転落
綺麗、美人、美しい。
なんと甘美な響きだろうか。
わたしにこっそりと、しかし頻繁に向けられるそれらの言葉は、そっと静かに空気をつたい、甘い刺激となって、わたしの鼓膜を震わせる。
わたしは、美しい。
こういうと自信過剰のように聞こえるかもしれないけれど、事実何度も告白されているし、ラブレターなんて古臭いものは貰ったことないけれど、男にやたらと貢がれたことだってある。町を歩けば誰もが振り返り、男も女もついつい、ほう、とため息をもらす。クラスメートによれば、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、だそうだ。
その美しさを保つために、わたしは努力を欠かさない。
私の長い、まっすぐな髪は、傷んでしまうのが嫌なので染めず、毎日欠かさず、時間をかけて丹念に、手入れをしている。このスレンダーなスタイルは、毎日ジョギングをして、エネルーギーを消費し、また、食事にも気をつけることで保っている。更に、足が太くならないように、産まれてこのかた、正座などということは、したことがない。そのうえ、毎日鏡と何度も向き合い、表情や、化粧のチェックも怠らない。まだまだ、他にもいろいろと努力していることはあるのだけれど、長くなるので割愛しよう。
そんなわたしは、勿論、学校でも一目置かれている。
わたしは、美しさとは外見だけでなく、その知性からもにじみ出るものだと考えているので、幼いころから、こつこつと勉強を積み重ね、今では学年でも一番の優等生となっている。そのため、生徒だけでなく、先生からの人気も高く、信頼も厚い。
わたしは一番だったのだ。まさに、この高校のアイドルだったのだ。
しかし、ある少女の登場で、その状況は一変してしまった。
その少女は、高校二年生の二学期の始め、転校生としてやってきた。
「山本静香です。えっと、こっちには来たばっかりで、全く知り合いがいないんで――、どうか、仲良くしてください。よろしくお願いします」
そういって、静香はぺこり、と頭を下げた。
可愛らしい顔をした子だ、と最初は思った。
小柄な体にちょん、と乗った小さな頭には、くりくりとよく動く大きな目、小さな鼻、薄桃色の唇が配置され、本当に、綺麗、というよりは、可愛らしい、といった感じだ。
朝のホームルームが終わると、クラスのみんなが、静香のもとへと集まった。
転校生の宿命だと、わたしは苦笑してその様子を見ていた。しばらくすれば、落ち着くだろう、そう考え、取り囲まれた彼女に同情すらした。
しかし翌日、その翌日も、クラスメートたちの熱は、一向に冷める気配がなかった。
おかしい、流石にそう考え、トイレに行くふりをしながら、クラスメートに囲まれた彼女の様子を盗み見た。
――ああ、笑顔だ。
クラスのみんなは、彼女の、小さな花のように可憐で、そのうえ心から楽しそうな、自然な笑顔に、このうえなく惹かれていたのだ。わたしの、鏡に向かってつくった笑顔では、到底敵わないのだ。
静香の人気は、クラスだけではなく、学校中に広まろうとしていた。
彼女は、特別勉強ができるわけではない。この前やった小テストの得点上位者の掲示にも、彼女の名前は見えず、一位のところには相変わらず、篠原涼子、とわたしの名前があった。
それなのに――、静香は、生徒からの人気だけではなく、先生たちからの人気すら、わたしから奪っていったのだ。その、笑顔だけで。
嫌だ。わたしは一番なのだ。学校一の人気者なのだ。そのために、どれだけ努力をしたと思っているのだ。
許せない。ぽっと出で、軽々しく、わたしの地位を奪っていった、笑顔だけの女が、そんなに美人じゃないくせに、どうして――。
静香が転校してきてからひと月ほど経った。この日、わたしは産まれて初めていじめ、と呼ばれる行為をした。
上履きに画びょうを入れるだけの、たったそれだけの、古臭くてくだらない、知性の欠片も感じられない、嫌がらせだ。わたしはいつも一番乗りで学校に来るので、人の上履きに画びょうを入れるくらいは、簡単なことだった。
その日、静香は日直だったようで、いつもよりも少し早く学校に来た。そのため、わたしと静香は、狭い教室で二人きりになった。
静香の表情は、曇っていた。
「どうかしたの? なんだか、顔色が優れないようだけれど――」
わたしは、白々しくも、学年一の優等生らしく、とても上品に話しかけた。
「う、ううん、なんでもないよ。ちょっと風邪気味なだけ――。ありがとう、涼子さんって、やさしいんだね」
彼女はそういって、笑った。
その笑顔もまた、曇っていた。
わたしが曇らせたのだ。
わたしが、曇らせてしまったのだ。
不意に、吐き気を覚えた。
「――ちょっと、ごめんなさい」
そういって、わたしは教室を出て、トイレに駆け込んだ。
そして、吐いた。
胃の中のものを全部吐き、それでもなお吐き気は治まらず、胃液が喉を焼き、吐しゃ物に血が混じった。
ああ、なんという――、なんということを、してしまったのだろう。わたしはなんだかんだいって、彼女の笑顔が好きだったのだ。彼女の人気に嫉妬しながらも、その笑顔に憧れ、それを自分にも向けてほしいと、そう思っていたのだ。
その笑顔を、わたしが奪ってしまったのだ。あんな、幼稚な嫌がらせなんかで、たったあれだけのことで――。きっともう、彼女は今までのようには笑えない。たった今彼女が見せた笑顔は、人を惹きつける、あの、にくたらしいほどに楽しそうな笑顔ではなく、わたしと同じ、つくった笑顔だった。
ようやく吐き気が治まり、わたしはふらふらと水道へと向かった。
手を洗い、口を濯ぎ、そして、目の前にある鏡に写った、自分の姿に気がついた。
長い黒髪に整った顔、ナチュラルメイクが、とてもよく映えている。それでいて――。
なんだか、ひどく醜かった。




