十七.王族の勤め
訓練所から少し離れた場所に兵舎があり、兵舎が建ち並ぶ一角を過ぎたところに鍛冶場がある。
連れてこられた次の場所とは、その鍛冶場だった。鉄を打つ音が、景気よく響く。
遠くまで響き渡るその音は、近付けば幾重にも重なって聞こえた。
鍛冶職人たちのために用意された木造の建物は、建物と呼べるかどうかも怪しいほど簡易的だ。
日差しを避けるための屋根と、それを支える柱しかない。
その理由を、ヨンジュはそこに足を踏み入れてすぐに理解する。思わず仰け反りたくなるような熱気に襲われた。
明々と燃えるそこは、まるで灼熱の太陽の中に放り込まれたかのようだ。
心なしか、空気が薄く、息苦しい。
ヨンジュは喘ぐように浅い呼吸を繰り返した。
こんなところに長くは居られないと思い、ここに自分を連れてきたヘランを訝しく思う。
まさか彼はこんな場所で働くよう、ヨンジュに言うつもりなのだろうか。
絶対に無理だ、とヨンジュは即座に思った。
「ヘラン様!」
掠れた声が響いた。
ヘランとヨンジュの姿に気が付いて、ずんぐりとした男が手にしていた道具を投げ捨てると、慌てた様子で駆け付けてくる。
「こんなところにわざわざお越しくださらなくとも!」
おそらく、鉄を溶かす時に出る黒い煙に喉をやられたのだろう。
男の声は、がらがらとしていて聞き取りにくい。
無造作に伸びた髭は絡み合い、着たきりになっている衣は、煤まみれだ。
すっかり禿げ上がった頭部からは、滝のように汗が流れている。
ヘランは仕事の邪魔をしたことを詫びると、男のがっしりとした肩に手を置いた。
「親方、大勢の弟子を連れ、駆け付けてきてくれたことを有り難く思う。その功にはあとでいくらでも報いる。故に、今は存分に働いて貰うぞ」
「分かっています。剣はまだまだ足りないのでしょう。わしらは昼も夜も鉄を打ち続けますとも。これも祖国を取り返そうとなさっているヘラン様のため!」
親方と、ヘランに呼ばれた男は己の胸を拳で打って、任せてくださいと大きく笑った。
だが、すぐに、その表情を曇らせる。
「しかし、ヘラン様。鉄が足りないのです。不出来な剣しか造れないわしをお許しください」
「いや、親方がよくやってくれている。むしろ親方に不本意な物ばかりを造らせてすまない。鉄は、わたしが何とか集めよう」
「ヘラン様、勿体ないお言葉です」
感極まったのか、薄く涙を浮かべながら親方は、ヘランの足下に額を押し付けるようにして叩頭した。
それからすぐ親方は仕事に戻り、ヨンジュは暑苦しい鍛冶場をヘランに手を引かれながら後にした。
次はどこに向かうのだろうか。ヘランの足はまたもや別の場所へと向かっている。
(なんのために火事場に来たのかしら?)
ヨンジュはヘランに手を引かれながら、彼の背中に向かって小首をかしげた。
鍛冶場に連れてこられた意味がまるで分からなかった。
まさか、鍛冶職人にまで好かれていることを見せつけたいわけではないだろう。
ヨンジュはヘランの意図が分からないまま、今はただ彼に従って、その後を追いかけた。
次の場所は兵糧庫だった。彼はそこを管理する者と、いくつか言葉を交わすと、そこも後にした。
その次は、武器庫だ。それから、兵舎を巡り、炊事場や洗濯場を覗き、そこで働く者たちに声を掛けると、彼らの子供たちの遊び場にまで足を向けた。
そうして、西日が差す時刻になって、ようやくヘランとヨンジュは村に戻ってきた。矢と鎧をつくっている女たちのもとに向かう。
「ヨンジュ」
歩きながらヘランは振り向きもせずにヨンジュに言葉を放った。
「俺は忙しい」
身も蓋も無い言い方だった。だが、その通りなのだろう。ヨンジュは頷いた。
「そうですね。私も何か手伝えることがあると良いのですが……」
「手伝って貰う」
「え? でも、私にいったい何ができますか? きっと何もできません」
「いや、お前ならできる。お前にしかできないことだ」
ヨンジュは瞳を瞬かせて、ヘランの広く大きな背中を見つめた。
すると、ヘランが、ヨンジュ、と静かな声音でヨンジュを呼んだ。
「いいか、ヨンジュ。俺は忙しい。やらなくてはならないことが多すぎて全員に目を配ることができない。だが、皆、クムサの民であり、俺たちの同志だ。――いや、家族なんだ。元来、クムサ王とは、クムサの民の願いを聞き入れ、雨を降らせるために存在する。民の声を聞くのがクムサの王であり、それがクムサの王族の勤めなんだ」
「王族の勤め……」
仕事をする女たちの声が聞こえてきて、ヘランは歩みを止める。ヨンジュを振り返った。
「ヨンジュ、お前は剣を扱えなくていい。鉄を打ち、武器を造る必要もない。皮を縫える必要もないし、炊事をやる必要もない。だが、それらを行ってくれている者たちに声を掛けてくれ。労って欲しい」
「私が……? 皆を労う?」
ヨンジュは漆黒の瞳を大きくさせてヘランを見上げた。
彼が言い出したことの意味がよく分からなかった。
第一、ヨンジュなんかに声を掛けられて心が安まる者などいるのだろうか。ヘランだからこそ、皆は喜ぶのではないだろうか。
そして、皆を労うだけのことが、ヨンジュにしかできない仕事だというのだろうか。
腑に落ちなくて、ヨンジュは顔を顰めた。
すると、ヘランの腕が伸びてきて、ヨンジュの頭をくしゃりと撫でる。
くすぐったさにヨンジュが身を捩ると、ヘランが笑った。さも可笑しそうに。
「笑え、ヨンジュ。そうやって顔を上げていろ」
だが、そんなヘランにヨンジュは怪訝な表情を浮かべて、眉を歪めた。