表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

12月11日 死にかけました。

作者: 小雨川蛙

 いつも作品を読んでいただき本当にありがとうございます。

 こちらは何からの形で残しておきたかったなぁって思ったものです。

 去年の12月11日に起きたことをつらつらと書いていきます。

 ジャンルはエッセイになるのでしょうか。

 良く分かりませんが。

 ほとんど書き殴ったような駄文となりますが、お暇つぶしにでもなれば幸いです。



【1】

 結論から言うと私は去年の12月11日に死にかけました。

 別に事故に遭ったわけでもなく、通り魔に襲われたわけでもないです。

 要するに自殺未遂です。

 とはいえ、怪我もしませんでしたし、後遺症も残っていません。

 けれど、生涯で二度目に強く死を感じました。


 私は希死念慮に悩まされています。

 悩まされてるというと違うかもしれません。

 要するに自分という人格の中に常に「死にたいなぁ」というものがあるというのが近いかもしれません。


 今更かも知れませんが私はうつ病を患っています。

 診断を受けたのは二十二歳の頃ですが、メンタルクリニックの先生の話を聞く限りでは子供の頃……おそらくは小学校二年生か三年生の頃にはもううつ病になっていたんじゃないかなって思います。

 過去には戻れないので真相は分かりませんが。


 中学生の頃から何度か自殺の真似事をしてみたりしました。

 言うまでもなく失敗したんで今があります。

 何度やったかは分かりませんが、大人になってからも続けていました。


 そして、ある時に自殺というのをやめてみようと思った出来事がありました。


 当時、私は休職をしていました。

 独り暮らしをしていた私は毎朝14時に目を覚まし、薬と水を飲み、トイレに行ってまた横になるという生活を続けていました。

 起きている時間は多分、4時間もなかったと思います。

 薬を飲むと最低限の役割を果たした気持ちになり眠ることが出来ました。

 スマホを弄ることもゲームを遊ぶこともしてませんでした。


 腕や足が重い。

 目を開いているのが煩わしい。

 そんな状態だったと思います。


 当時、結構な数の薬を飲んでいました。

 それの飲み忘れが続き、結構な数が残っていました。

 本来なら飲み忘れの薬は薬局に返すべきなのでしょうが、薬は溜まっていく一方でした。

 特に一ヵ月に一度の診察の後には薬入れの中に納まらない程度にはありました。


 何となく予想はつくと思いますが、これを一度に飲んでみました。

 多分、生きてきて最も死が近かった瞬間だと思います。

 まぁ、なんやかんやありましたが生きているんですが。


 その時になり「あ、これ多分。自殺じゃ死ねないな」と思い生きることにしました。

 より正確には『死にたい』という気持ち……希死念慮から目を背け、耳を塞ぐことにしました。


 その後、多分ですが人生は好転しました。

 多分というのは友人や家族が「本当に良くなったね」と言うからです。

 私自身も休職中の「これからどうなるんだろう」という気持ちから解放されたのにはほっとしていますし、まぁ、総合して良くなったのかな? と思っています。


 ただ、大切なのは希死念慮を無視するようになっただけで、決してそれは消えていなかったということです。




【2】


 さて、冒頭に戻ります。

 繰り返しになりますが私は12月11日に死にかけました。


 私は現在、勤めている会社で細やかですが役職者となっています。

 これは望んでなった立場ではありません。

 前任者に推薦されたからです。


 私に能力があったわけではありません。

 単純に人手不足だったからです。


