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奇妙な男Ⅱ


「さっきから声かけてるが起きやしねえ。それに、見ろよ、コイツの腕」



 腕?リアは僅かに見える腕を見る。



 黒い――。手甲のようなものか?いや、それにしてはどこか生々しい。



 リアはこんな代物は見たことがなかった。




「まあ、なんとか起こしてみるさ。なにか起きたら頼む」



 男はカインの方を向くと、カインは強く頷いた。その合図で男はリアの後ろに下がっていく。



 カインも信頼されているのだな。そうわかって少し嬉しくなる。



「君。こんなところで何をしている?」



 尋ねるも、返事はない。



 本当に寝ているのか?死んでいるのではないだろうな。まてまて、死人を見るのは私とてそう慣れているものではないぞ――。



 沈黙の中に、焦りが生まれてきたその瞬間のことだ。



 ムクリ、と布切れが動き、その人物が顔を上げる。



 生きていたか、良かった。とりあえずリアはそう思う。



 しかし、きゃあ、と周囲から悲鳴のような戸惑いの声が上がる。



 その人物は、男だった。髪の色は闇夜に溶けるような黒い色で、ボサボサにあちこちが跳ね回っている。



 顔は泥汚れが酷いが、まだ若く、瞳の色も綺麗な黒色だ。



 黒い瞳と髪は珍しい。魔力が体内に宿る時に、何かしらの反応を示しているものだとされる。親子であっても適性のある魔法の性質が違えば髪の色も瞳の色も異なる。まあ、才能は遺伝すると言われているし、ほどよく似たような色になる事が多いが。



 黒の瞳は魔法適性が限りなく薄いことを示している。逆に、適性の高いエルフはブロンドや銀髪などの色素の薄い色になることが多い。



「黒い髪と瞳かぁー……」



 魔術に詳しいカインもこれには驚いた。



 魔法適性がない、ということは魔法の素質がない、ということでもあるが、それはそもそも母胎にいるときから魔力に強い抵抗力を示しているという事である。つまり、生まれながらにして魔法に強い抵抗力を持っている、という利点もある。



 彼は辺りを見回した後に、一番近くにいるリアに遠慮なしに視線を合わせた。



「……どうやってここに?」



「歩いて。ようやく人里を見つけたので、水を貰うついでに寝させてもらった」



 歩いて?やはり湿原を超えてきたのか?馬鹿げたやつだ……。



 リアはため息をつく。



「そうか。だがここで寝ることはあるまい。ここは多くの人が使うのだぞ」



 彼は周囲を見渡して、事のほか大きな事案になっていると気づき、リアにまた目をやった。



「それはすまない」



 彼は全く悪びれない素振りで言った。



「だが、少し事情があって服もなにも持っていない。余った衣類があればいただけると少しは文化的になるとは思うのだが」



 それは要望というより交渉のような口調だった。



「何も持っていないとは……。湿原ですべてを投げ出してきたのか?全く、身の程知らずとはこのことだな」



 極々稀に、ではあるけれど。



 湿原で見たことのない魔獣に襲われた、だとか、平原で山賊に会い持ち物全て剥がれた、という人間がいる。



 会話からして、その類だろう、と、皆が安堵の溜息とともに散り散りになっていく。



「姉ちゃん、すまないな。あとは俺たちで――」



「いや、最後まで私が受け持とう。どうせ昨日来たばかりでやることもない。済まないが、立ってもらえないか?水汲みは一日の大事な仕事なんだ」



 リアが言うと、彼は従順に立ち上がった。



 その無造作な様子に、リアは顔を背ける。



「……馬鹿者!隠すところは隠せ!」



「隠すところなどないが?」



 しかし、男は平気な顔でそう言い放つ。



「カイン!君の服をわけてやってくれ!」



 リアは視線をカインの方に向ける。



「どうかなぁ……。僕より少し大きいよ。まあでも、いらない服を貰うことはできるし。一旦家に行こうか」



 そうして早朝のゴタゴタは解決し、フルシエにいつもの一日が訪れた。



「どうだー?」



 カインの家で、早速男に衣類を着せる。



 集めたものを渡すと、『着方が理解できない』と言ったので、カインに教えさせている。



 扉の向こうから返事はない。



「全く、命知らずなやつめ……」



 リアはそう一人愚痴った。



「しかし、変な雰囲気の男だったな」



 こちらを警戒するわけでもなく、信用するわけでもない。何も考えていないような瞳だった。しかし、力強さだけはあり、気圧されてしまいそうなどっしりとした何かがある。リアはそう感じていた。



「名前も、どこから来たかも、ここがどこかも何も知らない、とは?」



 記憶喪失か、とも思ったが、それにしては精神的に安定しているようだった。騎士学校にいたころ、稽古のショックで一時的な記憶喪失に陥った同僚はまるで子どものように全てに怯えていたのに。




