頼りない盾Ⅲ
以前の文明、魔機学文明の崩壊から、世代で言えば十世代。更にその前の神魔文明だとその数倍の時間が空いていると言われている。
「流石に騎士学校でみかけたことはないがな」
リアが言うと、カインは笑う。
「エルフは肉体的には脆弱だからね。騎士になろうなんてのはよほどのもの好きだよ」
ひとしきり笑ったあと、カインは変わらぬ笑顔をリアに向けた。
「おかえり、リア。久しぶりだね」
「ああ、ただいま。随分変わってしまって、戸惑ったぞ」
「そうだね。あんまり放置しちゃうとリアの家も誰かが住み始めるかもよ?」
「そうだな……。騎士になれば帰る機会も減るだろうし、そういうことも考えなくてはな」
「ガルバディに新しい家を買うってこと?」
リアは苦笑して首を振った。
「まさか。騎士になればあっちへいけこっちへいけと指令が飛ぶ。それに、いつ帰れるかもわからない。家を持つのは当分先だろうな」
その発言がいかに騎士というものが厳しいものか、それに伴うリアの覚悟も見て取れた。
「凄いね。僕には真似できない」
尊敬しているようで、すこし落胆した瞳を、カインはリアに向けた。
「カインもだぞ。魔術の才能があるのだし、アルメデオにでも行ったらどうなんだ?」
その話に、うーん、とカインは苦笑いを返す。
「アルメデオは、なんていうかちょっと違うんだよね」
「違う?何がだ?」
「まあ、そこは歩きながら話さない?今日はうちにご飯食べに来なよ。アテないんでしょ?」
「……世話になるよ」
リアは剣や盾の使い方こそ学んだものの料理などの技術はさっぱりである。そのあたりを見抜いているあたり、流石幼馴染、ということなのだろうか。
どうもカインの授業はこれで終わりのようだ。
「僕だけが教師じゃないしね。やっぱり、体育のネギルさんは人気者だよ」
子どもはやはり体を動かしたいもの。ネギルという人物は大工の一人だ。毎日重い木材を運んでいるだけあって、体力と筋肉には自信がある。
「カインの授業も悪くはないと思ったがなぁ」
「僕の専門は魔法の適正検査も兼ねてるからね。魔法は使えればいろいろ変わるし」
「そうだな。昔よく大工のみんなに木材を魔法で切ってくれと頼まれていたな」
「今もたまにやってるけどね……。みんなには分かんないだろうけど、あれかなり精霊にお願いしてやってもらったんだからね?」
さすがに今は魔術でやれるけどさぁ、とカインが愚痴る。
何も変わっていない。カインの口調だけで、この街が故郷であるとリアは思えた。
見慣れない道を見慣れた風にリアは歩く。
「で、結局カインはアルメデオに行く気はあるのか?」
「んー、今のところはない、かな」
「なぜだ?あそこは魔法の研究と遺跡調査の最先端だろう」
そうだけど、とカインはつぶやくように言う。
「アルメデオで研究するのは、僕に言えばちょっと視野が狭いんだよ。あそこは、あの地下にある遺跡が全ての鍵でしょ?でも、そんなことはないと僕は思うんだよね。だから、僕は別のところを、自由に探索して、別の可能性が欲しいんだ。それに、アルメデオが出来て長いけど、成果は今一つみたいだし。別の可能性を探したほうがいいと思うんだよね」
事実、アルメデオが新事実を発見したという報告はここ暫くない。
「だが、なんにせよここにいては何も発見できないと思うんだが」
「うん、だからね、考えてるんだ」
カインは意を決していう。
「冒険者、ってどうかなってさ」
冒険者。それはとどのつまり、何でも屋である。
この世界には、いろいろな厄介事がある。蛮族の侵攻などはここ数百年無いが、魔獣という生き物が村を襲うとか、何かの護衛だとか、ペットが逃げただとか数えればきりがない。
基本的に大事は騎士団が受け持つのだが、小さな事案に騎士団を動かすわけには行かない。騎士団を出動させるに当たる全ての費用は国が支払い、その費用は国民から収められる税で賄っているからだ。政治的理由も絡み、騎士団の腰は重い。
しかし、日常的にトラブルというのは起こるもの。
そこで生まれた職業が何でも屋、冒険者である。
依頼を受け、それをこなす。そして報酬を得る。
それが例え失せ物探しでも、魔物退治でも、依頼を受けたら何でもやる。冒険者というのはそういった職業である。
ガルバディやアルメデオという大都市には、その依頼をまとめるギルドが複数存在し、そこから冒険者たちは仕事を受ける。失敗すれば報酬はないし、危険な任務で死ぬこともある。規模は劣るが、ここフルシエにも一軒ある。
死ぬも生きるも自己責任。やるもやらぬも自己責任。それが冒険者である。
「――お薦めはしないな」
話を聞き、リアが目を細める。
「え、なんで?実際ヤバイ?」
ガルバディにあるギルドの現状を知るリアは、否定こそしないが推奨もしない。
「死亡率は高い、と聞く。騎士団と違い、個人で全てを準備しなくてはいけないからな。不慮の事故で魔獣に、というのは多いらしい」
騎士団は基本的に必要なものは支給されるが、冒険者は違う。
「更に、冒険者の依頼というのは、非合法なものもある。一見容易い依頼に見えるが、実は裏があった、という話も聞く。王都では貴族が無理難題を高額で依頼し、冒険者を困らせているそうだし」
実際のところ、冒険者というのは使い捨てのコマに似ている、とリアは思う。ガルバディでも、顔の知らぬ冒険者が死んだという話は噂にもならず消えていく。知り合いに勧められる職業ではなかった。
