第三章
あと五日。
刻々と迫る期日を前に莉々華は絶望を感じていた。
――どうする? どうする? このままじゃダメだ。あの校長の言いなりになんかなりたくない。いや、なっちゃいけない。こんな状態であの校長が言うように、改革を中止されたら紅花に負けるのは目に見えている……。けど、どうすれば? くそ……。分からない。琴音なら上手い方法を考えられるかもしれな……ってだから琴音はもうあてにならないんだって! いつまで琴音を気にしているんだボクは! 自分でどうにかしなきゃいけないのに!
自分の無力感と友への不信感。その他、校長への怒り等。それらが日を追うごとに増幅され、莉々華は対策を考える以前の問題ばかりに目がいっていた。特に、自分が無力なのだと思い知らされる気持ちと、こんな時に姿を消した琴音への気持ちは制御しきれなくなってきていた。
「あの、莉々華さん」
「なんだ?」
言葉にも、どうしても苛立ちが入ってしまう。
そう命じたのは自分だと分かっていながら、仲間達に対して何故言われたことしかこなしてくれないのか、という気持ちまで湧き上がってくる。星絆に至っては瞑想しているだけで仕事すらしてない。
「もう少し冷静に」
「そんなこと! 言われなくても――」
風夜がびくっと身を硬くしたのが外側からでも分かった。
「あ、いや、すまない」
慌てて謝りながら自分を責める。
――くそ。ボクはバカか? わざわざ心配してくれた相手に矛先を向けるなんて。落ち着け。ボクらしくない。感情が外に出てしまうなんて。
「琴音の足取りはつかめないのか?」
「分かりません。休む周期も特にないようですし、どこかに行っている、という情報もありません。先生方にも聞いたのですが、いつものことだろ?、と一蹴されてしまいまして」
申し訳なさそうに風夜は言うが、やはり期待以上に動いてくれている。情報がどうのこうのと言っているということは聞き込みをしている証拠だし、教師達に取り入っているのも良い方法だ。風夜は風夜なりに、しっかり自分で考え、行動している。
莉々華は知らないことだが、風夜が生徒会役員に選ばれた理由はここにあった。自分に任された仕事は必ず期待以上の成果を出す。地味で目立った活躍はしないが、トップに立つ者の地面を固めるにはもってこいの人材なのだ。あまり表立ったことをしていないだけで、風夜も、莉々華や琴音に負けないくらいの能力を持っている。
――あれから何も連絡をよこさない琴音も琴音だけど、あれから何もできていないボクもボクだ。何かしようと思っていながら何もしていなし、それどころか琴音に頼ることばかり考えている。ああもう! ボクは何をしているんだ? なんでボクが生徒会長なんだ! こんなことなら……ッ! バカが! 今何を考えた? 何を思おうとした? ただのあてつけじゃないか。自分が何もできていないことを誰かのせいにしてなんになる。ボクはボクの仕事をこなせば良いだけ。琴音がいるいないは関係ない。今、ここで何もできないで何が生徒会長だ。ボクはこんなことを思うために生徒会長になったんじゃないんだ!
「分かった。必要とあれば星絆も使って構わない。風夜の命で動かないなら、ボクが命令するから。あともうちょっとしか時間はないけど、ボクはその間になんとしても対策を考える。風夜はとにかく琴音を捜索して」
自分の想像を振り払って風夜に命じる。
ここで何もできないで何が生徒会長か。莉々華はそう自分に言い聞かせた。自分はあくまで盤上の駒。雪花を勝利に導くためなら不眠不休も、飲まず食わずも耐えなければならない。自分がここで踏ん張らなければ、あの、何も考えていない校長が実権を握ることになる。つまり、雪花は崩壊する。
――もしこんな状況で改革を撤回したら、まず、一年生がパニックを起こすはず。入学してすぐ改革内容を聞いたはずだから、もともとがどんな感じなのか知らない人もいるだろう。そうでなくても、二、三年生は突然の改革でなんとか対応してるところだろうから、さらに輪をかけて混乱させることになる。もとに戻せば直る、という考え方は安易過ぎる。まだ何もしないで放っておいた方がマシだろう。
もう一度、校長が言っていたことを確認する。最悪、これを校長に突きつけて黙らせるのも考えなければならない。自分が何もできなかった時の保険みたいなものだから気持ち悪いが、現状ではもう考慮しておくべきだった。
――でも、耐えられるだろうか? もしも校長があの時と同じか、それ以上の罵詈雑言を並べてきたら。来るならそろそろだ。何も起こせずにいるボク達をバカにするか、ひょっとしたら心配してくれるか。前者は、ないと思いたい。仲間にすら感情的になっているのに、あの校長なんかにバカにされたら……。抑えなきゃいけない。後者であることを願うばかりだが、もし前者であっても、ボクは生徒会長なんだ。ここでさらに評価を落としたら期日前に改革を中止される可能性もある。それだけはあってはならない。たとえ一日でも、引き伸ばせるなら引き伸ばしたいし、引き伸ばせないなら、縮まらないように注意しなければ。自分は生徒会長なんだ、という自覚を忘れるな。肉を切られても、骨を断たれても、頭蓋骨を割られても、血管を引き裂かれても、内臓を抉られても、なにがどうあろうと、冷静でいなければ!
