第六章 「駆ける理由」
三日後、リンはレッスンコーチから実技審査の結果通知を手渡された。
最終審査に進むのは、三人。ルナ、ジェシカ、そして……、わたしだった。
本当に信じられなかった。ルナがキャメロット・メンバーに勝利したことや、その戦いの様子を伝え聞いたことで、自分の実力不足を痛感し、意気消沈していたからだ。
さらに、不安で落ち着かないことがあった。
たしかにキャメロット・メンバーになることを心から望んでいた。しかし、それがここまで近づくと、不安になってくる。果たして、自分にその資格があるのだろうか。
――大丈夫。いつも言っているでしょ? リンは選ばれた子なの。何でもできるんだから。
心に、「彼女」の声が響く。
最近はなかったけど、また聞こえ始めた。不安な気持ちになることがきっかけなのかもしれない。とにかく、この声を聞くと、落ち着くことができない。「自分はそれほどの人間じゃない」と否定せずにいられなくなる。
結果通知には、最終審査の内容が記載されていた。
最終審査は、一週間後、キャメロットの遠征先で行われるそうだ。
遠征先は、隣国の北方にある山間部。
そこでイドラが頻繁に目撃されるという情報があり、ISCIからアヴァロン・プロダクションに対して、現地調査とイドラ掃討の依頼があった。
隣国のプロダクションとの合同ライブとなり、アヴァロン側からは、キャメロットとリンたち候補生の合計六人が参加することになった。候補生が参加することに関しては、ISCIや隣国と調整済みで、候補生たちの行動の責任は、プロダクションが全面的に引き受けることで合意できているそうだ。
リンにとって初めての対イドラ戦となる。今感じている不安がさらに増していた。
最終審査の遠征準備を進めているとき、キャメロットのプロデューサー、マーリンから呼び出された。
何でも、遠征準備の一環で、実技審査の合格者がひとりずつキャメロットと交流し、互いの人となりや能力、思いを共有するミーティングを行うらしい。
集合場所は、講義棟の一階の端にあるミーティングルーム。
リンは集合時間きっかりに少し緊張してドアをノックした。部屋の中から、どうぞ、という男性の声がした。プロデューサーのマーリンだ。
リンは、名乗ったあと、部屋の中に入る。ドアのそばにマーリンが立っていた。
「リンさん。どうぞ、中に入ってください」
笑顔で迎えるマーリンに会釈をして、初めて入った部屋の中を見渡す。
いつもの味気ない講義室とは違っていた。カーペットが敷かれ、一人用のソファーが五台、車座に配置されている。車座の中央には、何もなかった。
部屋に入ったリンと向かい合う三台のソファーにキャメロットが座っていた。残りの二台がマーリンと自分のものということだろう。
真ん中の席にいるナタリーと目が合った。彼女は柔らかく微笑み、リンに向かって手を振る。
「ナタリー・セレネスです。楽しい戦いだったね。」
リンも笑みを返した、つもりだったが、緊張でどんな顔をしていたのかがわからない。
他の二人に視線を移す。左側に座るルーティは背筋を伸ばしてソファーに座り、澄ました表情でリンを観察しながら、
「ルーティ・ブルームです。よろしく」
と、右側に座るクレアは、ちらとリンをうかがったあと、顔を伏せて、
「クレア・アトロンです。よろしくお願いします……」
と消え入りそうな声で自己紹介をした。
「空いている席に座ってください。今、お茶をいれますね」
マーリンがそう言って部屋の隅に置かれたテーブルの上で、お茶の準備を始める。
リンは、正面に向かって左、ルーティの右側のソファーに座る。柔らかいクッション。しかし、適度な反発があった。長く座っても疲れにくい良いソファーかもしれない。
ソファーの右隣りにあるサイドテーブルに、マーリンがティーカップを置く。「ありがとうございます」と言いつつ、カップをのぞくと、中身は紅茶だった。新鮮な香りに、ほっと落ち着いた気持ちになる。カップの隣には、ショートブレッドが添えられていた。バターの甘い匂いにそそられる。
マーリンもソファーに座り、紅茶を一口すすったあと、さて、と言って話を始めた。
「まずは、先日の実技審査の様子を交えて、遠征時の戦い方を検討しましょう。
審査中にも言いましたが、リンには遊撃手というポジションが最も輝けるのでは、と考えています。
ドライブでステージを駆けまわり、三人それぞれの行動に合わせて支援攻撃。そして隙あらば、束ねた投げ槍で渾身の一撃をお見舞いする。
