76.第二段階目の恋愛イベント(2)
「聞いて欲しい話?」
その一言に、胸がわずかに高鳴った。とうとう来たか、恋愛イベント的な展開。そんな期待が頭をよぎり、自然と鼓動が早くなる。
けれど。目の前のルメルは、少しずつ表情を曇らせていった。
……あれ?本当に恋愛イベント? そう疑いたくなるほど、空気が重い。少なくとも、「好き」とか「気になってる」とか、そういう話題に入る前触れには見えなかった。
黙って待っていると、ルメルは遠慮がちな笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「私って……誰にでも良い人を装っちゃうんだ」
思いがけない言葉だった。
「良いことをしたり、楽しませたり……そういうの、つい頑張っちゃって」
装う?良い人を?
それはまるで、今まで見てきたルメルの姿が演技だったと言われているみたいで、思考が一瞬止まる。
「必要以上に良い人を演じてるっていうか……誰からも好かれるように、振る舞ってるっていうか……」
演じている。その言葉が、妙に重く胸に残った。
「やっぱり、私……良い子ちゃんに見えすぎちゃうかな?」
視線が、真っすぐこちらに向けられる。口元は笑っているのに、目だけが笑っていない。評価を待つというより、答えを探るような視線だった。
その瞬間、ウィンドウが開く。
『良い子ちゃんに見える』
『良い子ちゃんに見えない』
……来たな、選択肢。
とはいえ、これはあまりにも直球すぎない? もう少しこう、柔らかく包んでくれても良くない? ダメ? あ、ダメですか。
仕方ない。けれど、即答するには早い。まずは、ルメルの気持ちを整理しよう。
ルメルは「どう見えるか」を聞いているようで、実際には別のことを気にしている。
本当に知りたいのは「このままの自分で、誰かと深く関われるのか」その不安じゃないだろうか。
誰にでも優しくて、場の空気を壊さなくて、期待される良い子。それは確かに好かれやすい。でも同時に、誰にも本心を見せていない状態でもある。
好かれているのは演じている自分。じゃあ、演じるのをやめたら? 本音を出したら? それでも、隣にいてもらえるのか。
きっと、ルメルはそこが怖い。
だから、私の答え次第で「この人の前では、演じなくていいか」が決まってしまう。そう思っているから、あんな目で見てきたんだ。
……なるほど。これは恋愛イベントじゃない。信頼イベントだ。しかも、選択肢を間違えたら一気に距離が開くタイプのやつ。
まだ、私は恋愛に発展するほどの信頼を勝ち取れていない。だからこそ、今このタイミングで、こんなイベントが用意されている。
このランクアップイベントは、「気になる人」から「好きな人」へ変わる、その境目。ここで本当の意味で信頼を得られるかどうかで、淡い好意は、恋愛を意識した感情へと変わる。
じゃあ、どちらの選択肢を選ぶべきか。
正直に言えば、いつもの私なら『良い子ちゃんに見える』を選んでいたと思う。だって、それは事実だったから。
今まで近くで見てきて、ルメルは必要以上に「良い子ちゃん」だった。その容姿があれば、無理にそう振る舞わなくても十分なのに。それでも、誰かに合わせて、誰かの期待に応え続けてきた。
だけど、「演じている」と聞いて、私は少しだけ安心してしまった。
だって、あんな完璧な良い子なんて、滅多にいない。本気で、天使なんじゃないかと思ったことだってある。
でも違う。ルメルはちゃんとした女の子だ。
嫉妬もするし、選り好みもするし、時にはわがままになりたいはずだ。誰にでも優しい自分じゃなくて、「自分が選んだ相手にだけ向ける感情」だって、持っていていい。
ここで、こんな話を打ち明けてきたのは、並々ならぬ覚悟を決めたからだ。
演じてきた自分も含めて、本当の自分を見てほしい。そう願ったから、ここまで踏み込んだ。
でも、だからこそ。私は、それをそのまま肯定しちゃいけないと思った。
「良い子ちゃんに見える」と言ってしまえば、今までのルメルを否定してしまうことになる。その中には、本当に他人を思いやった気持ちもある。それを、否定したくない。
