毒
◆
翌日も護衛は殿下のお供をした。ブカブカだった殿下の服はぴったりになっている。なぜ仕立て直しなどできるのだろう。
ご機嫌な殿下は微笑を浮かべ歩いている。今日は立派な貴族にしか見えない。図書室に向かう途中、侍女や女官たちがぽうっと立ち止まる。
昨日汚水が降ってきた中庭まで来た。護衛が上を見ると窓は閉まっていた。だが制服を気崩した怪しい騎士たちが向こうからやって来た。
「殿下。後ろへ」
護衛は前に出た。
「あんだテメェ。やる気かぁ?!」
案の定、絡んできた。5人の騎士は行手を塞いだ。護衛は一喝した。
「無礼者!こちらはルーカス殿下だぞ」
「知らねーなぁ」
まるでならず者だ。悪党騎士は一口齧ったリンゴを投げてきた。後ろにいたはずの殿下が護衛の前に出ると、それを受け止めた。
「!!」
グシャリと、片手で握り潰す。護衛も騎士も動けなかった。
「行きましょう」
騎士らが呆気に取られている隙に、殿下は行ってしまった。
◇
ルカはどっぷりと写本の世界に浸った。晩秋の日暮は早い。図書室を出るとすっかり暗くなっていた。
「待てよ」
あの中庭を避けて遠回りで帰る途中、呼び止められた。人気が無い回廊に朝の悪党等がいた。10人以上に増えている。
「何か?」
悪党騎士たちは剣を抜いた。暴力は禁じられているが身を守る事は許されている。ルカは身構えた。
「舐めたマネしてくれたな!」
言い様、切り掛かってくる。その足を払い、手刀でうなじを打つと倒れて動かなくなった。
(この程度で騎士になれるんだなぁ)
遅いし弱い。ルカは5分と掛からずに悪党騎士等全員を倒した。
「…帰りましょうか」
護衛さんは剣を手にしてポカンと口を開けていた。一応守ろうとしてくれたようだ。
◆
翌日。やっと王太子宮に使用人が入った。思った以上に手こずった。おそらく王妃か側妃の仕業だ。女狐め。宰相は心の中で舌打ちをした。
一昨日は汚水をかけられ、昨日は闇討ち。嫌がらせがエスカレートしている。
「十分にお気をつけください。次は何をしてくるか分かりません」
王太子宮で夕食を共にした後、宰相は注意を促した。殿下は紅茶に砂糖を落としてかき混ぜながら笑った。
「次は何でしょうね?」
ソーサーに置かれた銀の匙が黒ずんでいる。
「待っ…!」
ミカエルは慌てて止めようとしたが間に合わなかった。殿下は茶を飲んでしまった。
「どうかしましたか?」
「毒です!すぐに吐き出して!」
ガタリと立ち上がってテーブルの向こう側の殿下の元に走った。何秒経った?5、いや10秒か?
殿下の顎を掴もうとしたが避けられた。
「大丈夫ですよ。何も入っていません」
「ですが銀の匙が…」
直ぐに医官を呼んだ。殿下を診察し、何でもないと言う。次に黒ずんだ匙と紅茶を調べる。医官は青ざめた。
「猛毒のヒ素です。本当にお飲みになったんですか?」
「ええまあ」
殿下の口中に銀の棒を入れると、それも黒くなった。
「なぜ大丈夫なんですか?!いやっ、無事で良かったんですけど!」
ミカエルは叫んだ。殿下は何度かうがいをした。
「お腹が丈夫なんです。何かに当たったこと無いんです」
そういう問題じゃない。特殊体質なのか。殿下は何事もなかったように代わりの茶を飲むと、8時だからと言って席を立った。
「ではお休みなさい。お医者様も。夜遅くにお呼びして申し訳ありませんでした」
「は…」
その後、毒を仕込んだのは新しい使用人だと判明した。宰相は侍従長に直談判に行った。
◇
夜が明けると宮はまた無人になっていた。ルカは食堂に置いてあった宰相閣下の手紙を見つけた。また不便をおかけして申し訳ない。食事は届けさせる。急いで信用に足る使用人を手配する、と書かれていた。昨夜の毒事件のせいらしい。賑やかだったのは一瞬だった。
朝焼けの空に惹かれ庭に出る。枯れかけていた薔薇が見事に咲いていた。
(妃殿下のドレスに似てるな)
王太子殿下が好きな色だったのかしら。お二人は仲睦まじくこの庭でこの花を眺めたのかも。使用人たちは亡くなった主人を慕っていたのだろう。だからルカに毒を盛った…。
宮廷は寂しい所だ。ルカは北の修道院が恋しくなった。
◆
今日は図書室には行かないらしい。静かな宮の一室で殿下はひたすら刺繍をしていた。その姿が淋しげで護衛は心配になった。
昼過ぎに前王太子妃・ミランダ様が宮を訪れた。黒いドレス姿で淑やかに挨拶をする。
「ご機嫌いかがでしょうか。ルーカス殿下。先触れもなく申し訳ありません」
殿下はぱあっと明るい笑顔になった。
「ようこそいらっしゃいました!」
「先日は大変お世話になりました。今日はお礼をと思いまして」
庭園が見える客間にミランダ様を通す。そして殿下自ら茶を入れてハーブクッキーを出した。
「これが噂のクッキーですのね。兄が美味しいと言ってました」
「秘伝のレシピなんです。よろしければお教えしましょう」
「それでは秘伝にならないのでは?」
ミランダ様は吹き出した。それもそうですねと殿下も笑う。お似合いの2人だ。