三段論法
大前提:全ての人間はいずれ死ぬ
小前提:わたしは人間だ
結論:ゆえに、わたしはいずれ死ぬ
S氏はこの理論がなんとなく気に入らなかった。なぜ、と訊かれても困るのだが、あえて答えるならば、整然としすぎているからだろうか。綺麗なものは汚したくなる。S氏はそういう、ちょっとひねくれた性向の持ち主であった。
このすかした理論に、なんとかケチをつけることができないものだろうか。
そう考えたS氏は、ひとつの妙案を思いついた。少なくともS氏自身には、それは妙案と思えた。そして、その研究に没頭した。
数十年ののち、S氏は不老不死の薬を完成させた。
彼の発想がお分かりだろうか。自身が発明したその薬、その名もクタバラーヌを飲めば、彼は不老不死となる。すなわち、先の理論の結論「わたしはいずれ死ぬ」を否定できると、S氏は考えたわけだ。
孤独な研究の中、すでに老境にさしかかっていたS氏は、しかし己の成果に満足していた。完全無欠とも見える三段論法に生涯をかけて挑み、そして今こそ、それを打ち崩せるのだ。後はこの薬を飲めば良い。
だがそこで、S氏の内にふと疑念が生じた。
何かおかしい。
先の論理形式では、大前提と小前提がともに真である時、結論は必ず真であるということになっている。ところで、ある命題が真であるか偽であるかは、必ずしも不変ではないのではないか。
例えば、次のような理論はどうだろう。
大前提:全ての鳥類は空を飛べる
小前提:ペンギンさんは鳥類だ
結論:ゆえに、ペンギンさんは空を飛べる
この結論は間違っている。ペンギンさんは空を飛べない。
しかしそれは、三段論法の不備を意味しない。そもそも、大前提「全ての鳥類は空を飛べる」が間違っているのだ。もしペンギンさんやダチョウさんの存在を知る前だったら、この命題は真であるとも見えただろう。しかし、ペンギンさんやダチョウさんなどの飛べない鳥について知ってしまったからには、この命題は破棄しなければならない。
あ、ニワトリさんのことを忘れていた。S氏は気付いたが、鳥類に関する話は例として考えたのに過ぎないから、大した問題ではないのだった。
それはそれとして、別の例を考えてみるに、技術の進展がある命題の真偽をひっくり返すこともある。「全ての人間は空を飛べない」という命題は、モンゴルフィエ兄弟が熱気球を発明するまでは真であったが、その後は偽となったわけだ。
そこで例の理論である。
大前提:全ての人間はいずれ死ぬ
小前提:わたしは人間だ
結論:ゆえに、わたしはいずれ死ぬ
全ての人間はいずれ死ぬ。この命題は、つい先ほどまで、このクタバラーヌが完成するまでは真であった。しかし、今や話は違う。
このクタバラーヌがこうしてここにある以上、大前提は書きかえられなくてはならない。すると、結論も違ってくるだろう。
大前提:全ての人間はクタバラーヌを飲まない限りいずれ死ぬ
小前提:わたしは人間だ
結論:ゆえに、わたしはクタバラーヌを飲まない限りいずれ死ぬ
打ち崩せなかった……!
S氏はがっくりと膝をついた。「わたしはいずれ死ぬ」という結論を変えようとすれば、大前提まで変わってしまう。すると全体としては、整然とした美しさを保ったままなのだ。その美しさを汚すことは、結局できなかった。
「全て、無駄だった」
S氏はそうつぶやくと、クタバラーヌの入ったビンを床に叩きつけた。ビンは砕け散り、透明な液体が静かに広がっていく。
S氏は顔に絶望と狂気を浮かべたまま、クタバラーヌに関する資料を、書類といわず電子データといわず次々と処分していった。
その作業が終わると、S氏はソファーにもたれかかってうめいた。
「なにがクタバラーヌだ……」
それからS氏は、疲れたように目を閉じた。しかし彼は何も考えずにいるということができない性質だったので、そうしてぐったりとしている間も、あれやこれやとりとめのない考えを巡らせていた。
ふと、S氏は引っかかることがあって目を開いた。なんとなく浮かんだ発想を、注意深く進めてみる。
例えば、こんな理論はどうなるだろう。
大前提:全ての火星人は泳ぎが得意だ
小前提:ペンギンさんは火星人だ
結論:ペンギンさんは泳ぎが得意だ
大前提について、S氏はその真偽を知らない。火星人なんて存在するのだろうか。そして、小前提は明らかに偽である。にもかかわらず、結論は真である。
これは一体、どういうことなのか。S氏は、この新たな理論に関する謎が気になってたまらなくなった。よし、残りの人生、この奇妙な現象の解明に使うとしよう。
人生の次なる目的を見出し、気力を取り戻したS氏は、まずは火星人に関する調査にとりかかることにした。
これが、S氏が地球人で初めて、火星人とのコンタクトに成功したいきさつである。
才能は自分の思うように使えば良いのです。