だから、私が選ぶ言葉は――。
「良い子ちゃんには、見えないよ」
真っすぐに、逃げずに言った。ルメルが、はっとしたように目を見開く。
「な、んで……。リオなら、絶対に良い子ちゃんだって言うと思って……」
その声は、驚きよりも少しだけ、怯えているように聞こえた。まるで、私に『良い子ちゃんに見える』と言って欲しかったように。
「ルメルはね、『良い子ちゃん』じゃなくて――『良い子』なんだよ」
「……『良い子ちゃん』じゃなくて、『良い子』?」
「うん」
私は頷いて、続けた。
「良い子を演じてる、って言ってたよね。でもね、それが出来る時点で、ちゃんと他人を思いやる気持ちがあるってことなんだよ」
傷つけないように、そっと笑う。
「自分のためだけに好かれようとしてたら、そこまで出来ない。ルメルは、相手がどう感じるかを考えて、傷つかないように振る舞ってきた。だから良い子でいようって選んだんだと思う」
言葉を区切りながら、確かめるように続ける。
「そこには、独りよがりな気持ちなんてないよ。相手の立場に立とうとする思いやりがあって、優しさがあって……ちゃんと、人を大切にする気持ちがある」
ルメルは、信じられないものを見るみたいに、じっと私を見ていた。だから、私は迷わず言い切る。
「確かに、演じてる部分はあるかもしれない。でもね、ルメルは優しくすること自体が好きなんだと思う」
少しだけ声を和らげる。
「だって、誰かに優しくしてる時のルメル……すごく幸せそうな顔してるもん」
「……そう、なんだ」
「うん。その優しさは、きっと天性のものだよ。今まで見てきたのは、嘘でも作り物でもない。全部、ルメルそのものだ」
そう言うと、ルメルは静かに俯いた。表情は見えないけれど、私の言葉を、胸の奥でゆっくり噛みしめているのが伝わってくる。
「……両親からね。他人に優しくしなさいって、ずっと言われてたの」
ぽつり、ぽつりと、ルメルは言葉を落とす。
「その優しさは、いつか自分に返ってくるからって。うんと優しくしなさい、そうしたら幸せになれるからって……だから、私は……出来る限り、優しくしようって」
私は、すぐに首を振った。
「ルメル、全部に優しかったわけじゃないよ。隣のクラスの子が乱入した時、ちゃんと断ってたでしょ」
「……」
「嫌なことは嫌って言える。それって、ちゃんと自分を大事にしてる証拠だよ。演じてるなんて言わない」
そっと、ルメルの手を握る。驚いたように指がわずかに震えたけれど、振り払われることはなかった。
私は真っすぐに、その目を見る。
「ルメルはね、演じてたんじゃない。本当の気持ちで、人と向き合ってただけなんだよ」
「……私、ずっと思ってた。自分は、嘘つきで……良い子のふりをしてる、悪い子なんだって……」
「違うよ」
はっきりと、否定する。
「少しくらいなら、誰だって演じる。でもね、それが演技かどうかなんて、すぐに分かる」
「……」
「ルメルのは、そういうのじゃなかった。ちゃんと人を見て、考えて、向き合ってた。私はずっと、自然な優しさだって思ってたよ」
本人は気づいていなかっただけだ。ルメルは、最初から無理をしていたわけじゃない。ただ、優しいまま、必死に生きていただけ。
私はそのまま、そっとルメルの頭に手を置く。逃げないことを確かめてから、優しく撫でた。
「ルメルはね、良い子だよ」
「……」
「良い子ちゃんじゃない。本当に、良い子」
その瞬間、ルメルの顔がくしゃりと歪んだ。
「……っ……ひどいよ、リオ……」
震える声。
「そんなふうに言われたら……今まで、我慢してたの……全部……」
ぽろり、と雫が落ちる。それを合図にしたみたいに、涙が止まらなくなった。
「私……私……ずっと、誰かに認めてほしかった……」
「……うん」
私は何も言わず、ただ距離を詰める。肩が触れて、ルメルがそっと寄りかかってきた。
「ありがとう……リオ……」
「どういたしまして」
小さく、耳元で囁く。
「ちゃんと見てたよ。ずっと」
ルメルは、涙に濡れたまま、ぎゅっと私の服の裾を掴んだ。その仕草が、何よりの答えだった。




