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第一章

 三つの川が半径一キロ圏内にある、水資源に恵まれた地域。大手スーパーが近辺に三軒あり、また、市の中心部へ行くにも決して遠くない、ある意味一等地。土手に上がれば見晴らし満点。夜、空を見上げれば満天の星空。不便なく、暮らしやすい街。

 その、住むには最適の地域に、二つの私立高校がある。私立紅花(べにばな)高校と、私立雪花(ゆきばな)高校。

 この二つの高校は歩けば二十分、自転車なら十分で行き来できる程近い。直線距離はほんの三百メートルくらいしかないだろう。しかし、それだけ近いのもあってか、両校は創立したその時から成績、部活の両面で争っていた。

 私立紅花高校は、高校受験の難易度は雪花より低いとされており、実際、模試や大学受験の結果は雪花より僅かに劣っている。しかし、部活面ではかなりの確率で雪花に勝利している。

 雪花高校は、高校受験の難易度が紅花より高いとされ、一年間を通してみると紅花より僅かに優勢だ。だが、部活は良くて五分五分、悪ければ全敗という悲惨とも言える結果で、春季、夏季、秋季の三回の大会のうち、一回でも勝てれば良い方だった。

 両校とも県内の成績は他に並ぶものがないほどだ。まさに、『優秀』の一言に尽きる。模試の成績は偏差値七十越え、部活面では上位入賞者の六割が紅花か雪花の生徒だ。つまり、実質的には県内トップの座を賭けて対立していることになる。

 その二つの高校間で、20××年三月、世界を不況の影が取り巻く中、とんでもない事件が起こった。

両校の生徒会役員がたまたま飲食店でばったり出会い、話しているうちに口論に発展。そして、最後には暴力を使った喧嘩になってしまった。営業妨害と器物損壊、さらに相手校の生徒、店員に暴力を振るったとしてその場にいた生徒は全員退学。よって生徒会役員もその場にいなかった紅花高校の一名を除いて総入れ替えとなった。

最初は特になんの対立もなく、普通に話していただけだったのだが、少し話題がそれ、成績、部活についての話題に移ってしまったのだ。結果、批判し合うだけになってしまい、警察沙汰にまで発展した。

「でも、まっさか珠奈が生徒会長になるなんてなっ!」

「あたしもびっくりしたわよ。あの生徒会の皆さんがあんな事件を起こしたなんて今でも信じられないもの」

 紅花高校の校舎は三階建て。約七百人の生徒がいるため、空き教室など一つもない。上空から見るとアルファベットのH型で、Hの校舎に挟まれた上部がグラウンドになっている。生徒玄関はHの下部中央にあり、職員用玄関もすぐその脇にある。また、Hの右側の棟が普通教室棟で、左側が特別教室棟になっている。真ん中の横線部分は管理棟で、生徒会室は三階、教務室は二階にある。

「でっ? 珠奈は生徒会に入って、なにがしたいんだっ?」

「何がしたいっていきなり尋ねられてもね……。そうね。でも、せっかく生徒会長になったんだから、なにか特別なことがしたいわ」

 私立紅花高校の生徒会室。机を合わせ、生徒会役員四人全員が顔を合わせている。

 肩にすらかからない思いっきりショートの髪の毛と、きりっとした細い目が印象的な女子生徒は新、生徒会長になった三年五組、詩月珠奈(うたつきしゅな)。そのすらっとした肢体には無駄な部分は一部もない。校内での成績はいつも約三百人中、トップ五に入る実力。教科に好き嫌いがなく、どの教科も八十五点以上という天才少女だ。さらに、外見からも分かるように運動神経も並ではない。瞬発力もスタミナもあるため、帰宅部なのをもったいながられることもしばしば。生徒会長に抜擢されたのも頷ける完全無欠の女子生徒だ。

「特別なこと、ねえ? いっそ何か大きな改革でもしてみますかっ?」

 そして先ほどから独特な口調で珠奈に話しかけているのは、鼻が高く、滑らかなラインを描いて首筋へ続く理想的な頬を持つ、かなり美形の書記、三年七組、黒羽(くろばね)鷹樹(たかき)。中学は別々だったが、珠奈とは小学生の時からの関係で、とても仲が良い。

 成績の方は五十位辺りを徘徊しており、珠奈には及ばないものの決して悪い成績ではない。

 髪型や服装はどこにでもいる男子生徒と変わらない。たまに第一ボタンを外すこともあるが特に特筆する点ではないし、髪型も普通のスポーツ刈りで、染めるわけでもなく、ワックスを付けるわけでもなく、その点は本当に一般生徒と変わらない。なぜかいつみても学生服のズボンを着ていることだけは特徴的と言えるが。喋るときはやたら小さい『つ』と入れて喋るので、話しかけられると一瞬で誰なのかを判別できる。

「はぅ。改革、ですか?」

「そうっ! この学校の伝説に残るくらいの大きな改革をしてみようぜっ?」

「ふぇ? 伝説に残る。……珠奈、すごいね~」

「すごいね、って、ちゃんと考えて言ってるの? 影斗は一応唯一前生徒会メンバーで残ってる身なんだから、あまり軽率な発言は控えるべきよ?」

「はぅ。でもでも、伝説に残るってかっこ良いと思わない?」

 「はぅ」とか「ふぇ」とか言ってるこの女子生徒は三年六組、光海影斗(こうみえいと)。身長百四十六センチの小柄な体に、どう見ても中学生以上には見えない童顔な顔つきは男子女子どちらからも親しまれている。程良くぷっくり膨らんだ頬や丸くて大きな目、それにポニーテールに結んだ肩より少し長めの髪の毛はとても高校生のものとは思えないくらいふわふわしている。男子側からは小柄ながらも豊満な体つきも見逃せない一つの要因のようだが。

成績は百位前後で、平均をそこそこ上回っている。珠奈とは高校一年のクラスメート同士だったため、気兼ねなく話せる。

「だからかっこ良いとか、そういう問題じゃないと思うんだけど。もしそれで良いとしても行動に移すとなると、『ちょっと頑張る』程度じゃできないわよ?」

「別にいいんじゃないですか? 僕もせっかくなったからには何かしたいと思ってましたし、詩月さんならそのくらいのことやってのけられるのでは?」

 そして、丁寧でありながらも強い意志を表明するこの男は三年一組、水上(みずかみ)()輝子(きし)。副会長と書記を兼任しているため、生徒会の仕事全てを把握している重要人物だ。

濃紺フレームのメガネをかけていて、男子にしては珍しいちょっと長めの髪とまつげがいつも穏やかな真輝子の印象をさらに良くしている。身長は百六十八センチと男子にしては少し低めだが、本人以下、周りの人間も全く気にしていない。

「勝手に評価しないでほしいわ。だいたい真輝子君は会ってまだ一週間くらいしかたってないのよ? よくそんなことが言えるわね」

「いえいえ。噂はかなり前から聞いてますから。こういう学校では成績上位者は自然と名前が広がるものですよ。その中でも詩月さんは成績良し、運動良しのスーパー少女だって、大変広まってますからね」

