◆ 第二章 お飾りの妃は補佐官として奮闘する(9)
「それは知りませんでした。申し訳ございません」
なんとなく面白くなくて、ベアトリスはプイッと横を向く。
すぐにアルフレッドが立ち上がる気配がした。帰るのかと思ったベアトリスは、見送りしようと慌てて顔を上げる。しかし、アルフレッドは帰らずになぜかベアトリスの隣に座り直していた。
「ベアトリス、そう拗ねるな」
「拗ねていないとお伝えしたはずですが」
ベアトリスは口をとがらせる。
本当に、拗ねてなどいない。ただ単に、のけ者にされて寂しかっただけだ。
アルフレッドがベアトリスの髪の毛をひと房手に持つ。少し引かれるような感覚がした。
「これからは、お前にも定期的に会いに来よう」
「お飾り妃ですから、お気になさらずに」
「素直じゃないな」
「これ以上になく素直です」
ベアトリスは真顔で答える。その返事を聞きアルフレッドは楽しげに笑う。
「お前と話していると、飽きないな」
そして、壁際に置かれた時計に目を向けた。
「そろそろ戻らないと。打ち合わせがある」
「こんな時間からですか?」
ベアトリスは驚いて聞き返した。すでに深夜十時を回っている。
「まあ、いろいろあるんだ」
そう言って立ち上がったアルフレッドは、着ていた上着のポケットに手を入れる。
「これをベアトリスに」
リボンがかけられた薄い紙包みを差し出されてベアトリスは目を瞬いた。大きさは手のひらほどだ。
「何ですか、これは?」
「開けてみろ」
言われるがままに紙包みを開けると中からは一冊の本が出てきた。
(えっ! これってもしかして……!)
羊皮紙の表紙には隣国シュタルツ国の文字が書かれていた。その表紙をめくると、最初に目に入ったのはリトグラフによる色鮮やかな口絵だ。馬の傍らに立つ騎士と町娘が描かれている。
「これは、シュタルツ国で大人気の森の妖精シリーズの最新刊ですね⁉」
森の妖精シリーズはさまざまな森の妖精と人間の騎士との恋模様を描いた小説で、大変な人気を誇る作品だ。これまでにシリーズで四冊が発行されており、その全てをベアトリスが翻訳している。
「わあ、嬉しい。ありがとうございます!」
ベアトリスは本を胸にぎゅっと抱きしめる。
(わたくしのために、取り寄せてくださったのかしら?)
この本を予約せずに買うことはできない。
活版印刷により以前に比べれば簡単に大量生産ができるようになったとはいえ、一つひとつを手作業で作っている本はまだまだ貴重だ。特に、この森の妖精シリーズのような精緻なリトグラフの口絵や挿絵が挿入されている本は値段が張るし、発売当初は入手するのも難しいのだ。
ベアトリスも、この新刊を手に入れられるのはきっと数ヶ月後だろうと思っていた。
「日頃頑張っているから、褒美だ」
満面の笑みを浮かべるベアトリスを見下ろし、アルフレッドは表情を柔らかくする。そして、もう一度壁際の時計を見る。
「そろそろ行かなくては。では、またな」
手に触れていた髪が指先から零れ落ちる。アルフレッドはポンとベアトリスの頭に手を置き、すぐに立ち上がると今度こそドアのほうへ向かう。
ベアトリスは本を胸に抱いたまま、アルフレッドの後ろ姿を見送った。
ひとりぼっちになった部屋で、今さっき貰ったばかりの本を見る。
(意外と優しいところもあるじゃない)
部屋の中には、まだ彼のつけていた香水のかおりがほのかに漂っていた。