遠征時に、このような連携ができるように準備をしたいのですが……。リンは何かこうしたいという思いがありますか?」
チームの中で戦う経験がないリンはどう答えればいいのかわからなかった。しかし、マーリンが提案した戦い方は自分に合っている気がした。
「あ、あのっ、マーリンが提案した戦い方で、問題ありません。えっと……遊撃手って、『みんなとともに』とか『みんなのために』を考えながら戦えるってことですよね。わたし、それはいいなって思うんです」
「みんなとともに、みんなのために……。いい言葉ですね。わかりました。では、リンを含めたチームの戦術を考えていきましょう。ナタリーさん、リンさんと勝負して、どんな感想を持ちましたか?」
ナタリーは小首をかしげながら、話し始める。
「ドライブのトップスピードはすごかった! 車と同じくらいの速度だと思うけど、それを目の前で見せられて、とてもびっくりしたよ。たった三歩でトップスピードに達するというのすごいところ。でも、『車は急に止まれない』のが弱点なのかしら。止まるときに不自由するのは、何とかしないと……。
あとは、アドミレーションを聖杯に留めておくことが苦手なんじゃない? 輝化の光が真球状にならず、炎のように燃え上がる形であふれていたのが気になったね。
今のところ問題はなさそうだけど、アドミレーションを無駄に消費してしまうことになるかもしれない。」
ルーティがナタリーの話を引き取った。
「……それって、リンのアドミレーション生成量がとても多いからだと思う」
「ああ、そうだった! 私もそう思って、聞こうと思っていたんだ。審査終了後には聞けなかったから」
ナタリーも同意する。
リンにそのような自覚はなかった。
「わたしのアドミレーションは、どれくらい多いんですか?」
ルーティが答える。
「『尋常じゃないほど』よ。おそらく、私たちの誰よりも、アドミレーションの生成量が多いわ。どこで、どうやってその力を手に入れたの?」
自分の聖杯に気づいた時から、今と同じ状態だった。
「……心当たりがまったくないです」
ルーティは、気になるわとつぶやきながら、少し考えた後、さっぱりとした顔でリンに話しかける。
「まあ、今考えることじゃないわね。とにかく、アドミレーションを無駄に消費しないように輝化に慣れる必要があると思うわ」
「アドバイス、ありがとうございます。いろいろ教えてくださいっ」
リンが応えたあと、マーリンが、クレアに問いかける。
「クレアさん、何か他に気づいたことはありましたか?」
「えっ、えーっと……。そうですね……。槍の使い方に慣れるともっと強くなれそうです。リン、さんは、投げ槍を接近戦で使っているので。槍なら、私、教えることできます」
「ぜひっ、教えてください! あと、リンって呼んでください。クレアさんは十七歳ですよね? プロフィールで見ました。わたしは十六です。ナタリーさんとルーティさんは十八歳なので、わたしが一番年下です。よろしくお願いします! 先輩!」
「せ、先輩!? はじめて言われた……なんか恥ずかしい……」
「クレアも、『先輩』らしくなったよ!」ナタリーがクレアを励ます。
「ナタリー、あなたは、もっと落ち着いて『先輩』らしくなってほしいわ」
「えーっ? マジで! そんなに落ち着いてない?」
ルーティがため息をつく。
「そういうところよ」
リンは、思わず吹き出してしまった。
「あははっ! みなさん仲が良いんですね! うらやましいなぁ」
キャメロットの三人は、照れたように赤くなった顔を見合わせて、笑い合っていた。
マーリンがリンに尋ねる。
「実技審査の終了後、ナタリーと何を話していたんですか?」
リンは大切なことを思い出した。わたしの知りたいことだ。
「たしか、『故郷を救ったアイドルのお姉さんは、どこ?』だったと思うけど」
ナタリーが応える。
「はい、そうです。今日、わたしが一番話したいことです」
あのときのことを確かめる絶好の機会。悔いのないように臨む。
「四年前、モイトゥラという街でイドラの襲撃がありました。キャメロットが救援に駆けつけてくれたのですが、そのときの遠征メンバーを教えてほしいんです」
マーリンがサイドテーブルに置いてあったタブレット端末を起動した。
「四年前、モイトゥラ……。当時の報告書を確認してみるよ」
彼は、慣れた手つきで手早く操作する。
「あった。そのときの遠征メンバーの名は、『キリア・エクスフィリエンス』ですね」
マーリンの言葉に、ナタリーとルーティが驚いたようだった。キリアさん、とつぶやく。
