十六.戦時の村
続々と人が集まってくる。
ヘランがオクチョンの山頂で雨を降らせてから数日が経つと、村は兵士で溢れかえった。小さな村ではすぐに兵士たちの寝食の場が無くなってしまったので、ヘランは村の西方に広がる平地に木造の簡易的な兵舎を造るように命じた。
そのため、兵士以外の人手も必要とされ、またその家族も集まり、人が集まれば集まるほど、次から次へと平地に建物が増えていった。
そして数ヶ月が過ぎ、気が付けば、ひとつの町ができあがっていた。
戦のためにつくられたその町には、鍛冶職人が鉄を打つ音が絶えず響き渡っている。
集まってきた兵士たちの大半は、ヘランが戦場で別れた兵士だったが、鍬を手に駆け付けてくる者もいて、そういった者たちには武器を与え、その扱い方を教えなければならなかった。
おかげで、村に辿り着いた翌朝からヘランは休む間もなく駆け回っている。
訓練をする兵士たちの指揮をし、ジヌや信用にたる数人と、これからについて話し合う。
村長の協力で他の村々に連絡を取り、兵糧の調達をしたり、王都に人を送り、トガム軍の様子を探ったりもしているようだ。
その間、ヨンジュは、村の女たちが矢をつくる様子を眺めていた。
彼女たちは拾い集めてきた枝から葉を除き、細長く切り調え、先端を鋭く削って矢をつくる。
彼女たちの近くには、男たちが狩ってきた鹿から皮を剥ぎ、縫い合わせ、鎧をつくる女たちもいる。
鉄の鎧は多く造れないので、こうしてつくられた皮の鎧を身につける兵士が大勢いるのだ。
矢も鎧も大量に必要とされていて、人手が不足しているのは眺めているだけのヨンジュにもよく分かった。
だが、ヨンジュは枝を調えるための小刀も、皮を縫い合わせるための針も、これまで手にしたことがない。
眺めていることしかできなかった。
あの日この村に、たどり着いた時に感じた、あの胸の熱さはいったいどこに消えてしまったのだろう。今のヨンジュの胸はひどく冷えきっている。
――できることがない。
ヘランは毎日忙しく駆け回っているというのに、ヨンジュは無益な時間を過ごしている。
それも、ヨンジュが無力だからだ。
(私って、なんて役立たずなの?)
――これでは生き残った意味がない。
ヨンジュさえそう思うのだから、きっと人々もそう思っているはずだ。役立たずな王女など、居る意味がない、と。
女たちの作業を眺めていると、次第に、その女たちがヨンジュのことを冷やかな瞳で見ているような気がして、居た堪れなくなってくる。
女たちが、こそこそと小声で何かを話せば、それはヨンジュの陰口なのではないかと、そんな気がした。
ヨンジュは女たちから離れて、村長が王女のためにと用意してくれた部屋に戻った。
ヨンジュに用意された部屋は、村長の屋敷の内棟に設けられた部屋だ。
村長の屋敷は、他の村人が生活する小屋のような家よりは、幾分か広い。
とは言っても、当然のことながら、王宮の後宮とは比べようにない。
じつに貧しい部屋で、ヨンジュは最初、納戸だと見誤ってしまった。丁度、ヨンジュの衣裳部屋ほどの広さだったのだ。
こんな狭い部屋に籠っていると、息が詰まってしまう。そう思い、外に出れば、やはり手持無沙汰で。
そして、忙しく働く人々の視線が気になって、再び部屋に戻る。
その繰り返しを幾日続けたことだろうか。
この日もヨンジュは外に出てみたものの、すぐに部屋に戻り、床に膝を抱えて座りながら、薄汚れた土壁を、ぼんやりと眺めていた。
その時。
「ヨンジュ」
誰かに名を呼ばれるとは思っていなかったヨンジュは、一度、その呼び声を聞き逃した。
もう一度、呼ばれて、弾かれるように顔を上げる。ヘランだ。
