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第四話

   6


 翌日以降、君佳は常に下を向いて過ごした。ハリネズミの針毛のように、髪の毛で身体を覆い隠した。拒絶のオーラを全身から発していると、教師すら、授業中に君佳を当てることはなかった。

誰もあたしに構うな。誰もあたしに話しかけるな。

 登下校、授業中、移動、ホームルーム、掃除時間。すべてにおいて気を張って過ごす。もちろん、昼休みも例外ではない。屋上だと、巧が来てしまう可能性がある。だからといって教室で食べるわけにもいかないので、考えた末、その日は校舎裏のゴミ捨て場で弁当を食べた。翌日は雨だったので、旧校舎の踊り場で食べた。

「渡部! 渡部ってば」

 何度かすれ違った巧が話しかけようとしてきたが、そのたびに唇を固く結び、無言で通り過ぎる。

「あのふたり、ケンカしてんの?」

「なんかもう別れたらしいよ」

「てか、ブキミカ感じ悪くない?」

 面白いことに、巧を避ければ避けるほど、クラスメイトも君佳を避けるようになってきた。これまでもクラスから浮いてはいたが、一部の男子を除けば、静かに無視されている感じだった。だが今は、明らかに避けられている。

 3日目の昼休みにやっと、巧がいないことを確認してから、君佳は屋上のドアを開けた。ほっとしながら、いつもの定位置に腰掛ける。だがすぐに、なんとなく心もとない気分になった。風向きのせいなのか、耳のすぐ横でバタバタと髪が揺れて、払っても払っても消えない小バエのように鬱陶しい。屋上は、いつもこんなにうるさかっただろうか。

 弁当のメインおかずは母親自慢の特製つくねなのに、なかなか箸が進まない。あいつは、今日はどのパンを食べているのだろうか。例の母親は帰って来たのだろうか。パン以外のものを食べられているのだろうか。結局、あいつが箸を使うところを見たことがなかった……。

 食べる気がせず、デザートのりんごには手がつけられなかった。相手がいれば、分けられるのに。

 しばらく体操座りしてぼうっとしていたが、思い出してライターを取り出した。風から守るような態勢になり、火をつける。静かに揺れる火をみつめていると、ようやく気持ちが落ち着いた。

 ふっと、啓示のように思った。――月読巧に、謝らなくては。

 そういえばあのとき、自転車ごと突き飛ばしてしまったのだ。故意ではなかったとはいえ、君佳が悪いことには間違いない。

 一度だけ謝ろう。本当に孤高な高校生活を送るための儀式として、最後にあいつに謝ろう。それをもって、もう二度と、あたしは人と交わらない。


 放課後が近づくにつれ、君佳の緊張は高まっていった。ひとりになった巧を掴まえるには、帰るところを狙うしかない。呼びだそうにも、よく考えたら電話番号もメールアドレスも知らなかった。とはいえ、もし知っていたとしても、どんな文面を送ればいいのかわからなかっただろう。

 鞄を持ち、いつでも帰れる準備をする。そっと2組を覗いたが、巧の姿は見えなかった。まだ掃除から戻ってきていないのか、それとももう帰ってしまったのか。ひとまず下駄箱を見に行ったほうが確実かもしれない。あわてて階段を降りていると、下から聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。君佳は手すりを掴んで、そっと顔だけを覗かせる。巧とその友人が、踊り場の窓に寄りかかりながら喋っていた。心の準備ができていなかった君佳は、思わず手すりの陰に屈んで身体を隠した。

「今日TSUTAYAに寄るけど、巧も来るだろ?」

「行く行く。俺『悪の教典』借りたい」

「それ、先週うちで上映会やったんだぜ。でもお前来なかったからさ、ブキミカ案件で」

 肩が震え、髪の毛が撥ねた。膝が床に貼りついて、動けなくなる。

「で、実際どうなのよ。ほんとは付き合ってなかったんだろ? 3組のヤツに聞いたよ、ブキミカが心霊現象起こしたって。お前が最近ブキミカと一緒にいたのって、神社の何かと関係あるんだろ」