キリア・エクスフィリエンス。四年前のキャメロットのメンバーの中では最年少だった。
誰もが彼女のことを「優等生」と評し、レッスンや任務に対して真摯に取り組む姿がそれを裏付けていた。実力、人気ともに次世代のエース候補と呼ばれていた。
その評判通り、キリアは、着実にランクを上げて、わずか数年でトップアイドルとなる。
その後、キャメロットを卒業し、世界全体を対象にアイドルのスカウトや神話型イドラの討伐を行う、ISCI直属の通称・聖杯探索ユニット〈ワールドツアー・ユニット〉「カリス」に所属する。
しかし、一年もしないうちに任務中に行方不明になってしまった。当時のカリス・メンバー全員が行方不明となっているので、生死も定かでない。
マーリンが補足する。
「キリアさんが卒業を決める直前に、私がキャメロットの担当プロデューサーになりました。あと、ナタリーさんとルーティさんも私と同じタイミングでキャメロット・メンバーに加わっています」
ルーティがうなずいたあと、難問に取り組むように険しい顔しながら話し始める。
「トップアイドルになった直後にプロダクションですれ違ったとき、キリアさんはとても楽しそうに見えていたんだ。でも、キャメロットを卒業するとき、何か悩んでいるような、思い詰めているような表情で……。いまだに、キリアさんに何があったのかわからないんだ」
「わたしを助けてくれたアイドルは、キリアさん。今は行方不明、なんですか……」
リンは、憧れの人が行方不明ということにショックを隠せなかった。そのとき、ナタリーと目が合った。
「リンはキリアさんに会いたかったんだ?」
「はい。彼女は、わたしにとって大切な人です。命の恩人で、わたしの動機。思いの出発点になった人です」
「四年前のモイトゥラで、リンさんとキリアさんの間にどんなことがあったのですか?」
マーリンに尋ねられ、リンは自分の思い出の世界に足を踏み入れる。そこに行くたびに、ありありと心によみがえってくるのは、今は亡き母親のことだった……。
*
今から六年前。十歳のある日。リンは、モイトゥラの総合病院にいた。少し前まで激しい頭痛と胸が苦しくなるほどの激しい動悸で一週間の入院をしていた。そのときに行った検査結果を母親といっしょに聞きに来ていたのだ。
リンは母親とともに診察室から声がかかるのを待っていた。
もうすっかり頭や胸の痛みは消えていた。こんなことより、早く病院内の遊戯室に行きたかった。今日は入院中に友達になった子と遊ぶ約束をしているのに、時間がなくなってしまう。
診察室から自分の名前が呼ばれた。
「呼ばれたよっ。お母さん! 早く入ろうよ」
「リンはここで待っていて。お母さんだけ聞いてくる。お医者さんのちょっと難しい話なの。聞いたあと、リンに教えてあげるからね」
リンはしぶしぶ理解して、中待合のスペースにあるベンチで母親を待つことにした。とても退屈だった。
友達といっしょに遊ぶために持ってきた、おもちゃのマイクをもてあそびながら静かに待っていると、医者と母親の話す声が聞こえてくる。
医者の声は落ち着いていた。しかし、母親の声がだんだん大きく激しくなっていく。リンが悪いことをして怒られるときと少し似ていた。
やがて、母親がすすり泣く声が聞こえてくる。いつもと雰囲気が違う、切羽詰まったような口調。リンはそのような母親と接したことがなかった。いったい診察室で何が行われているのだろう。リンは言いようのない不安に襲われた。
母親の様子を確かめるために診察室の扉に手をかける。力を入れて開いた途端、母親の叫びを聞いた。
「どうして! どうしてリンが二十歳で死ななくちゃいけないんですか!」
その言葉は、リンのからだとこころを貫く。その衝撃でおもちゃのマイクを落としてしまう。
床に触れ、転がるときの乾いた音。空回りする思考のようだった。言葉は理解できるが、意味がわからなかった。
母親と医者の二人がこちらに振り向いた。驚き、焦り、罪悪感。母親の目には、涙。
「わたし……二十歳、死? どうして……」
意味を理解しようとつぶやく。そんな自分はどのような表情をしていたのだろう。リンを見た母親が、席を立って、リンのところにやってくる。そして、ぎゅっとリンを抱きしめた。
強く抱きしめられる。まるで母親がリンの存在を確かめるように。母親は、涙に濡れた声で、何度も何度も「ごめんなさい」と、リンに伝え続けていた。
リンが抱えた病は「聖杯肥大症」と呼ばれていた。
