召喚状
◇
「出来ました。確認お願いします」
ルカは活字を並べた木枠を親方に見せた。今組んでいるのは医学書だ。専門用語が多くて難しい。
「早いなぁ。どれ…」
確認の間に試し刷りを見せてもらう。
「大丈夫。今日はもう上がって良い…ルカ?」
夢中で読んでいたルカは親方に肩を叩かれて、ようやく顔を上げた。親方は笑った。
「好きだね。そんなに面白い?」
「はい!挿絵が素晴らしいです!」
ここは修道院の中にある印刷工房だ。ルカは活字拾いの仕事を与えられた。午前中はここで働く。刷られた紙が本になる工程は実に面白い。
午後は様々な勉強や修行をする。ルカは熱心に学んだ。
朝晩は親しい人のために祈る。
(お義母さんが苦労してませんように。メイドさんが良い人と結婚できますように。院長先生の腰痛が治りますように。親方の肩凝りも。あと…)
優しい兄弟たちと神に護られ、時は過ぎた。身体の傷も少しずつ癒えていった。
◇
ルカが16歳になった年、王国に疫病が蔓延した。高熱から肺炎に至り死ぬ。致死率は実に5割以上という、大災厄だった。
修道院でも多くの罹患者が出た。ルカは懸命に看病した。不思議なことに誰も死ななかった。
「信仰の力だ!」
院長は喜んで感謝のミサを行なった。発症した人がミサに出ると、すうっと熱が下がる。近隣の村人たちは奇跡の修道院に詰め掛けた。北の辺境だけが被害を最小限に抑えることができた。
◆
疫病は身分を問わず襲った。王自らも罹ったが生き延びた。しかしその息子たちは残らず神に召された。
最後の一人の葬儀が終わると、御前会議が開かれた。
「今は側室の腹の子が男子であることを願うばかりだ」
玉座の王は力なく言った。嫁した王女が産んだ男児も一人残らず死んだ。王族は絶えんとしている。
「陛下。第7王子殿下を呼び戻しては?」
若い宰相が提案した。前宰相の息子だ。疫禍は重臣たちを一気に代替わりさせていた。
「第7王子…。生きているのか?」
王は思い出した。ずいぶん前に修道院に送った子がいた。まともに歩けないと聞いたが。
「お元気だそうです。北の辺境領は疫病が穏やかだったようで」
赤子だけに賭けるのは危うい。例え精神を病んでいようと脚を引きずっていようと構わない。王は第7王子の復帰を指示した。
◇
北の修道院では疫病退散の札が売れに売れていた。それを持っていると疫病に罹っても死なないという。
ルカは刷った札に着彩を施していた。丁寧に心を込めて色を塗ると、聖句と神様を象徴する鳩が生き生きとして見えた。
「兄弟ルカ。院長が呼んでます」
見習い僧が伝えてくれた。ルカは絵の具を片付けると院長室に向かった。
そこでは院長と工房の親方、元騎士で剣の師匠が話し合いをしていた。
「院長様。何かご用事ですか」
ルカは修道院の重鎮達に一礼した。3人は穏やかな笑みで迎えてくれた。
「まあ座りなさい。王から召喚状が来た。ルカ、王都に行ってくれるか?」
院長が一通の手紙をルカに見せた。凄く上等な手漉き紙だ。透かしが入っている。ルカは手紙を光にかざして精緻な文様に感嘆した。
「おーい。ルカー。帰ってこーい」
書かれた文字より透かしに夢中のルカを親方が引き戻した。
「申し訳ありません。え。王都に?」
3人と同じ卓につくと、師匠がお茶を出してくれた。
「そうだ。俺の馬を貸してやる」
「承知いたしました。でも何故私が?」
手紙には修道士ルカを王城に寄こせとしか書いてない。
「王族も大分疫病で亡くなったからな。追悼ミサでもするんだろう」
各修道院から若くて見場の良い者を集めてるのでは、と師匠は言う。
「城の礼拝堂に知り合いがいる。王家秘蔵の祈祷書を見せてもらいなよ」
親方が甘い言葉でルカを誘惑した。見たい。明日の朝には出立することになった。
◆
ルカが下がると、院長は召喚状をテーブルに投げ出した。
「今更返せだと!8年も放っておいて!」
心も身体も傷ついた王子を引き取った。王が無事を問うてきたことは一度として無い。なのに呼び戻そうとしている。跡継ぎが絶えたからだ。
「落ち着いて、院長。ルカにとって悪い話じゃない」
親方がなだめようとする。元騎士も同調した。
「大丈夫だ。あの子なら上手くやれる」
3人であらゆる知識を詰め込んだ。貴族子弟に勝る教育を受けさせたのだから。
「ルカは純粋だ。宮廷など向いているとは思えない」
院長は忌々しい手紙を睨んだ。
「仕方ない。王命には逆らえん」
元騎士は哀しげに言った。
「大丈夫…。いつでも戻ってくれば良いさ」
親方は召喚状を拾い、封筒に仕舞った。
美しい紙や印刷が大好きなルカ。疫病の兄弟たちを懸命に看病をした優しい子。皆で大切に育ててきたのに。
「疫病さえなければ…」
院長は誰ともなく呟いた。もう二度と会えない予感がした。