさ」
「そうだな。放ってはおけないな」
幸い、構うには時間はあるのだ。
「知らないのなら、教えればいい」
「でも、あの呪いの手甲は?」
「呪いもそう簡単に彼を殺すことはないだろう。なんせ、彼が死んだら意味がないのだからな」
そっか、そうだね、とカインが頷く。
「取り敢えず、帰るまでに名前を考えておこう」
「僕らが考えるの?」
「あの様子では自分で決めろといっても決まらないだろう」
「この歳で他人の名前を考えることになるとはね……」
「もう十九だろう。子どもを育てている男性など山ほどいるぞ」
結婚に年齢制限はなく、当人同士の承諾があれば夫婦になれる。他、様々に禁止されているものはあるが、自分が何歳であると証明するものが一切ないので、年齢制限というのはその実ないと同じである。
カインは十九、リアは十八。リアの方が年下ではあるが、同い年のような関係を二人は好んでいるのだ。
そのまま二人で、ああでもない、こうでもないと名前を考えながら買い物を済ます。
名前には多少意味のある者もあるが、そうでないものもよくある。どうやって名前がつくのかは両親の裁量次第である。恩人や友人に付けてもらうこともある。どんな意味があるかなど、本人が気にすることは少ない。
「決まったぞ!」
リアはカインの家の扉を勢いよく開けて中に入り、商品を入れた布袋を置くべき場所に置く。
「何が決まったんだ?」
彼は椅子ではなく、木の床に直に腰を下ろしてカインの部屋にあった本を読んでいた。
「行儀が悪いな。椅子を使ったらどうだ」
リアはまるで親のように憤慨する。
「これはそこそこの重量がある。椅子だと落ち着かない」
呪鉄手甲は優秀な武器、防具でもあるが、外せないという欠点がある。金属であり重量もあるため、日常を過ごすにも多少の工夫が必要なのだ。
「本、っていうか、文字読めるの?」
「今思えば、会話もできているな。魔機文明も言葉は同じだったのか?」
「魔機文明どころか、神魔文明時代も言語は共通だったと言われているんだ。異なるのは文字だけ」
カインが説明すると、彼は本を閉じる。
「完全には読めなかったが、なんとなく予想がつく内容ではあった」
その本は、原初時代のことを書いた本であった。
「学習意欲があるのはいいことだな。そんな君にプレゼントだ!」
「名前を考えてきたよ」
カインが言うと、彼はあまり興味なさそうに二人を眺めた。
「あまり必要性は感じないが……」
「何を言っている。名前がないと不便だろう。いちいち君、だの彼、だの呼ぶのは面倒だからな」
「うん、まあ名前はいると思うよ、僕も。何かに所属するときは必須だし」
ギルドや騎士学校でもそうだが、身元はともかく、名前は必須事項である。ある意味では、信頼ですべてが成り立っているため、その信頼が崩れればすべてが終わるとも言える。家名が汚れるというのは、何よりの恥と考える人もいる。
「君の名前はジン。ジン・ランドルフだ!」
「そうそう、ジン、って、ランドルフ!?」
カインはリアを凝視して驚きの声を上げた。
「問題があるのか?」
ジン、と聞きなれない名前を聞いた彼も、どこか訝しそうにカインを見ている。
家名をランドルフにしたということは、リアが彼を家族の一員として認めたということになる。今、ランドルフ家の全ての権限はリアにあるので、このようなことも諍いなく可能である。
「問題があるのか?ランドルフ家も私一人だ。弟というのができてもよかろう?」
弟。カインはその言葉に、少しだけ安堵した。
「お、弟、ね」
確かに見れば、ジンの背はリアより少しだけ低く、カインより少し高い。実年齢はわからないが、年下、のように思える。顔や性格は似ても似つかないが。
「ジン……。風の暴精の呼び名か」
「あ、やっぱ知ってたか」
風の精霊、その名を一般的に「シルフ」と呼ばれる。「ジン」というのは、風の精霊の中で暴風や強風、竜巻などを司ると言われる精霊の呼び名だ。実際に存在するのかどうかは確認できていないが、穏やかな風と、竜巻が余りに違うさまから、こうして別の名称をつけられることもある。