ヨンジュは慌てて立ち上がり、裳の皺を両手で叩き整えると、部屋の戸を開いて外に出だ。
「あのう。何か用ですか?」
「ついてこい、ヨンジュ」
ヘランはヨンジュの前までやって来ると、ヨンジュの細い手首を掴み、有無を言わさず歩き出した。
村長の屋敷を出て、女たちの働き場を抜ける。
何事かと、追ってくる視線を感じたが、ヨンジュには振り返る余裕がなかった。ヘランの歩みに付いていくので、精一杯だった。
村を出て、オクチョン山を背に進むと、渇いた平らな大地が広がっている。
その平地に設けられた訓練場までやって来ると、ヘランはヨンジュから手を離した。
訓練所を見渡せば、千を超える兵士たちが剣を振るい、弓を引き、馬を駆けさせている。
「ヘラン様!」
年若い兵士が駆け寄ってきて、上気した顔でヘランを呼ぶ。
「先日よりも多く的に当たるようになりました」
彼は手にした弓を得意げに掲げ、数十本の矢が貫いている的を指差した。
ほぉ、と感嘆の声を漏らし、ヘランは目を細める。
「ついこの間まで弓を手にしたことがなかった者とは思えないな」
「ヘラン様、わたしは矢を三本同時に射ることができます」
「わたしは剣の腕を上げました。ヘラン様、手合わせをお願いします」
次々に集まってくる兵士にヘランは笑いかけ、ひとりひとりに応えていく。その様子を僅かに離れた場所から、ヨンジュは眺め、困惑の表情を浮かべた。
なぜヘランは、自分をこんな場所に連れてきたのだろう。
暇で暇で仕方のないヨンジュに、いかに彼が兵士たちから好かれているのか、見せつけるためだろうか。
――いや、そんなことは今更だ。そんなこと今更見せつけられなくとも、ヨンジュは十分に知っている。
それにヘランは、そこまでの愚か者ではない。忙しくて、時間も惜しいだろうし。
では、ヨンジュにも武器の使い方を学ばせるつもりなのだろうか。ヨンジュは眉間に皺を寄せた。
確かに他国には剣や弓を扱える王女もいると聞いている。
ヨンジュもヘランのように戦えたら、兵士たちから尊敬を集められるだろうか。
少なくとも、ただ護って貰うだけの存在ではなくなるはずだ。だけど。
(私に剣や弓が扱えるかしら?)
到底、扱えるとは思えなかった。
やがて兵士たちがそれぞれ自分の訓練へと戻っていくと、ヘランの視線がヨンジュに向いた。
ヨンジュはその視線を感じながら、訓練を受ける兵士たちの姿を眺め続けた。
自分にはできないとは思うが、できたら良いなぁ、とは思う。
もしかしたら、こうやって兵士たちを眺めている内に、ヨンジュにだってできる何かが見つかるかもしれない。
(他国の王女にはできるのだから。――それに、先ほど兵士はつい先日まで弓を持ったこともなかったと言っていたわ。私にだって、弓くらい引けるかもしれないわ)
だが、すぐにヨンジュは首を横に振る。
(無理よ。私ったら、今、なんて軽率なことを思ってしまったのかしら)
剣を扱える王女は、おそらく幼いころから剣を振るための訓練をしてきたはずだ。そう、ヘランのように。
先ほどの兵士は、もともとは農民で、弓さえ持ったことはなかったが、毎日、鍬を手に畑を耕していたはずだ。筆すら自分では持たないヨンジュとは、体のつくりが違う。
(駄目だわ。ここにも私のできることはないわ)
ヨンジュは絶望の闇に心を沈め、顔を俯かせた。ぎゅっと、唇を結んで、両手で裳を握りしめる。
その時。ヘランの手がヨンジュに向かって伸びてきて、ヨンジュの頭をくしゃりと撫でた。
ヨンジュは飛び上がるほど驚いて、ヘランを見上げる。
「何ですか!」
「笑え」
「え?」
「次だ。行こう」
再びヘランの手がヨンジュの手首を掴む。引っ張られるようにしてヨンジュは訓練所を後にした。