脳内の、前部帯状回と呼ばれる領域に存在する「巨大紡錘神経細胞」。その密度が通常のヒトよりも高く、その細胞から形成されるニューロンネットワークが過密になり、脳が肥大し、梗塞や炎症のリスクが高まってしまう病気だ。「聖杯」という言葉の由来は、巨大紡錘神経細胞が聖杯機能をつかさどっているという仮説だった。
リンの場合、十歳から、脳内の細胞密度が過度に高まっていき、二十歳となる時点で脳が耐えきれないと診断されたのだ。
それからの二年間、リンに待っていたのは、検査と治療の日々だった。
脳研究で革命を起こした、聖杯の存在が解明されてから、これまでに非常に症例が少ない病だった。医者たちは慎重になり、有効な治療法を確定するために、多様な検査をすることを提案された。母親はそれに同意する。
精密検査をして、考えられる治療法を試し、確定した治療法を続けて様子を見る。リンは入退院を幾度も繰り返しながら、それを続けていた。
しかし、調べれば調べるほど、試せば試すほど、リンが二十歳になるころには、脳の働きと心臓が止まることが確かなものになっていった。
リンは、からだを動かすことや、友達と遊ぶことが大好きだった。
しかし、この二年間の間に何十回と行われた検査や薬の副作用による身体的、精神的な負担が何重にも重なった結果、やせ衰え、自分が好きだったことを忘れてしまうほど、陰鬱とした少女になっていた。
今から四年前。リンが十二歳になったばかりのとき。
その日で、リンの家の経済状況を考慮して計画された検査が終了した。最終的に、病の進行を遅らせる対症療法で時間を稼ぎ、医療と聖杯研究の進展を待つことになった。
リンは、母親とともに病院から出る。二人とも何も言わずに歩き出した。いつもと同じように最寄りの駅で鉄道に乗り、帰宅する。
検査と薬漬けの毎日がやっと終わったことはうれしかった。しかし、残り八年の命だと確定したこと、もうすぐ死んでしまうことをどう理解すればいいのかわからず、戸惑っていた。
十二歳のリンにとって、あと八年という時間は長すぎて、二十歳の自分が想像できない。それでも、自分がこれまでに出会った先生や医者のような「大人」になることができないのだと思うと、寂しさを感じることがある。
母親は、この二年間で笑うことがなくなっていた。さらに、普段の生活をしているときに突然泣き出すことが多くなった。リンの顔を見ただけで泣いてしまうこともある。今も、この曇り空がよく似合う顔だった。
母親の落ち込みようを見ていると、リンは、自分が母親を苦しませているような気分になる。だから、最近は顔も合わせないし、話しかけることもなくなった。
横を歩く母親の顔を、ちらと確認する。まるで、この世の終わりを見てきた表情。先に何もないことを確信し、努力が徒労に終わることに慣れきってしまった、希望のかけらもない表情。母親のそのような姿は嫌いだった。しかし、二年間で見慣れてしまった。
最寄り駅が近づく。
いつもと同じ光景が……待っていなかった。視界が開けたとき、そこには、絶望の光景が広がっていた。
駅前の広場に、四匹の黒い怪物がいた。すべてがヒトのような姿をしていた。
くもの子を散らすように逃げ惑う人々。黒い怪物は彼ら、彼女らを後ろから追いまわす。
中年の男性が、リンと母親が立ちすくんでいた場所の近くでこけて、うつ伏せに倒れる。黒い怪物が彼に近づき、容赦なく、腕に付いた鋭利な爪のようなもので背中を切り裂いた。
倒れた男性の絶叫。背中には、傷口が真っ黒の、大きな裂傷ができていた。その傷口から、黒い煙のようなものが流れ出てくる。黒い怪物は、嬉々としてその煙をむさぼるように、口に似た器官を使って集めて、飲み下していく。
次第に黒い煙が細くなり、途絶えてしまった。男性は動かなくなる。
母親がリンの前に立ちふさがり「見ちゃだめ」と、リンの視界をふさぐ。
「リン、ここから早く逃げなさい! 病院まで戻って、助けを呼んできて!」
「お母さんは?」
「お母さんはリンの後で病院に行くから。先に行って。さあ早く!」
リンは母親の言う通りに、来た道を引き返し始めた。「走って!」と急かされるが、母親が気になって進むことができない。
母親の大声に気づいたように黒い怪物が顔を上げた。リンや母親がいる方向をじっと見つめたあと、母親の方に向かって黒い怪物が迫っていく。
「お母さん! あいつが来てる! 早く逃げて!」
リンは必死に叫んだ。しかし、母親は動かない。それどころか、彼女は怪物の前に立ちふさがった。そのまま怪物を抱き留めるにように抑える。
「お母さん!」
リンは母親の行動に驚き、足を止める。母親が怪物に殺されてしまう! しかし、