 同僚達が部下になりました。

 前任者や他部署の上司が同格になりました。


 無論、形ばかりのことです。

 部下という形になっても同僚達との関係は変わりません。

 同格という形になっても私は未だに育てられる立場です。

 もちろん、このままではいけないと思い自分なりに努力をしていますが、それでも役職相当の人物となるにはもう少し時間がかかりそうです。

 幸いにも会社には穏やかな気風の方が多く、私はどうにか一歩ずつ進んでいます。


 ですが、この状態は確実に私の能力を超えていました。

 日々、少しずつ業務は溜まっていきました。

 文章を書く時間も減っていきました。


 ストレスは次第に増えていきました。

 そして、詳細は省きますが、ちょっと大きな事が起きて私は自らのキャパシティーを超えてしまいました。


 それが12月11日のことでした。




【3】


 12月11日。

 お昼でした。


 13階のビルがありました。

 次の仕事先です。


 そして、飛び降りればおそらくは助からない高さでした。


 予定は13時30分です。

 ですが、私は12時にそこについていました。


 嫌な考えが頭をよぎりました。


『え。これで死ぬの?』


 なんでそんな言葉が浮かんだのか分かりません。

 そのため、落ち着こうと自らの心を整理しようとしていました。


 抱えていたストレスは甚大でした。

 ですが、追い詰められてはいませんでした。

 あえて言葉にするので『面倒』だけです。

 色んな事がもう面倒で面倒で仕方ありませんでした。


『え。これで死ぬの?』


 先ほど思った理由がわかりました。

 自分は確かに追いつめられている。

 だけど、死ぬ理由が「面倒だから」って。

 こんなの笑い話にもならないじゃん。


 そう思っていましたが心臓は強く鳴っていました。


「とりあえず、更新を楽しみにしている漫画を見よう。更新されていなかったら死のう」


 自分に言い聞かせてスマホを弄りました。

 更新されていませんでした。


「そういえばあの事件はどうなったかな? ちょっとニュースアプリで見てみよう。更新されていなかったら死のう」


 更新されていませんでした。

 その他、いくつもの障害物を作った気がします。

 ですが、その全てが無意味に終わりました。


 考えてみれば当然です。

 そもそも希死念慮を持っている人間が、それをあえて見ないようにして生きているんです。

 そんな人間が今、事情や理由はどうあれ希死念慮をしっかり認識している。

 それだけでなく、確実に死ねる手段もありました。


 そうなってしまった時、自らが用意した言い訳の全てが何と虚しい事でしょうか。


 やりたいことがある。

 そして、それが出来る方法もある。

 なら、もうやるしかない。


 そんな状況なのに私は何故かそれをせずに意味不明なハードルを置いているのです。

 挙句にそれを一つ一つ律儀に飛んでいる。

 そんなもの飛ぶ必要もないし、倒してしまっても問題ないし、なんなら無視してハードルをさけて歩けばおしまいです。


 そして、用意されたハードルのなんて意味不明なことでしょうか。

 何で自らの自殺に漫画やニュースやその他諸々が関わって来るんでしょう。

 その滑稽さが、さらに私を「ほら。そんな無駄なことをしていないで早く死のう」という気持ちを正当化させました。


 12階に来ました。

 来てしまいました。

 ここまで来ると用意しているハードルは悲しくなるくらいあっさりと踏み倒されます。


 ここで死んだら迷惑になるな➡死ぬ人間が考えることか?

 仕事の引継ぎもしていない➡死ぬ人間が考えることか?

 作品をまだ書いていない➡死ぬ人間が考えることか?

 お昼ご飯食べていない➡死ぬ人間が考えることか?