莉々華は自分の腿を強打して、決意する。
「ん?」
と、ポケットに入れていた携帯が軽く振動した。莉々華は一瞬琴音からかと期待したが、残念ながら違った。メールが一件。差出人は珠奈だった。
【莉々華。最近全く連絡ないけど、大丈夫? 琴音とうまくやれてるかしら?】
まず目に飛び込んできたのはこんな文。通常なら、珠奈の心遣いに感謝するところだが、莉々華は違う方へ意識が飛ぶ。
――珠奈も、琴音のことは知らないのか?
莉々華は失念していたが、珠奈に連絡を取ってもらう、という方法もあったのだ。しかし、この書かれ方からして、珠奈も琴音が音信不通になっていることを知らないのだろう。
【あたし達は凄く楽しんでるけど、莉々華達はどう? 改革するって話は琴音から聞いてたし、紅花でもかなり噂になってるから聞いてる。詳しくは知らないけど、うまくいってるの?】
次の言葉に莉々華は複雑な想いを抱く。
【それで、ちょっと前に気づいたんだけど、あたし、どうも二人を羨ましがってるみたいなのよ。最初は、「雪花生徒会は頑張ってるのにあたし達はこんな楽しんでいいのかな?」っていう単純な気持ちだと思ってたんだけど、そうじゃなかった。二人が頑張ってるんだから、あたしも何かしたい、っていうそんな気持ちだった。「だからなに?」って返されたら何も言えないけど、一応伝えておくわ。それじゃ、頑張ってね。今は敵同士だから、改革の内容とかについては話せないだろうけど、友達としてなら、いくらでも相談にのるから】
読み終わって、莉々華は返信ボタンを押す。ただ、【ありがとう】とだけ書いて送信した。
ふと、莉々華は思う。もし、この状況にいるのが自分ではなく珠奈だったらどうなんだろう、と。打開できるだろうか?、と。
――珠奈は万能選手だったな。ボクの良いところと琴音の良いところを併せ持つような、そんな人間だった。たぶん、ボクじゃなく、珠奈なら琴音がいなくてもどうにかできただろう。一つ一つの能力はボクと琴音より下だったけど、総合力なら負けてた。
莉々華は深いため息をしながらぼんやりと考えた。
――なるほど、ね。今になって思うと、ボク達は三人で最強だったんだな。ボクが表に立ち、琴音が考えを巡らせる。そして、そのどちらかがいない時はなんでもできる珠奈がその空いたポジションへ入る。琴音がいなくても問題なかったのは、琴音がピンチの時に現れてくれるからではなく、もしかしたら、琴音が現れるまで場を保てる珠奈が居たからだったのか……?
また、携帯が振動した。
【え~っと? 莉々華はとても大変な状況にいるの? 莉々華が真面目な話に対してたった一言しか返事をくれない、なんて珍しいと思うけれど……】
見て、苦笑した。すぐに返事を書く。
【そんなことはない。珠奈に心配されるような事態にはなってない。琴音の他にも支えてくれる仲間がいるし。ただ、ちょっと今取り込んでて。ちゃんとした返信は後でしっかりする】
半分くらい本当のことで、半分くらい嘘だったが、莉々華はとりあえず珠奈には感謝。琴音意外にも自分を思ってくれる人がいると分かっただけでも嬉しかった。
「……って、あれ!? 風夜!」
例のごとく生徒会室を出て行こうとした風夜に莉々華は外を指差して叫んだ。
「琴音がいる!」
三階からで、今まで気づかなかったが、少し前から下校する生徒に混じって、生徒会室を見上げている女子生徒がいた。その髪の長さ。また、遠目からでも美人と分かるその容姿は琴音以外の誰でもない。
「琴音!」
窓を勢いよく開け放ち、こちらを見上げている琴音に大声で呼びかける。
「え? 待て! そこを動くな!」
だが、莉々華は目を疑った。琴音は莉々華に気づいた瞬間に方向転換。脱兎のごとく、駆けて行く。
「風夜! 行くよ!」
やっと見つけた琴音の姿。逃がすわけにはいかない。莉々華は風夜と共に生徒会室を飛び出すと、できる限りの速度で玄関に向かう。
――くそ! なんだって言うんだ!?