怪物は、軽々と母親を引きはがし、なんの危害も加えずに道に置き去り、真っ直ぐにわたしの方に向かってきた。
怪物の背中越しに、母親の絶叫が聞こえる。
「何で! 私を殺してよ! もうどうしようもないの。殺されて楽になりたいのよ!」
その言葉の意味を考える暇はなかった。黒い怪物が迫ってくる。
リンは再び回れ右をして、病院に向かって走りはじめた。
黒い怪物は、ぽっかりと開いた口だけの顔を持ち、操られたマネキンのような手足を不格好に動かして、器用に移動している。
リンは追いつかれまいと懸命に走った。しかし、転んだ拍子に方向を見失ってしまう。混乱しながらたどり着いた場所は、日が届かない路地裏の行き止まりだった。
黒い怪物がリンに追いつき、戻る道をふさがれる。
間近で見た怪物は恐ろしいほど背が高かった。口だけの顔がわたしを見下ろしてくる。光沢のある黒い顔に、恐怖に怯えたわたしの顔が映り込んでいた。
リンは足がすくみ、道にへたり込んでしまう。もうだめだと抵抗を止めて、目を閉じたとき。
まぶたをすかす、朝日のようなまぶしい光を感じた。目を開けると、光の中に輝化武装をしたアイドルが立っていた。すごく大人びたお姉さんだった。
彼女が長剣を構え、イドラと対峙する。剣を構えた凛々しい姿から、きらきらと光る粒子が噴き出してくる。彼女の長いプラチナブロンドの髪がふわっと左右に散らばった。
その姿は、まるで天使のようだった。
優美な翼を広げるような幻想的な光景に、しばし見入ってしまう。そして……。
荘厳な絵画の一部のように、彼女は、圧倒的な力で黒い怪物を一刀両断にした。
アイドルのお姉さんは剣を鞘に納め、リンに「大丈夫?」と言って、手を差し出す。
リンは、しっかりとその手をつかむ。照れながらこくんとうなずくと、悪夢から救い上げてくれるように、ぐっと力強く、手を引っ張って立たせてくれた。そして、ふわっとほころぶような笑顔で「よかった」とつぶやく。
リンは恐怖から解放されたことと、彼女の優しい笑顔に心が緩み、泣き崩れてしまった。
そのあと、母親がリンに追いついてきた。母親もリンの姿を見た途端に泣き崩れる。「ごめんなさい」と何度も言って、リンを強くつよく抱きしめる。
その力は強すぎて、苦しかった。
リンと母親は、総合病院にたどり着いた。
病院内に設営された避難所で、リンは毛布にくるまって、母親とともにからだを休めている。
からだは落ち着いていたが、心は奮い立っていた。目の当たりにしたアイドルの強さ、凛々しさ、優しさに感銘を受けていた。怪物に襲われた恐怖を上書きしてしまうほど、「わたしもそうでありたい」という熱い気持ちがどんどんあふれてくる。止められなかった。
燃え盛るような衝動を抱いたまま、隣で沈み込んでいた母親に自分の意志を伝えた。
「お母さん、あのね」
「……なに?」
「わたし、アイドルになりたい。そのために残りの八年間を使いたい」
母親はわたしの言葉に驚いたあと、喜ぶような、悲しむような、どちらともいえない表情になった。顔がゆがみ、目にたくさんの涙が溜まっていく。
「リン……ごめんね。あと八年だなんて、少ないよね……。つらい思いをさせて、本当にごめんね……。何とかしてあげたかったの……お母さんのすべてを賭けて、あなたがもっと生きることができるようにしたかった。でも、できなかったの……」
母親が大粒の涙を流して、子どものように泣きじゃくる。リンは震える母親の手をぎゅっとにぎり、支えるように見守った。
「私は……リンの余命を知って、ただ罪悪感と絶望感に浸っていただけだった。リンが残りの時間をどう過ごすかなんて、考えることができなかった……。リンはえらいね。これからどんな未来を望むのかを考えていたんだね。……リンの気持ちに気づけなくて、ごめんね」
母親がリンの手をにぎり返す。
「いいよ。リンのやりたいこと、なりたいこと、全部やってみよう!」
リンの心から湧きだした熱い気持ちが、からだ全体に伝わっていく。世界のすべてが輝いて見えた。リンは、首を大きく振ってうなずく。
母親は真っ直ぐリンを見つめて、誓いの言葉を告げた。なぜか少し怖かった。
「お母さんにまかせて。あなたの希望のすべてをかなえてみせる……絶対に約束する」
それからの二年間。リンはアイドルになるために、生活のすべてを捧げていた。
リンが憧れたアイドルのお姉さんは、世界に名が知れたアヴァロン・プロダクションに所属するユニット「キャメロット」のメンバーだということがわかった。