 そんなことを考えながらぼうっとしていた、その時。



「リア!!!」



 カインが大層興奮してリアの部屋に入ってきた。



「どうした」



「ないんだ!」



 ない、とは何がだ。リアは冷静に対応する。



「何がないんだ。服が足りなかったのか?」



 不要な衣服を募集したところ、サイズはともかく結構な量が集まった。



「そうじゃないよ!ないんだ!」



「だから何がだ」



 要領を得ないカインは、驚いているというより正直興奮していた。



「性器がだよ!」



 その言葉に、リアは一瞬顔を赤らめ、そして焦る。この手の話には弱いのだ。



「ま、まさか女だとでも言うのか!?あの体つきはどう見ても男だろう!?」



 しかし、カインは首を振る。



「男とか、女とか、そういう意味じゃないんだよ!文字通り、『ない』んだ!」



 そんな馬鹿な――、リアがそう返そうとしたとき、奥から男が堂々と歩き出す。



「なにか問題か?」



 正しく全裸のその下半身に。



 確かに、男でも女でも、確かにあるべきものが。



 無かった。




「――どういうことだ」



 その後、カインの家で、温かい飲み物を淹れて貰い、三人でテーブルを囲む。



 彼に事情を聞かねばなるまい。そう判断した。



 木製のカップにはハーブティが注がれ、彼は怪訝な顔と、慎重に匂いを嗅ぎながら、それを啜って飲んでいた。



「人間なら、絶対にあるんだよ。性器って。有り得ないよ」



「そうだな……」



 あまり直視は出来なかったが、リアも確かに確認した。



 性器がない人間など、有り得ない。亜人族にだってある。ないのは一部の魔獣だけだ。



「それに、その手足。異常だ」



「うん……。彼にもだけど、この手足にも強力な半魔術作用があるよ。それに、触れてみたけど人間の肌じゃないね。金属みたいだ」



「これがか?」



 リアが彼の手足に張り付いた、と言おうか、その黒いものに瞳を向ける。



 どこかぎこちなさそうだが、人間と同じように物を持ったりはできるようだった。



「呪鉄手甲だ」



 その時、彼がそう言葉を発した。



「呪鉄、手甲?」



 カインが興味深そうに聞き返す。




「元は魔力に反応して伸縮する拷問用の道具だ。そう簡単に解除できないように強力な魔術を用いたり、魔術の効きにくい鉱石などを手間をかけて加工する。それを武具に応用したものがこの手甲だ」



 彼は手の指を曲げ伸ばし、その感触を確かめる。魔力によって硬化させることができるようだ。


「しかし、拷問用の道具としての側面は生かしてある。魔力によって制御され、着用者が不都合な行動をとると金属が内側に侵食して死に到る武装だ」



「なんだ、その非人道的な魔法は……。いや、魔法なのか?」



 リアが表情を忘れたような顔で聞き返す。



「大まかには違う。『呪術』と呼ばれるものだな。この手甲は魔機が栄えた頃、魔力の強い異端者を大人しくさせる事が目的だった」



「魔機!?それに、呪術!?」



 カインが何かを思い出したように立ち上がり、自室へと走っていく。



 普段から本で一杯のカインの部屋は、男の服も散らばっていて正しく混沌としていた。



「一体、何がどうなっているんだ……」



 リアが自体を飲み込めず考える事を止める。



「魔術の禁忌に触れた一派だ。知らないのが当然だろう。この時代には魔機もないようだし、だいぶ時間が経った様だ」



 男は悠々とハーブティを飲んでいた。その平静さがどうも気にかかる。



「だいぶ時間が経った、などと……。君は大昔の人間だとでも言うつもりか?」



「そうだが?」



 きっぱりと言い切られるが、正直歴史を知らないリアには判断の使用も無い。リアは話題を変える。



「どうやって生き残った?」



「生き残った、というよりは、魔機によって眠らされていた、というのが正解だな」



「その、魔機、というものはどこに?」



「目覚めた施設はもう海の底だ」



「そんなものをつけられていて、怖くはないのか。その、禁を破れば死ぬ、のだろう?」



「怖くはないな。禁を破らなければいいだけだ」



 どうもこの男からは、緊迫感は感じられない。相手の命を縛ってまでやろうとする事柄が安易なわけはないし、命を縛られているという危機感もないようだった。



「呪術!これだよ!」



 その時、カインが所々に服を載せて一冊の本を持ってきて、急いで開く。



「今でこそ魔法は大凡三つの種類に分類されるけれど、過去はそうじゃないんだ。人類が魔機時代の騒乱を終え、あえて人類が受け継がなかった『負の遺産』。それがこれだよ!」



 人類が存在せず、竜と巨人が闊歩したと言われる原初時代。


 エルフが栄華を極め、魔法が栄えた神魔時代。そして人間、亜人、エルフ、各種族が独立した文明を築いた魔機時代。




 それぞれの時代に移行するに当たり、大きな破壊と再生があった、とされる。しかし、それが何によってもたらされたのかは記されることはなかった。


 

