88.私の騎士
外に出た瞬間、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだ。重たい空気が、やっと肺から抜けていく。
……終わった。いや、終わってはいないんだろうけど、とりあえず、あの息の詰まる部屋からは解放された。
隣を見る。セリスさんは、いつものように背筋を伸ばして歩いている。けれど、握っている手はほんの少しだけ強くて――ああ、本当は、平気なんかじゃないんだって分かる。
あんな連中に囲まれて、勝手に将来を決められそうになって。それでも、あんなにまっすぐ言い切った。
――私の将来は、私が決める。
かっこよすぎるでしょ。胸の奥がじんわり熱くなって、同時に、別の熱がぶり返す。
「セリスさん、大変だったね!」
思わず声が大きくなった。
「もうさ、なんなのあいつら!?」
歩きながら、ぶんぶんと腕を振る。
「人のこと物みたいに扱って! しかもお金で買おうとするとか意味わかんないんだけど!?」
思い出しただけで腹が立つ。
「あれだよ!? 説得してくれたら五倍払うって! は!? って感じなんだけど!」
怒りが再燃する。
「セリスさんを何だと思ってるの!? 優秀な駒!? 家の飾り!? ほんと失礼すぎる!」
止まらない。
「しかもさっきまで私のこと瑕疵扱いしてたくせに、急に手のひら返しだよ!? 利用価値あると思った瞬間あれ! 最低!」
拳をぎゅっと握る。
「セリスさんよくあんな連中と一緒にいられたね!? 私だったら絶対無理! たぶん机ひっくり返してる! いや、建物ごと粉砕してる!」
本気だ。あの場でセリスさんが来てくれなかったら、たぶん私は本当に何かやらかしていた。それくらい、腹が立った。
「ほんと、思い出すだけでむかつく……!」
はあ、と荒く息を吐く。そこで、ふと気づく。隣が、静かすぎる。
ちらりと見ると、セリスさんが少し驚いたような顔でこちらを見ていた。
「……リオ」
「なに?」
「私に対する怒りはないのか?」
足が、止まる。
「え?」
「私は、あの家の人間だ。結果的に、君を巻き込んだ」
視線がわずかに揺れる。
「……恨んでも、おかしくない」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
怒り? 誰に? セリスさんに? 数秒遅れて、じわっと理解が追いつく。
「……なんで?」
思わず素で返してしまう。
「なんで私がセリスさんに怒るの?」
「……私がいなければ、君はあんな目に遭わなかった」
「はあ?」
本気で意味が分からない。
「いやいやいやいや!」
ぶんぶんと首を振る。
「悪いのはあの人たちでしょ!? なんでセリスさんが責任感じてるの!?」
むしろ逆だ。
「私が勝手に怒ったんだよ? セリスさんのこと馬鹿にされたから」
胸に手を当てる。
「巻き込まれたとか思ってないし。むしろ、私の方が勝手に首突っ込んでる自覚あるし」
少しだけ、照れくさい。
「それにさセリスさん、ちゃんと来てくれたじゃん」
あの扉を開けて。迷いなく、怒って。私の手を取って。
「友人を返してもらいに来た、って」
思い出すだけで、胸がじんわりする。
「あれ、めちゃくちゃ嬉しかったんだけど」
正直に言う。
「だから、怒る理由なんて一個もない。怒ってるのは、セリスさんを泣かせそうになったあいつらに対してだけ」
きっぱりと言い切る。セリスさんは、しばらく黙っていた。だけど、セリスさんがぽつりと口を開いた。
「……あれが普通なんだ」
声は静かで、どこか遠い。
「誰も、私のことを考えない。それが普通で……」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「普通じゃないよ!」
思わず強く言い切った。セリスさんが、わずかに目を見開く。
「誰も心を理解しようとしないのが普通なわけないでしょ! 尊重もしないで、勝手に決めて、駒みたいに扱って!」
怒りというより、悔しさに近い。
「あんなの、普通じゃない」
一歩、セリスさんの前に出る。
「あんなセリスさんを、ひとかけらも見てない人たちと一緒にいる必要なんてない」
真っ直ぐ、見上げる。
「セリスさんは、セリスさんだけのものだよ。家のものでも、誰かの都合のものでもない。他の誰かに渡しちゃいけない」
胸の奥から、まっすぐに出てくる。
「もしまた連れ戻されそうになったら――私が守る」
はっきりと。
「セリスさんが自分の夢に突き進めるように、私が守ってあげる!」
空気がぴんと張る。真剣そのものの顔で、言い切った。
セリスさんは、ぽかんとした顔をしていた。まるで、思考が追いついていないみたいに。
それから、みるみるうちに頬が赤く染まっていく。
「……えっと」
片手で口元を覆い、視線を逸らす。
「……リオ、理想の騎士みたいに……」
小さくそう呟いて、俯いてしまった。
「えっ、私なんかした!?」
慌てて腕を引っ張る。
「ねぇ、セリスさん!?」
おずおずと、こちらを見る。顔は真っ赤で、困ったような、でもどこか嬉しそうな表情。
「……リオは」
一瞬、迷うように視線を揺らして。
「私の騎士だったのか?」
「……は?」
今度は、こっちが固まる番だった。
「いやいやいや! 騎士って!?」
「違うのか?」
真面目な顔で聞いてくるのやめてほしい。
「いや、違くは……いや違うっていうか……! 守るって言ったけど、それはその、気持ちの話で!」
「……気持ちで守ると言ったのではないのか?」
「言ったけど!」
言ったけど! なんでそんな真っ直ぐ受け止めるの!? セリスさんは少しだけ目を細める。
「私が夢に進めるように守る、と」
「うっ……」
自分の言葉が刺さる。
「……それは、騎士の誓いのように聞こえた」
静かな声。でも、どこか期待を含んでいる。その熱い眼差しに、鼓動がドクドクして高鳴る。
「わ、私は騎士じゃないよ……」
「だが、私を守ると言った」
「言ったけどそれはその……」
「友が騎士であってはならない理由は?」
「理屈で詰めないで!?」
思わず叫ぶ。セリスさんは、くすりと笑った。さっきまでの沈んだ雰囲気が、少しだけ和らいでいる。
「……ありがとう、リオ。守ると言ってくれて、嬉しかった。私の人生を、私のものだと言ってくれたのも……他の誰からも言われなかったから嬉しかった」
赤いままの頬で、真っ直ぐに見つめてくる。すると、セリスさんが私の体を腕で包み込み、力強く持ち上げた。
「わっ!」
いつもは見上げるセリスさんが、今度は見下ろす形に。見上げたセリスさんの目は熱を帯びていて、キラキラと輝いている。
「リオは私の騎士だ」
ピロロンッ!
『セリス・アルディアの愛情度ランクアップのイベントクリア』