リンはそのアヴァロン・プロダクションに入所するために、活動を始める。
まずは、病院通いで衰えたからだを元に戻さなければならなかった。元に戻したあとは、さらにからだを鍛えて、国際的に活躍できるスポーツ選手のような体力と筋力を身につける必要がある。
そして、アイドルの必須条件である自分の聖杯を育てることも忘れてはならない。
アドミレーションを扱えるようになって、聖杯連結も習得して、輝化ができるようする。
そのために、海外にあるISCIが運営するアイドル養成機関に一年間入校し、寝ること以外の時間のすべてを訓練に費やした。
母親は、自分の未来を定めたリンをサポートするために生活のすべてを投げうっていた。
複数の仕事を掛け持ちして昼夜を問わず働き、リンの病気の治療も続けながら、リンの活動を支える、リンのトレーニングにもつきあい、リンがくじけそうになるときにいつも励ます、ISCIのアイドル養成機関への入校が決まってからは、リンとともに海外へ渡り、現地で仕事をしながら、リンに一番近いところでサポートを続ける、など、寝る間もないほどの日々を過ごしていた。
さらに、リンが迷い悩んだときは、どんなに忙しくても、ふれあいながら直接対話する時間を優先してくれて、いつもリンのことを大切にしていた。そして、リンが努力するだけでは決して届かない、アヴァロン・プロダクションにたどり着くためのコネクションも、世界中を飛び回ってつなげてくれたのも母親だった。
彼女のすごいところは、これらのすべてを誰にも頼らず自分ひとりで行っていたことだった。
両親は、親戚から望まれないかたちで結婚した。自分が五歳のころに父親が病気で亡くなると、母親は親戚一同からつまはじきにされてしまった。また、近所づきあいも乏しく、友達と呼べる人もいなかった。公的な援助のことも知らずに、ただひたすらに、リンの未来に奉仕していた。
このような生活を続けることに、母親は少しも問題がないとうそぶいていたが、彼女に慢性的な疲弊が積み重なっているのは確実だった。母親のからだは、次第に痩せ細り、病気がちになっていく。
しかし、からだとは逆に、心はさらに充実しているように見えた。
それがわかるようになったのは、母親がリンに見せるアンバランスな表情がきっかけだった。
痩せて削げ落ちたほおのまま、瞳をらんらんと輝かせて口角を上げている。不釣り合いで、違和感のかたまりのような顔。
だんだん、母親のサポートは異常なのだ、と考えるようになった。
養成機関に通うようになってからは、同級生ができて、何においても比べられるようになる。
リンはできないことが多い自分に悩み、他の子に対する劣等感にさいなまれることが多くなった。
悔しくて泣きながら家に帰り、帰りを待っていた母親に自分の悩みを告げると、いつも同じような言葉が返ってきた。
「他の子のことは気にしちゃダメ。リンは自分のことだけ気にすればいいの」リンの涙をふいて、頭をなでながら「大丈夫。いつも言っているでしょ? リンは選ばれた子なの。あなたならできる。何でもできる。お母さんは信じているから! もっと早く、もっと高く、もっと輝いて!」
最初はこの言葉に勇気をもらっていた。でも、次第にこの言葉に急かされ、縛られているような感覚を覚え始める。
できると信じて挑戦し、思い届かずに失敗した。挫折感と周囲の冷めた視線。それが続いていじめに発展する。それでも母親は、同じ言葉でリンを励まし、応援した。
リンはわけがわからなかった。
大好きな母親が身を粉にして働いたおかげで、アイドルになるための活動が続けられるのは紛れもない事実だった。感謝してもしきれない。しかし、自分のつらい気持ちが無視される怒りや自分の気持ちをわかってもらえない悲しみが邪魔をする。そのように母親を疑い、憤ることに強い罪悪感を覚えていた。
母親に対する思いが、心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、渦巻いたまま、リンは養成機関における一年間のカリキュラムを終えた。
リンの死に物狂いの努力と、母親の「奇妙な」サポートの甲斐があって、リンはアヴァロン・プロダクション入所の推薦状を獲得した。
残り六年。リンが目指す場所に近づいた喜びに浸り、次のステージに思いを馳せ、満ちあふれた希望をつかんだその日。帰宅したリンを待っていたのは……
自宅のベッドに横たわり、息をしていない母親だった。