混乱と困惑で頭が一杯になる。琴音が自分の姿を見た途端に逃げるなどという展開は全く想像してなかった。何かしら理由があるのだと思いつつも、どこかで琴音をまだ頼っていた。だから、莉々華には分からなかった。琴音が自分を避ける理由が。琴音が自分達生徒会を何故見捨てているのか。
――間に合え! ここで逃がしたらっ!
後ろから風夜がついてくるのを感じながら莉々華は走った。琴音がもし、あのまま全力で走り去っているならたぶん間に合わないだろう。しかし、もしどこか負い目を感じているなら、どこかで罪悪感を感じているなら、あのまま逃げはしないはず。必ず立ち止まって待っているはず。
莉々華は生徒会長として、また、友達として、願った。
――居てくれ!
階段を下り、廊下を駆け抜け、莉々華は走る。靴を履き替えないで飛び出す。途中で数人の生徒にぶつかったが、気にしている暇はない。今は琴音を捕まえることが第一だ。
「琴音!」
玄関を抜けて外に出る。が、琴音の姿はどこにもない。
――あきらめちゃダメだ!
さらに走る。校門を出て辺りを見渡す。
「……いません、ね」
追いついてきた風夜がぽつり、言った。
――なんでっ! 何でだ琴音!
莉々華は唇をかみ締め、俯いた。
――なんで逃げる!? なんで自分の仕事を放棄する!?
莉々華の目に憎悪がこもった。本当の意味で信頼していた人間が自分を裏切ったのだと感じたからだ。
――ボクが何かしたか!? ボクが琴音をからかった、虐げたか、弄んだか、嘲笑ったか、苛んだか、愚弄したか!? 今こそ琴音の力がいるというのに。何でっ!? どうしてっ!?
信じたくはなかった。だが、事実として、琴音は莉々華から逃げたのだ。どんな理由があるにしろ、 自分の仕事、課せられた責任を放り出して逃げた。
莉々華は琴音への信頼を無き物と考える。今や信じられるのは、隣で支えてくれる風夜のみ。琴音の喪失。これが生徒会にとってどれほどの痛手か、莉々華は一瞬想像し、しかし、切り捨てる。琴音は全ての意味でもうあてにならない。居た時のことを考えるなど、何の意味もなさない。
「風夜。琴音のことは忘れろ」
冷凍庫にはもう何も入っていない……
◆
その夜。
莉々華は重い気分をなんとか振り払って珠奈に電話した。後でちゃんと連絡すると書いてしまった以上、無視はできなかった。
「それで、何があったの?」
「……え?」
「え? って、あのね。さっきから自分が言葉を一言も発してないの、気づいてないのかしら?」
「あ、ごめん」
「謝らなくていいわよ。それより、何があったの?」
ベッドの上で固まったまま、莉々華は沈黙した。
なんとか気持ちを静めてから携帯を手に取ったはずなのに、結局いつものように振舞えなかった。頭の中ではどういうことが起こったのか、正確に認識できているのに、心が拒否していた。『琴音が自分から逃げた』。この事実は想像以上に莉々華を打ちのめしていた。
「珠奈に話すことじゃない」
それでも、精一杯の虚勢を張ってみる。
「そう。なら別にいいけど。でも、琴音との――」
「なっ!?」
「……まだ何も言ってないけど?」
「あ……」
「莉々華? 琴音と何かあった?」
自ら墓穴を掘った。琴音という名前が出た途端に思わず声が出てしまった。
「これでも、中学時代からの友達なのよ? 隠したってしょうがないでしょ?」
「それはそうだけど」
「なら聞かせて。意外と第三者のあたしなら良い解決方法をすぐに思いつくかもしれないし」
ぎゅっと掛け布団を掴む。珠奈の声にふざけてる響きはない。本気で心配してくれているのだと自然に分かる。でも、
――ボクと琴音のことを話すには今、雪花がどんな状況になっているのか話さなければならない。たとえ珠奈でも、簡単に教えるわけにはいかない。琴音も教えてないようだし、一応は敵なんだから。
「じゃあ、一つだけ」
「なに?」
莉々華は目を閉じて、一言。
「琴音は、信じられる?」
しばらく、返事がなかった。
ごくりと唾を飲む。何があったのかを具体的には言えない。あまり意識してこなかったが、珠奈は敵なのだ。その点は珠奈も分かっている。だからこそ、メールにも『友達として』という言葉を入れたはずだ。だから、問いにできるのはこれだけ。