「だーかーら、そのへんはご想像にお任せしますって」

 友人は、後ろ手で腕を組んだ。

「お前もよくやるよなー。家が神社ってだけで、昔から変なヤツによく付きまとわれてたけど、ちゃんと相手してたもんな。俺、カネもらってもやだわ」

 そんな大袈裟な話じゃねーよ、と巧は軽やかに笑う。

「ま、神社も接客業だからさ。ちょっと変わった人もいっぱい来るから、慣れたよ」

 それに、と思い出し笑いを噛み殺しながら続ける。

「渡部、話してみると実は結構面白いんだよ。確かにパッと見は不気味かもしんないけど、別に、そんな特別な子じゃない」

 ふたりが寄りかかっている窓ガラスを横断するように、一筋の線が入った。

 木の枝が増殖するように、そのヒビが高速で枝分かれしていく。それにあわせて、床も小刻みに揺れ始める。ハッと気づいた巧が「伏せろ!」と叫んだのと、窓ガラスが割れるのは同時だった。

 白い制服のシャツの上に、紙吹雪のようなガラス片が降る。ゆっくり顔をあげた巧は、階段の上に立つ人影を見た。

「渡部!」

 長い髪とスカートを翻して、君佳は階段を駆け上がる。そのあとを追いかけながら、巧は携帯電話を取り出して叫んだ。

「父さん、今すぐ学校来て! 腰? んなこと言ってる場合じゃねー!」


 無我夢中で走りながら、君佳は心の中で叫んでいた。バカバカバカバカバカ。やっぱりあいつら、みんなバカだ。

 神社は接客業。特別な子じゃない。そう、最初からわかっていたじゃないか。月読巧は仕事していただけ。優しくするのは、なんとも思っていないから。あたしは憐れまれていただけだったんだ。

 手を触れなくても、屋上のドアが勢いよく開いた。風圧で髪の毛がふくれあがる。窒息しそうだった喉が、新鮮な空気を吸いこむ。

 学校なんて大嫌い。クラスメイトも、月読も、みんなみんな大嫌いだ。

そう思ったら、また地面が揺れた。今までで一番大きな揺れだったが、もう怖くはない。

「渡部!」

 揺れと一緒に開いたり閉じたりするドアから、這い出るように巧が現れた。

「この揺れはヤバいよ。ちょっとマジで落ちついて」

「あんたに指図されたくない」

 風で舞い上がる前髪の隙間から、君佳は巧を睨みつける。

「それに、こんな学校どうなろうが、あたしの知ったこっちゃないし」

 目を細めて思いきり邪悪な笑みを浮かべた君佳に対して、巧は首を横に振る。

「冷静になれって。渡部、今おかしくなってるよ。たぶん霊に影響されてるんだよ」

「違う。あたしは誰にも操られたりしない。これが本当のあたしよ!」

「そうやって思い込んだら、ますます霊の思うツボだ。だいたい今の自分が本当の自分かどうかなんて、なんでわかるんだよ」

 言い返せない君佳は、背中を向けて駆けだそうとした。だが巧は彼女の手首を掴み、それを引きとめる。

「離してよ」

「やだ」

 巧はまっすぐ君佳の目を見て言った。

「落ちつくまで離さない」

 君佳にはわからない。本当の自分はクールでハードボイルドなはずで、でも今、こんなに動揺している。巧に対して怒っているのに、手を離してほしくない。みんな死んでしまえと思っているのに、どうして胸が張り裂けそうなんだろう。