 思い出しながら書いていますが、本当に思考が滅茶苦茶です。

 死なないように必死になっています。


 だけど、おかしいんです。

 本当は死にたい人間が色々と理由をつけているんです。

 こんなもの何の意味もありません。


 塀の高さが低ければ死のう➡思いの他低かったです。

 まぁ、人が乗り出すことを想定していないので当然っちゃ当然です。


 会社に電話をしてみよう➡電話してどうすんですか。

 今、自殺してみようと思うんですけど、なんて言うんですか。


 やり残したことがあるはず➡一番やり残していた事は自殺でしょう。

 そもそも早く死にたいと言っていた人間がやり残した事が……なんて考えるのは情けなさ過ぎです。


 とりあえずスマホから捨ててみよう➡この辺になるともう意味不明です。

 何で飛び降り自殺の前にスマホを先に投げるんですかね。


 こんな思考をしていた時。

 私は弟へ電話をしていました。

 電話は繋がりませんでした。


 当然です。

 弟の仕事は少し特殊でこの時間はまだ働いているんです。


 母に電話をしてみました。

 やっぱり繋がりませんでした。


 友達にも電話をしてみました。

 繋がりませんでした。

 そりゃそうだ。

 仕事しているよ。


「あっ、ダメだ」


 そう思った直後。


 弟から電話がかかってきました。


「どうしたの?」


 怪訝な声でした。

 ここにきて、ようやく私は安堵しました。

 電話越しに聞こえる音から弟が仕事を抜け出してきてくれたのを悟りながら、私は捲し立てながら全てを伝えました。


「もう大丈夫」


 そう伝えました。

 実際、もう大丈夫だと思いました。

 弟は呆れながら言ってくれました。


「今週、一緒にご飯を食べよう」


 私はその通りに約束をしました。

 電話を切ると友人の一人から何度も電話が来ていました。

 その友人も普段なら絶対にこの時間帯に連絡はつきません。


「良かった。普段なら出られないんだけど、今日はたまたま出られたんだ」


 その言葉を聞きながら私は言いました。


「これまだ死ぬなってことかな?」

「弟くんも普段出られない時間帯なんだよね? そういうことじゃない?」


 きっと、これが全てなんだろうな、って思いました。



【4】


 とまぁ、長々と書きましたがこんな感じで、私は12月11日に死にかけました。

 怪我はしませんでしたし、ぶっちゃけると何一つ身体的なものは変わっていません。

 ですが、薬を全て飲んでしまった時以来、もっとも身近に死を感じた期間でした。


 ぶっちゃけた話、弟や友人と電話が繋がったからって別に死を踏みとどまる理由にはなりません。

 実際、電話を切った後もそんな風に思っていました。


 ただ、冷静になることは出来ました。

 吐き出すことが出来て一旦気持ちのリセットが出来ました。


 これは一回目の薬を全て飲んでしまった時の経験が活きたと言えるかもしません。

 なにせ、この時は誰にも相談せずに、連絡もせずに実行をしましたから。



 ただ、今回の件で本当に強く思ったのは。

 希死念慮ってのは本当に厄介なものだなってことです。


 ぶっちゃけると結構、自分でも克服できたなって思わなくはなかったんです。

 苦しい時があっても「こんなものこんなもの」だとか「まぁ、自分にはこういう傾向あるしな~」で流していたんですが、それら全てを踏み越えられてきた時に希死念慮を持つ人間にはもうあらゆる抵抗手段は意味がないんだなって。


 そりゃそうですよね。

 だって、元から死にたい人間なんですもの。

 死にたい人間が死ねる条件が全て揃ったんですから、そりゃ死のうとしますって。


 これ、死にたい人間って条件だからややこしくなりますけど、反対に戦場で生きていたい人間って条件にしたら一気に分かりやすくなると思います。

 いつ死んでもおかしくない状態で居る中で『ここに来れば100%助かりますよ』的もの見つけたらすぐに飛びつきますしね。





 書きたいこと全部書いたんでまとめようかと思いましたが、特にまとめるのに良い結びが思いつきませんでした。

 まぁ、無理矢理まとめると、とりあえず何とか生きていますし、今年もきっと何とか生きていくと思います。


 こんな馬鹿みたいな文章をお読みいただきありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
今は冷静になり生きることを選んでくださりありがとうございました。 大変な当時のことを綺麗に文章で表してくださりありがとうございました。 本当に気の利いたことが言えないのでこれしか言えずに申し訳ございま…
投稿ありがとうございます  ありがとうございました 
 その少し前に上げられた御作『生きる理由』は、死を匂わせる話が見受けられ、当時から予兆はあったのでしょう。感想のお返事が13日である事からも、この11日に峠を越して出された答えなのだと理解も出来得、当…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