「そうね。信じられるんじゃないかしら?」
ゆっくりと、珠奈は言った。
「莉々華がなんでそんなこと訊いてくるのかよくは分からない。けど、琴音は信じられると思うわ。いつも何かあると必ず助けてくれたし。あの姿勢だけは疑うべきじゃないと思うけど」
「違う。いつも助けてくれたのは、琴音がいない間も場を保てる珠奈が居たからで、琴音の助けがあるまで持たせられなければ無意味だということに」
「そんなふうに思ってくれてるとは光栄だけどね。でも、変わりないんじゃない? 琴音が助けてくれるってことに関しては」
「それはそうだけど、今回は――」
危うく、『琴音が逃げた』と言いそうになる。
「と、とにかく、琴音は信じられない!」
「じゃあ、莉々華がなんとかするしかないわね」
さらっと厳しいことを珠奈は言う。
「どんな状況か分からないあたしじゃ、口出ししようがないけど、琴音が使い物にならないなら、莉々華が頑張らなくちゃ、でしょ?」
「う、ん」
「まあ、大丈夫だよ。琴音のことだからそのうち何食わぬ顔でひょっこり帰ってくるわよ」
珠奈の激励を苦い思いで受け取ると、莉々華は「分かってる」と返して電話を切った。
――やっぱり、ボクが頑張らないと。一人じゃない。風夜も居る。琴音のことはこの問題が終わってからゆっくり考えよう。
「莉々華? ご飯は?」
不意に、廊下から母親の声がした。
「いらない」
「そう? でも、最近無理してるでしょ? そういう時は、食べるくらいはしっかり食べた方が良いと思うよ。莉々華の分は残しておくから、気が向いたら来なさい」
「……ん。ありがと」
さすが母親。莉々華の不調はお見通しだった。
その後、莉々華はいつもの倍近い量を食べて、母親を驚かせた。
翌日の昼休み。
「やはり、後先考えずに突っ走っただけのようだったな」
莉々華の予想通り、校長が生徒会室にやってきた。
風夜と星絆は琴音を探索するために席をはずしていた。莉々華は忘れろと言ったが、止める理由もなかった。実際問題として、琴音の力は無視できないし、見つかるのならすぐにでも問い詰めたい気持ちがあったからだ。
結果、生徒会室には莉々華しかいない。校長は椅子に座って黙考する莉々華を見ると同時にそんな嫌味を口にした。
「…………」
対して、莉々華はまるでそこに校長がいるのを知らないかのように、目を瞑ったまま、ピクリとも動かない。『何を言われても、冷静でいなければならない。下手に返してまたこの前のようなことになったらたまらない。今は、言わせるだけ言わせて、さっさと引き取ってもらうのが一番だ』。そう考えていた。
「負けを認めているのか?」
ピクっと腕を組んだ姿勢の莉々華が動いた。しかし、校長はそれに気づかない。黙っているのをもうあきらめたものだと判断し、見下した言い方で莉々華に詰め寄る。
「確かに、君達の改革には賛成したがね。あれは君達がとても自信有り気に話していたからだよ? 自分達でどうにかしてみせるという気迫があった。だからこそ賛成したのだ。ところが、空けてみれば、なんてことはない。やはり、一介の高校生が考える程度のものでしかなかったようだな」
莉々華の手に力がこもる。
――この程度なら、予想していたことだ。心を乱すな。挑発してきているんだ。ボクが動かなければ問題はない。意識を外に飛ばせ。校長の言葉は風と一緒だ。
「だいたい、どうせするなら七時間目、とかを作った方が効率的だと思わなかったのかね? 責める気はないが、どうしてこんなよくも分からない改革を提案したのか、冷静に考えるとバカバカしくなるよ。君達の頭脳というのは成績を良くするだけで、他のことにはまわらないのかい?」
明らかな侮辱。莉々華は腕の肉に自分の爪が食い込むのを感じる。
――くそ。効率的とかなんとか言っているが、そう思っていたなら改革を提案した時に出せば良かったのではないのか? もしくは、本当にそう思っていたなら、一ヶ月間何も動かなかった時に提案しておけば良かったはずだ……。いや、待て。反応するな。ここで言い返したら何にもならない。今頑張っている風夜と星絆のためにも、ここでボクが爆発したらダメだ!