「へえ? でも、真輝子君自身はあたしのこと、知らないはずよね? 無責任なことは言わないで欲しいわ」

「あ~。真輝子。珠奈は褒めてもあんっまり意味ないから、やめといた方が良いっぞ」

「そうでもないわよ? 褒められればそれなりに嬉しいし……」

「そんな無感情な顔で言われっても信じられないっよ」

「無感情な奥に隠された心を読み取るのが男性というものでしょう?」

「はいっはい、そういうことにしておきますっよ」

「二人とも~。そろそろ本題に入ろ?」

 放っておくといつまででも続きそうな雰囲気を察して影斗がカット。ちなみに、影斗と鷹樹は生徒会で初顔合わせ。珠奈と真輝子同様、まだ一週間くらいの付き合いである。影斗と真輝子は中学の時からの知り合いで、結構親しく話せる仲だ。

「おっ! そうだった。今日はいつものお遊びな感じで集まったんじゃなかったな」

 生徒会室は四人で扱うにはとても広い。たまに生徒会室で会議をする時もあるので、特に不審がる人間はいないが広いのには変わりない。大きめの机や、文化祭かなにかで使われるのであろう、よく分からない看板など、色々あるが教室内で軽くドッヂボールやフットサルができる程だ。

「でも、いっそそれでいいんじゃないですか?」

「『それ』って、伝説に残るくらいの改革をしよう、ていうことかしら? でも、重ねて言うけど、大変よ?」

「それは分かりますが、僕たちには前生徒会の方々の想いと、僕達自身の想い、二つの想いを同時に持つ、大変まれな生徒会役員です。ならば、いっそのことなにか大きな改革でもしてみた方が面白くありませんか?」

 珠奈が少し渋るのを見て真輝子がもっともらしい理由を付ける。言い出したのは鷹樹だが、案外真輝子も悪く思っていない様子だ。

「そう、ね。あたし達の代で雪花を抜き去るのも悪くないかもしれないわね」

「うん! 私もそれでいいと思うよ!」

真輝子の言った、前生徒会の一員でもあった影斗なんかは身を乗り出して大賛成。珠奈も諦めたように、首を縦に振った。

「よっっし! んじゃ、この新生徒会で、紅花を変えていきますかっ!」

「頑張りましょう!」「頑張ろうね!」「皆で雪花を追い抜こうね!」

言うことはそれぞれ違ったが、全員の息はピッタリ合った。



    ◆



 私立、雪花高校。

 雪花高校は川のすぐ近くに立っている。川沿いにあるマラソンコースは部活や体育の体力作りに活用されている。歩いて五分程のところに大手スーパーがあり、国道にも面していることから、普段から騒々しく、なにか行事の練習などで騒いでも特に問題ない。

 学校の形は正方形で、中央に中庭がある。こちらも紅花と同じく約七百人近い生徒が在籍しているが、四階建てであるため、窮屈な思いはしていない。上空から見て上部校舎は大体育館になっている。右側が特別教室棟、左側が普通教室棟で、下部が管理棟になっている。また、紅花にはない、小体育館があったり、音楽室が二つあったりと、設備は紅花より確実に良い。

 その中、管理棟の三階で、話し合う(?)三人の生徒の姿がある。

「じゃあ、今期の目標は歴史の残るくらいの大改革をする、ということでいいかい?」

 返答は、ない。

 偉そうな、しかしどこか子供っぽい声音で発せられた言葉は誰からも返されずに空間に落ちる。だが、それを発した張本人は気に留めることもなく、さらに続ける。

「君たちの無言は肯定とるが、それでいいね?」

 それに無言で答える二人の男子生徒。

 雪花高校生徒会室。広さは一階のほとんど全てを使っている紅花の生徒会室よりはやや狭いが、数人の生徒が集まって話し合いをするだけなら、もっと狭くても構わないくらい。普通の教室より一回り大きいくらいだ。

「今日はこれでお開きにするから、後は各自自由にしてもらっていい」

 雪花高校生徒会、会長を務めるのは三年二組、佳乃莉々(よしのりり)()。身長百四十五センチ、体重三十五キロと、紅花の影斗に並ぶ程の小柄な体系をしている。大人っぽい目と、どちらかというと三角形をひっくり返したような顔つきのため影斗ほど子供には見えない。しっかり中心から両側に分けられているのであまり気にならないが、前髪が長く、後頭部の髪の毛と同じ長さだ。成績は五十位前後で、武術を嗜むことから小柄ではあるが華奢ではない体つきをしている。

 莉々華は普段の態度によって自身のカリスマ性を浮き上がらせている。とにかく偉そうにしており、話術で人を丸め込むのが上手い。

 珠奈同様、能力を見るとなるべくしてなった、という生徒会長である。

 そして、現在生徒会室にいる男子生徒二人の名は白木風(しらきふう)()(まゆ)(がみ)(せい)()。それぞれ三年一組、八組に所属している。

 どちらにも共通しているところは口数が極端に少ないところだが、角刈りの髪の毛と、一寸の乱れもない着こなしを見せるいかにも「生徒会役員です」、という白木風夜の方は、自分から黙っている、という感じだ。単純に自分の意見をあまり言わないだけの、その辺にいる地味なキャラ。逆に、薄い緑色のベルトや、シルバーのネックレスを付けたりして、明らかに校則違反っぽい服装をしている長身の繭神星絆はそういうキャラではない。『歩く名言男』と言われる人物で、星絆が口を開いた時には必ず名言が飛び出す。その分、口を開くこと事態が少ないのは困った点だが。

 莉々華が表に立って皆を引っ張り、事務的なところは風夜、そして実質的には副会長より権力が高い補佐官と呼ばれる地位に就いて、サポートする星絆。紅花が非の打ち所のないエリートの集まりであるなら、雪花はそれぞれの分野に特化したエキスパートの集まり、といったところだ。

「ボクはこれで帰る。琴音に連絡しなきゃだしね」

 莉々華はそう言い置いて生徒会室を出る。

 ――全くもう。なんでボクが休んだ生徒に連絡をとる教師みたいな真似をしなくちゃならないんだ? こうなるからいつも生徒会にはちゃんと顔出せと言ってるのに。何かを決める時くらいは居てくれないと困る。一応副会長なんだし。

 莉々華は心の中で憤りを感じていた。雪花生徒会役員は三人ではないのだ。もう一人、副会長の女子生徒がいる。名前は五月雨(さみだれ)琴音(ことね)。これがまた他の三人に負けるとも劣らない存在で、生徒会役員のくせに学校を無断で休むわ今回のように生徒会に顔を出さないわで、どこかの不良さんみたいな人間だった。

