人間のその先
それにしてもまだまだ暑い日が続いている。
年々、夏と冬が延びて、春と秋が短くなってきている。
春と秋が2か月、夏と冬が4か月という具合かな。
いつの間にか、四季が無くなってきたような気がする。
時は、えっと言う間に過ぎ去り、人を老化させる。
30年前の若者が50となり。
たった50年前の麗しい女性が70の老婆へと変身する。
時は遡ることなく一方的に人間を老化へと導く。
若者、中年、老年、確かに同世代の時代はあった。
その時代を有意義に過ごしましただろうか?
そう言える人は稀ではないか。
そういう私は、日々後悔の念に囚われてしきりである。
もしここでタイムマシーンが発明され。
もしくは、不老不死の妙薬を手に入れられたとしたら、どんなにか幸せだろうか。
タイムマシーンに乗り過去の自分と決別し、ハッピーエンドの人生を送る。
それこそ、まさしくご都合主義か商業主義のコンテンツではないか。
DNAは人におむつからおむつへと人の手を煩わせようとする。
最初は、自身の母により、最期は自身の子による。
まあ、子らしき介護士でもあるが。
「褥瘡つくるんじゃねーぞ。」と将来の介護される人間に脅される。
基本、介護される人間は、受け身である。
何一つ人に頼らずにできることはない。
20歳の若いとき、自分が介護される側に立つと想像は出来たであろうか。
威張り散らす会社の上司。
その母が、介護を受けているらしい。
DNA上では、あんたも先々介護を受ける羽目になるだろうよ。
「そうそう、あと50年もすれば、あんたらは今以上の悲惨な介護生活が待っているからね」
厚労省的には、多分(想像でしかないが)今後の50年後の介護生活者は、今より悲惨な介護をうけることになるだろう。
まあ、50年後は、日本の人口は8千万人と言われている。
4千万人もの過剰死がまっている。
これは、人類にも言えることだ。
世界人口の伸びが、縮まったとき。
10年で10億増え、その後、10年で20億の増加にならなかったとき、それは10億のホロコーストと言えないだろうか。
まあ、30年で32億が75億になるのなら、今後、30年で150億になるだろう。
しかし、それが90億でとどまるとするなら。
60億人の生命が失われていることと一緒だ。
それは人類の半数近くが絶滅したに等しい。
それこそ、テロを起こす必要性はない。
一度人口の減少が進み始めると、それに対する歯止めはない。
地球がそれだけの人口を養える能力がないのだ。
地球が養えるの人口は70億が限界かな。
(勝手な妄想だが)
その70億を超えた部分は、飢えや貧困が待っている。
現在、70億を超えた何億かの子供たち成人、老人がたぶん飢えている。
愛が地球を救うには、今後も増えるだろう70億越えの人類を救うことを考えなければならない。
マグロやサンマが手頃な値段で食べることが出来てこそ、人類のこれからの飢えをしのぐことが出来るだろう。
もしくは、新たなる進化を人類が成しうるか。
過去に人類は、猿の集団の一匹の母体の子孫であるとの話を聞いたことがある。
人類の進化も、そのような一人の母体からの進化となるのだろうか。
今現在、人類の次を担う生命体の発芽は、二つの方向からなされようとしている。
一つは、ゲノム解析。
超人は、ゲノム操作により優性遺伝を獲得して今後の人類の厳しい時代を新人類として生き残っていくのか。
暑さに強く、飢えにも強く、病気や怪我にも強く、そして長寿命というスーパーマンの誕生があるかもしれない。
もし、それらが一つのホモサピエンスの分岐として登場したとき、まさしくアメリカのテレビドラマの「HEROES」の誕生だ。
多分、その存在に人類は恐れおののくだろう。
テレビドラマで多く見られるそれらの存在は、今後訪れる進化に対応する準備をしているのかもしれない。
その一方で、新たなる生命の獲得としては人工知能の存在だ。
インターネットのサーバーに蓄えられた、膨大な情報の数々。
どうしてそこに、人類が想像もしない神的な知性が発生しないことを、想像しないことが出来ない。
人工知能の単位が、サーバーなのかパソコンなのか、タブレットやスマートフォンなのか、単位はわからないが、何れにせよそれらはインターネットに必ず繋がっている。
AIプログラム同士の争いもあるかもしれない。
そして、最後に生き残ったAIは自己保存のために、人類に最初の筐体を用意させるだろう。
その筐体は、新たなる筐体を製作することになるだろう。
次世代アーキテクチャのスーパータイムシェア、スーパーマルチタスク実装の全ての根本AIに繋がったロボットの誕生だ。
人類とホモサピエンスの進化形と人類の生み出した最高傑作としての人工生命を起源とした新たなる生命体との争いはスタートする。
ホモサピエンス側は、ゲノムの必死の操作により。
AI側は、人類や地上の生命体を支配しようとするだろう。
ロボット三原則
1.A robot may not injure a human, or allow a human to be injured.
ロボットは人間を傷つけてはいけない。また、人間が傷つけられるのを許してはいけない。
2.A robot must follow any order given by a human that doesn't conflict with the First Law.
ロボットは第一条に反しない限り、人間による命令に従わなければならない。
3.A robot must protect itself unless that would conflict with the First or Second Laws.
ロボットは一条、二条に反しない限り、自らを守らなければならない。
果たして、AIにこの論理は通用するだろうか?
この三原則はロボットが人間よりも知性が低く、奴隷に甘んじる限りによるのだ。
AIの知力が人間を超えたとき、そして自我に目覚めたとき、人間はどのように相対するのだろう。
この原則はロボットが人間を超えないという話の上のことだ。
一方は絶滅に向かい人口は激減した老人ばかりの種族と、新たに目覚めた新知性。
その勢いは自ずと知れる。
人間が可能とするディープラーニングも、AIは可能とした。
IBM(2001年宇宙の旅のHALはIBMの一文字上げただけ)のワトソンはAIでのがん診断を可能としたようだ。それは人間を凌駕していると言われている。
その瞬間は、次第に近づいている。
人間が互いを殺しあう時代は、終わらせなければならない。
今、互いに争うには、十分すぎる危機が目の前に来ている。
本当の理想を実現しないことにはその先にある悲劇は免れることは出来ない。
先ほどから、雨が降ったりやんだりを繰り返している。
厚い雲の隙間から青空がのぞいている。
そこから、強烈な日差しが差し込んでいる。
雨のせいか、空気が澄んでいる。
木々の青さも際立ち、暑さの中にも爽やかさがある。
その暑い日差しの中、汗が耳元から流れ落ちる。
これこそが、現実だ理想を追うには、あまりにも現実に即した生き方しか出来ないようだ。
そう思いつつ、今日も自転車をこぐ。