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螺旋抄

 喫茶店は大河のような緩やかな時間がながれて、昼も夕方も引き締まらなかった。年代物のラジオと光の変容だけが時間の経過を教えてくれる。変化の少ない店内は電池の切れかけた時計のように足踏みをして、常連のお客さんが毎日似たような会話をして、みぎわのように変化に乏しい日々が続いた。

 高校生活が始まるまでに日があった。

 愛は部活動の練習があるので、俺は看板娘代わりに立派に仕事をこなしたつもりだった。だけど看板娘を目当てにくる客がいて、いないと分かると落ち込んで帰る人たちが多かった。俺は代用品にはなれないようで、自分なりに立ち回ることにした。

 千尋も愛の代わりにはなれなかった。

 愛は千尋より料理が上手で、と言っても千尋が下手という訳ではない、愛が人並み外れた味覚の持ち主で優秀な料理人でもあった。

「私じゃ、不満なの?」

 オムライスを作る手が笑っていた。

 千尋の料理技術は両親が亡くなってから格段に向上したが、それ以上に愛は料理に対する執念しゅうねんがあった。愛は料理を作る機会が多かったため、図書館で料理本を借りて、知識を実践して何度も試した。失敗に裏打ちされた料理は簡単そうに見えるけど美味しかった。

「それが勉強の分野に注がれていれば」

 千尋は嬉しそうに言っていた。

 姉妹で喫茶店を営んでいく未来が見えるのだろうか。

「勉強はできないの?」

「シン君、教えてあげてね」

 高校生だから中学生の勉強は簡単だけど、教えるのが上手いという訳ではなかった。

「まあ、教えることができたら」

「頼むわよ」

 遅い昼食を食べていたお客さんも帰り、暇な時間帯が訪れた。千尋はネルドリップの珈琲を出してくれて、眼をつむりながら珈琲コーヒーの風味に舌を遊ばせた。睫毛まつげが長く、眼鏡をかけていたら邪魔だろう。俺は珈琲コーヒーを甘くしないと美味しさを理解できないけど、それはそれであり――だそうだ。

 しばらく和んでいると、千尋は文字盤もじばんが色褪せた時計を見た。雑誌でしか見たことが無いビンテージの時計で、好事家こうずかが見たら垂涎すいぜん物の時計だろう。清貧せいひんの千尋にしては高価な品だ。愛おしそうに見ているので、大事なものなのだろう。

 想い出は金額で計れるものではない。

「シン君は、そろそろあがっていいよ」

 仕事は終わりだけど、家事が残っていた。奥の扉を開けて、エプロンをたたんで、庭を出て洗濯物を取り込んだ。

 ブロック柄のワークシャツとジーンズに着替えて、共通の財布を持って出かけようとすると、

「待って。神夏磯かみがいそ君」

 愛がジャージ姿で帰ってきた。

「どうしたの?」

 即席の義兄妹は呼び名もぎこちなかった。愛は俺のことを君付けで呼ぶけど、俺は愛の名前を呼ばないようにしていた。

 さん、ちゃん、呼び捨て、どれにするか迷っていて、結局どれを選ぶこともできなかった。

「海辺は混みそうだから避けたほうがいいよ」

「なにかあったの?」

「うん、死体が打ち上げられたって」


 迂回路うかいろを教えてもらって、海辺の道を見下ろして歩いた。愛の言った通りに、野次馬やじうまが集まっていて好奇心の眼でブルーシートの奥を見つめていた。

 風に音をたてるブルーシートを見ていると、眼球の奥に痛みが走った。痛みは体内を通り胸奥きょうおうへ、心臓が締め上げられるような悲鳴を上げ、とくとくと機械仕掛けのような音をたてた。

 俺が飛び降りたときに、警察と救急隊が俺を囲んでいたそうだ。思い出したくても思い出せない記憶がある。記憶の底の真上には激流があって、浮き上がりたくても勢いが強くて上がれない、体の中で力の押し合いが起こって気分が悪くなった。

「大丈夫、君」

 ここは人通りの少ない道だ。でも地元の人たちは知っている道なので、話しかけてきたのは地元の人だろう。海辺の高校の女子高生だろうか、制服をばっちり着こなしていているけど、口には煙草を咥えている。

