1−6 ビースト
土曜の午後、校舎裏の森に向かうクライブの後に、ジャッキーとエグバードが付いて行った。
「ジャッキーは来なくていいぞ」
「荒事なら兄さんの十倍は役に立つからね」
「荒事にならない方向にしたいんだが…」
「無理でしょ、アレが相手じゃ話が通じない」
アレ、はもちろん、糞王子の事だ。
「そうなんだが…エグバードは来なくていいぞ」
「そういう訳には…」
領地騎士の息子である。主家の息子を見捨てられない。クライブは木の盾と片手剣の長さの鉄棒を持っている。エグバードは刃を潰した両手剣を持っている。ビースト君と荒事になった場合に備えてだが…
「未熟者が獲物を持ってもビースト君には敵わないと思うよ」
ジャッキーの様なスピードタイプから見れば、より身動きの取れなくなる武装など無用の長物に見える。
「だからって素手じゃどうにもならないんだよ」
クライブは剣の授業では出来の悪い方だ。戦闘のセンスはないから武器に頼る。
そんな3人の歩く先に気配を消していたクリスティンが視界に入った。クライブとしてはこの娘だけはもう王子から解放してあげたいと思っていた。
「君まで来る必要はないよ」
「彼の方の権力は絶対ではありません。より多くの目が彼の方の行動を縛ると思いますよ」
クリスティンから見れば今回、クライブ一人で向かうのが一番王子の好きにできる選択肢に見えた。
「その通りだとは思うが、荒事になる可能性がある」
「ビースト君は馬鹿じゃないから、殺しまではしないと思いますよ」
「そうとは思うけどね、もし彼がライカンスロープなら、獣化した段階で理性が飛ぶかもしれない」
「そこまで理性が飛ぶとは思いませんよ。根拠はないけど」
そうなら良いね、と思ってクライブは歩き始めた。実は根拠ならあった。
既に王子は森に入っていたが、その前に森に入って身を潜めている者がいるのが分かったんだ。ジャッキーも気づいている様に見える。ビースト君は注意深い獣だ。理性が飛んでいるとは思えない。
一行が王子と護衛騎士の前に姿を表して、王子は口元を歪ませた。
「やあ、みんな来てくれて嬉しいよ」
クライブ以外は王子と目を合わせなかった。ジャッキーもクリスティンもビースト君がどう出るか、気配を探っていたんだ。だからクライブが口を開いた。
「それで、お客はまだ来てないんですか?」
「そろそろ時間なんだけどね」
「もう来てるぜ」
あらぬ方向から声が聞こえた様な気がしたのは王子達だったが、ジャッキーは感じていた気配が木から降りてくるのを感じて目を細めた。クリスティンは静かにそちらを見ただけだった。狼が木に登るのはルール違反だと思う、と心の中で呟いた。木から降りた黒い影が王子とクライブと三角形の位置に立った。
「罪なき市民に何か御用かい?」
彼はもう獣化していた。黒毛の狼男だった。
「1年4組のクロード・カールトンか?」
王子の誰何に狼男が応えた。
「さあな、ただ呼び出しには従ったんだ、四の五のは言わせないぜ」
「獣人が王都に入り込んだら大問題だ。放置は出来ない」
「そういう法律は無いからな、あんたの勝手で捕らえたり傷つけたりは出来ないぜ」
「それが出来るのが権力さ」
二人の騎士が王子の前に出た。その間にクライブはジャッキーに木槌を渡した。
「どうすんの?」
「お前に向かったらそいつで殴れ」
「私に来ると思うの?」
「こうして話せばお前を拘束すれば私を掣肘出来ると思わせられる」
「そう上手くいくかね?」
クリスティンから見れば、獣は獲物の群れの一番弱いところを狙う筈だ。それはジャッキーじゃない。そして、王子と直接対決をするほど彼は馬鹿じゃない。そうなると目標は一つだ。
だから、狼男は向きをこちらに変え、加速した。目で追いきれない為に黒い風となって目標に進もうとした…クリスティンではなく、クライブに。
「えっ(私!?)」
後半は言葉にならなかった。クライブはとっさに盾を向けた。クリスティンは思った。なるほど、都会の狼だね。初秋の森に慣れていない。狼男は急加速の途中に落ち葉を踏み、思いっきり足を滑らせ、倒れこんだ。そこへ金色の風が向かった。
(うん、ジャッキー、あなた何者?人狼なみの踏み込み加速をするなんて)
そして立ち上がりかけていた狼男の頭を木槌で殴った。
「痛ってぇー!!」
狼男は倒れこんだがまた立ち上がろうとした。
その両足をジャッキーは両脇に固めた。逆エビ固めだ。
「痛ぇ!何しやがる!」
「頼りなくても一応兄貴なんでね、助けるのは家族の勤めなんだよ」
クライブはとりあえず妹に指摘しないといけない事を指摘した。
「ジャッキー、スカートで足を大きく開くのははしたないから止めなさい」
「助けてもらって言うことがそれ!?」
「お前が暴れたときは止める様に親父に言われてるんだよ。知ってるだろう」
「容赦しても止められる様な相手なら言うこと聞くけど、今は無理だよ」
「手前、離せ!!」
狼男は上半身を揺すって逃げようとするが、痛いだけだった。
その狼男にクリスティンはてくてくと近づいた。
「ねぇ、クロちゃん。」
「黒毛だからってクロって言うんじゃねぇ、俺は犬じゃねぇぞ」
「クロードなんだからクロちゃんでしょ?」
その場にいた全員が、絶対黒犬だからクロって呼んでいると思った。何故ならクリスティンは狼男の頭を、犬の頭をなでる様になでていたからだ。
「ねぇ、クロちゃん。どうして群れの一番弱いところを攻めなかったの?」
クロちゃんの相手の群れの一番弱いところ、それは王子でなければクリスティンだった筈だ。
「男が女を殴れるかよ!」
クリスティンの口が弧を描いた。
「良い子だね、クロちゃんは」
「だから、その犬扱いを止せ!」
「クロちゃん、暴力でも権力でも、孤立してたら生き延びるには限界があるんだよ。一番強い人より、無力な二人の方が民衆の支持を得る事だってあるの。
だからさ、これからは私と二人でいようよ。私はアッシュで慣れているから」
「アッシュって誰だよ!?」
「家で飼っていた番犬。彼が半年前に亡くなってから何をする気にもなれなくって。でも、あなたも一人で抜き身の刀みたいに暴力を見せつけないと生きられないより、鞘に収まった刀の様に、リードを付けた飼い犬である事を見せた方が生きやすいと思うから、私が飼い主になってあげる」
「だから、俺は犬じゃねぇ!」
「あ、こぶが出来てる。この間、治療の魔法の呪文を覚えたんだ。神よ、あなたの溢れる愛でこの者の痛みを和らげ給え」
クリスティンの手から温かい光が溢れ、クロちゃんの痛みを緩和した。クロちゃんがクリスティンの顔を見ると、飼い主が飼い犬を見る慈愛の微笑みを浮かべていた。治療の魔法の温かさより、その微笑みがクロちゃんの心を温めた。明らかに大人しくなったクロちゃんを見て、クライブが王子に言った。
「クリスティン嬢の言う通り、このライカンスロープにはリードを付けます。だから他に何か掣肘する必要はありませんし、今回も何も問題は起こしていません。ここはこのまま帰らして良いですね?」
王子は両手を広げた。
「私としては危険が無くなればどうにかしようと言う気はないさ」
王子と護衛の騎士達は去っていった。
1章をこれで終わります。土曜から2章、投稿ペースは落ちる予定です。