 ――けど、琴音が無断で休むときは何か用があるのも事実、か。琴音はいざとなった時の大切な戦力だからこのくらいはしてやろう。あまり気は進まないけど。

 琴音は莉々華に比べると、カリスマ性には劣っているように見えるが、琴音はそれを補って余りあるほどの強さ、頭脳を持っている。先の先まで見通せる想像力と、冷静な言動でチームを引っ張るそれは『まとめ役』という言葉があまりにピッタリ当てはまりすぎて逆にしっくりこない。腰の辺りまで伸ばしたストレートのサラサラヘアと、獲物を狙う鷹か鷲のような強い光を放つ鋭い目。どこか一つでも欠けていたらここまで容姿端麗にはならなかっただろうという、整いすぎた顔。プライドが高い莉々華でさえ自分より上だと認めさせる能力とそのずば抜けた容姿は学校一評判だった。

 琴音が何故会長ではなく、副会長の座に収まっているかというと、あまりに自分勝手な行動が原因だった。仲間がピンチとあらばいつなんどきでもやってくるのだが、普段ははっきり言って『滅茶苦茶』の一言に尽きる。平気で学校を休むし、生徒会にも来ない。下手をすると連絡すら取れなくなるのだ。

――まあいいや。それより、具体的になにするか早く決めて、取りかからないといけないな。早ければ早いほど学校側もやる気があるってことを認めてくれるだろう。あの二人、特に星絆は基本何も意見ださないからボクがなんとかしなきゃいけないし。……琴音にも一応聞いてみるべき、か。

 とはいえ、莉々華にとっては心強い味方だ。ずっと姿を消していたのに、真に助けが欲しくなった時にふらっと現れたり、莉々華では考えもつかないようなことをさらっと言ってのけたりと、これ以上の味方はいないと素直に認められる。

「これから、忙しくなる」

 ため息まじりだったが、そこには確かに、強い決心と覚悟があった。





 次の日。

雪花高校生徒会メンバー三人は具体的な改革内容を決めるために集まっていた。

「一応、こんな感じでいきたいと思うんだけど、どうだい?」

「……あの」

「ん? 何か意見でも?」

「いや、そうではないですが……。どうして場所がこんなところなのか一応聞いておきたいなと思って」

 莉々華は何事もなさそうに話を進めているが、場所はいつもの生徒会室ではない。近くにある大手スーパー店内の休憩所みたいなところだ。十メートル四方の空間にテーブルとベンチがいくつか置いてあり、空調もかなり効いているので過ごしやすい休憩所だった。買い物が終わり、一休みしている主婦や一人暮らしっぽいスーツ姿で買い物袋を提げるサラリーマン。中には暇そうに一人でゲームをしている子供の姿もある。

「ああ、別に理由はないよ。ただ、なんとなくここだと『どこかの極秘会社の秘密会議』みたいでかっこいいかなと思ってね」

 風夜はどう答えていいか分からず、ただ目を開閉した。真顔でこんなことを言われても返しようがない。

「それで? この案については何か意見ある?」

「あ、いや。問題ないかと思いますが……」

 莉々華が提示した案とは、こうだった。

 六時間目の後に一時間、帰宅さえしなければ何をしていても良い、という時間を作ること。元来、雪花高校の特徴は小テストの多さにある。受験に必要な科目全てで毎時間、前回の授業でやった内容を確認する小テストを実施しているのだ。もちろん、全て成績に加算される。これをやる利点は色々ある。復習を強制的にさせられるし、それが良ければ定期テストでたとえ赤点ギリギリでもどうにかなる。それに、一々課題を出さなくても成績に入るとなれば生徒の方が勝手に勉強する。教師側にしてみれば利点尽くしだった。だが、悪い点も当然ある。小テストがありすぎることで部活の練習ができないのだ。禁止にはなっていないが、朝練、昼練は誰もしないし、教師側も無理にさせない。これは雪花の特徴であり、ある意味伝統なのだが、これによって紅花に部活面で負けていると言っても過言ではなかった。

 この問題点を、今回この案で莉々華は打ち壊そうと考えた。下手に部活時間を減らすくらいなら逆に放課後の一時間を自由時間とすることで小テストの勉強を一気にしてもらおうという作戦だ。

「自由時間、ということだから別に勉強しなくても良いわけだが、そこは雪花に来るくらいの生徒だから意図を読めるだろう。勉強する人間が大半のはずだ」

「……もらうなら、ダイヤモンドより金を」

 星絆が口を開いた。一応話し合いには耳を傾けていたらしい。

「……意味は?」

 星絆は名言しか言わない。これは周知の事実だ。莉々華は一言一句聞き漏らさないように少し間を空け、集中してから星絆に問うた。

「ダイヤモンドと金。ダイヤモンドは高価だし、見栄えもする。もらうならダイヤモンドをもらいたい人が大半のはずじゃ。だが、ダイヤモンドは放っておくとどんどん価値が下がってしまう。磨き続けなければその価値を維持できない。なら、単純に高価で、特に手間のかからない金をもらう方が得策というもの」

 ――なるほど。つまり、目先のことに囚われているとその後起こることを見れなくなる、ということ。転じて、ボクの案によって起こることを考えてあるのか、ということだな。

「分かった。忠告ありがとう。その辺もしっかり琴音と考えておくよ」

 星絆は軽く頷き、瞑想体制に戻る。もらうならダイヤモンドより金を。『歩く名言男』の異名に恥じない格言が飛び出した。生徒会に入ってからは初めての言葉である。

「じゃあ、とりあえずのところ案そのものについては問題なし、だね?」

 二人とも、無言の肯定。

「よし。それではここで解散。お疲れ様」





 しかし、そのわずか二日後。動き始めた新生徒会に思いもよらぬ展開が待ち受けていた。

「校長先生。それは構いませんが、何故ボクら生徒会に一言もなくそんなことを承諾したんですか? 実際に対策を立てるのは先生ではなく我々なんですよ?」

「いや、私としても悪いとは思っているんだがね。挑発されて退くに退けなくなってな。お願いできるかな?」

 夜、十時過ぎ。自室で読書をしていた莉々華に、突然校長から電話がかかってきた。内容だけ見れば至極簡単だった。紅花の校長と会って話をしているうちに次の大会、模試についての話になり、気がついたら『今後は今回、負けた方が勝った方の都合に合わせる』という賭けに発展していた、ということらしい。これは練習場所が被っている部活にとって大打撃な上に、勉強合宿で泊まる宿泊施設の争奪戦などにも絡んでくる。

 莉々華にとっては釈然としないどころではない。いきなり自分の役割が重要になってしまったためそんなことを勝手に決めた校長に怒りを感じていた。

 ――というか、この展開はほとんどあの生徒会同士の事件と同じじゃないか。もうじき高齢者の仲間入りをする方々がその後を辿ってどうするんだ。ボクは校長のために動くマリオネットじゃないんだぞ?