「気分が悪いの?」

 最初なんのことを言っているか分からなかったけど、全身から汗が噴出していて寒いのに気づいた。

「水でも飲む?」

 女子高生がキャメルのカバンから飲みかけのペットボトルを取り出した。遠慮して手を出さないでいると、

「病気は持ってないよ」

 そう言うつもりではないんだけど。

 結局、口をつけないでいると、背中をさすってくれた。

「すみません。落ち着きました」

「鋭い人は、あてられるからね」

 熱くなった路面から膝を上げようとすると、上げる前に振動を感じた。遠くのほうから何かが近づいてくる音だ。

 周りの人達は何も感じていないみたいだけど、目の前の女の人が同じように周囲を見渡していた。

「アイオ……」

 女はオイルライターを取り出して、くわえていた煙草に火をつけた。排水溝をにらみつけて、深く吸い込んだ煙を、細く吐き出しながらうなった。

 煙草が突然消失して、紫煙しえんが禍々《まがまが》しい色へ変わり、毒素どくそが充満したような煙は排水溝に吸いこまれていった。

 振動が強くなり、しばらく暴れまわって、今度は遠ざかって行った。

「逃げられちゃった」

 くるりと、俺のほうを振り向いた。

「私の名前は、日月春たちもりはるよ。女子高生だけど、成人しているからね」

 日月は財布からレシートを取り出して、ペンも取り出してサラサラと何かを書いて渡してきた。

「電話番号。おかしなことがあったら呼んでいいわよ」

 近所のスーパーからメモ書きされた物を買い揃えて、死体が打ちあがった海辺には野次馬が残っていた。

「聞いた? 捻じ曲げられていたんだって」

「何を?」

「死体よ。死体」

 俺は自販機の前に止まり、ジュースを買うふりをして話を聞いた。

「嫌だわぁ。そんな怖いの」

「しかも捻じ曲げられたのは、骨らしいわよ」

「嘘よ。そんなの有り得ないわ」

「有り得ないからこそ、警察が撤退するのが遅かったんでしょ」


 数日が経過した。

 買出しに出かけて、公園を歩いていた時に、俺は螺旋らせんに出会った。不思議ふしぎな体験は個人的な性質によるものが多いそうだけど、俺の耳と鼻は異形の臭いを嗅ぎつけた。

 女性のうめき声が聞こえ、血の臭いもした。

 公園の出入口から入り、危険な色のする草むらに駆けると、仕事着のような服装をした女の人が倒れて、右足が螺旋らせんに巻き込まれていた。螺旋らせん状のものは長くて人の身長ぐらいあり、女性の右足から地面まで刺さっていた。皮膚と肉を貫通した螺旋らせんは人体のような質感をしていた。

 救急車を呼ぶと、救急隊員は首をかしげながら螺旋らせんを壊そうとした。人体に刺さった部分を抜いてしまえば出血が酷くなってしまう。最初は遠慮しながら踏み、意を決したように跳んで折った。

 不気味な悲鳴が起きて、螺旋らせんは折れてしまった。

 救急隊員は驚きで言葉にならないようだが、女性の命が最優先だったので、救急車に入れて発進した。取り残された住人も首を傾げながら次々に去って行った。

 螺旋の折れた部分から血が滴っていた。

「誰も気にしない」

 日月春たちもりはるが後ろに立っていて、煙草を吹かしながら横にしゃがんだ。

「この街は異界への膜が薄いけど、誰もが感覚を持っている訳じゃあないんだ。こんな異形なものに出会っても、何故か流してしまう」

 煙草は燃え上がり、煙へと変わり螺旋らせんへと殺到した。断末魔だんまつまの叫び声が上がり、人体の質感は禍々しい色へと変わり、枯れ枝の音をたてた。

 春は指を唇に触れて、指の腹で螺旋らせんを撫でた。触れた途端に螺旋は木っ端微塵になり、塵として風となった。

「ごめんね、秋穂アイオ

「アイオ?」

「うん、友達」

「そうなんだ」

「あれが私の末路よ」

 日月春たちもりはるは煙草を深々と吸い、諦めたように吐いた。


 日月春たちもりはるは千尋と知り合いで、ときどき喫茶店に来るようになった。

「どこで知り合ったの?」

 千尋に聞かれ、

「道」

 と答えた。

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