73.クッキー作り(1)
「リオ! 買い物に行こう!」
昼食を終えるなり、ルメルは私の手を引いて教室を飛び出した。
「そんなに急がなくても、クッキー作りは逃げないよ?」
「だって、すっごく楽しみなんだもん!」
弾んだ声に思わず苦笑する。ここまで楽しみにされているなら、無理に落ち着かせるより、いっそ一緒に浮かれてしまった方がいい。
人通りの多い通りを抜け、私たちは市場へとたどり着いた。威勢のいい呼び声と、行き交う人々のざわめきが混じり合い、活気に満ちている。
「クッキーに必要なのは……小麦粉、卵、バター、砂糖だね」
「作るのはバタークッキーなんだ」
「うん! 簡単でいいでしょ?」
それなら私にも何とかなりそうだ。難しいお菓子じゃなくて、正直ほっとする。
通りを歩きながら材料を探していると、卵とバターを並べた露店が目に入った。
「リオ、ここで買おう?」
「うん、ちょうどいいね」
店先に並ぶ卵籠を前に、二人して立ち止まる。
「卵って、どれがいいんだろ?」
「殻が割れてないのは当然として……あ、これ。触るとちょっとザラザラしてる」
「ほんとだ! こっちはつるつるだね」
「新しいのは、こっちかも」
真剣な顔で卵を見比べるルメルが、なんだか微笑ましい。
「じゃあ、こっちにしよ! クッキーが美味しくなる卵!」
「気持ちの問題も大事だね」
次はバターだ。包み紙の色や形を見比べながら、今度は二人で首を傾げる。
「こっちは少し安いけど……」
「でも、こっちは香りが良さそう」
「クッキーだもんね。バターは大事だよね!」
そう言って、ルメルは少し背伸びをして店主に声をかけた。その様子が楽しそうで、自然と私の口元も緩む。
材料を選ぶだけなのに、こんなにわくわくするなんて。クッキー作りそのものより、こうして一緒に準備している時間が、もう楽しいのかもしれない。
「ふふっ、良い物が買えた。さぁ、次に行こう?」
買ったものを鞄に仕舞い、私たちは再び市場の通りを歩き出した。
「次はお砂糖と小麦粉だね!」
「うん。砂糖は白いのと茶色いのがあるけど……」
「クッキーなら白い方かな?」
「だね。焼き色も綺麗になるし」
そう話しながら、砂糖を扱う店の前で足を止める。麻袋に入った砂糖がずらりと並び、陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
「わぁ……お砂糖って、こんなに種類あるんだ」
「粒が細かい方が、溶けやすいよ」
指先ですくって確かめると、さらさらと流れ落ちる。
「ほんとだ! 雪みたい」
「これなら、生地も滑らかになりそう」
納得して袋を選ぶと、今度は小麦粉の店へ向かう。
「小麦粉は……どれを選べばいいんだっけ?」
「お菓子用だから、きめの細かいやつかな」
「なるほど……じゃあ、触ってみてもいい?」
店主に断りを入れて、そっと粉を指で摘むルメルは、なぜか妙に真剣だ。
「ふわふわしてる!」
「うん、それがいい証拠」
思わず顔を見合わせて笑う。
「材料選びって、楽しいね」
「うん。ちゃんと選ぶと、作る前から美味しくなりそう」
そう言い合いながら、最後の材料を買い終える。鞄の中には、クッキーの材料がすべて揃っていた。
「これで全部だね!」
「後は作るだけだ」
ルメルは嬉しそうに頷き、足取りも軽い。
「早く作りたいなぁ」
「焦らなくても、ちゃんと美味しく作ろう」
市場の喧騒の中、楽しそうなお喋りは途切れることなく続いていた。こうして過ごす時間そのものが、きっと一番の隠し味なのだろう。
◇
「ただいまー」
「おじゃまします」
材料を買ってきた私たちは家に帰ってきた。お店側の出入口から入ると、店番をしていた母さんと鉢合わせになる。