「良いですが、援助はよろしくお願いします。丁度ボク達も大きな改革をしようと話し合っていたところなので、できるだけのことはさせてもらいます。でも、そのためには先生方の協力も不可欠ですからね」

 この辺は、流石である。相手が勝手に動いたことを責め、その直後にさりげなく協力を引き出す。相手方に自分の弱みを自覚させた直後は受け入れてもらいやすいのを今までの経験から知っているのだ。

「それは良かった。援助については任せてくれて問題ない。こちらが言い出したことだからな。出来る限りやらせてもらう」

「了解です。もう案はほぼ固まってますので、もしかしたら明日辺りから動き始めるかもしれません。まず先生方の承認が必要ですので、その時は校長先生もこちら側に回って下さい」

「分かった。内容によっては賛成しかねるかもしれないが、よっぽど突飛なことを言われなければ全力で賛成する」

「オーケーです。では、もう寝ますので」

 もう話すことはない、とばかりに会話をぶった切る。内心、かなり苛々していた。

「ん? ああ、おやすみ。遅くにすまな」ブチッ

 校長が言い終わる前に莉々華は切った。パタンと携帯を閉め、机の上に置く。

 ――問題は、生徒たちへの対応だ。このことを生徒に伝えるか否か。全体の士気は上がるかもしれないが、内容が「校長同士のくだらない争い」だと一部で反発が出る可能性が・・・・。まあ、とりあえずは明日、ボクの案を通さないことには始まらない。校長の協力は引き出せたけど、それなりの反発は覚悟しないとだな。その場合はボクが押さえなければダメだから。

 ベッドに倒れこんで、考えを巡らせる。まさかこんなことがこんな簡単に起こるとは思ってなかったが、なかったからといって何もしないわけにはいかない。生徒会長として最大限の努力をして、一点でも二点でも良いから、とにかく紅花より上を行って勝たなければならない。

 その時、また携帯が鳴った。

「はい」

 ろくに名前も見ずにとった電話の相手は、

「なに抜けた声出してんの? 明日辺りが一応本番なんでしょ? 私も行くから、もっとシャキッとしようよ」

 琴音だった。

「琴音の言うセリフじゃない」

「あはは。それもそうか。けど、明日っていうのは否定しないんだね?」

「驚きはしないよ。琴音の能力はそういうとこだからね」

 また、ベッドに倒れこむ。なんだかんだで生徒会長というのは結構疲れる。一、二週間くらいじゃ慣れないし、年度初めで仕事も多い。普通の女子より体力があるとはいえかなりの疲労感がある。

「そういう言い方は気に入らないなあ。私はこれでも莉々華のコンプレックスを知ってる数少ない友人なんだよ? もうちょっと愛想良く対応してよ。身長百四十五センチ、バスト六十九の莉々華さん?」

「そういう言い方は気に入らないな。さぼり魔で自分の仕事もろくにこなさない最悪の副会長、五月雨琴音さん?」

 しばらくの間、両者とも沈黙した。相手が気にしていることをさらっと言う琴音も琴音だが、それを意に介さず相手の言葉をそのままアレンジして返す莉々華も莉々華だ。

「……それで、なんかあったの?」

 約三十秒の沈黙の後、開かれた言葉はとても優しさに満ちたものだった。琴音はこれだけの会話で莉々華の機嫌が悪いのを察知したのだ。

「別に。でも、この間メールしたけど、緊急事態への対応はかなり綿密に練っておかないとまずいことになった。琴音はそのためだけにいるんだから、ちゃんと考えておいて」

「ん? 話が読めないんだけど? 莉々華が苛々してるのもそこに関係があるの?」

「それがまたバカらしいんだけど――」

 莉々華はたった今あった話を琴音に聞かせた。

「あ~。なるほどね。莉々華って自分勝手にやってるようで責任感は強いからね。分かった。明日、しっかり話そう」

「ボクのことをなんでも知ってるような言い方をするな」

 言われて琴音はあははと笑ってこう返す。

「これでも中学からずっと一緒にいる者同士なんだから、別にいいじゃん。莉々華も、私のことよく知ってるからちゃんとメールくれるし、任せるところは任せてくれるんでしょ?」

「切るよ」

「全く反応なし!?」

「ボクのことをよく知っているなら、そういうことを言われた時の対応も熟知しているはずだろう?」

「……はいはい。分かりました」

 電話越しでも分かるくらい大きなため息をついて琴音は切り替える。それを雰囲気で察して莉々華も、体を起こしてしっかり対応する。

「今の状況から推察でき得ることはだいたい対策を考えてある。明日、それを見やすいようにまとめてプリントアウトしていくから、しっかり話し合おう」

「了解。さっきも話したけど、朝か昼に校長に話を持って行き、運が良ければ放課後会議になるかもしれないから、明日、早めに登校して話しておこう」

「それが良いかも。じゃあ、明日、七時十五分頃に校門前で」

「分かった。じゃ、明日」

 あえてここで長々話す必要はない。二人とも事務的な口調で用件を伝えると電話を切った。

 携帯を机の上に置き、ベッドに腰かける。やれやれと思いながらも莉々華は先ほどより気分が楽になっていた。

 ――琴音は相変わらずか。でも……。やっぱりあの無口な二人と一緒にいるよりは琴音を相手にしてた方がまだ楽だな。考えてないようで、もう対策は考えてあるって言ってたし、認めたくないけど、琴音は頼りになる。

 中学の頃から友達である、という事実以上に莉々華は琴音を信頼している。莉々華の強烈な個性も全く意に介さず、むしろ自分のペースで話を進めようとする琴音は莉々華にとって話しやすい相手だった。コンプレックスのことでからかわれるのは癪に障るが、そこは話術が得意なだけあって反撃できる。

――って、そういえば紅花の会長は珠奈なんだっけ? 彼女も今頃大変だろうな。突然校長からこんなこと言われるんじゃ。

 琴音のことを考えているうちに莉々華は中学で絡んでいたうちのもう一人、詩月珠奈を思い出した。



      ◆



 紅花高校生徒会室。

 だだっ広い教室は暑い空気に満たされていた。机や椅子が端に寄せられ、教室内はちょっとした広場のようになっていた。黒板には黄色いチョークで『紅花改革作戦』という文字がでかでかと書かれ、いくつかの案がその脇に書き出されている。

 生徒会メンバー四人はいつも着ている制服から、スクールカラーであるワインレッドを基調とした体操着に着替えている。各々筋トレをしたり鬼ごっこをしたりと、どういうわけか全員が身体を動かしていた。

「……現状維持、した方が良いわよね?」

 影斗から逃げながら、珠奈がぽつりと呟いた。

 昨晩。莉々華同様、珠奈にも校長から連絡がきていた。莉々華達雪花生徒会と違ってまだしっかりした案も決まってなかったため、珠奈はしばらくの間何を言われたのか理解できず、ぼんやりと考え込んだ。色々なことが頭の中を駆け巡ったが、とにかく皆に話そうと決めて登校した。本当に改革をした方が良いのか、自分達のせいで紅花の成績が落ちたらどうするのか、仮に上がったとしてもそれを維持できるのか、雪花はどうするつもりなのか。頭をできるだけ色々な方向に回し、考えた。