「前評判だけはとても良かったからね。校長である私もかなり期待してたんだが、拍子抜けしたよ。佳乃莉々華、五月雨琴音。特にこの二人はとても頭が良く、どんなことも万能にこなす優れた人物だと聞いていたのだが。おや? そういえばその琴音さんはどこへ行ったのかな? 他のメンバーもいないようだが? まさか仕事を押し付けて帰ったのではあるまいな? やれやれ。君も大変だな」
莉々華の中で何かにひびが入った。例えるなら、心のガラスを怒りという物質が突き破りそうになっているような、そんな感覚だ。
――今、この人はなんと言った? キミモタイヘンダナ? ふざけるな! ここまで切迫した状況に追い込んだのは一体誰だと思ってるんだ。自分のことを棚に上げるのもいい加減にしろ。しかも、風夜をバカにしたな? ボクだけならまだ許す。だが、一番頑張っている風夜を侮辱したな? 帰ったのか?、だと? 風夜は先生方にも話しを聞いていると言っていた。校長だって少なくとも一度くらいは見ているはずだ。なんの話をしているのかまで分からなかったとしても、「生徒会のことで動いているのかな?」くらいは想像できて当然のはず。それを、「帰った」? この校長はなにを考えているんだ!?
だが、ほとんど意地で言葉には出さなかった。
琴音のことは莉々華自身よく分かっていないから反論のしようがない。しかし、風夜のことをバカにされるのは我慢ならなかった。特に目立ったことはしてなくても、影で支えてくれている風夜には莉々華も感謝していた。
校長はしまいに嘲笑の笑みを浮かべ始める。
「詰まるところ、任命した教師の見込み違い、と言ったところか? 自信たっぷりによく分からぬ改革を出したかと思えば敵前逃亡。残っているのは黙るだけで言い返せもしない生徒会長一人だけ。他に生徒会長になれる器を持った生徒はいなかったのかね~? やれやれ。今年はとんだ厄年になるな。こんな状況じゃ紅花にだって勝てるかどうか。いやはや困ったものだ。ああ、君達を責めるつもりはないよ? ただの独り言だ。気にしないでくれ」
莉々華は奥歯をかみ締め、耐え続ける。怒りで目まいすら起きてきたが、ここで怒りを表に出してしまったらもはやどうすることもできなくなる。これ以上の侮辱は恐らくない。ここで耐えれば、と、必死に気持ちを静める。
しかし、校長は止まらなかった。
「よし。これ以上待っていても意味はなさそうだな。役に立たない誰かさん達は放って置くとして、次の作業に取り掛かるかな。けど、前の短気な生徒会の人達も考えものだったけど、次になった君達も考えものだな。なんで生徒達が勝手にしたことの尻拭いを我々教師がしなくてはならないんだ? せめてそのくらいはして欲しいものだね。いや、この程度のことで詰まっている人間にそれを要求するのは酷か。はっはっは。おっと失礼。君達があまりにも情けないものだからつい笑いが――」
「黙れ!」
「な、なんだね? いきなり」
いきなり怒鳴られた校長は逆にむっとした表情で莉々華を見る。その顔にはまるで汚いモノを見るかのような、侮蔑の表情が浮かんでいる。
「うるさい! お前の方こそ何も分かってない! 尻拭いだと? 厄年になるだと? ふざけるのもいい加減にしろ!」
バンと机を叩いて勢い良く立ち上がる。椅子が後方に吹き飛び、派手な音を立てて倒れた。
莉々華の目には先日琴音が見せた以上の強い光がある。拳は固く握られており、見ようによっては戦闘態勢を取っているようにも見える。校長の笑いで理性が吹っ飛んだ莉々華は憤怒明王のような形相で校長を睨みつける。
「お前にボク達を笑う資格なんてない! 風夜達が逃げただと!? 今も一生懸命仕事をしてくれてる! 責める気持ちはない、だって!? はっ! 責める気持ちしかない、の間違いだろ? 調子の良いことばかりを言って、自分がこれからどういうことをしようとしているのか分かっているのか!?」
莉々華の剣幕に校長は後ずさる。莉々華は距離を詰め、校長の真正面から敵意を表した。
「権力で黙らせられるつもりか? それともお前の頭の中がおめでたいだけか? お前の言う通りになんか絶対にならない! ボクと、生徒会の皆を甘くみるな!」