「今は風の刻だしな。シルフだと、少し可愛らしいだろう?」
「まあ、リアやカインがいいのならそれでいいが……」
ジンは特に反対する理由も、賛成する理由もなく、ただそれを受け入れることにしたようだった。
「それで、ジンはこれからどうするの?」
神を殺す。そんな途方もない無理難題を背負わされたジンがどうするのか。カインには少し興味があった。
「そうだな……。取り敢えず、龍族か巨人族に挑もうかとは思う」
「……なんだと?」
リアの表情が険しいものに変わった。
「神に挑むにしても、どこにいるのか分からなければ意味がない。そして、神と直接敵対したことのあるのは龍族と巨人族だ」
そして、龍族と巨人族は、おとぎ話ではなく。確かにこの世界に存在する、神と戦うだけの力を持った生物なのである。
「もしかしたら、神がどこにいるのかを知っているかもしれないしな」
「……リア、これ、本気だよ」
カインはその計画性に多少の驚きを覚える。
神に挑む、という途方もなく思われていたその目的は、この二種族でどうにかなるかもしれない。そんなことをカインには思わせた。
「だが、龍族も巨人族も、人一人が立ち向かうには余りに強大な力だぞ?」
「それは理解している。が、手がかりがそれしかないのだから仕方ないだろう」
ジンの瞳には迷いがない。それはリアもわかっている。
迷いがないというより、選択肢がないのだ。彼は彼なりに、自分が手甲の呪いに犯されず生きる方法を模索している。その方法が絶望的なだけで。
「よし、じゃあ私と手合わせをしてもらおうか」
「どうしてそうなる?」
ジンはよく分からないとカインを見つめた。僕にもわからないよ、とカインは首を横に振った。
「強くなるには修行あるのみだ!私に負けているようなら龍や巨人など夢のまた夢だからな」
「確かにそうだが……。まあ、いいだろう」
ジンも腰を上げる。
「リアのそういうところ、変わってないね」
カインが笑いながらリアを見る。
「昔は僕の魔法に耐えるんだー、って、随分無茶してたし」
「結果、根性でどうにかなるものではないと知るのにだいぶ時間がかかったな……」
リアは昔から、誰かを守る力を手に入れようと躍起だった。
しかし、その強さを得るやり方はいつだって精神論で、特訓と称した何かに付き合わされるカインはいわれのない罪悪感と、魔法を手加減する術をこの時に得た。
「しかし、今は違うぞ。戦いの経験も多少あるし、腕に覚えもある。場所は街外れでいいだろう。さあ、行くぞ――」
とリアが足を進めようとすると、ジンが引き止める。
「剣と盾は持たなくていいのか?」
「君は素手だろう。そんな相手に剣など――」
「持ってきたほうがいい。俺を素手だと思っていると容易く負けるぞ」
呪鉄手甲。
その鈍色の輝きは余りに暴力的で。その危うさをリアは感じ取る。
「……そのようだ。先に言っててくれ。準備をしてくる」
そうして、リアは自宅に戻った。
「俺たちは先に行こう。案内を頼む」
カインは、はいはい、と苦笑して外へと足を向ける。
「案外、冷静なのだな」
「何が?」
ジンの言葉に、カインが振り返る。
「いや。もう少し反応があると思っただけだ」
カインは、リアとの手合わせに慣れている。が、それ以上にリアという人間のことを理解している。
「リアは昔からああだから。ああ見えて無茶はしないから、大丈夫」
「なるほど。信頼している、というわけか」
「まあ、ある意味ではね。リアはああしているのが一番だよ」
「それは好いている。ということか」
「え!?いやー、うーん、どうなのかな」
「リアではなく女騎士が好きということか?カインの蔵書にはそれらしき物語が沢山あるが――」
カインが焦ったように辺りを見渡す。まだ家の中だ。誰も居はしない。
「そ、それは誰にも言わないでね!?」
ジンは不思議そうに、だが取り敢えず頷いた。
「で、好きなのはリアか、女騎士か、どっちなんだ?」
その答えを、カインは決して答えなかった。