義姉
◇
宮の玄関前に若い女性が立っていた。艷やかな黒い巻き髪に赤いドレスを着ている。流行りなのか襟ぐりが肩まで開き、寒そうだ。
「もし。何かご用ですか?」
声をかけると女性は振り向いた。顔色が悪い。紅を塗った唇が動いたが聞き取れなかった。身分が高そうなのに侍女もいない。ルカがもう一度用向きを聞こうとした時、彼女は倒れた。間一髪、受け止めた。
「妃殿下!」
そこに戻ってきた侍女が叫んだ。とりあえず、ルカは宮の中に女性を運び入れた。
♡
王太子妃ミランダは結婚して僅か1年で寡婦となった。今は実家のベリー公爵家に出戻っている。父は疫病の後遺症で引退していた。宰相職を息子に譲らざるを得なかった。その苛立ちから常に不機嫌だった。
「お前が男子を産んでいれば!この役立たず!」
出戻り娘は日々なじられた。父の言うがままに嫁いだのに。彼女は黙って堪えた。
昨夜、兄が第7王子の帰還を伝えると父は命じた。
「王子を誘惑してこい。何としても王太子妃になれ」
義弟と再婚しろと言う。嫌だと抵抗したが、結局、第7王子の元に連れて行かれた。
殿下は留守だった。それどころか王太子宮には誰も見当たらない。閉鎖されている。
「…侍従を探してきます!」
侍女が慌てて人を呼びに行く。ミランダは寒さに震えた。
(情けない…)
薄っぺらい派手なドレスなんか着て。義弟に取り入るしか生きる道が無いなんて。
「もし。何かご用ですか?」
優しい声に振り向くと、天使が微笑んでいた。思わず呟く。
(助けて)
彼女の意識はそこで途切れた。
◇
ルカは客間のソファに女性を下ろした。暖炉に火を熾し、侍女にドレスを緩めるよう頼む。
「私は温かい飲み物を作ってきます」
厨房で湯を沸かす間に、衣装部屋を漁った。毛皮のコートを見つけた。生姜を入れた紅茶と身体を温める物を持って客間に戻ると、女性は目を開けた。黒い瞳の綺麗な女性だ。
「座れますか?これを飲んで」
彼女は素直に飲んだ。ルカは毛皮を着せかけた。明らかに冷えによる不調だ。
「申し訳ありません…」
小さな声で詫びられた。
「お気になさらず。女性は冷えやすいから。これをお腹に当ててください」
鉄の湯たんぽを布でくるんだものを渡す。できる手当は全てした。やがて彼女の頬に血色が戻ってきた。
「良かった。もう大丈夫ですね。私は修道士のルカと申します」
改めて自己紹介をする。女性は慌てて跪いた。
「もしや第7王子殿下では…」
せっかく温まったのに。ルカは冷たい床から彼女を立たせた。ソファにまた座らせる。
「昔の話です。ところで何のご用でしょうか?」
黒髪の貴婦人は声を詰まらせた。
♡
この方が第7王子殿下。噂とは全然違う。まさに天使だ。こんな清らかな方に言えるわけがない。あなたを誘惑に来たなどと。
「ご挨拶に来たのですが、返ってご迷惑をおかけしました…。ベリー公爵家のミランダと申します」
前王太子妃です。あなたの義姉になります。ミランダは正直に言った。黙っていてもいずれ分かる。殿下は長い睫毛を伏せると、
「王太子妃殿下でいらしたのですね。…お悔やみ申し上げます。ご夫君の魂が安らかでありますように」
両手を組んで長い黙祷をした。恥ずかしさにミランダの顔が火照る。私ったら、喪服も着ないで何をしているのだろう。
温まって動けるようになった頃、王太子宮に馬車が着いた。殿下は見送ってくださった。毛皮のコートは借りていく。
「また来てください。ご夫君のお話など聞かせてください」
「ありがとうございます。必ず」
義姉と義弟は再会を約束した。帰りの馬車でミランダは不思議と勇気が湧いてきた。これで良い。父の思い通りにはなりたくない。絶対に。