「だ、だが! 事実、甘く見られてもしょうがない状況じゃないか!」
が、校長は黙っていなかった。明らかに莉々華より自分の方が有利だと知っているのだ。言い返されても、状況証拠を的確に挙げれば莉々華には返す術がない。校長は相手を見下すことにかけては優れた観察眼を持っていた。
「だからと言って、お前が今からしようとすることが正しいわけではない! それを承知しているのか!?」
「そうだろうな。頭が悪いのは分かっている。もっと時間があれば、友好的に話し合い、より妥当な案も出ただろう。だが、しかし、だ。もう残された時間僅かだ。今の状態では確実に負ける。それを分かって放置するよりは良いのではないか?」
「それは……」
「君の言う、これからどういうことをしようとしているのか分かっているのか、という言葉。そのまま返させてもらう。君達が何も手を打てないままでいたら確実に雪花が負ける。それはある意味君達が何もしなかったから、と言えるはずだ」
「……ッ!」
莉々華は言い返せなかった。
『どっちにしろ負けることには変わらない。ならば、僅差で敗れようが大差で敗れようが、そこは問題にすべきではない。できるだけのことはするべきだ』と、校長は言っているのだ。校長の策が雪花にとって有益になる可能性はほぼ皆無だが、それでも何かしようというのだ。何も策が浮かばない莉々華に、言い返せるわけがない。
「ふん。強がりもそこまでだな。君達の無能っぷりはよく分かった。せいぜい生徒会から除名させられないよう、祈っているのだな。ああ、それと、これ以上は待てない。期日は明日までとする。いいね」
莉々華は俯き、それを聞いた。
校長はもう一度ふんと鼻を鳴らすと生徒会室から出て行った。
「……あ、ぅぅ」
校長が出て行くのを見届けて後、莉々華はその場にへたり込んだ。
敵が視界から消え、激情が冷めるとたった今起こったことが頭の中で繰り返される。
校長の嘲り。それに耐える自分。さらに嘲り。耐え切れなくなって暴走する自分。侮蔑の表情。倒れる椅子。喚く自分。簡単にいなされた自分。
手が震えた。
――分かっていたのに! 分かっていたことなのに!
莉々華は責めた。一週間以上時間があったのに何もできなかった自分を。校長の挑発に耐え切れなかった自分を。頑張っている風夜を、仲間を、悪く言われたのにしっかり言い返せなかった自分を。
「どうかしましたか……?」
ドアが開き、風夜が帰ってきた。地べたに座り込んでいる莉々華を見て、心配そうに声をかけてきたが、莉々華は答えなかった。
「すまない」
ただ、事務的な口調で伝えるべきことだけを伝える。
「期日が、明日までになった」
風夜は驚き、莉々華を見つめた後、淡々とした声色で言った。
「まだ、時間はあります」
――すまない。風夜。
その頃、琴音は霧のように降り注ぐ雨と格闘していた。
「もう。暑いしべたべたするし、最悪だよ」
長い髪の毛は雨に濡れると服や肌に張り付いて気持ち悪かった。
今、琴音は蒸し暑さ満点の道を小さなビニール傘を差して歩いている。莉々華や風夜の目を避け、昼で早退。見つからないように生徒玄関ではなく、教職員用の玄関から外に出た。
――雪花の校長も分けわかんない人だけど、あっちの校長も校長で大変だよ。何も難しいこと言ってるわけじゃないのに。
一人、苛々しながらも、自分の策を遂行しようと歩を進める。
――う~ん。ここまで時間かかると思ってなかったからなあ。いい加減顔出さないと莉々華に怒られるかも。でも、これが莉々華に知られるとそれはそれでマズイし。
琴音は莉々華のことを無視したわけでも、仕事から逃げたわけでもなかった。ただ、自分の策の成功を願って、行動しているだけだった。
――最終的にはこれが最善の方法なんだ。莉々華には踏ん張ってもらわなきゃならないけど、そこは信頼するしかない。あの最悪な校長を否定するのは、この策は有効なはず。必ず成功させなきゃ。……あ、そういえば携帯も放置してるけど、たぶん何か連絡きてるよね。今日あたり一応確認した方が良いかな~。
のん気なことを考えつつ、琴音は一人、私立紅花高校へと急いだ。
◆
「やれやれ。何もしないっていうのもだんだん嫌になってきますね」