まるで体調がすっかり元に戻ったような、つやのある健康的な肌。やり遂げた達成感を誇るような笑顔のまま、穏やかに目を閉じている。声をかければ、目を覚ましそうだった。
まるで、リンが次のステージへ上がることを見届けて安心し、満足したようだった。
明るく晴れやかな死に顔だった。
リンは置いていかれたのだ。
母親に対するぐちゃぐちゃで名前のつけようのない気持ちとともに……。
*
リンは、キリアとの出会いとそれに強く結びついた母親との別れを話し終えた。キリアとの思い出よりも、自分の母親との記憶をたくさん話してしまった。
「ごめんなさいっ。話すぎてしまいました。とにかく、キリアさんと会いたい。会ってお礼を言いたくって……」
キャメロットの三人は一様に、どう反応すればわからない、という表情している。
「あのっ、わたし大丈夫ですから! 他の人より時間が少ないだけです。体調も、薬を欠かさず飲めば、他の人と変わりありません!」
キャメロットの三人に向かって大げさに元気なポーズをとる。しかし、キャメロットの三人の表情は暗いままだった。
「……わたし、病気や余命のことで、みなさんだけでなく、世界の誰にも、絶対に迷惑かけません。すべて自分で後始末つけます。
キャメロットというチームは世界中から知られています。世界中から期待されています。すごく重い責任のあるユニットです。その責任をしっかり果たせる力を十二歳の頃から四年間で身につけてきました。このオーディションで、必ず示して見せます!」
固くこぶしを握り、真っ直ぐキャメロットの三人と向き合う。それでも彼女たちの表情は曇ったままだった。
握ったこぶしに温かい手が触れる。マーリンの手だった。
「はい。リンさんが育てた努力の結晶を、見て、聴いて、触れて、じっくりと感じさせていただきます」マーリンは優しい瞳をリンに向けて、言葉を続ける。「ナタリーさんたちは少しびっくりしているだけです。ちゃんとリンさんの言葉は届いています」
「ありがとうございますっ」
リンは心から安心できた。キリアのこと、母親のこと、自分の思いを話すことができて本当に良かった。マーリンの手が離れる。
「リンさんと話すことができて良かった。これまでの審査のようすを見ていて、焦っているような、急いでいるような感じがして、心配していたんです」
急ぐ……。
余命は、あと四年。確かに、今回キャメロット・メンバーになれなかったらどうしようという気持ちはある。もう一度チャンスがあるのか、それとも別の目標を見つけられるのか、今はまったく想像がつかない。
しかし、これまで「急いでいる」つもりはなかった。
「わたし、当たり前だと思っていたんです。残りの時間を使って、アイドルになるには限られた時間でたくさんのことをしなきゃいけないのは当然で。そんな時間を母親といっしょに過ごしてきました……」
今、改めて思い返すと、「急いでいた」ことがあった。
前後不覚になるほどトレーニングに集中し、疲れ果てたあと、家に帰りついたと同時に気絶するように床に倒れ、寝てしまったとき。
簡単な課題を達成できず、いいらいらして周囲のものに当たり散らしてしまったとき。
同じ年代の子が、かわいい服を着て、友達と仲良く笑い合っているのを見たとき。
「でも、ときどき目まぐるしくて、くらくらして、いらだたしくて。自分が今どこにいて、何をしているのかが、わからなくなる瞬間がありました。それを感じたときは、どうしようもなく不安になりました」
「アイドルになるためにがんばってきた四年間は、充実していただけじゃなくて、自分を見失ってしまって不安になるときがあったのですね……。リンさんが不安になるのは、いつ、どんなときが多かったのですか?」
「すごくがんばったあと……みんなできることがわたしにはできなかったとき……街で友達といっしょに買い物をしている女の子を見たとき、ですね。そういうときには決まって、声が聞こえるんです。今でも聞こえます。」
「声……。もしかして、お母さんの?」
「そうですっ。母親です。母親の『あなたならできる』という声が聞こえてきて、わたしの心を埋め尽くすんです。その声に応えなきゃいけないんです! ここで止まっていてはダメだって思っちゃうんです!」
「そうなると、わけがわからくなってしまうんですね……」
リンは大きくうなずいた
「これまでにたくさんもらった母親の愛情に応えるために、自分の余命が残り十年であることで母親を悲しませてしまった贖罪のために、わたしはアイドルにならないといけないんです。
だから、母親の言うことを聞かなきゃならないんです!