 結果、現状維持が一番の最善手だと踏んだ。

「そうですかね?」

 こちらは荒い息で腕立て伏せを続ける、真輝子。

「……これは保身のためでもなんでもないけど、改革をするとなるとやっぱりリスクが高すぎるのよ。たとえどんなに良い改革でもそれに生徒が順応するまでの時間や、それによる反発を考えるとどうしても一定期間は必要なはず。でも、次の大会、模試、つまり七月くらいまでってことになるとそんなことをしている時間なんかない。今まで通りにして、直前に補修や課題の軽減措置で対応する方が何倍も安全で確実なのよ」

 珠奈は自分が授業中に考えたことを一息に述べた。他の面々はそれを頭の中で転がす。せっかく何かしようと意気込んでいたのに、その鼻っ柱を折られたのだ。誰しもこれで終りたくないという気持ちがある。

「詩月さんの言う通りかもしれませんが、もしうまくいった時を考えるとやはり捨てがたいものがありますよね」

「だよっな。完っ全にこれは校長達が悪いんだから、俺らが責任を負う必要はないっと思う。珠奈の言うようにリスクが高いってのも、もともと分かってたことなんだから強行しってもいいんじゃないか?」

 腹筋を続ける鷹樹と、腕をがくがくと震わせ、今にもへばりそうになりつつある真輝子は心底つまらない、という顔をしている。

「でも、大幅に落ちた時に責められるのは珠奈だよ? 校長先生達も悪いとは思うけど、やっぱり危険な策には賛成できない、かな……はぅ」

 珠奈になかなか追いつけず、立ち止まってしまった影斗の言葉は呼吸が乱れ、どんどんしぼんでいった。最後の方はほとんど声になってなかったが、鷹樹と真輝子ははっとした顔になり、珠奈を見る。

「え? そういうのは別にいいわよ。単純に学校のことだけを考えて」

 珠奈はぶんぶん手を振って否定する。その仕草があまりにも必死で、「本当に気にしないで欲しい」という気持ちが見て取れたので三人とも、視線を外した。

「で、どうするの?」

「……それでも、私は賛成できないですぅ。今までの方法でこれだけの結果を出せてたんだから、こんな切羽詰った状況で改革しても無駄だと思うけど」

「そうではある……ん……だけ…………ど…………………………ああもう! なんなんだよこれっは!」

 腹筋をストップして、盛大な突っ込み。今更だが、鷹樹にも何故運動させられてるのか分かってなかった。珠奈が最初に、「今日は運動しながら話し合おう」と言ったせいで、全員が筋トレなり、鬼ごっこなりを強制された。

「え? だってこういうちょっと暗い話をする時は体動かしながらだと話しやすいじゃない?」

「じゃない? って、あのな……」

「それじゃあ、鷹樹は他にこういう話をする時、話しやすくなる方法を知ってるの?」

「……テンションを思いっきり上げて話してみるっとか!?」

 口から出まかせ。が、

「どうしよう!?」

 影斗は合わせる。

「そうですね! 僕は賭けてみても悪くはないと思います!」

 真輝子も合わせる。

「ええ!? 絶対今の適当でしょ!? やるの!?」

 突っ込む珠奈。

「でも! それはあくまで賭けっていうくらいでしょ!? 私は確実なやり方で安定した点数を狙った方が点数上がると思うけどな!」

 無視する影斗。

「自分は半々だっな! ちょっと悔しい気持ちもあるっけど、影斗さんの意見も分っかるし!」

 強行する鷹樹。

「妙なところで合わせないで!」

 突っ込む珠奈。

「つまり、意見は二つに分かれましたね!」

 まとめる真輝子。

「最後の決断は珠奈がして!」

 迫る影斗。

「生徒会長の決定なら、文句は言わないっさ!」

 促す鷹樹。

「え!? だからそこ……」

 戸惑う珠奈。

「「「いいからズバッと!」」」

「え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」




「仕切りなおし」

 三名をグーで殴って黙らせた珠奈が黒板の前に立ち、軽い脳震とうを起こしてくらくらしている三名がその前に正座で座っている。

ちなみに、珠奈はこの生徒会が発足してからほとんど突っ込み担当になっている。普段の王女様的な態度からすると少し合わないが、突っ込み役に徹する時だけは雰囲気が変わるため、特に気にならない。

「あたしはさっきも言ったけど、現状維持が最善だと思う」

 深刻な表情で珠奈はもう一度自身の意見を言った。

 現状維持。それは紅花の超、管理体制を維持することを意味する。雪花の小テスト尽くしもかなり辛いものがあるが、紅花のスタイルもそれに負けないくらい厳しいものがある。紅花のスタイルを一言で表せば『課題責め』。と、言うと膨大な量の課題が出ている、と思う人がいるのだが、全然違う。紅花の怖さは生徒にとっては地獄としか感じられないくらいの管理体制が敷かれているところにある。つまり、具体的に言うと、『親に一瞬で連絡が行く』のだ。課題の期日が守られていない時、課題を出してないのに部活に行っている時、その全ての場合において本人を呼び出すのより先に親へ連絡が行く。

 この完璧な管理体制により、紅花高校が創設されて以来、登校している生徒が期日までに課題を出さないまま帰宅したことはない。

 紅花高校に伝わる一種の伝説だった。

「だから、自分らの意見はさっき言った通り。珠奈がそうなら、やめるってことで良いんだよ」

「そうです。ふざけてはいましたが、意見に間違いはありません」

「と、いうことだよ。珠奈がそう思うなら、私たちはそれで構わないよぉ?」

 「なに? その適当な反応?」と、口で言いながらも珠奈はもう一度よく考える。

 影斗や、自分が考えているように、安全策でいくなら今の成績は確実に維持できる。なにか、例えば今年の新入生があまりにも成績が悪いとか、そういうことがなければ、放っておいても全く問題ない。模試や、大会前にいつもよりちょっと気合を入れてかかれば少なくとも勝率は五分で本番に臨める。反面、それだと大きい伸びははっきり言って期待できない。もともと県内のトップクラスの生徒が集まっているから、言わなくたって誰もが自然に勉強している。だから、その状況下で生半可なことをすれば逆に体調を崩す人が出るかもしれないし、そのせいで成績が落ちる人だって出てくるかもしれない。

 しかし、だからと言って改革をしたところで伸びるとは限らない。改革を生徒がすんなり受け入れてくれるかどうか不明だし、拒否された時を考えるとそれに対応する時間も必要になる。また、自分たちが今以上の制度を作り上げられるかも分かったもんじゃない。良かれと思ってした改革が一部の生徒にとって苦痛でしかなかったら、他の人の成績が上がっても意味がない。上がる生徒と下がる生徒が居たんじゃ結局は五分だ。つまり、大きな伸びが期待できるとしても、不安要素がこれだけある分軽々しい判断でできることではないのだ。