 感情の昂ぶりを抑えようと眉根を寄せた。すると、髪の毛がまるで蛇が鎌首をもたげるように立ちあがった。

「え?」

 驚く間もなく、毛先が巧の顔面に襲いかかる。思わず巧が手を離してかばうと、今度は君佳の身体が床から浮いた。

「な、なにこれ」

 髪の毛が左右に別れ、両翼もしくはダンボの大きな耳のように、君佳の身体を宙に持ちあげる。

「渡部!」

 巧が君佳の腕を掴んで地面に引き寄せようとするが、残りの髪の毛が再び襲いかかった。黒い縄のように、うねりながら巧の首元に絡みつく。

「うそ、やだ!」

 髪の毛を引っ張って止めようとするが、ただでさえ足が宙に浮いているため、力がうまく入らない。焦りをあざ笑うかのように、髪の毛は君佳の手をすり抜けながら、自在に動いてみせる。

 巧の首に絡みついた髪は、外そうともがく指ごと締め付けていく。「ぐっ」と苦しそうな息が漏れた。

「やだ! やめて! やだ!」

 自分の体の一部が、自分以外の意志に乗っ取られている。その姿を目の当たりにして、君佳は心から恐怖し、そして後悔した。巧の言ったとおりだった。こんなの、自分の本意じゃない。大事な人を傷つけるために、世の中を恨むために、あたしは髪を伸ばしていたわけじゃない。

 そうこうしているうちにも、髪の毛は巧を襲い続けている。このままでは巧が死んでしまう。だが君佳の力だけでは、髪の暴走を止められない。どうしたら――。

 雷に打たれたように、君佳はスカートのポケットをまさぐった。ライターの先に火をともすと、迷わず髪の毛に押し付けた。

 髪の表面がじりじりと焼け、焦げた匂いが起ち上がる。一瞬、髪の悲鳴を聴いた気がした。次の瞬間、君佳の身体はどさりと地面に落ちた。巧の首に絡みついていた髪の毛も、力を失ってするりと落ちた。

