プロローグ
明治10年9月、物語は始まる。
明治一〇年九月二四日。
その年の二月、熊本城下で戦端が開かれた西南戦争は、植木、高瀬、田原坂での戦いを経て、薩摩軍劣勢のまま、人吉、延岡と転戦し、鹿児島市街城山で終結を迎えようとしていた。
九月一日、南九州を転々と逃げ延び、およそ八か月振りに鹿児島に戻った薩摩軍三五〇余名は、本拠地である私学校を守備していた征討軍を一気に襲い、これを退け籠城戦に入った。
一週間後鹿児島に入った政府軍総帥山縣有朋は、薩摩軍が籠る城山を徹底して取り囲むことを命じ、五万を超える大軍が蟻の這出る隙もない包囲網を作り上げた。
最終局面を迎える中、山縣は城山の西郷に対し自決を求める書状を送ったが、西郷からの返事はなかった。
その直後、総攻撃は二四日未明と決定した。
城山の北東に位置する浄光明寺台地には、無数の大砲が並ぶ政府軍最大の砲兵陣地があった。司令官は西郷の従弟である第二旅団司令長官大山巌少将だった。
大山は、号令を待つ砲列の傍らに立ち、明け初めて行く秋空に静まる鹿児島の町を見下ろした。薩摩人は寡黙で知られ、大山もまたその例に漏れない。しかし、眼下に見下ろす故郷の家並みに感傷を掻きたてられたのか、誰の耳にも届かぬ呟きを漏らした。
「これが済んだら、もう二度と戻れんな」
午前四時、三発の砲声を合図に総攻撃が始まった。
それは、戦というより嬲り殺しと言った方がふさわしい。すでに征討軍からは敵対する薩摩軍が同じ人間であるという認識が欠落していた。降り注ぐ砲弾に怯むそぶりもなく、西郷軍は最後の抵抗に打って出たが、もはや戦いの体を成さない。それは西郷を武士として死なせるための行軍であった。残り少ない将士は至近距離から一斉に放たれる砲火に次々倒れ、ついに西郷自身も腹と股に被弾した。
「晋どん、もうここでよかろう」
西郷は、同行していた別府晋介に介錯を願った。
西郷は正座し東に向かい遥拝すると、一気に小太刀を腹に突き立てた。
痛烈な熱がその一点から体中に走り抜け、瞬間、西郷の意識は宙の果てまで飛び上がった。
その時、西郷の眼前に、赤く輝く巨大な星が瞬いた。
星は、怪しく艶やかに瞬きながら、西郷に訊ねた。
「生きたいか」
西郷は、朦朧とする意識の中から、絞り出すように反論する。
「生きたくはない。ただ、無念なだけだ」
「それは執着ではないのか」
「かもしれんが、そう答えるわけにはいかん」
「貴様は体面を気にしているのか、そんなものに何の意味がある」
「意味などない。それが武士の生き方というものだ」
「笑止。幾らかでも、生に執着があるなら生を願えばよい。幾らかでも怨みがあるなら怨むがよい。ここまで来たら、正直になるがよい」
「生きたくはない。死のうと思っていた。だが恨みだけは、どうしても残る」
「なら来るがよい」
そう言うと、星は一気に赤みを増し膨れだした。そしてその触手は西郷の体を温かく包み込む。
次の瞬間、白刃が煌めき西郷の首は地面に転がり落ちた。
西南戦争はここに集結した。
これより三週間ほど前、夜空を赤く染める巨大な星が瞬いた。市井の人々はその星の中に軍服に身を包んだ陸軍大将西郷隆盛の姿を見たと言い、西郷星と名付けた。