「……よし。今回は現状維持で行くわ」

「おっけ」

「珠奈がそう思ったならそれでいいんじゃないかな?」

「では、この話は二学期にでも」

 結局、珠奈は安全策を取った。生徒会長として、自ら学校を危機に追い込みかねない策は決断できなかった。

 珠奈と莉々華、琴音の三人はかなり仲がよく、今でも連絡を取り合っているからお互いの高校についてよくメールや電話で話す。だから、つい昨日、琴音から連絡があって雪花の動きは知っていた。莉々華や琴音の性格からして遊びのつもりではないだろうし、やるからには徹底的にやるだろうことは推測できる。だが、珠奈にはどこか、自分達の役職を忘れているのではないか、という気がしていた。「二人はずっと『わが道を行く』、という感覚で過ごしていたから、今回もその感覚で学校を自分の所有物化しているのではないか?」、「自分達のすることがどれだけ多くの人に関わることなのか、分かってないのではないか?」。珠奈は二人をよく知っているがゆえに、そんな不安があった。本来、自分と敵対するはずの高校ではあるが、親友とも言える人間がそのトップに立っていることで珠奈は自分のことのように気にかけている。

 能力は他の追随を許さぬ秀でたものがあるが、一般常識を無視して信じた道を突き進むような人間達だからこそ。



      ◆



 そんな珠奈の心配とは裏腹に、莉々華と琴音は着々と前進していた。

「意外と簡単に通ったね」

「校長には協力を要請してあったし、そこまで悪い提案でもないから、教師側も一々協議するのがめんどくさいんだろう」

 朝、琴音と莉々華は最終調整をした。生徒達には校長同士のアホらしい競争は伝えないことなど、微調整を行い、そのまま校長に案を提示した。朝の短い時間ではあらゆる事態に対する備えをしっかり話し合うことはできなかったが、莉々華も琴音も、我ながらかなり良い案を思いついたものだと感じていた。そして、それを裏付けるように放課後ではなく、昼休みに招集がかかった。校長が教師にどのような説明をしたのかは二人とも分からなかったが、そんなに時間を使わずに可決できると踏んだのだろう。事実、ものの二十分くらいで案は承認され、すぐに実行されることになった。

「でも、あんまり見たことなかったから知らなかったけど、莉々華って、先生方の前だと一応それっぽく話すんだね」

「ボクのコンプレックスを知っているほどのお友達さんがそんなことも知らなかったのかい?」

「……え~っと? まだ昨日のこと引きずってんの?」

「そういう訳じゃない。言葉通りの意味だ」

 現在、生徒会室にて昼食を取っている。机を合わせて、向かい合う形で座っている。窓際には先ほど琴音に渡された改革内容の詳細が載っているプリントを熟読する風夜と、相変わらず瞑想にふけっている星絆の姿もある。莉々華も琴音も、星絆も風夜も、なぜか昼休みは決まって生徒会室に来て昼食を取っていた。

「ふ~ん。ならいいけど」

「全く。『機に因りて法を説け』と言うだろう? 相手の性格や能力によってある程度話し方を変えるのは基本中の基本だ」

「いや、基本とか言われても……。私はそんなに人前で話すことないし」

 やれやれと、琴音は自分の弁当に箸をのばす。

普段はとにかく偉そうで、誰に対してもその態度を変えないと思っていただけに、言葉で言う以上に琴音は驚いていた。言いたいことはずけずけ言ってたし、たくさんの教師を前にして臆することなく話す辺りは琴音の想像通りだったのだが、決定的に違ったのは、話し方だ。いつも自然に使っている「~だろう?」とか「~かい?」みたいな、見下すような言い回しが皆無だった。しかも、それどころか見事なまでにしっかり敬語を使いこなし、教務室を出る前に国語の教師から褒められたほどだ。

「……ホントに可愛くないよね」

「なに?」

「だから、莉々華は完璧すぎるの。こっちがつまんなくなるよ」

「ボクは琴音のおもちゃか? 人で遊ぼうとする方が問題ある」

「ほら。そういう真面目な回答も、友達としてはつまらないの。珠奈が一緒に居た時は楽しかったんだけどなぁ」

「……紅花行けば?」

「いやいや。なんでそうなるの?」

「だって珠奈と居た方が楽しいんでしょ?」

「いじけた?」

「違う」

「じゃあ焼きもち?」

「違ひゃう!?」

「は?」

 突然、莉々華の体が跳ねた。いつのまにか莉々華の背後には風夜が立っている。手を宙に浮かせて硬直していることから、話しかけようと思って莉々華の肩に軽く触れたのだろう。

「な、なにかな?」

 取り繕うように莉々華はパッと振り向いて風夜と話し始める。

「…………!」

 この状況を見た琴音の中で、何かが繋がった。莉々華に気づかれないように静かに立ち上がると、息を殺し、足音を立てず、莉々華の視界を避け、忍び寄る。莉々華は明らかに動揺していた。琴音の動向に全く気づかず、さっきの反応を隠すように風夜と話している。

 そこへ、琴音はそーっと近寄り、莉々華のわき腹に――

「ひゃうわ!?」

 先ほど以上にビクンと莉々華の体が跳ねた。琴音はにや~っと意地悪な笑みを浮かべる。

「莉々華、自分の予期してない時に体触られると勝手に反応しちゃうんだ?」

「違う」

 即答。慌てた様子はあるが、やはり平静を保っている。ほんのり顔を朱に染めているように見えるが、よく見なければ分からない程度だ。ここまで隠すことができるのは流石、としか言いようがない。

「違うの?」

「違う」

「本当に?」

「本当に」

「じゃあ、後ろ向いて」

「どうして?」

「実験するから」

「…………」

「ほらほ、らっ!?」

 琴音の顔面に拳が飛んできた。

 すんでのところでそれを避けると琴音は後方に飛び退いて身構える。と同時に長い髪の毛を一瞬で結ぶ。

「やっちゃったか。一回臨戦モードに入ると莉々華は止まんないからね~」

 琴音も詳しく聞いたことはないが、莉々華はたまに戦闘態勢に入ることがあるのだ。今回は照れ隠しのような感じだが、もっと違う形の時もある。

「行くよ!」

 言い終った時にはもう飛び出している。琴音はある事件から莉々華に武術を教えてもらったことがあるのだ。師匠である莉々華には勝てないが、相手にはなれる。

「ハッ!」

 シュッという音と共に全体重を乗せた拳打が莉々華の顔面を襲う。だが、そう簡単に当たったら苦労はしない。莉々華はしゃがみ、難なくそれを回避している。その状態から強烈なアッパーが琴音の顎へ繰り出された。