金持ちが気ままに死地へ送り出すことも、無駄死にさせることも不可能ではない。冒険者として稼ぐということは、冒険者として生きるということ。
「冒険者に必要なのは、実力などではなく、そういった生き方が上手い奴、だという話だ。カインはそういうものは苦手だろう?」
「う……うーん、そうかも」
冒険者。
一言で言えば便利屋だが、その苦労は普通に生きるより何倍も多い。
「徒党を組めれば別だが、それはそれで取り分の問題も出る。その問題で分裂する輩も多いらしい」
バラバラでいいと思われつつも、実のところ統率力というものが必要である。リアにもカインにも、それはないもののように思われた。
「はぁ……。やっぱ無理かなぁ」
盛大な溜息とともにカインが言葉を吐き出す。
「アルメデオに行ったほうが安全だとは思うんだけどさ……。でも、やっぱり何ていうのかな。既存の遺跡とかより、誰も知らない場所で、何か新事実を明らかにしたいんだよ。それが世に出まわらなくてもいいんだ。この世界に、本当は何があったのか。僕はそれが知りたいだけなんだ」
カインの気持ちは、少しばかりリアにはわかる。
「蛮族領でも制圧できればなにかわかるかもしれないのだけどな。まあ、今すぐに、というのは無理だろう。平和であるだけ、まだマシ、と言うことじゃないかな」
「リアは本当に平和主義だね」
「命あってこその物種だからな。死んでしまっては元も子もない。カインには悪いが、私はこの世界の真実より理不尽に死ぬ人がいない世の中を造りたい」
カインは昔を思い出したようにリアを見つめる。
時は経ち、お互いの目指すものは違っても、二人は幼少期のままだ。
「変わらないな」「変わらないね」
二人はそう言ったあと、小さく笑った。
「でも平和って言ったって、蛮族領も静かなものだし騎士団の仕事もないんじゃない?」
「そうでもないんだよ、それが……」
リアは物憂げなため息をついた。
「騎士団というのは、基本的に人民を守るために結成された組織だ」
「ん?まあ、そだね」
騎士団の意義は、蛮族から命を張って人民を守ること。それは、蛮族の侵攻が多かった一昔前では皆が憧れる職業だった。
「だがなんというか、今では職業騎士のような人間が増えてな。平和だからといって責務もこなさず、ただ楽だからという理由で騎士を目指す奴も多い。それに、上層部だ。騎士団は基本的に王都の命令に従わなければならないのだが、その命令がガルバディの治安悪化に繋がり、その鎮圧を騎士団がしているということもある」
ガルバディは王都の許可によって、騎士団によって統治が認められた都市だ。しかし、騎士団という物自体が王都に属するものゆえ、王都の命令に真っ向から反することはできない。
「蛮族領の動向もわからない以上、内部分裂は避けたいしね。騎士団が譲歩する他ないわけか」
「そんなところだ。正直、このまま騎士を目指して私が理想とする仕事に付けるのか、多少疑問に思う節もある」
リアの不信は、そんな小さなところから生まれた。
「うーん、まあ、現実と理想のギャップってのはあるものだしね」
「そうだな。私もそれを突きつけられたところだ。さっきのはその鬱憤を晴らしたかっただけなのかもしれないな」
すまない、とリアがカインに謝ると、カインは笑顔で返す。
「僕はこの街から出たことないしね。冒険者も、正直思いつきというか理想というか。そもそも、一人で冒険者になるなんてことができるなら、とっくの昔にリアみたいにここから旅立ってるよ」
カイン・マルテルギアは、小心者だ。才能こそあれ、自分では自分の道を選べない。才能の持ち腐れ、とはまさにこのこと。正しく、魔法の才能がある『だけ』だ。
「現実とは、なかなかに上手く行かないものだな」
リア・ランドルフは偽善者だ。
結局は人を傷つけることに臆病なだけだ。カインのことだって、突き放して、冒険者にしたほうが今よりずっといいに決まっている。しかし、その決断を下せない。死ぬよりはいい、という言葉で、正当性を保っているだけ。
そんな二人は、傷を知っていながらも、触れつつも、痛まぬように、互いを刺激しつつ。それが何かを変えると願うように、その日を過ごす。
しかし、世界に、そして二人に劇薬となる人物はすぐそこまで迫っていて。
深夜、フルシエより北の山道を、一人の男が行く。
「……おい、お前について言っていいのか」
男の前方には、光る何かが先導していた。その光は眩く、そして温かい。
男が返事を待つように脚を止めると、その光も歩みを止める。男が別方向に歩こうとすると、素早く先回りしてゆくべき道を照らす。
「なんなんだ、お前は」
男はローブ一枚の他何も着ておらず、しかし肉体的には傷一つなく。しかしその態度は悠々としたもので。
何かから逃げてきたものであるのか、それともただの変態か。人が見れば判断に戸惑う程の堂々とした態度だった。
男が不審に思い立ち止まっていると、光は早くしろとばかりに辺りをうろちょろと駆け回ってとても落ち着かない。
「わかったよ。行けばいいんだろう?」
男はその奇妙な光に導かれるように歩みを進める。
漆黒に覆われた腕と足は、靴などなくとも平気で何もない山道を往く。
「外に出て初めて会うのがお前のような奇妙な生物とは……。やはりそうそう上手くはいかないものだな」
男は、返事のこないその光を頼りに、南へと進む。