「確かにっ。なんっかむなしいよな」
いつもの元気がない紅花生徒会。いよいよ、校内がぴりぴりしてきていた。自分達の補修が始められたことが原因なのか、それとも単に模試、大会が近くなったからなのかは分からない。けれど、学校の雰囲気が変わりつつあった。もう既に模試の対策を自分で立ててしっかり学習している人もいるらしいし、それぞれの部活の練習も熱が入ってきている。
「何もしてない訳じゃないけどね。でも、そんな気持ちはあたしにもあるわ」
その余波が、生徒会室にも届いていた。
普段から勉強を欠かさず、テストの成績もかなり良い生徒会面々はこれといってすることがない。部活にも入っていないため、適当に過ごしていれば問題ないのだ。他の生徒から見れば羨ましがられるであろう状況なのだが、本人達にとっては違った。
生徒会という学校をまとめる立場の人間がこんなにも楽をしていていいのだろうかという疑念が全員の頭にあった。珠奈や影斗は同じような感情を前から抱いていたが、こうして実際に直面してみるとそれはそれで違った気分になる。
「こんっな中じゃ遊ぶ気分にもなれないしな~」
「当たり前よ。あたし達はあたし達でしっかり勉強しておかないと。それが紅花のためにもなるんだから」
「とっか言われてもな。実感が湧かっないもので」
「正直私も賛成、かな。校長先生が言ってたことも、結局校長同士の口約束なんだよね? 現実感がないっていうか、なんかよく分かんない」
「それはそうだけど、校長達の賭けがどうこうより、生徒会役員として頑張らないわけにはいかないでしょう?」
「ま、分かってるんだけどな」
「なら言わないで」
口では正論を言いながらも珠奈も鷹樹の言葉は理解していた。影斗が言うように、校長達が勝手に決めたことに今更ながら疑問を抱いていた。本当にあの賭けが成立するのか不明なのだ。取り消しになった、という話は聞かないし、聞いてないからにはそれなりに努力しなければいけないのも理解できる。しかし、理由としては甘すぎるのだ。
珠奈は莉々華の様子を知っている。だから、冗談だとは思えない。『琴音を信じられない』と言った莉々華の声は、どこか吐き捨てる感じで、仲間に向けて放たれるべき言葉じゃなかった。おそらく、今回のことで一悶着あったのだろう。莉々華と琴音の仲に亀裂が走る、何かが。でも、それを知った上でもまだ、真剣に動く動機としては不十分だった。
「よし、じゃあこのメンバーで勉強会でもする?」
「あ、それならいいかも。皆で楽しくやろうよ」
「ま、べっつに構わないぞ」
「詩月さんの教え方は良いと聞いていますからね」
ごかましとして、珠奈は提案した。どうせ自分達にはすることがないのだ。ならば、最低限、他の生徒達から反発がくるようなことは避けなければいけない。
「じゃあ、放課後、皆ここに集合ね。教えられるところは教えるから」
「うん。分かったよ」「了っ解」「期待してますよ」
力なくも、チームワークは崩れない。息のピッタリあった返事だった。
放課後。予定通りに集まった四人は早速勉強を始めた。
それなりの順位を確保できてる面々だ。誰もが『自分のやり方』というのを持っている。ひたすら単語や成句を覚える人、教科書の内容を熟読して頭に入れる人、とにかく問題をこなし、試験に対応する人。たまに分からないところを聞くために口を開くが、ほとんど無言だった。
蒸し暑さはあるが、勉強することにかけてはやはり一流の面子だ。県内でトップ争いをしている学校の中に居て、さらにそこの上位に食い込む力を持っている。ともなれば、蒸し暑さなど、慣れたもので、集中力を削がれる要因にはならない。真夏の暑さに比べれば全然楽だ。
「珠奈~。ここ、どうするの?」
「ん? ああ、定積分の応用ね。そこ、めんどくさいのよね。えっと、これは……」
さすが、学年トップ五に入るだけある。珠奈は口とは裏腹にケロっとした顔で解説し始めた。先ほどから、ずっとこの調子だ。珠奈に聞けば、だいたい分かる。
そんな中、集中力が切れたのか、鷹樹が突然、全く関係ないことを訊いた。
「なあ珠奈」
「なにかしら?」
「雪花がどういうことになってるのか分からないっのか?」
「え?」