「それは、予想済みっ!」

 琴音は軽く首をひねってかわすと少し上体をかがめてひじ打ちを入れようとする。そこから派生して裏拳とアッパーに持っていける、かなり良い連撃体制だ。

「やらせない!」

 対する莉々華は体を回転させてひじ打ちを避けると、そのまま遠心力を使って裏拳を琴音の胸へ叩き込もうとする。琴音はギリギリ左手でそれを受け止めるが、一気に体制を崩した。

 それを、莉々華は見逃さなかった。さらにもう一回転して琴音の真横につけると遠慮なしの拳打をわき腹へ数発打ち込んだ。

「弱点があるのは、ボクじゃなくて、琴音でしょ!」

「にゃう!?」

 莉々華は琴音がよろけたところを片腕で支えると、もう片方の手で胸を鷲づかみにした。

「やめっ! ん!」

「琴音の弱点がどこかなんて、中学の時にたっぷり研究させてもらってたからね!」

 琴音を押し倒すと両手で責める。制服の上からでも膨らみが分かる程のそれを莉々華はためらいなく、揉みまくる。一気に空気が変わった。

「胸はダメだって! 謝るからやめてっ!」

 と、言ってはいるが、どういうわけか本気で引き剥がそうとしてるようには感じられない。莉々華は不思議に思いながらも面白がって制服の中に手を突っ込む。琴音の体は敏感に反応し、ビクっと震えた。

「相変わらず大きいな。お? 今日は水色か」

「言わなくていいから! いい加減やめて!」

 顔を真っ赤にして叫んでいるが、やはり、本気で抵抗していないような感じだ。手は莉々華の背中に回され、むしろ誘っているような体勢だし、身をよじって振り払おうともしていない。

「う~ん」

「んっ!」

 琴音の様子を見ていて、莉々華は理解した。琴音は今現在どういう状況なのか分かっていないようなのだ。ここには自分と莉々華の二人しかいないと思っている、という感じだ。つまり、風夜と星絆の存在を忘れているらしい。

 莉々華はしょうがない、と親切に教える。

「あと、一応言っとくけど、この体勢だと下の方は『他の人』からも丸見えだよ?」

「……へ?」

 そこで、初めて琴音は今がどういう状況なのかを気づいた。

「まあ、そういうことなので、もう少しこの体勢でいようかな。でないとお仕置きにならないし。なんなら制服も脱がしてさしあげましょうか?」

「莉々華! どいて! 頼むから!」

 今度は莉々華の拘束から逃れようと本気で力が込められる。が、莉々華は小柄ではあるものの、武術経験者だ。がっちりロックしており、びくともしない。

「では、お言葉に甘えて……」

「許してないし。って、ちょっと! ほんとにやめてよ!」

 ぷちぷちと制服のボタンを開け始める莉々華。琴音はなんとか引き離そうと暴れるが、暴れた分、スカートはめくれるし、制服は乱れるしで、逆効果だ。

「可愛い下着を拝ませていただきましょうか」

 ついにブラウスのボタンに手がかかる。

「止めて下さい!」

「ん?」

 背後からの声に莉々華が首を向けると、琴音と同じく顔を赤くした風夜が立っている。その角度だと、完全にスカートの中が見えているはずだが、気にしないで置こうと莉々華は思う。

「お願いだから、止めて……」

 見下ろすと、本当に泣きそうな琴音。

「このくらいで勘弁するか」





「莉々華、酷い……」

「そういう状況に持っていった自分の行動を自覚しようか」

 愚痴をこぼす琴音に、莉々華はまるで相手にしない。琴音は膝を抱えて椅子の上でうずくまっている。

「誰かに広めるわけないでしょ? 分かってるよ。あれでしょ? 武術が体に染み付いて、自分で意識しなくても反応しちゃうだけでしょ?」

 莉々華の不機嫌と解消するために、琴音はぼそぼそと言った。莉々華にとって、自分の弱みを相手に知られることがどれほどの苦痛なのか、長い付き合いだからこそよく理解していた。素直に反省の気持ちを表した。

「知ってる。でも、琴音の言い方が気に食わなかっただけ。で、これからのことだけど、適当に対策を練りつつとりあえずは様子見ってことでいいかな?」

 莉々華は場の雰囲気を変えるために違う話題を出す。

「そうだね。少なくとも五月いっぱいくらいは放置でいいんじゃない? 中間テストが終わるまではあまりにひどい事態にならなければ放って置いて問題ないと思う」

 琴音も、椅子に座り直し、気分を切り替えてそれに反応。

 良くも悪くも、一回はテストをしてみないと分からないということだ。普段の小テストだけじゃ本当の実力をみることはできない。やはり、しっかりしたテストを一度してみないと、改革の効果があるのかどうか、判断できない。あと一ヶ月とちょっとくらいだから、本当に効果が現れるのか疑問符がつくが、とにかく中間テストまでは下手に動かない方が良い。

「じゃあ、ボクと琴音は何か問題が発生した時のために対策を考えているから、風夜と星絆は生徒達の動向をよく見ているように。どんな些細なことでも変化があればすぐに報告すること。いいね?」

 二人がかすかに頷いたのを確認すると、莉々華は席に戻って食べ途中だった弁当に再び箸を伸ばす。琴音も、それにならった。

「そういえば、琴音。アイスは?」

「え? あるけど?」

 『またか』という空気が流れる。

 生徒会発足初日に、どういうわけか琴音は家から冷凍庫を持ってきたのだ。初め不思議に見ていた男子の面々に、莉々華は説明した。『琴音は無類のアイス好きで、三時間アイスを食べないと死んでしまうのだ』と。後半は嘘に決まっているが、琴音がアイス好きなのは事実だ。

 朝、コンビニやスーパーから購入してきたアイスを生徒会室に持ってきて、冷凍庫に保存する。そして、昼休みや放課後に集まった時、皆で食べているのだ。電源を使っているのは教師に報告していないため、カモフラージュとして、冷凍庫の周りには機材が積まれている。

「食べる?」

「いや、放課後もらうよ」

 莉々華は呆れながらも、いつまでも変わらない琴音に感心した。





「失礼するよ」

 その数分後、ノックの音がして真っ白のワイシャツに真っ黒のズボンを着た教師が入ってきた。莉々華も琴音も、その教師には見覚えがあった。直接授業を受けたことはないが、生徒指導部の教師で、夏休みや冬休みの前には必ず全生徒の目に触れる。

 この教師が現れる動機は一つしかない。何かあるのだ。例えば、この中に殴り合いの喧嘩をした人がいるとか、他人をとても傷つけることを言った人がいるとか、はたまた学校外で法に触れることをした人がいるとか。莉々華も琴音もお互いに目線で「なにかした?」と問いかけるが、そろって首を振る。