「大丈夫!?」

 喉を押さえて巧がむせる。

「……なんとか」

 ほっとしたのもつかの間、髪の毛が再び動き始める。君佳は根元の部分を握って、髪の上に全身で覆いかぶさった。

「筆箱が鞄の中に……その中に、ハサミがあるから!」

 傍に落ちていた鞄から、巧がハサミを取り出した。這い出そうとする髪を四肢で抑えながら、君佳は巧に向かって頷いた。

「いくよ」

 ぎゅっと目を閉じる。切っ先が髪に触れる瞬間、まぶたの裏に銀色の光が瞬いた。


 7


 何か重たいものが去る感触があった。ゆっくり目を開くと、巧がハサミ片手に、君佳の顔を覗きこんでいた。

「ちょっと斜めになっちゃったけど、勘弁して」

 君佳は肩に手をやった。不揃いの長さの髪が、肩の上でギザギザに踊っている。

「……軽い」

 間の抜けた声でそう言うと、全身から緊張が抜けて、君佳はへたりこんだ。汗びっしょりで、疲れ果てていた。

 先ほどまでの心霊現象が嘘のように、屋上は静かだった。抜け殻のように、大量の髪の毛が落ちていること以外は、普段の屋上と変わらない。

「あー、ビビった。マジで死ぬかと思った。よかった、どうにかなって」

 巧も君佳の横にしゃがみ、大きく息を吐いた。

「髪、切ってごめんよ」

 君佳は軽くなった頭をうなだれ、力なく横に振る。

「こっちこそ、ごめん……」

 もう何年も誰にも謝っていないから、謝り方なんて知らない。それでも、なんとか口にする。

「いっぱい迷惑かけてごめん。失礼なこと言ってごめん。あと……こないだ、突き飛ばしてごめん」

 言いながら、情けなさと恥ずかしさのあまり死にたくなった。だが、最後まで言わなければならない。

「二度と迷惑をかけたくないし、あたしにはもう話しかける資格もないと思うけど……でも、もしすれ違ったりするときは、会釈くらいしてもいいですか」

 最後は敬語になってしまった。下を向いて、祈るように巧の返事を待つ。

「会釈はやだなあ」

 やっぱり、それすらも許されないんだ。わかってはいたが、君佳の胸がぎゅっとなる。

「普通に喋ろうよ。渡部、面白いし」

 君佳は顔をあげた。先に立ち上がった巧は、いつもの飄々とした笑みを浮かべている。

 そのとき、屋上の入り口から、ふたりを呼ぶ声が聞こえた。

「おーい、大丈夫か~」

 巧の父親が、腰を押さえながら、息を切らしながらあがってきた。

「遅いよ、もう終わったよ……あれ、母さん!?」

 父親に続いて現れたのは、小柄でショートカットの、可愛らしい雰囲気の中年女性だった。巧が駆け寄る。

「いつ帰って来たの」

「ついさっきよ。長旅で疲れてるのに、帰った途端、この人が『車出してくれ、巧を助ける!』なんて大騒ぎして。しかもぎっくり腰になったとか言うじゃない。こっちだって本当はいろいろ言うこと考えてたのに、全部パアよ~」

 少し離れたところから、君佳はぼんやりと家族のやり取りを見ていた。けらけら笑いながら喋る母親の横顔からは、気性が激しくて何度も家出するという姿は想像できない。

 でも、人にはいろんな面があって、たぶんきっと、そういうものなのだろう。

「渡部さん、大丈夫かい」

 巧の父親が、君佳に声をかける。

「すみません、お騒がせして」

 君佳は深々とお辞儀をした。

「いや~無事でよかった。詳しいことはあとで巧に聞くとして、学校側には、適当に話しとくからね」

 ぎっくり腰の神主は、年齢に似合わぬウィンクをした。それにしてもと、指でハサミの形を作り、髪を切るジェスチャーをした。

「ばっさりやったねえ」

「まあ大変、美容院に行かなきゃね」

 散らばった髪の毛を見ても平然とした様子で、母親も加わった。

「夏だから、涼しくていいんじゃない。若い子は短いほうが、フレッシュで可愛いわよ」

「そうですかね」

 10年分の重みがなくなって、君佳としてはまだ信じられない気分だったが、とにかく切ったものは仕方がない。

 荷物を集めて、いったん屋上を出ることになった。すかすかする肩周りを気にしながら歩いていると、先に両親が出たところで、巧が言った。

「俺も、個人的には短いほうが好きだよ」

 胸がきゅっとなって、反射的に下を向いた。だが、もう顔を隠す髪の毛はなかった。

 勇気を振り絞って、顔をあげて君佳は言った。 

「ねえ、短い髪でも、巫女さんって応募できる?」

 立ち止まった巧は一瞬驚いた顔をしたが、にっと笑った。

「悪霊に勝った巫女なんて、最高じゃん」

 冬が来るまでに、もうちょっとだけ、ごめんもありがとうも言えるようになりたい。短い髪を肩の上で踊らせながら、君佳は屋上のドアをくぐった。

お読みいただきありがとうございます。

この作品は、ニコニコ超会議で開催された「超文学フリマ」に出展した『中二病に心当たりのある者は、この本を読んではなりません。』の一篇です。タイトルどおり、テーマは「中二病」でした。自分たちで設定しておきながら、かなり難しかったです。そもそも中二病って何よ?という定義の問題などもさることながら、一番苦戦した理由は、自分自身がまだ中二病という広い海を渡り切っていないからなのだと思います。というか、一生泳ぎ切れる気がしません。


ちなみに、月読神社は日本にいくつか存在します。私は鹿児島旅行中に、桜島の月読神社に偶然お参りし、この話のアイデアを授かりました。というか、ほとんど「月読」という単語の中二感に惹かれて突っ走ったような作品です。本当は妖魔とのバトルアクションみたいにしたかったのですが、話の半分が屋上で展開するという、割とコンパクトな展開になりました。

高校生を書くのは久しぶりでしたが、ぷんぷんしてる女の子と飄々としてる男の子の組み合わせは楽しかったです。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。ご意見ご感想などお待ちしております。

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