「あら、おかえり。そちらは?」
「友達のルメルだよ。今日はウチでクッキーづくりをしようと思って」
「そうなの。楽しそうねぇ」
「お邪魔させていただきます」
「えぇ、大丈夫よ。ゆっくりしていってね」
そんなやり取りを経て、お店の奥に移動をする。すると、そこは居住スペース。台所にいって、テーブルに鞄を置いた。
「へぇ、ここがリオの家かー。お店も色んな商品があって凄いね」
「そう? どこにでもある、普通の家だと思うよ」
「料理店をしている私の家とは大違いでなんだか楽しい」
まぁ、普段とは違う家に入るのは楽しいだろう。その気持ちは分かる。
そんな風に雑談をしながら、私は調理器具を出していった。ボウル、ヘラ、ふるい、まな板、包丁を出した。
「とりあえず、道具はこれだけ揃っていればいいかな?」
「うん、大丈夫。リオってクッキー作ったことあるの? 出してきた道具が完璧だよ」
「え、えっと……まぁね」
「そうなんだ! だったら、上手に作れそうだね」
前世の記憶なんてことは言えないからなぁ。まぁ、ここは上手くごまかす程度でいいだろう。
「じゃあ、作り方は大丈夫?」
「最初はバターと砂糖を混ぜるんでしょ?」
「その通り! じゃあ、作ろうか」
二人で腕まくりをすると、早速クッキー作りを始めた。
ボウルにバターと砂糖を入れると、混ぜ合わせる。
「これ、白っぽくなるまで混ぜるんでしょ?」
「うん。大変だけど、ちゃんと混ぜないと美味しいクッキーが出来ないから、しっかりやろうね」
「じゃあ、疲れるから交代で」
先に私が混ぜ合わせると、仕上げにルメルが混ぜ合わせる。その手さばきは料理人みたいにてきぱきとしていた。
「凄いね、ルメル。動きがプロだよ」
「えっ? そ、そう? ふふっ、そう言われるのは嬉しい」
素直に褒めると、ルメルは照れたように笑った。その顔が可愛くて、思わず見とれてしまうけれど、今はクッキーづくりだ。
「はい。白っぽくなるまで混ぜたよ。これで大丈夫かな?」
「うん、うん。大丈夫。じゃあ、次は卵黄だね」
小さなボウルを用意すると、卵を持つ。
「ねぇねぇ、リオ。あれ出来る?」
「あれって?」
「片手で割ること」
「あー、出来るよ」
「えっ!? やってみせて!」
ルメルが目を輝かせてそう言った。私は片手に卵を持ち、ヒビを入れて、ボウルの上でカパッと割って見せた。
「わぁ、本当に出来るんだ! 私、まだ出来ないんだよね……。コツとかある?」
「コツ? そうだなぁ……。じゃあ、手を貸して」
「はい」
ルメルが右手を差し出すと、その手に卵を持たせる。指の配置を正しくして、準備完了だ。
「これでいいよ。ヒビを入れて、割ってみて」
「う、うん……」
ルメルは緊張した面持ちで、卵にヒビを入れた。そして、ボウルの上で手に力を籠めると――パカッと卵が割れて、中身が落ちた。
「あっ、出来た! リオ、出来たよ!」
「やったじゃん」
「嬉しい! リオ、ありがとう!」
ルメルが手を伸ばして、私の手を握る。指先が絡み合い、そのまま自然に恋人繋ぎになる。
ぎゅっと握られた瞬間、胸の奥がきゅっと音を立てた気がした。
「……ルメル」
「えへへ。だって、出来たんだもん」
そう言って、私の手を離そうとしない。むしろ、少しだけ力を込めてくる。
指と指の間に伝わる体温が、やけにくっきりしていて心臓の方がうるさい。
「突然こういうことするんだから……」
「ダメだった?」
上目遣いで覗き込まれて、言葉に詰まる。
「……ダメじゃない」
「ほんと? よかった」
その一言で、満足そうに微笑むルメル。握られた手は、相変わらず温かいままだ。
すぐに離すのが惜しくなって、繋いだ手をそっと握り返した。