「あ、はい。なんでしょうか?」

 不思議に思いながらも普通に答えた莉々華。だったが、次の瞬間、凍りついた。

入ってきた教師の後ろに、ある男子生徒が居たからだ。髪の毛が微妙に茶色くなっており、柄の悪い雰囲気だった。

「莉々華さん。用件は分かるかな?」

「……はい」

 莉々華は暗い顔で立ち上がると教師の方へ進み出る。教師は「ちょっと廊下で話そうか」と、言って莉々華を廊下へ連れて行った。

「風夜。何か知ってる?」

 脇で見ていた琴音は、やはり同じように「なにかあったのかな?」と事の成り行きを見ていた風夜に訊いた。風夜は首を横に振る。

 莉々華は教師に呼ばれるようなことなど普通はしない。提出物等、成績に関しては特に問題ないはずだし、自制心が強いため、対人関係でもいざこざは起こさない。多少絡まれても気にしないのが常だし、どうしてもであれば口で黙らせる。

「……盗み聞きは良くないと思うけど」

 気になるととことん気にしてしまうのが琴音の性格。ドアにピタリと耳をくっつけ、聞き耳を立てる。

「……む」

 ものの数十秒で理解し、ばれないうちに耳を離す。

 どうも莉々華が先ほどの男子生徒を殴ったようなのだ。どちらかといえば、殴りそうなのは男子生徒の方だったが、莉々華は言い返していない。事実らしい。と、言っても、莉々華が言い返さないのは不自然と言えば不自然だった。

莉々華が普段、黙る理由は三つある。まず、自分に非があるのが明白な時。二つ目は、言い返したところで場の状況が変わらないと分かっている時。そして、三つ目は知られたくない情報を話さなければ言い返せない時だ。現状では、どれに当てはまるのかは分からない。莉々華が悪意を持って相手を殴ったのか、何か理由があって殴ってしまったものの、殴ったという事実を消せるわけでもないため言い返せないのか、それとも他に事情があるのか。

「いや?」

 琴音は三つ目の場合に絞ってよく考える。

 ――莉々華が話したくないこと。それはコンプレックスのことか、もしくはたったさっき分かった敏感に反応してしまうこと。莉々華にとって、自分の弱みを握られることは苦痛でしかないはずだから、この二つである可能性はある。その中で、殴ることに繋がりそうなのはコンプレックスのことをバカにされること、かな?

「いやいや。私にいつもあれだけ言われて何も反応しないのに、今回だけ反応するかな?」

 ――ということは、敏感に反応してしまう方かな? けど、反応してしまうだけで人を殴る行動にまで発展する? う~ん……。あ、でも、これなら……あり得る、かも?

「風夜君。キャッチボールしない?」

「……は?」

 琴音は思い立ったと同時行動を起こす。怪訝な顔をして戸惑う風夜を無視して廃棄されるボールをもらってきたとしか思えない、ぼろぼろの野球ボールをポケットから取り出した。

「あ、なんでそんなもの持ってるの? みたいな質問には答えないからね」

 琴音は窓際に立ち、風夜は廊下側に立つ。廊下と教室を隔てる壁にも窓はある。どちらかが取り損ねれば、窓ガラスが割れるのは確実だ。

「……あの」

 それに気づいた風夜が口を出そうとした直後、琴音の手から力一杯ボールが飛ばされた。





 一方、莉々華は教師の言葉を適当に聞き流して、早く終わらないかと待っていた。

 莉々華が男子生徒を殴ってしまった理由は琴音が考えた通り、勝手に体が反応してしまうところにあった。

 莉々華が普通に廊下を歩いていたところ、現在莉々華の正面に立っている男子生徒が絡んできたのだ。莉々華にとっては日常茶飯事。自分の態度を良く思わない人間は多いし、実際、しょうがないと思っている。だが、この男子生徒は莉々華の適当な反応に腹を立て、歩き出した莉々華に殴りかかった。さすがに予想外だった莉々華は体の反応するまま動いた。適当に触られるくらいなら反応するだけで済むが、殴りかかってくる、となると反応も違ってくる。反射的にその攻撃を左手で受け、右手で顔面を殴りつけてしまった。意識的に動かした動作ならともかく、反射的に動かしたものは簡単に止められない。殴った後にしまったと思ったが、殴ってしまったことに変わりはない。莉々華は素直に謝ってから、その場を離れた。

「まとめると、莉々華さんは、普通に声をかけられたのを無視してまた歩き出した。それに腹を立てた君が肩に手を置いたところ、莉々華さんが殴った、ということでいいのか?」

「はい」

 男子生徒は即答。

 莉々華は「よくもまあ、事実虚実を織り交ぜてくれたものだ」と感心したが、言い返せない。殴りかかられたにしろ、肩に手を置かれたにしろ、自分の体が勝手に反応してしまうことを話さなければならない。琴音や生徒会メンバーならまだしも、こんな男子生徒に知られたら百パーセントからかわれる。それだけは避けたかった。

「莉々華さん? 間違いないか?」

 教師がじっと睨んで訊いてくる。莉々華は気づかれない程度のため息をついてから、目を明後日のほうに向けて答る。

「は――」

 ガシャン。

「い?」

「うわ。なんだ?」

「やっちゃった! ごめんごめん。ちょっと力が強すぎたかな?」

 突然、生徒会室のドア上部にあったガラスが割れた。と同時に、わざとらしい声が響く。

「なんだ? どうした!?」

 教師が急いでそこに近寄ると、呆然と立ちすくむ風夜と、ニコニコ笑っている琴音の姿。

「あ、すみません。莉々華がいなくなって暇だったからキャッチボールをしてたんです。そしたら私のコントロールがずれて……」

「理由はいいからとにかく片付けるぞ!」

「了解です」

 莉々華は先ほどより随分大きなため息をついてその様子を見ていたが、不意に琴音がこちらを向く。

「……?」

 そして、「うまくやりなよ?」とでも言うようにウインクしてくる。

「ああ」

 意図が理解できた瞬間にさっきよりまたさらに大きなため息をついた。

 つまり、琴音は「自分が教師を引きつけて置くからその間に男子をいいくるめておけ」、と言いたいようなのだ。莉々華はありがたいやらあきれるやらで頭を抱える。琴音は、中学の時から人を助けるためなら協力を惜しまなかった。公共物を破壊してまで助けられたのは莉々華も初めてだったが。

 しかし、琴音の凄いところはそれだけじゃない。人のために無茶苦茶なことをやるのも常識外れでバカバカしく思う人が多いだろう。でも、その前の段階。少し情報を聞いただけでどんな事情なのかを読み、その対策をすぐに考えられるのは、一般人にはない、ずば抜けた能力があってこそのものだ。一つ一つの情報をつなぎ合わせる想像力。それら、いくつものパターンを瞬時に分析して回答に導く推理力。そして、それに対する策を組み立てる発想力。さらに、その策を実際にやってのける実行力。いくつもの能力が複合して、琴音は人を助けるという難題を幾度もクリアしているのだ。

「琴音の努力を無駄にするのも悪いし、こっちもこっちで頑張るか」

「はあ?」

 ぼそぼそ呟いた莉々華に男子生徒は首を向け、脅すような口ぶりで反応したが、その数分後。莉々華の言いなりになるマリオネットと化した。


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