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転落

作者: 村田やく
掲載日:2009/01/13

 綺麗、美人、美しい。

 なんと甘美な響きだろうか。

 わたしにこっそりと、しかし頻繁に向けられるそれらの言葉は、そっと静かに空気をつたい、甘い刺激となって、わたしの鼓膜を震わせる。

 わたしは、美しい。

 こういうと自信過剰のように聞こえるかもしれないけれど、事実何度も告白されているし、ラブレターなんて古臭いものは貰ったことないけれど、男にやたらと貢がれたことだってある。町を歩けば誰もが振り返り、男も女もついつい、ほう、とため息をもらす。クラスメートによれば、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、だそうだ。

 その美しさを保つために、わたしは努力を欠かさない。

 私の長い、まっすぐな髪は、傷んでしまうのが嫌なので染めず、毎日欠かさず、時間をかけて丹念に、手入れをしている。このスレンダーなスタイルは、毎日ジョギングをして、エネルーギーを消費し、また、食事にも気をつけることで保っている。更に、足が太くならないように、産まれてこのかた、正座などということは、したことがない。そのうえ、毎日鏡と何度も向き合い、表情や、化粧のチェックも怠らない。まだまだ、他にもいろいろと努力していることはあるのだけれど、長くなるので割愛しよう。

 そんなわたしは、勿論、学校でも一目置かれている。

 わたしは、美しさとは外見だけでなく、その知性からもにじみ出るものだと考えているので、幼いころから、こつこつと勉強を積み重ね、今では学年でも一番の優等生となっている。そのため、生徒だけでなく、先生からの人気も高く、信頼も厚い。

 わたしは一番だったのだ。まさに、この高校のアイドルだったのだ。

 しかし、ある少女の登場で、その状況は一変してしまった。

 その少女は、高校二年生の二学期の始め、転校生としてやってきた。

「山本静香です。えっと、こっちには来たばっかりで、全く知り合いがいないんで――、どうか、仲良くしてください。よろしくお願いします」

 そういって、静香はぺこり、と頭を下げた。

 可愛らしい顔をした子だ、と最初は思った。

 小柄な体にちょん、と乗った小さな頭には、くりくりとよく動く大きな目、小さな鼻、薄桃色の唇が配置され、本当に、綺麗、というよりは、可愛らしい、といった感じだ。

 朝のホームルームが終わると、クラスのみんなが、静香のもとへと集まった。

 転校生の宿命だと、わたしは苦笑してその様子を見ていた。しばらくすれば、落ち着くだろう、そう考え、取り囲まれた彼女に同情すらした。

 しかし翌日、その翌日も、クラスメートたちの熱は、一向に冷める気配がなかった。

 おかしい、流石にそう考え、トイレに行くふりをしながら、クラスメートに囲まれた彼女の様子を盗み見た。

 ――ああ、笑顔だ。

 クラスのみんなは、彼女の、小さな花のように可憐で、そのうえ心から楽しそうな、自然な笑顔に、このうえなく惹かれていたのだ。わたしの、鏡に向かってつくった笑顔では、到底敵わないのだ。

 静香の人気は、クラスだけではなく、学校中に広まろうとしていた。

 彼女は、特別勉強ができるわけではない。この前やった小テストの得点上位者の掲示にも、彼女の名前は見えず、一位のところには相変わらず、篠原涼子、とわたしの名前があった。

 それなのに――、静香は、生徒からの人気だけではなく、先生たちからの人気すら、わたしから奪っていったのだ。その、笑顔だけで。

 嫌だ。わたしは一番なのだ。学校一の人気者なのだ。そのために、どれだけ努力をしたと思っているのだ。

 許せない。ぽっと出で、軽々しく、わたしの地位を奪っていった、笑顔だけの女が、そんなに美人じゃないくせに、どうして――。

 静香が転校してきてからひと月ほど経った。この日、わたしは産まれて初めていじめ、と呼ばれる行為をした。

 上履きに画びょうを入れるだけの、たったそれだけの、古臭くてくだらない、知性の欠片も感じられない、嫌がらせだ。わたしはいつも一番乗りで学校に来るので、人の上履きに画びょうを入れるくらいは、簡単なことだった。

 その日、静香は日直だったようで、いつもよりも少し早く学校に来た。そのため、わたしと静香は、狭い教室で二人きりになった。

 静香の表情は、曇っていた。

「どうかしたの? なんだか、顔色が優れないようだけれど――」

 わたしは、白々しくも、学年一の優等生らしく、とても上品に話しかけた。

「う、ううん、なんでもないよ。ちょっと風邪気味なだけ――。ありがとう、涼子さんって、やさしいんだね」

 彼女はそういって、笑った。

 その笑顔もまた、曇っていた。

 わたしが曇らせたのだ。

 わたしが、曇らせてしまったのだ。

 不意に、吐き気を覚えた。

「――ちょっと、ごめんなさい」

 そういって、わたしは教室を出て、トイレに駆け込んだ。

 そして、吐いた。

 胃の中のものを全部吐き、それでもなお吐き気は治まらず、胃液が喉を焼き、吐しゃ物に血が混じった。

 ああ、なんという――、なんということを、してしまったのだろう。わたしはなんだかんだいって、彼女の笑顔が好きだったのだ。彼女の人気に嫉妬しながらも、その笑顔に憧れ、それを自分にも向けてほしいと、そう思っていたのだ。

 その笑顔を、わたしが奪ってしまったのだ。あんな、幼稚な嫌がらせなんかで、たったあれだけのことで――。きっともう、彼女は今までのようには笑えない。たった今彼女が見せた笑顔は、人を惹きつける、あの、にくたらしいほどに楽しそうな笑顔ではなく、わたしと同じ、つくった笑顔だった。

 ようやく吐き気が治まり、わたしはふらふらと水道へと向かった。

 手を洗い、口を濯ぎ、そして、目の前にある鏡に写った、自分の姿に気がついた。

 長い黒髪に整った顔、ナチュラルメイクが、とてもよく映えている。それでいて――。

 なんだか、ひどく醜かった。


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