「人はずっと生き残ってる。でも、今魔機はないし、過去の技術を受け継いだ人もいない。これっておかしいよね」



「まあ、不思議なものだな。一時代を築いた文化だったのだし、少しは受け継いでいるかとは思ったが。魔機は全く使っていないのか?」



 彼自身も不思議そうにカインの家を見まわした。



「ないな。たまに遺跡から発掘されはするが、使い方もわからないガラクタばかりだ。それを研究している人はいるがな」



 リアが答える。



「そうなんだよ。僕らが知ってる歴史には、謎が一杯だ。何故滅びたのか。なぜ文化を継承しなかったのか。まるで何かを隠したいみたいじゃない?だから歴史家は、闇に葬られた『負の遺産』を躍起になって探してる」



「この手甲が、過去の文明が滅びた一因だというのか?」



 リアが言うと、カインは真剣見のある顔で見返した。



「可能性はあるよ。その辺どうなの?君は何か知らないの?」



 カインが男に聞くと、男は首を振った。



「俺は生まれた時にはもう施設の中で自由は無かったし、直ぐに眠らされていたからな。在る程度人としての分別はあるが、それだけだ」



 そっかぁ、残念、と正直に落ち込むカインに、リアは声を荒げる。



「おいカイン、まさか彼が本当に大昔の人物だと思っているのではないだろうな?」



「え?思ってるよ?だって在り得ないもん、この呪鉄手甲って奴。それに、人間にはあり得ない身体の構造も」



「俺の身体は目的遂行の為に戦闘に特化されているからな。不要な物は身体が形成される以前から意図的に排除されている」



 その発言に流石のカインも言葉を失った。



「ね、ねぇ、そういうことってさ、魔機時代は結構主流だったのかな?」



 彼は首を横に振って答えた。



「まさか。人工生命など、頭のおかしい人間しか研究などしない。見つかれば即処罰されただろうな」



 人工生命。その単語にリアとカインは再び瞳を合わせる。



 過去が生んだ「負の遺産」。それはカインやリアの予想を超えた代物であった。



「もし仮に、君が過去から何らかの方法で今この時代にいるとして。君の目的はなんなの?」



「正確に言えば、俺を創った人間の目的だな。その意に反する事をすればこの呪鉄が俺の身体を締め上げる」



「で?何が目的なんだ」



 リアが苛立つように聞くと、彼は躊躇いもなくそれを言葉にする。



「神を殺すこと」



 一瞬の沈黙が、部屋に流れた。



「……神、って、どの神?」



 カインが恐る恐る尋ねる。



「わからない。ただ、神を殺すこと。殺し続けること。それが俺に課せられた使命だ」



 それは、生きるための目的ではなかった。



「殺し続けることって、いつまで?」



「いつまでもだ。それが俺の存在意義であり、生まれた理由だ」



 カインは今までの熱が急激に冷めたように、一歩、二歩と後退していく。



 無理もない。彼は過去から送り込まれた神を殺す兵器だったのだ。



 そしてリアは彼のことをよく理解する。



 性器がないのは、人間としての弱点を無くすためだ。女は定期的に生理が来るし、男は物理的な弱点になる。戦闘人形には不要というわけだ。



 記憶がないのは、余計な未練をなくすためだ。神を殺さなければ死ぬ。何も知らぬ彼は、ただ生存本能と使命感だけでここまでやってきたのだ。



 そして彼は適うとも思えない神に挑み、そして挑み続けなければ死ぬ。なんという人生か。



「……気に食わないな」



 彼が、ではない。彼が魔術で作られた云々はいい。リアには理解できない。ただ、創ったと言うなら親同然。それをどんな理由があろうと使い捨ての殺神人形にする過去の人間どもが気に食わなかった。



 やはり外法は外法でしかないのだ。負の遺産など受け継がなくて良かったのだ。リアはそう思った。



「で、君はこれからどうするのだ」



 リアは名も無き彼に聞く。名前さえ付けてもらえなかったのだろう。



「さてな。とりあえず神を殺すにしてもそう容易くはないだろう。これもある程度強力な術具だがが、神に通じるとは思えん」



 彼は両腕を他人の腕のように見渡す。



「案外冷静なのだな」



「簡単に死なないようにできているからな」



 淡々と生き死にの話をするのが、実にリアの苛立ちを募らせる。



 作られた、だの、そう出来ている、だの、くだらない。しかし、同時にまだ彼はそれしか知らないのだとも理解している。だから、リアはそういったことは言わないように努めた。



 その目的しか持たず生まれた彼を、頭ごなしに下らないと否定してはならない。彼はいわば、まだ子どもなのだ。



「神は、まだこの世にいるか?」



 彼からの唐突な質問に、つい左目を意識してしまう。聖痕が疼く。神は、自分に彼をどうしろと言うだろうか。リアは己が信念に問う。



「いるさ、神は。この世界のどこかに」



 リアは真っ直ぐな瞳に向き合い、そう答えた。

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