でも……わたし、怖かった。いや、今でも怖いです。
心が母親に支配されているみたいで。『もっと早く、もっと高く、もっと輝いて!』って、これからずっと止まることができないかもしれない……」
のしかかってくる不安に押しつぶされそうだ。目の前にキャメロットの三人やマーリンがいるのに、ものすごく寂しかった。
「自分で、これまでの四年間を否定しているみたいです。母親の愛情を、自分の努力を無意味にしているようで……。わたしは、どうしたいんだろう……どうしよう! あと四年……、あと四年しかないのに!」
衝動的に飛び出してしまいそうな、強い焦燥感に襲われる。ぶるぶると震える手。そのとき再びマーリンの温かい声が耳を打った。
「おちついて」マーリンの穏やかな顔。「大丈夫。ゆっくり思い出して……リンさんの『アイドルになりたい』という思いは、いつ、どこから始まりましたか?」
「それは……」簡単だ。今話したばかりだった。「四年前、キリアさんと出会ったときです」
マーリンの顔がほころぶ。自分のこころとからだも緩んでいくようだ。
「キリアさんとの出会いは、リンさんが未来へ進むための『いかり』です。そのいかりは、リンさんの心の底にしっかりと沈んでいます。その気持ちがあれば、迷うことはありません」
言葉が心にしみていく。次第に心が晴れていく。
「そう、ですね。キリアさんとの出会いに、母親は関係ないです。わたしが、キリアさんのことをかっこいいと思いました。わたしが、キリアさんのことをやさしいと思いました。そして、わたしがキリアさんのようになりたいと思いました」
「その気持ち、まるっと信じて、大切にしよう!」
ナタリーが大きくうなずき、元気な笑顔を見せる。
「心の……気持ちの出発点か。いい考え方ね。それがわかっていれば、迷いがなくなるわ」
ルーティはマーリンの言葉を深く味わったあと、納得するようにつぶやく。
「良かったです……やっぱり、リンさんには、はつらつとした笑顔が、似合っています」
クレアは、リンをいたわるように、とつとつとゆっくり話す。
「『理想の自分』追い求めるリンさんはすごく素敵です。でも、そんな自分に疲れたり、苦しくなったりしたら、少しだけでもいいので、『今の自分』を確認してみてください。そのときは、いろんな方向から見てください。自分の目だけでなく、他人の目からも、です」
リンはマーリンの手をつかみ、座ったまま頭を下げる。
「ありがとうございました。マーリンさんとキャメロットのみなさんと話すことができて本当に良かったですっ。これまでの四年間で、心の奥でわだかまっていた思いを吐き出すことができました。遠征で心置きなくいっしょに戦えそうですっ」
リンが声を上げて何かに気づいた。「これが、このミーティングの目的……」マーリンがにこりと笑って続ける。
「そうですね。チームワークが円滑になるように、です」マーリンがちらりと置時計を見る。「そろそろ時間ですね。リンさん、今日はありがとうございました。大切なお話も数々聴かせてもらえて感謝します」
リンが立ち上がる。マーリンとキャメロットも立ち上がって、その場でにおじぎをする。
「ありがとうございましたっ」
「リンさん、今度の遠征、がんばりましょう!」
元気よく、応えてマーリンと固く握手をした。
ミーティングルームを出るとき、リンは鎧を一枚脱いだような爽快さを感じた。心なしか、肩が軽い。なぜか自分の見える世界も少し明るくなったような気がした。