珠奈は戸惑い、意味を考えた。
その答はすぐに見つかる。敵校である雪花がどんな状況なのかを知れればこちらがどの程度頑張ればいいのかも見える、ということだ。そして、雪花の生徒会トップにいる人達と繋がりがある珠奈ならそれが分かるのではないか、と、そういうことだろう。
「そうね……」
答えに困った。
莉々華の様子からあまりよろしくない事態になっているのは推測できるが、確信は持てない。それに、だからといってそれについて訊く、というのもなんだか変な気がする。莉々華と連絡を取り合ったことで分かったが、敵、味方の区分が完全にできている。友達だから、なんていう理由はもう通用しなさそうだった。
「分からないわ」
「どうしてっ? あっちの人と友達なんだっろ?」
「それはそうなんだけど、今は仮にも敵、味方だもの。教えてくれないと思う」
「あ……そっか」
それで何かを察したのか、鷹樹は引き下がった。
気分が悪かった。昔は何かあればいつも三人でどうにかしていた。一人一人が、心の中で自分達はどうなっても大丈夫だ、というふうに思っていたような気がする。ずっと、三人で一組だ、という気分でいた気がする。でも実際、今は違う。詳しくは分からないが、莉々華と琴音の仲は割れたようだし、自分と莉々華達の間にも壁のようなものがある。中学からどんな時でも一緒に行動していただけにいざ、離れてみると、不安、というか悲しさ、というか奇妙な感情が湧き出てくる。
珠奈は珠奈で、莉々華や琴音との距離に苦しんでいた。
「そうそう。詩月さん」
「なに?」
「詩月さんって胸大きいんですか?」
沈黙。
真輝子だけがいつもの変わらぬ平然とした表情だ。問われた珠奈はもちろん、影斗も鷹樹もかなしばりがかかったように固まっていた。
「あの? ですから、詩月さんの胸のサイズはどのくらいですか?」
何も感じることがないのか、真輝子はやはり平然と、問い直す。
「えーっと、真輝子君?」
「はい?」
「何を質問しているのか分かってるわよね?」
珠奈は静に聞き返す。
「分かってますが?」
無邪気な子どものように、首を傾げる真輝子。
「……Eカップ、とだけ答えておくわ」
「ええ!? 珠奈、そこ、教えるの?」
「珠奈って着やせすっるタイプだっからな。小学生の時かっら結構評判だったぞ」
「ほうほう。なるほど。小学校では水着姿も見れますしね」
「そういうこっと。かなり速い段階で成長してたみたいだっからな」
「それで、今やかなりの――」
「ちょっと、男子二名! 影斗が赤くなってるから、その辺でこの話題は終了して」
言葉通り、影斗は顔を赤一色に染め上げている。リアルに想像してしまったようだ。珠奈本人は赤くなるどころかいつもの三割り増しくらいの平常心を保っている。
「の、わりに、珠奈は珠奈でそういう話あんまり興味ないみたいだっしな。さっき、微妙にためらったのはどうっせ驚いただけだっろ?」
「そうね。雪花にいる旧友達は気にしてたみたいだったけど、あたしはスタイルなんて……あ、でも、色仕掛けする時とかは良いかもしれないわね」
自分の胸に手をやり、軽く持ち上げてくすくすと気味の悪い笑みを浮かべる。中途半端なところでSな珠奈。琴音とは違った意味で怖い。
「全力であきらめてくっれ。本当に珠奈ならやりかねないっから」
「やらないわよ。あたしだって、自分の体売るようなことしたくないもの」
言いつつも、くすくすという笑いは消していない。やるならやるで面白いかも、と思っていた。『作戦のためなら』、とかではなく、単に相手の反応を見て楽しみたいのが目的だ。
そんな珠奈を見て、影斗は
「じじじじじじじじぶぶぶぶぶぶんんんんんんのかかかかららだだだだだだをううううるるるるる!?」
壊れた。
「あ、影斗が壊れた。真輝子君。録音用意」
「了解です」
「だだだだかかかかかかららららららららややややややめめててうゆゆ!」
「だって面白いじゃない。だいたい、うゆゆってなに?」
「しゅしゅしゅしゅしゅしゅ――」
「手裏剣?」
「ちちちちちちががががうももももん!」
結局、変わらず平穏な空気が流れる紅花生徒会であったが、珠奈だけは莉々華と琴音のことが気になっていた。




